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<title>余話譚－たーぼブログ</title> 
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<tagline><![CDATA[ご訪問ありがとうございます。日常のできごと、福祉（児童・障害を中心に）、教育、時事ネタなどについて気ままに綴っていきます。みなさん、よろしく！]]></tagline> 
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<title>2ヶ月ぶりの復帰！③たーぼ、文章を書くことについて考える</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2009-11-27">
<![CDATA[
見出しの<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">タイトル</a>で書くブログが３回目となった。久しぶりのブログ更新だ。この頃は、在学する<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学</a>の学内<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=SNS&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">SNS</a>での学友たちとの語らいが中心になりすぎて、ブログのほうが疎かになっている。前回のこのブログは、社会<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%A6%8F%E7%A5%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">福祉</a>実習とその事後処理からどのように変わったのかを簡単に書いたが、それから２ヶ月の私の状況は、正直特筆すべきことは無い。学内のレポート課題に追いまくられたことと、国家試験対策の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8B%89%E5%BC%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">勉強</a>がにっちもさっちもいっていないということを除いて。そんな中で、学内SNSの中で、書き綴ってきたもののなかで、私自身印象に残っているものを今回は再掲しておきたい。<br />
<br />
　既に何人かの学友の方にご報告したことであるけれど、今年度取り組んできた「社会福祉援助技術演習」の課題レポート６題が完成し、無事に提出投函まで完了した。<br />
　他の受講者にとっても同じかもしれないけれども、この科目のこの課題レポート群を仕上げたこと、それも期限内のこの時期に仕上げられたことは私にとってとても大きいことだった。国家試験対策の観点でいえば、現在３回生の皆さんならばまだ時間的なゆとりはあるかもしれないのだが、４回生の場合はそういうことは一切ない、と言って良いからだ。<br />
　この科目のレポートについては、この１年間近くの間、実にすったもんだをしてきた。詳細はここでは述べないけれども、私の場合は、この科目のそもそものねらいについて一定の理解はしつつも、設問のあり方という点ではとことん科目担当の教授宛てに噛み付いてきたのは事実である。そして、その思いはそう簡単に消え去るものではなく今も納得がいかない中にある。しかし、現実的に課題レポートを提出しなければ修了試験にも到達できないという事情があって、やむなく取り組んできたというのが正直なところだ。<br />
　誤解を避けるために敢えて断っておくが、私はこの科目のレポートに取り組む上で「労力」云々で不平不満を言い立ててきたのではない。<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">社会人</a>学生としてのしんどさがあろうと何だろうと、その辺は学生の本分としての最低限のことはするのが当然だと弁えているからだ(これは当然なことですよね)。<br />
　そうではなくて、この科目の個別の設問の中には、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%B3%87%E6%A0%BC%E5%8F%96%E5%BE%97&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">資格取得</a>の前提として"必ず取り組まなければならない"ような性質の設問は実質的に半分しかなかったと思っている。踏み込んで言えば、設問としては個人のことに立ち入り過ぎという意味において大変不適切な設問もあり、その点についてはこれまでにも何度となく、科目担当の教授に改善を申し入れてきた。が、結果的にはゼロ回答。私はまずそのことに大いに失望した。<br />
　そういう中で、敢えて己を滅して取り組まなければならないことに憤りを覚えながらここまでやってきた。憤りというのは、直接的には私の考え方が教授に受け入れられなかったことであるが、それ以上に対話を誠実にしてもらえなかったことが何より悔しかった。<br />
　担当教授は果たして１回の回答コメントだけで私が単純に納得できると思っていたのか・・・。もしそうだとしたら、とんでもないことだ。基本的にプライバシーに対する配慮という意味では、安全性の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%8B%85%E4%BF%9D&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">担保</a>力と説得力は脆弱であったし、そういう限界についての配慮に欠けた教授のコメントの単純さに「この人はこういう観点でしか物を考えられない人なのか」とつくづく呆れたものだった。<br />
<br />
　しかし、それはそれとして、あれこれ考えながらも一通りのレポートを仕上げることができたのは良かった。そもそも、私は普段は割合に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%88&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">アバウト</a>な生活(いいかげんなということではなく、ラフなという意味で)をして、何か事を成す場合は事前準備というか検討というか、そういうことをゆったりと時間をかけ、本格的な作業は短期決戦型であることが多い。それゆえ、レポートも普段は殆ど時間をかけない。もちろん、書いた後の推敲の作業はシビアにするけれども、それでもそんなに時間をかけたという経験は余り記憶にない。私にとって文章を書くという行為は既に中学生時代からごく当たり前のものになっているからでもある。書くということに基本的に抵抗感は全くないのは、私にとっては幸運なことだと思っている。<br />
　でも、何を書くか・どういう形で書くのかという点は、本当に難しいことだろうと思う。何より、文字(テキスト)として可視化する行為としてとらえたとき、書き手と読み手の対話を意識することは不可欠だからだ。<br />
書かれた文字・文章は書き手の"主張"に直結する重大事案であり、読み手に対する「衝撃」を与え得る力も持つことがある。そういう視点で考えると、たかがレポートされどレポートなのだと思わずにはいられない。<br />
<br />
今回の「援助技術演習」のレポートで、果たして私自身がどこまでそれを相手(担当教授)に伝えられたのかは分からない。が、少なくとも与えられたものに対しては、私自身の能力の範囲でとことん誠実に向き合うことに努めてきたことだけは確かである(いかにそのものに対しての不満があったとしても、それはそれこれはこれである)。これで、本学の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E9%80%9A%E4%BF%A1%E6%95%99%E8%82%B2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">通信教育</a>学部での学習も一応、この科目の修了試験レポートを残すのみになった。<br />
<br />
　私は、もちろん、これからも科目修了試験レポートにとどまらず、書くことにこだわり続けるとは思うが、今回の課題レポートで、自分にとって書くということがどういう意味を持っているのかをあらためて確認できた思いである。<br />
　「書くこと」についての苦痛を感じておられる方は少なくないとは思う。でも、幾分大仰なことを言うならば、何を語るのか、どう語るのか、なぜ語るのか("語りたいのか"から"語らなければならないのか"までを含めて)、などの点を掘り下げることは決して人生において無駄ではないと思う。そこから見えてくる自己というものにきっと出逢えると私は強く感じているからである。その自画像は過去であるか未来像なのかはわからない。けれども、どんな自画像でもそこに自分の存在というものの確かさを実感できるのではないだろうか。<a name="more"></a>
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<title>2ヶ月ぶりの復帰！②たーぼ、大学の実習を終えてからの修羅場に　[プライベート]</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-09-27 00:35:27+09:00</issued> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2009-09-26">
<![CDATA[
見出しの<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">タイトル</a>で書くブログが２回目となるが、正真正銘再び２ヶ月ぶりになってしまった。<br />
この２ヶ月間何をしていたのかと言えば、在学する<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学</a>の社会<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%A6%8F%E7%A5%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">福祉</a>実習に１ヶ月と、それの戦後処理および社会福祉士の国家試験対策<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%AC%9B%E5%BA%A7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">講座</a>の受講という新たな<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">イベント</a>でまるまる過ごしていた。このあいだに、世間じゃ大きく社会を動かす出来事があったのは周知の通りである(言うまでもなく政権交代のことである)。もちろん、その出来事があったからと言って私の日常に特段の変化はない。が、季節も移り変わり、私自身も来るべき国家試験の日までいよいよ４ヶ月今日に迫ってきている。この頃はと言うと、実習関連の科目の課題レポートに追われ、その上、対策講座の受講を含めた国家試験用の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8B%89%E5%BC%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">勉強</a>ということで抱えるものは多く、それだけになかなか思うように物事が捗らないことが多い。そして、それは次第に焦燥感を超越して、ある種の闇のようなものにはまったような感覚にさえ陥るもとになっている。<br />
　やることが多いこと自体に抵抗は何もない。到達すべき目的もあるからそれはそれなりの充実感はある。しかし、何かが足りない。追いまくられていることで、失っているものがあるような気がして、自分の中の精神状態が制御不能にさえなることが増えた。<br />
<br />
　実習先の人との交流はもちろん今も脈々と続いているし、その実習や試験対策講座の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%AC%9B%E5%B8%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">講師</a>との<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">出会い</a>なども、ちょっとした潤いにはなっている。しかし、それでも自分の中に満たされないものがあるのが怖い。<br />
本当は「怖い」という表現を使いたくはなかった。が、他に適切な表現を思いつかないのでそのまま使っておく。<br />
<br />
　満たされないという感覚に襲われた経験は、もちろんこれまでにも何回となくある。しかし、今の満たされなさは私にとってはかなりヘビー級なものである。国家資格の取得を目指して大学に戻って学び続けている今、受験<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%B3%87%E6%A0%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">資格</a>を取得することの大変さ・煩雑さの中で、受験資格獲得という小さな入り口が見えかけている今という時期に雑念を持ってはならないのだが、自分の10年後20年後の姿というものをちらちらと想像して、そのあまりの不透明さ・不確実さに愕然とする思いがあるからだ。そういう修羅場を潜り抜けて生き抜くのが人生なのだとは思うが、そこに本当のこころの平安が描けないのが何とも寂しい。私も万能完全なる人間ではないので、気持ちが落ち込むこともある。否、実際にはあるどころの話ではなく、内面的にはどん底を這い蹲っている感覚である。<br />
こころの平安が得られないとあまり思考回路は良い働きをしていかないというのは誰しも同じことだと思うが、こころの平安をどうしたら得られるのかと言うと、これが皮肉なことに何某かの目的を達成したり、自分自身の希望の状況に身を置けていることが実感できたときに平安が得られる。しかし、目的の達成などは自分が努力してそれにたどり着かなければならない。その努力がどれだけやれば良いのかは甚だ不明である。これは言うなれば「目的達成における<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%A1%E3%83%93%E3%82%A6%E3%82%B9&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">メビウス</a>」と表現しても良いような、不完結な状態である。<br />
<br />
　一つの課題を達成すればさらに新しい課題が生まれるということは当然なことで、尽きることはない。そのことに対する不安も抵抗感もないのだが、自分自身の年齢との兼ね合いで、何をいつまでにやるかという自分なりの"マニフェスト"というか設計図が怖くてかけないという実におろかな袋小路に嵌っているのだ。<br />
　実習で過ごした１か月は、そのスケジュールに追い立てられて、あれこれ摸索しているような暇もなかったのが幸いしていた。しかし、終わってしまうと「嵐のあと」という状況で、実に寂寥感というか虚しさが襲ってくる。一体自分は何をしているんだろうか、どこに向かおうとしているんだろうか、自分のことでありながら自分でどうにもならない精神状態がそこにはある。<br />
脇目もふらずに国家資格を取るまでは頑張り抜くという意志も、本当に強く持ち切れるのか、それが今は不安である。<br />
<br />
<a name="more"></a>
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<title>2ヶ月ぶりの復帰！①たーぼ、再覚醒</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-07-22 03:09:34+09:00</issued> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2009-07-22">
<![CDATA[
　このブログがしばらく沙汰止みになってから、早くも2ヶ月が経ってしまった。決して更新のことを忘れていたわけではない。しかし、これまで諸事情あって思うに任せなかったのである。２ヶ月の間に私の身の回りでも当然に色々なことがあり、それへの向き合いで忙殺されていると、ここまでの２ヶ月の歩みで何がどうなったか確認をしておかないと、話しとしては唐突なものになる印象がある。それは今の私にとっては少しまとまりが取れなくなるので、少しずつ、ある場所で書き溜めていたものを紐解いてみたいと思う。それによって私が見聞き感じてきたことがどんな道筋をたどったかが整理できるような気がするからである。<br />
２ヶ月間の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">レビュー</a>の１回目は、6/10に記した「たーぼ、再覚醒する」という<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">タイトル</a>の一文である。<br />
ここでは、それまでの自分自身とは少し異なる「学びへの感覚」について再考していた。読み返してみると、文面からは何故そういう変化が起こったのかということについては読み取りにくい文章なのだが、実にこの当時は変化を余儀なくされそうなできごとがあり、刺激を受けていたことは確かであった。<br />
<br />
【たーぼ、再覚醒する（6/10）】<br />
<br />
このところの自分の生活の中で起こっている様々な出来事に一つひとつ向き合っているなかで、それとなくしかし確実に自分自身がいわば「脱皮のための揺らぎ」とも言える実感を得ている。<br />
<br />
　仕事関係のこと(実務・<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%B3%87%E6%A0%BC%E5%8F%96%E5%BE%97&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">資格取得</a>両面にわたる<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">キャリア</a>アップ)、プライベート、そして、そもそもの生き方・人生の歩き方のことなど、考える材料がここ１週間のあいだに一気に私の前に提示されたことが大きなきっかけになっている。<br />
　もちろん、それらすべてが自分自身にとってそれぞれ次元を異にしたテーマを持っているので、単純に一気に解決するとかそういうことは期待できるものではないのだけれども、それでも感覚的には、苦しいながらもなお一層積極果敢に向き合っていこうという動機付けになっていることは確かである。<br />
それを気付かせてくれているのは、家族・過去の様々な職場・<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%81%B7%E5%AE%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">職安</a>の職員、実習予定先機関の職員・<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%B0%B1%E8%81%B7%E6%B4%BB%E5%8B%95&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">就職活動</a>における面接先の人々などもそうなのだが、日頃交流していただいている皆さん方の存在を抜きに語ることは到底できないのである。<br />
皆さんから学ばせていただくことは本当に色々で、勿論簡単に真似できるはずもないし、自分自身が参考にしようといったところで、どれだけ身体化できるかは未知数なのではあるが、それでも圧倒されたり教えられるものを感じたり、とにかく何かしら感じさせていただいていることは確かである。<br />
<br />
　そして、そのことを通して、今私の中ではある変化が起こりかけている。それは広い意味で学びに対する姿勢の変化と言って良い。個別具体的には、そう、何が変化と言って、私が今、取り組んでいる数々の課題レポート(実習関係全般にわたって)への取り組み方・考え方がここに来て大きく一つの転換点を迎えようとしていることは一番の変化になりそうな気がしている。もちろん、この感覚は苦しみ続けていくことで味わえる地鳴りの感覚であると思うが、どうやら、かつて散々考え続けていたことが甦ると同時に新たな覚醒になりそうな雰囲気があって、今はたまらない感覚である。<br />
<br />
　それが果たして良いことなのかどうかは今はまだ分からない。<br />
けれども、何かが起こりつつあるのは、ある意味恐ろしくもあり、得がたい瞬間でもあると思うのだ。折角のこの瞬間を実りあるものにつなげていきたいし、また、皆さんと少しでも<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8A%B1%E3%81%BE%E3%81%97&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">励まし</a>合っていけるきっかけにしたいという願いが高まっているのだ。<br />
一層、自らを戒めながら、進んでいきたいと思う。<a name="more"></a>
]]> 
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<title>鶏肋 ( けいろく )</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-05-18 18:56:54+09:00</issued> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2009-05-18">
<![CDATA[
久しぶりのブログ更新である。前回の日記で「春めいてきた」などと書いてから早くも1ヶ月以上が経ってしまった。<br />
　この所、私の地元も日に日に暑くなってきて、今日なども殆ど夏日のような気候である。何だかんだと言いながら季節は日々移り変わってゆくもので、いよいよ、８月の社会<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%A6%8F%E7%A5%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">福祉</a>現場実習に向けての本格的な準備段階の時期に来たと感じている。<br />
今月から来月にかけては実習のためのガイダンススクーリングが各地で始まっており、かく言う私も月末にはそれに参加する見込みである。既にスクーリングを受講された方々の声もいくつかfuxiで載せられるようになり、そろそろ"たーぼエンジン"を整えて取り掛かろうという気分にはなるが、そんなに簡単に上り調子になれるわけでもない。今日などは、ここ数日の色々なことから少し解放された面があって、日頃の疲れが一気に来ているからだ。<br />
<br />
　先日は、失業給付の受給に関わる失業認定の日だった。一応、正式に認定はされたが、予てからの雇用<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E4%BF%9D%E9%99%BA&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">保険</a>受給<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%B3%87%E6%A0%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">資格</a>者証の記載内容に関わる問題は未だにはっきりとした決着を見ていない。これはもう少し待つしかない。そんなことを思いながら、ついでに採用面接への応募可能なものがあればと<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%B1%82%E4%BA%BA&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">求人</a>情報を<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">チェック</a>し、結局１件だけ応募した。退職後初の求人応募であるが、今回は社会保険事務局の事務(嘱託職員)の仕事である。業務内容は、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%81%A5%E5%BA%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">健康</a>保険証の加入手続き事務というもの。私にとってはまた一風変わった仕事であるが、この仕事をすることになると今取り組んでいる福祉援助技術演習のなかの<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%B9%B4%E9%87%91&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">年金</a>・保険の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8B%89%E5%BC%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">勉強</a>にも役立つ上、職安で見つけた仕事の中で現状ででき得る現在唯一の仕事と思ったため応募を決断した。しかし、結果的には書類選考段階で、この話は無いものになってしまった。応募者も多いし、昨今の情勢からすると仕方がないと受け止めている。<br />
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　さて、たどり着くということでは、職安のことでも実習関連のことでもそれなりの到達点に来ているわけだが、昨日の職安での相談でも<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%B0%B1%E8%81%B7%E6%B4%BB%E5%8B%95&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">就職活動</a>戦略の話でいわゆる私の到達点のことがあれこれ<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%A9%B1%E9%A1%8C&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">話題</a>になった。それでふと思い出した言葉が、今日の見出しの「鶏肋(けいろく)」という言葉である。<br />
　この言葉は、文字通り「鶏の肋骨」というものだが、意味は「取っておいても大した役には立たないけれども捨てるには惜しいもの」ということである。この言葉を最初に知ったのは、かの有名な『三国志演技』においてである。その中で、魏の宰相である曹操という男が、敵国との対陣の最中に、戦いを続行するか退陣をするかを巡って悩み抜いていた折に漏らした言葉というのがこれであった。「このまま、戦いを続けていても大した成果が上げられないけれども、だからと言って退いてしまっては何のために頑張ってきたのか分からないばかりか他人の嘲笑を受けることになる、そんなことでいいのかよ、俺は？」というのが曹操という男の苦悩であったという。結果的に、体面を保とうとして彼は無理に戦いを続けた末に大敗を喫することになるのだが、この故事は私たちの日常においても言えることである。<br />
<br />
　少なくとも、私にとって今自分自身が置かれている状況はまさに「鶏肋」とも言える状況に感じている。そう、今回応募した仕事と実習の２つのことである。仕事の方は、応募して採用をされたとしても実質は短期の嘱託という職分であり、得られるものは全然大したものにはならない。が、実際に携わればそれなりにやりがいもあるだろう。<br />
また、実習のほうはもっとこういう思いになる。実習に取り組むことで本来できるはずの就職活動についてはかなりの犠牲はでてきているのは事実であるが、予定している実習は受験資格のためには避けては通れないことであるしやりがいもあるものだ。それに、社会福祉士の資格を取ろうということで受験資格を取るために大学に再び戻ってきてから１年２ヶ月、ここまでやってきたことをここで捨てるというのはいかにも勿体無いことであるかというだけでなく、おバカなことなのである。そんなことをこの私ができるもんかという意地もあるから、やはり戦いは避けてはいけないという思いになるのだ。勿論、この戦いは勝ちだとか負けだとかそういう性質のものではないけれども、強いて何が負けに当たるかといえば、それは自分自身の精神的なものがぶれてしまうことだと思っている。目先のことを考えるよりは、将来を見据えた行動の取り方こそ肝要だと思うから、ここでぶれていては何にもならないのだろう。<br />
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「現状で進んでいくことが果たして良い方向に行くかどうか不透明であることは元より覚悟の上、下手な戦い方をしなければ良いだけのこと、さらに戦略的にやっていかなければ」と、この「鶏肋」という言葉を噛み締めつつ思った。<a name="more"></a>
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<title>ある手紙とお餞別のこと</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-04-09 00:09:40+09:00</issued> 
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<![CDATA[
   ここ２、３日で私の地元も日に日に春めいてきた。桜も七分咲き程度になっている。彼の人はどんな思いで眺めていることだろうか・・・、と思っていると、偶然にもその人から一通の便りが来た。その人は、２ヶ月程前に突然亡くなった私の友人の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A5%A5%E3%81%95%E3%82%93&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">奥さん</a>からであった( この件については、２月中旬のこの日記で触れている)。便りによると、先日無事に四十九日<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%B3%95%E8%A6%81&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">法要</a>が終わり一段落着いたとのことで、生前の故人との交誼に対する感謝の気持ちが認められていた。勿論、本文をご紹介することは差し控えさせていただくが、手紙の末尾は「また主人に会いに来てやってください」との文言で締めくくられていた。<br />
　以前にも書いたように、私と故人は<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E9%AB%98%E5%8D%92&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">高卒</a>の浪人時代に地元の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E4%BA%88%E5%82%99%E6%A0%A1&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">予備校</a>で知り合って以来、20年近くの付き合いとは言え、彼の高校の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%90%8C%E7%B4%9A%E7%94%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">同級生</a>やら会社の同僚の人々と比べれば、存在感など薄いはずの人間であると思ってきたが、奥さんからの丁重なるご挨拶状をいただいて、改めて彼との信頼関係が意外な程に深くなっていたことを実感する思いだった。今、奥さんからのそうした便りをいただいた私は、なお一層、故人との信義を守り続けていきたいと思うと同時に、未だに心の傷の癒えぬ奥さんほかのご遺族の気持ちを想像するに、限りない物悲しさを覚えたのであった。<br />
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　もう一つは、嬉しい話。一昨日(4/7)は<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%8A%B1%E8%A6%8B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">花見</a>の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%97%85%E8%A1%8C&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">旅行</a>に出かけたのであるが、そのために前日に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">新幹線</a>の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%81%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">チケット</a>を飼いに行ったときの話。そのために使うお金に絡む話なのだが、私はやはり、当たり前に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E9%8A%80%E8%A1%8C&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">銀行</a>のATMで幾許かのお金を下ろした。実は、手元には職場からいただいたお餞別のお金があったのだが、結局手をつけなかった。そのお餞別は上司からのものと親睦会からのものであったのだが、どちらのお餞別も勿体無くて、使う気になれなかったのだ。<br />
　私がその職場から受けた恩は計り知れないものがあり、人生の宝物の５年間をいただいたという趣旨のことを先日も書いたわけだが、そうした先様からのいただき物は、本当に有り難いもので、使ってしまうなんてことができない、これが私の性格なんである。「金は天下の回り物」などとはよく言うが、感謝の気持ちを忘れないために、敢えて手をつけたくないのである。そのお餞別には、下さった方々の気持ちが込められていることを思えば、使うなんてできない・・・、そう思って通常の自分の持ち金で新幹線のチケットを手に入れたのである。<a name="more"></a>
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<title>職場よ、さらば！</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-03-30 19:22:17+09:00</issued> 
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<![CDATA[
遂にこのときが来た。<br />
昨夜の勤務で、５年に渡る<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%85%90%E7%AB%A5&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">児童</a>相談所での電話相談員としての生活が終わる。経験談はまた日を改めて追々語るかも知れないが、職場を去る気分を語ってみたい。<br />
<br />
長いようで短いとも思ってきた５年だが、今思うと、やはり長かったんだという気持ちになる。考えてみると、この生活では実に多くのことを学んだわけで、職場に対しては、ただただ感謝しか無い。正規の職員の皆さんには本当によくしていただいたし、人間的に鍛えてもらったことばかり。人との距離の持ち方・付き合い方などは、相談業務ならではのものを吸収させていただいた。もちろん、飽くまでも今の職場に特有なものとしてではあるが。<br />
<br />
　また、色々と個人的には業務上に危機的な場面もあったが（仕事の中身で失敗したということではなくだが）、それを救ってくれた上司（管理職）も何人かいたし、危機の乗り越え方についても手本にするところも多かった。ある同僚との数々の衝突もあって、これはかなり私の５年間の前半部分でエネルギーを費やした。相談対応に神経を使うのは当たり前のことで全く苦にはならなかったけれども、同僚との揉め事はとんでもなく腹立たしいものでもあり、さりとて上司に心配をかけたくもないので何とか乗り切っていかなければと気張っていたものだった。しかし、私のことをとても可愛がってくれた何名かのある課長（今は別の機関に異動しておられる）が、時々そのことを察して気遣ってくれていたことは私は終生忘れない。そういう方々の恩義の上に、最終勤務を無事に迎えられる今日という日があることを今、しみじみと実感している。既に何名かの方々からは、５年間の勤務について労いの言葉をいただいているけれども、私自身はしんどいという感覚よりも長かったんだなあということしか今は頭にない。しんどい時期もあるのは社会人としては当たり前だし、「これくらいの試練は試練のうちには入らんわ！」と自分自身を戒めて突っ走ってきたため、気が付いたらもう退職の日を明日に控えているのか、という感覚である。<br />
<br />
　飛行機に例えれば、数々の乱気流を乗り切り、今ようやく無事にランディングに入ってきたところ。メインエンジンは既に切った状態で、今は惰性に任せて旋回を繰り返したところで、いよいよ、着陸態勢に入る。ここに辿り着くまでよく保ったよなあ・・・。<br />
<br />
この話を続ければ、何時間でも話せそうなくらい、この職場での出来事は数々のエピソードがある。それも、同僚との関わりだけでは絶対に得ることのできない、正規の職員との交流があったればこそだ。まあ、言うなれば、私ほど正規の職員と個人的にも親しくしてもらえた<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E9%9D%9E%E5%B8%B8%E5%8B%A4&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">非常勤</a>職員もないだろうと思うほど、同僚の非常勤職員だけでなく正規のケースワーカーの人たちとの関わりを深めることができたことは何よりも嬉しい。彼らの仕事の詳細にまでは<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%81&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">タッチ</a>できないとしても、大体のお人柄に触れて、業務の中で心の安寧を得られたことは小さからぬものだ。<br />
<br />
　昨夜は１分未満の短い電話が３回あっただけで実に静かな夜だった。５年間（これをしきりに強調しているようで恐縮だが）の締め括りがこんなに穏やかに過ぎていくとは、この現場に虐待問題なんて無関係なんじゃないかと思うほど。<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">子ども</a>たちも一応落ち着いた環境で年度末を過ごせているのならば、これに越したことは無い。<br />
<br />
その後、帰宅してから５時間ほど死んだように眠って、先ほど２時間程前に目が覚めてこれを書いている。目が覚めて、無事に児童相談所での生活を満了できたことを、和菓子と一杯の茶にさえ感じながら寛いだ。その茶の味は、いつも以上に格別なものがあった。これはまた日に日に実感が増幅するのかも知れないけれども、一つの達成感が満ち満ちたものであることは間違いない。<br />
<br />
　今朝は、直属の課長と主査の２人から労いの言葉を賜り、内心打ち震えるような感激を味わってきた。去る者に対する労いというものはどんな職場でも基本的には共通するものがあるのだろうが、私にとっては児童相談所でのそれは最高に有難いものになった。何と言うのか、少々安っぽい表現をするならば、この職場は私自身にとって心のふるさとの一つになったと言って良い。それは、私の本来的な性格にも関わるのだが、たとえば本学への愛校心と共通するものである。私はこれまでの歩みの中で自分が身を置いてきた場所の全てに対して限りない愛着を持ってきたわけだが、それは携わった場所の全てが自分自身を高めてくれる場であったということが大きい。どんなレベルの試練があったとしても、それそのものが自分自身の生き方にとってマイナスにはならないのだという信念を持って臨んできたというのは確かなことで、それでなければ愛着なんぞ湧こうはずが無い。そういう価値観でいろんな場に携わった中でも、児童相談所は職場としては最良の修行の場であった。この職場で得たものは何か、と問われたら私は迷わず「人との向き合い方の本質を学んだこと」と答えるだろう（事実これは、今朝、ある課長補佐の女性職員との会話で私が答えた）。電話相談員という特殊な対人サービス<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">カウンセリング</a>では、その限られた条件の中で相談者とどう向き合うかということを色々と学ぶことができた。勿論、これは対人のサービスの一端に過ぎないのだが、接遇のあり方、危機管理の考え方を徹底して叩き込むこともできた。<br />
<br />
　私の取り組んできた業務では、児童虐待問題をテーマにした対応であるため、通告受付が主要な業務であった。その中では、虐待の実像に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%A7%A6%E3%82%8C%E3%82%8B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">触れる</a>ことで緊急性の見立てに始まり、受付時の対応の流れなど、何をその場で為すべきかを的確に判断することが求められる。そして、それは業務要領・要綱というマニュアライズされた範囲で行うものであるが、人を相手にするという意味では、柔軟さとあたたかさが不可欠になる。通り一遍のフレーズで対応すれば良いというわけでは無いことは、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%A6%8F%E7%A5%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">福祉</a>をやる人間なら当たり前なことだが、これを私はさらに自分の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">カラー</a>を存分に使ってきた。<br />
　同じことを伝えるとしても人によって伝え方が異なるのはよくある話だが、私の場合は、そこらの職員とはまた一味もふた味も違った表現で、相談者のカウンセリングをしてきたように思う。これは心理学を<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8B%89%E5%BC%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">勉強</a>されている方々が聞けば憤慨するような話かもしれないけれども、私自身は心理学専攻というわけでは無かったことが自分自身の発想を自由に展開できた要因と捉えている。有態に言うと、心理学の枠で傾聴時の姿勢を縛りたくなかったというのが本音であった。<br />
私は元々「ともすれば心理学というのは何かにつけて人間を類型化して、その枠のなかだけで判断をしがちになる」というところに抵抗感ゆある種の偏見を持ってきたからである。それも基本には必要なのだろうが、もっと人間として大事なものがあるんじゃないかというのが、私自身の心理学に対するアンチテーゼの基本だった。今でも、正直なところ、心理学について語れと言われると恥ずかしいくらい専門的なことには疎い私ではあるが、そのアプローチでは無い形での私の相談対応の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">スタイル</a>があった。<br />
私にとってはこの５年間は、こうした私自身の価値観が児童相談所の業務の中でどこまで通用するのかという一つの挑戦の期間だったと言って良い。そのため、業務から逸脱しない範囲で好きなように仕事をさせていただくことができたのは誠に有難いという外は無い。それは自己満足に過ぎないのかも知れないけれども、結果としてそれで何一つ問題ないどころか、相談者の方々にとっても様々な問題に向き合う意欲を喚起できたケースが増えていったというのが分かり、とても嬉しく相談員冥利に尽きるのである。<br />
<br />
　勿論、今回の児童相談所での経験は飽くまでも特有のものであり、他でも通用するとは限らない。それでも改めて実感したのは、良い仕事をするには自分自身の心身が健康で、なおかつ自由であることが欠かせないということ。物事を考える上で葉では常に間口を広げておくことが、冷静・堅実かつあたたかい仕事に必要なのだということがよく分かった。<br />
<br />
　今日で児童相談所での生活は終わったわけで、これからはしばらく一介の学生に立ち戻り、また新たな活躍の場を得られるまでの充電をしていきたい。たーぼエンジンもセカンドエディションにしなければならないと思っている。それには、母校でなお一層学びを深めて、学友の皆さんとの語らいからも学び取りながら歩んでいきたい。あ、でも、最後にうちの主幹に言われたよな「（たーぼ）さん、今日で勤務としては終わりでしょうけれど、まだこれで終わりじゃないですよ。来月の歓送迎会はしっかり参加していただいて、全体に対して挨拶していただく役目が残っていますよ」ってな。そうか、それこそ締めくくりとしちゃ欠かせないなと感じた。本当に最後の最後まで良くしてくれる職場だと思う。<br />
<a name="more"></a>
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<title>学生の学びへのモチベーションと学費の関係について</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-03-27 13:09:49+09:00</issued> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2009-03-27">
<![CDATA[
　このところ、ブログの更新が全く滞っており、どうにも煩雑な日常が解消されないことを改めて実感している。<br />
前回の記事は、ある友人の訃報に関するものだった。これもご無沙汰の中のアップ記事だったが、今日はそれからさらに１ヶ月が経ってしまった。この間(かん)の私は、基本的に仕事や<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学</a>の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8B%89%E5%BC%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">勉強</a>漬けの毎日であったが、それも間もなく大学の生活一本になる見込みである。今年度も残すところあと５日。ということで、私の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%85%90%E7%AB%A5&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">児童</a>相談所での５年間の勤務生活が任期満了となるからである。残すは、次の日曜日(3/29)の夜勤のみ。<br />
<br />
　考えてみれば、やはり５年間は長かったと思う。終わってしまえばあっという間ではあるのだが、世間も私個人も色々と環境が変わり、時代の移ろいを感じるものだ。変わっていないのは私自身の精神年齢なんだろうかなんて思ってしまうけれども、最近はとにかく自分の年齢を忘れて、学生という身分のおかげか若やいで20代前半に戻ったかのように日々を過ごしている。やはり<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">社会人</a>になってから再開する勉強のほうが充実感が違うし、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E9%80%9A%E4%BF%A1%E6%95%99%E8%82%B2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">通信教育</a>課程で学ぶ身としては、もちろん全国の学友と直に会う機会など殆ど無いわけだが、それでもスクーリングに出れば、おお、やっぱり<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学生</a>の集団なんだなと妙に感激してしまったりする。そこに集う学生たちの群像は様々なものがあり、学びの目的意識もバラバラで面白い。私は母校の大学の通信課程で学んでいるわけだが、昔の学生と今の学生の違いなんて有り触れたことを言うつもりはない。ただ、以前は、本学の学生が一癖も二癖もある人間の集まりのように感じたことがあったが、今は違う。そもそも、学生の時期というのはみんなどこの大学でも多かれ少なかれ変わり者の集団になっているんじゃないかと思う。それは、かつての一期校・二期校なんて謂われた時代の学生像とは決定的に異なるものだと思うが、今はいわゆる<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">スタンダード</a>というもののあり方が変容しており、変わっているといえば皆どこでも押並べて変わっているし、自分が変わり者だと思っているような学生ほど、それほど「変わってる感」が無いように思うのは私自身が年を喰ったせいなのだろうか。少々の変わり者では驚きゃしない。<br />
<br />
　そのような集団に成り下がったイマドキの学生にとって、学びの世界とはどのように移っているのだろうかと、ふと気になるものがあった。通信教育課程の学生集団の中にあって、かつての通学部課程の学生のそれとの質的な違いと問われると、勉学に対するモチベーションがやはり通信課程のほうが強いように思う。それは、社会人学生であったり、今までなかなか思うように大学に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E9%80%B2%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">進学</a>する機会が無かったりすることによる、知への渇望とも言うべきものがあるからだろう。でも、もちろん、通学部の学生がモチベーションが低いと言いたいわけではない。通学部の学生であろうと無かろうと勉学意欲のある人薄い人は様々であるからだ。ただ、何故違って見えるのかといえば、それは私が見るところ、学費にまつわる事情が大きいように思う。これは私の母校の大学の学費制度がその理由になっていると思われる。私の母校の場合、通信教育課程の学費は単位制学費となっている。これは必要な単位数分の学費というものであり、1単位当たり幾らの勘定で、その年度の履修単位分の学費総額が定まる形である。これは、無駄な経費をかけさせない意味では明瞭な<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">システム</a>として評価できるものである。もちろん、単価の設定の妥当性が充分に吟味されることを前提にしてのことだ。そこに来ると、通学課程の学生の学費は内訳が明瞭でなく大雑把に感じられる。そのあたりは、次年度に際履修をしても何をしても構わないためでもあろうけれど、設定される学費は通信教育課程のそれに比べると割高であるように感じる。通信課程の学生の場合、再履修になればさらにその分の学費が掛かるのだが、それは費用根拠が明瞭なだけフェアーなものである。ほぼ必然的に、再履修にならないように、その年度内に単位が修得できるように学生が頑張って勉強する動機付けにもなる。<br />
<br />
こんな学費体系の違いを考えるだけでも、大学生の学びに対する意欲の差は表れるのだろうなと、新年度を迎えようというこの時期にふと感じたのである。<a name="more"></a>
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<title>ある友人の訃報(2)</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-02-24 17:06:13+09:00</issued> 
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<![CDATA[
そして、先週の火曜日(17日)は本葬・告別式にて最後の別れをしてきた。仮<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E9%80%9A%E5%A4%9C&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">通夜</a>での一幕のことは既にこの日記で述べた通りだが、やはり本通夜は遠慮して本葬・告別式への参列を選んだ。これは友人に対する思いからすると当然の選択だったし、結果的にもこれで良かったと思っている。<br />
<br />
今回の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%91%AC%E5%BC%8F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">葬式</a>は家族・親族の葬式とは決定的に異なる友人という他人のもので、気分的にも全く違うもの。久々の葬式で私が繋がっているのは故人との友人関係だけであり、それに僅かに付随することとして彼のお母様にお世話になった過去があるくらいなもの。彼の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A5%A5%E3%81%95%E3%82%93&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">奥さん</a>やそのご両親とは事実上先一昨日の仮通夜の席が初対面であり、これ以外の何らの縁も無い状況の中で向き合うことと言えば、ひたすらに故人の冥福を祈りその直近のご遺族をお慰めすること以外にはない。<br />
<br />
私が参列したのは式の開始直前で、お焼香の順番も最後に近いところだったのはまずまずだった。あまり目立った位置にいるのは気が引ける。大切なことはこの<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%91%AC%E5%84%80&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">葬儀</a>の場に私が参列させてもらったという事実であり、それでこそ私も公式にも友人に対しての弔意を示すことの意義があると考えていたのである。今日の参列者はご遺族ご親族のほかには、彼の職場・業界関係者や友人らの面々のみ。その友人というのも私以外は概ね彼の高校時代や<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学</a>時代の同期の主だった人だけであり、受験浪人時代に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E4%BA%88%E5%82%99%E6%A0%A1&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">予備校</a>で出会ったという僅かなきっかけだけで、ご遺族から友人としての承認を得られたのは私だけであったろうから、参列できることは大変有難いことだったと言わなければならない。<br />
<br />
遺族ほか参列者の悲しみの中で、粛々と式は進んでいった。ところが、ここに至ってもなお、私は涙を一滴も流すことができなかった。「申し訳程度でも流せば良かったのでは」というお叱りの声もあろうかと思うが、正直なところ、これはどうしようもない感覚だった。悲しいを通り越してただただ空しさしか残らなかったのである。心に穴が開くという表現があるが、これがそのことなのか。先日の日記で、ある学友が「泣ければ楽なのかも」というコメントを下さったが、遂にその感覚にもなれなかった。私の思いは既に故人とのどうのこうのでは無く、遺された奥さんやそのご両親、そして彼のお母様のこれからの余りにも辛く寂しいこれからのことに向かっていたのだ。もちろん、彼の友人とは言っても所詮は他人の私に何ができるわけもないのは承知の上だ。しかし、余りにも酷い現実をそう簡単に受け入れられる心境でないのは確かなことで、それこそこの苦しみを癒してくれるものは時間だけであると私は改めて思った。奥さんや彼のお母様が泣き崩れるだけでなく、棺にしがみ付いて泣き叫んでいた姿を、私は他<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E4%BA%BA%E4%BA%8B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">人事</a>ながら生涯忘れることが出来ない。奥さんのお父様が必死に娘を労わる姿は一層切ないものだった。<br />
<br />
最後の出棺では私も友人としてお手伝いすることができた。霊柩車に棺を運び入れるときに腕の震えが微かに走ったが、斎場に向けて出発した姿を見送ったことで、正真正銘彼との最後の別れになったことを私は改めて確認したのである。彼との交流は足掛け19年。その付き合いは実質的には、予備校時代の1年間とそれ以降の時たまの何年間ということで実質的な長さとしては大変短いかも知れない。しかし、毎年のように<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%B9%B4%E5%A7%8B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">年始</a>の挨拶や<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%9A%91%E4%B8%AD%E8%A6%8B%E8%88%9E%E3%81%84&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">暑中見舞い</a>状を交わし、時には再会して語り合い、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8A%B1%E3%81%BE%E3%81%97&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">励まし</a>合ってきた。その時間の密度は彼の他の友人に負けず劣らずのものであったと私は思っている。彼は私の記憶の中にいる、それで良いのだ。これからは彼の死を無駄にせぬように、そしていつでもご遺族の心の支えになって差し上げられるようにして生きていきたいと思うのである。<br />
<br />
<br />
今回で私の友人の訃報の話は終わる。が、今後私は何度このような悲しい別れを体験するのか分らない。もちろん、両親を見送ることは破格の悲しみになることだろう。さらには幸運にも結婚して自分の家庭を持つことが出来た場合は、彼の奥さんのように愛する家族を見送ることも特別な悲しみとなるだろう。が、こういうことを一つひとつ経験することが「大人になる」ということなのだと私は覚悟を決めているのである。<a name="more"></a>
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<title>ある友人の訃報(1)</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-02-24 17:02:43+09:00</issued> 
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<![CDATA[
先日は悲しい知らせが私の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">携帯電話</a>に舞い込んできた。それが見出しの一件である。<br />
電話が入ったときは、私は業務の電話対応の最中ですぐにはこの知らせを聴くことができず。後追いの電話によって奥さんから聴いたのだが、３時間経った今でも気持ちの整理がついていない。何でも、昨夜<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">バイク</a>事故になってそのまま還らぬ人となったのだということだった。まさに青天の霹靂というやつだ。何で死ぬんだ、バカヤロー！<br />
<br />
彼とは、予備校時代に知り合った。私は高卒後しばらく病院通いの暮らしをしていて３年浪人して<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学</a>（本学）に入学したのだが、浪人３年目に通った予備校、それが彼との<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">出会い</a>であった。<br />
互いに長めの浪人生活ということで、苦しい時期を励まし合う仲であった。時には授業がつまらなくなった日に一緒に予備校を抜け出して遊び呆けることもあったが、なかなか気の良いヤツだった。彼と励まし合ったから浪人時代を乗り切れたわけで、それがあればこそ今日まで友情を保ち得てきたわけだ。 <br />
<br />
彼はもちろん彼自身も色んな紆余曲折を経ているが、最近７年程は通関士の業務に志を得て<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%B3%87%E6%A0%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">資格</a>を取り<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%BB%A2%E8%81%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">転職</a>をするという具合に自分自身の夢を実現しキャリアを積んできた。<br />
<br />
その最初の頃は持病絡みで転職についてとても不安がっていたのを、私がとことん励ましていたものだった。私自身もまた当時は大学院生活に敗北し無職生活でどん底の状況ではあったが、気持ちだけは何故か圧倒的に私の方が強くいられていたため、むしろ私が彼を励ます役であった。「可能性があるなら、怖がらずに挑戦していけ」何度となく彼を励ましていたものだったが、そんな私も志を持っている彼の存在が支えになっていた。<br />
<br />
この励まし合いが、彼と私の20年近くの友情の原点だったし、これからも生涯にわたってそうあり続けたかったのに、彼は呆気なくこの世から消えてしまった。<br />
<br />
この悲しさ、寂寥感は筆舌に尽くしがたいものがある。彼が奥さんと出会ったことや婚約したことについて楽しそうに語っていた顔を私は今でも忘れられない。それを思うと、仲の良かった奥さんの悲しみはなおさらで、どんなに辛いお気持ちだろうかと、心配になる。他人が心配してどうなるものでもないが、それでも残酷すぎる。<br />
<br />
仮<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E9%80%9A%E5%A4%9C&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">通夜</a>は、結局私が最後の訪問者となった。仕事が終わってからの駆けつけのため、大幅に遅れることは事前に奥さんに連絡済ではあったが、会場では丁重なご挨拶をいただいて、故人との対面となった。バイク同士による事故死ということである程度予想はしていたが、それでも故人の姿に接し私は言葉を失っていた。何というのだろうか、それは極めて悲しいことではあるのだが、不思議なことであるがその場で私は涙を一滴も流すことができなかった。悲しさとか寂しさを通り越していたのだろうか。気持ちが乾いていたという表現が一番相応しいかもしれない。号泣してやりたいところなのだが、それを通り越すとこんな感じなのか。自他共に信じ難い光景ではあると思うのだが、やたらに冷静に現実を受け止めている自分がいることに気付いた。<br />
<br />
　昼間の電話では奥さんも咽び泣きながら話をしていたが、仮通夜という儀式に入っているだけに気丈なもので、故人の姿も痛々しいが、私はむしろ奥さんの姿がもっと痛々しく感じた。自己は<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%87%BA%E9%80%A2%E3%81%84&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">出逢い</a>頭の衝突ということであるが、ぶつかった相手の女性のほうが軽傷で済んで、本人が逝ったという話。しかも、前日(土曜日)の昼間に事故に見舞われ、その数時間後に息を引き取ったというから、いよいよ酷い話だ。その息を引き取るまでの1～2時間はどんなにか酷い時を過ごしたことだろうかと思うと、それだけでも気の毒で仕方がない。<br />
<br />
私は会場に入って奥さん他のご遺族との顔合わせの瞬間に全てのことを精一杯察しつつ、個人との対面をした。奥さんとの話では、彼との出会いのことや彼が転職をする際に相談に乗ったときのエピソードなど主だった思い出話をして20年近くの友情を凝縮して話して差し上げた。奥さんのことは既に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%B5%90%E5%A9%9A&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">結婚</a>報告のお<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%86%99%E7%9C%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">写真</a>で拝見していたが、事実上これが初対面である。こんな場で初対面になろうとは思いも拠らなかったが、彼女のお姿・語ることを通して、本当に想い合って仲良く過ごしておられたのだということがしみじみ伝わってきたのが、なお一層私の悲しみを深くした。<br />
<br />
しかし、悲しいのは奥さんばかりではなく、本人の親も然りであることを決して忘れてはならないと思った。親より先立つことを最大の親不孝というのはまさにその通りで、逝く順番が逆というのはその親にとってこれほど深い悲しみは無いこと。私は、対面した故人に向かって、本来はご遺族を前にしては禁句であろう一言を小声で漏らしてしまった。<br />
「何で、親御さんより先に逝くという不孝をしたんだ！バカタレが・・・」と。<br />
もちろんひたすら冥福を祈ったが、これ以上は何ら言葉にならずじまい。<br />
<br />
奥さんに対してもあれこれの慰めの言葉もうまくかけられなかったが、とにかく大切な友人のことゆえ、本通夜でも本葬でも自分にできることがあればお手伝いをしたいという思いを伝えて、会場を後にした。<br />
それでも何だか気持ちがおさまらず、帰路の道中で奥さん宛にメールを書き送って差し上げたのが以下の文面である。<br />
<br />
<br />
先程は、ご心労のなか、仮通夜にお邪魔させていただき、誠に有難う御座いました。思いがけないことで動転していたとは言え、お慰めの言葉も言葉足らずになってしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。<br />
(故人)さんとの思い出が私も色々あり、言い尽くせない悲しみに暮れております。生涯の友を失う辛さとはこのようなものであったのかと寂しさが募っております。<br />
先程も申し上げましたが、私は明日明後日とも予定が空いております。<br />
お手伝いできることがありましたら何なりとお申し付け下さいませ。<br />
連絡は携帯宛・自宅(電話番号)宛のいずれでも構いませんので、よろしくお願いいたします。<br />
ご家族ご親族の皆様にもよろしくお伝え下さい。<br />
とにかく色々ご心労が絶えないこととは存じますが、お気を落とされませんように、心よりお祈り申し上げます。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　(たーぼ) <br />
<br />
<br />
<a name="more"></a>
]]> 
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<title>大橋に思う</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2009-02-24-1" />
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-02-24 16:38:38+09:00</issued> 
  <id>tag:blog.so-net.ne.jp,2010:turbo-s_taniguchi.11693757</id> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2009-02-24-1">
<![CDATA[
今月の上旬は職場の定例業務研修会があったのだが、いつものように午前中で終了したので、午後は職場近くの県立図書館に足を運び新たな実習課題用の文献を何冊か借りた。私のこの頃の実習課題への取り組みは、完全におかしな流れができてしまい、収拾がつかなくなっている。どの文献に当たっても満足なことがなく、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%A8%AD%E8%A8%88&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">設計</a>図が描けなくなっている。というのは、［実習らしい実習］になりようの無い大迷宮に入ったからだ。この話は長くなるのもあれなので、別に譲りたい。<br />
<br />
ともかく、図書館で本を借りた後はJR<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%98%8E%E7%9F%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">明石</a>駅から<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E9%9B%BB%E8%BB%8A&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">電車</a>で２駅東の舞子駅に散歩に行った。この駅に降り立ったのは、久しぶりに明石海峡大橋をじっくり眺めたかったから。<br />
<br />
ご存じの方がいらっしゃったらば話は早いが、舞子駅というのは、この世界一の吊り橋の付け根部分の真下に位置する駅なである。だから本土側の付け根の辺りのケーソンという土台の破格の大きさはもとより、橋全体の聳え立つ姿には何年経っても圧倒される。それは実際に現地に来て見ていただかなければ実感できないことで、この橋に比べれば、台場の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">レインボー</a><a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ブリッジ</a>なんて目じゃないと思ってしまう。<br />
<br />
大橋の辺りは当然に浜風も吹きすさぶものだが、私は折に触れてこの風に吹かれながら物思いに耽りたくてここに来る。その聳え立つ橋の姿と漂う海流の潮目に触れて雑多なことを考えるひと時が私の愉しみの一つだ。今は目先の実習課題のことや全国で勉学に励んでいる学友のこと、そして自分自身の進むべき道のことなどが次々に沸き起こるが、大橋を眺めているとそれらのことがすべて矮小になるのを感じるのだ。高が人工の大橋なのだが、かれこれ10年余の間、愛着を持って眺め続けたこの橋の姿は、いつもその時々に新鮮な感覚で私に向き合ってくれる。このことだけでも有り難いのだ。<br />
<br />
悠然たり、海峡橋<br />
君が姿に暫し平安を得る荒れる春波の内に在りて我が志は愈々徐にして茫洋たり<br />
何れの日か是結実せらる可き哉<a name="more"></a>
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<title>夢見の話</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-02-24 16:22:02+09:00</issued> 
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<![CDATA[
先日は仕事休みではあったが(今日も仕事は休みなのだが)、それだけでなく何にもしないままに終わった。いや、「何もしなかった」というのは正確ではない。「してはいたがしなかったのと同じ」というレベルに成り下がった１日だったのだ。<br />
<br />
何をしていたのかというと、実習の事ばかり考えていたのだ。<br />
<br />
この頃の私の生活はある意味異常になっている。仕事と自宅での食事だの家族（両親）との団欒意外の生活は、実習のことを考えるかフクシィを閲覧するかしかない。特に実習のことは事前課題が差し迫っているというだけでなく、夏の取り組みについての<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">シミュレーション</a>ばかりしているほど、夜昼無く頭からその事が離れない（切り離せない）のだ。この辺り、学友の皆さんから見れば、かなり病的になっているかもしれない。<br />
<br />
ここ数日は夢見も９割は実習のことに染まっている。それは、これからのものだけでなく、15年前の社会福祉学部生時代に個人的に体験した（単位とか<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%B3%87%E6%A0%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">資格</a>要件とは無関係に関心に任せて飛び込んだ形の体験）半田市社協における自己開拓での実習の経験の回想までが混じった夢になっているのだから大変なものだ。かつてお世話になった半田市社協の人たちが入れ替わり立ち替わり夢に出てきて叱咤激励してくるのは、これからに向けての意識付けになる反面、恐ろしい。<br />
これでは、いかに私が社会<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%A6%8F%E7%A5%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">福祉</a>協議会に長年愛着を持っているとは言え、異常だろう。<br />
<br />
こうした経験は過去にもあるので、日にちが経てばそれなりにおさまることも経験上分かっているので、今更怯える話でもない。ましてやこんな話を私の泣き言と解されては情けないことと思っている。<br />
<br />
そうではなくて、あれこれ呪縛されるというのはこういうことなのだという一例として書いただけのことだ。<br />
<br />
間違っても他の学友の皆さんには、こんなドツボにははまらないで欲しいと思う。こんなアホなことをしているくらいなら、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">テレビ</a>の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">お笑い</a>番組でバカ騒ぎを見て腹がよじれる方が何倍も<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%81%A5%E5%BA%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">健康</a>的なのだから。<br />
<a name="more"></a>
]]> 
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<title>谷川浩司さんとの出逢い</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-02-03 13:33:43+09:00</issued> 
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<![CDATA[
　早いもので、年が明けてから１ヶ月が経ってしまった。このブログもなかなか更新が出来ず、訪れて下さっている皆さんには大変申し訳なく思っている。加えて、この頃は、母校の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学</a>のコミュニティーサイトにおいて日記を書くことが多く、その上、目新しい出来事やその他のテーマなどが思いつかないことも理由になって、ブログ更新がおろそかになっていることをお詫びしたい。書きたいテーマが思いつかないというのは、書くに値するテーマがないわけではない。むしろあり過ぎることがネックになっていて、情報を追い切れない現状があるからと言うほうが正確である。そんな中で、この頃の私のトピックの中で大きなものを今日は取り上げておく。冒頭にも述べたが、特筆すべきテーマが絞れない中で、母校の大学のコミュニティーサイトが日記の舞台の中心になっているため、内容は、そちらからの転記分(部分的に修正を施している)になることが多いことを予めお断りしておく。<br />
<br />
　先日(1/25日)、午後から兵庫県明石市で、将棋のイベントに初めて参加する。参加と言っても、指導を受けられるほどな実力はなく、棋譜解説と講演会の視聴である。私の趣味の一つである将棋であるが、このイベント参加というのは私にとっては特別なこと。<br />
<br />
特別な理由は、将棋界の関西の雄である谷川浩司名人が棋譜解説と講演に来ること。なかなかこうした機会に恵まれないままに氏のデビュー当時から応援してきたが、今日ついに生でその姿に接することができるというわけで、永年待ち焦がれた初恋の人との再会のような胸の高鳴りがある。<br />
その日１日は仕事や<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8B%89%E5%BC%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">勉強</a>のことを一切忘れて、谷川名人の世界に浸って過ごした。<br />
<br />
将棋愛好家の一人でもある私は、今回幸運にもこのイベントを生で見る機会を得た。幸運にもというのは、このイベントが申し込み抽選制だからなのである。普段は、関心があってもこうしたイベントがなかなか身近な地域で見る機会が無く、あれこれ出かけられる人たちのことを羨ましがっていたものであるが、新聞の広告で情報を得て、これは仕事の都合をつけて何とか行きたいと願い続けていただけに、抽選に当たったことはとても嬉しかった。<br />
この豪華な企画とあっては、谷川氏のデビュー当時からのファンとしては熱望しないわけがない。まさに永年待ち焦がれた初恋の人との再会のごとき胸の高鳴りであったのだ。<br />
<br />
　大盤解説というのは、将棋ファンならばご存知のものであるが、対局の経過をリアルタイムで追いかけて、戦法・戦術について解説するものである。そして、イベント的には「次の一手」という<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">コーナー</a>を盛り込んで、ファンに向けて手筋のクイズを出題することが楽しみな企画でもある。このクイズコーナー「次の一手」が、どのあたりで設けられるかは勿論戦局次第であり、解説者の経験にも左右される。で、この日の大盤解説は、地元の企業が創設したカップ争奪戦という形式による関西の女流棋士の対局についてであった。対局者は、関西の将棋ファンの方には馴染み深い棋士ではないかと思われるが、里見香奈<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%80%89%E6%95%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">倉敷</a>藤花と岩根忍女流初段であった。里美氏は、まだ若干１９歳という新鋭であり、これからの女流棋界を背負って立つべき棋士の一人。岩根氏も勿論、まだまだお若年ながらこちらはそろそろ中堅クラスになりつつある位置にあり、この両者がどんな対局を見せるのかというのも関西女流将棋の見どころともなっている。この一局を解説するのが、かの谷川氏なのであるが、前半戦は内藤國男氏が担当された。内藤氏も勿論関西の棋士の重鎮でありるが、この方は日頃から解説においては漫談が多くて、息詰まるような対局の解説の中ではいつも聴衆を<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">リラックス</a>させてくれる温かさと、ちょっと人を食ったような軽妙な語り口が特徴で、昨日も楽しい話を盛り込んで解説をされていたのが印象的だった。しかし、私にとっては昨日の狙い目は何と言っても谷川名人ただ一人。氏の語ることを生で受け止め、運が良ければ直接サインをいただこうということで、色紙と油性マジックペンを持参していったのである。<br />
<br />
そして、谷川名人の出番は何ということも無くあっさり大盤解説の後半にやってきた。これで私のボルテージが上がり始めるのであるが、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">テレビ</a>で普段拝見している通り、実に冷静な語り口で解説を進めておられる谷川氏。その姿に私はすっかり魅了されてしまい、氏の解説の中身が半分程度しか理解できないほどに気分が高揚するのを抑え切れなかった。<br />
しかし、クライマックスはここからだった。このイベントのメインである講演で私は谷川氏の人間性にとことん魅了されてしまったのである。普段から谷川氏のことをテレビなどで拝見し続けてきたので、もちろんどういう話をするかくらいのことは軽く想像はついていたのだが、それでも改めて生で話を聴くことができたことは、一生ものの感動であった。氏が語ったのは、「将棋を通して学んだこと」という題で、将棋人生のなかで会得してきた人生訓についてであった。谷川氏はこれを①引き出し、②三つの顔、③<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%B2%B7%E3%81%84%E7%89%A9&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">買い物</a>、④醍醐味というキーワードで実にわかりやすくそして聴く者に説得力のある語り口で話されていた。<br />
<br />
その内容に曰く、<br />
<br />
①引き出しとは、ものの考え方の応用力を高めるためには、それに見合うだけの引き出しを自らに備えなければならないということ。<br />
<br />
②三つの顔とは勝負師・研究者・芸術家の顔のことであり、このいずれかが突出してもダメである。勝負にこだわれば目先のものに囚われて大局的にものを観られなくなり、研究者色が強過ぎればとき経験したことだけに囚われたまま自己満足になる危険がある。芸術家の色が強過ぎれば勝負の世界からは遠ざかった感覚になってしまう。そして、将棋だけでなく何事においても一廉の者になろうとするならば、この三つの顔をバランスよく持たなければならない。<br />
<br />
③「買い物」とは、物事の選択の力を養うのは、百貨店で一着のスーツを買い求める行為にも似るもので、ありとあらゆる条件から何を選択するのかという眼を養うためには数を当たっていくことが大切であることを意味する。<br />
<br />
最後の④醍醐味とは、先の三つを前提にして実際に事に当たる限りは、当然に勝つことも負けることもあり、そこにはそれなりのドラマを感じることができる。このドラマこそが勝負に生きる者にとっての醍醐味であり、かつまた人生における醍醐味とも相通じていくものなのではないか。<br />
<br />
以上のような筋で、谷川氏はご自身の将棋人生を振り返りながら語っておられた。<br />
そして、この日は午前中に子どもたちも指導対局のコーナーを楽しんだとのことであったため、氏は最後に子どもたちに対しても貴重な<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">メッセージ</a>を残しておられた。その言葉は概ね次のようなものであった。<br />
<br />
「皆さんも将棋に限らず、勉強やスポーツなどで色んな勝負を体験していることと思います。勝負事は勝つか負けるかという世界ですね。当然に、勝てば嬉しいし負ければ悔しい。私も皆さん方の歳の頃は、同じように喜びも悔しさも味わってきました。しかし、勝つとはどういうものかと考えた時に、私は負けた悔しさがそこにあるから、それを克服できた、すなわち勝った時に勝つ喜びというものがあるのだと感じてきましたし、今でもそう思っています。大切なのは、負けることは悔しいことであっても恥ずかしいことでは無いということです。まあ、恥ずかしいと思うことがあっても仕方ないとも思いますが、その負けた経験というものを勝った時以上に大切にしていって下さい。負けて悔しいと思える心、んー、分かりにくいかな、とにかく悔しいという気持ちが、次に勝つために大切なんです。これは、勉強にしてもスポーツにしても何でも、皆さん方がこれからやっていきたいと思うこと・進路のことなど、どんな場面でも大切にしていってほしいことです。負けた後、負けたと思った後に、何が良くなかったのかをきちんと振り返るようにすることを心がけていれば、よりよい人生を作っていくことが出来るんじゃないかなと私は思っています」<br />
<br />
この話を聞いて、「やはり谷川さんは素晴らしい人だなあ」と感激した。いや、感激という以上に、信心にも似た気持ちにまで高まっていったのである。こんな感覚はあるいは私自身初めてかも知れない。勿論、他にも私自身尊敬する有名人は色々いるのは事実だ。王貞治氏やイチローも尊敬している。が、実際に生で聴くことの出来た著名人の話としては、谷川氏の話は初めて打ち震えるような感動を覚えたということになるだろう。<br />
<br />
<br />
　そして、その打ち震える感激が、講演が終わった直後に思いがけない形でさらなる強烈さでやってきた。それこそ、谷川氏との個人的な対面であったのだ。実は、このイベント会場で直筆サイン本の販売があった。私は、会場の環境からおそらくサインをもらうなどということは無理だろうと諦めて、せめて直筆サイン本だけでも買っていことにした。これも販売コーナーに置かれている本の一冊一冊に紛れもない直筆の毛筆サインが入れられていたのであった。そのうちの一冊を買った後のことだが、折角こういう機会なのだからと思い、遂に会場の管理スタッフの一人に、氏のサインをもらえるような状況を作ってもらえないかと頼んだのである。<br />
<br />
そうしたところ、果たして、そのスタッフの方が「谷川さんに掛け合って頼んであげましょう」と、私を氏の控室まで連れて行って下さったのである。そして、僅かな確認の後、意外にもすんなりと「どうぞこちらへ」と控室の中の谷川氏のところに招き入れていただくことが出来たのである。これには、私は一気にそれまでに倍加する感激の震えが走った。<br />
<br />
　谷川氏との直接の対面で思うように言葉が滑らなかったのだが、氏は実に優しい物腰で私を迎えて下さった。私も最低限の礼儀として名刺をお渡しした。もっともスタッフに掛け合ってもらう際に既に名刺はお渡ししていたのであるが、そのスタッフの方が「（たーぼ）さんから谷川さんにお渡ししてみては？」と気を利かせてくれたのである。<br />
大体が、控室に一個人が迎えてもらえるなどということは本来はあり得ない。その上、直接ご本人と話を交わすなどというのはさらにあり得ないこと。軽々に目通りさせて何のトラブルになるか分かったものではないだろうからである。しかし、そのことを心得ていた私は、事前にスタッフに名刺を渡すことで、スタッフに対してはおろか、谷川氏ご本人に対しても最低限の礼を示すことになると考えたのである。<br />
<br />
果たして氏は快く「どうぞ、サインしますよ」と私から色紙を受け取られ、さらさらと書いて下さった上、私の厚かましくも差し出した手を温かく握って下さったのである。こんな体験が最後に出来るなんて本当に思いもよらなかった。何しろ、目の前の谷川氏は、長身痩躯のすずやかな姿で、極端に言えば神々しささえ感じられるほどだったのであるから。この日、不躾ながらも谷川氏に直接お目にかかる機会を得たことは、私にとってたまらない体験であった。勿論、こんな<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%84%E3%82%8A%E6%96%B9&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">やり方</a>が通用するとは当初思ってもいなかったが、正当な手続きを経て許されたことなので、感謝以外の何物もない。当然ながら、この日谷川氏から直接にサインや握手をいただくことの出来たのは唯一私だけである。<br />
<br />
その優しい表情が観音を思わせる素晴らしいものであったことを、私は生涯忘れることが出来ないだろう。そして、勿論こういう人物には到底及びもつかないまでも、僅かでも見習って生きてゆきたいと思ったのである。<a name="more"></a>
]]> 
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<title>愛校心</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-01-27 14:32:59+09:00</issued> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2009-01-27">
<![CDATA[
これまでにも私を知る人には度々言ってきたことだが、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学</a>について語る際にこれからも、いや生涯にわたって恐らくはずっと言い続けるであろう話。それは愛校心のことである。<br />
<br />
　昨年、４年次編入として再度母校に帰ってきた私であるが、かつて在学していた頃と変わったのは、大学の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E4%BA%8B%E5%8B%99&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">事務</a>のありようが悪くなったこと(もっとも以前は通学部の学生だったため、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E9%80%9A%E4%BF%A1%E6%95%99%E8%82%B2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">通信教育</a>部の学生として感じるものが<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">イメージ</a>が悪いだけなのかもしれないが)。昨年から、大学事務職員とのやり取りでは不愉快なことが続いていて、今も何かと煩わされているのは自他共に認めるところでもある。<br />
<br />
　ところが、愛校心となると話はまったく別だ。私は、これまでもそうであったが、学校や職場として自分が身を置いたことのある場に対しては一方ならぬ愛着を持ってきた。これは両親も何かと感心しているようであるが、私は殊の外、場に対する愛着の強い人間であるらしい。それはいわゆる帰属意識とかにも通じるものなのかも知れないが。<br />
<br />
だから、どんなに嫌な体験をした場所であったとしても、私は自分の中で「こういう体験の一つひとつが自分の成長の原動力になるのだ」という信念で受け入れて過ごしてきた。そして、どんな場所に身を置いても、自分にとって合う人間、合わない人間はいるものなのだからということを自然に身に着けてきたつもりである。そんな風だから、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">幼稚園</a>から<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%99%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学院</a>、これまで携わってきた職場の数々に対して、限りない愛情を持ち続けることが出来てきたのだと思う。<br />
<br />
<br />
　そして、今、母校の通信教育部で新しい学友と<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%87%BA%E9%80%A2%E3%81%84&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">出逢い</a>、スクーリングで実際に顔を合わせたりしながら、色々な対話をさせていただいていることによって、一段と本学への愛校心が強くなっている自分があることを改めて感じている。このfuxiという学内<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">コミュニケーション</a>クラブの中で語り合っていることの一つひとつが私にとってとても大切な学びになっていることは言うまでも無いが、こういう場を通して改めて仲間の大切さを感じていることが大きい。<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8B%89%E5%BC%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">勉強</a>の面だけでなく、色々な物事について考えるきっかけをいただけていることはたまらない喜びである。マイフレの皆さんとの語らいも色々な種類の語らいをさせていただいているが、それぞれのトーンで多様にお付き合いをさせていただけていることは、ありがたいことである。まさに、学び合える時間(天)、場所の自由さ(地)、仲間(人)が揃って初めて、充実した学びが出来るということを、強く実感している。<br />
<br />
この先どんな仕事をしていくにしても、私の場合、折に触れて大学での学び直しという機会を作ることになるかもしれない。そして、学び直しの場のは先々あるいは別の大学になることもあるかもしれない。<br />
　しかし、私にとって心の最終的なよりどころになる大学は母校以外に考えられないのである。<br />
<br />
この頃、色んな学友の皆さんと語り合ってきたことを通して、しみじみ感じた次第である。<br />
<a name="more"></a>
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<title>遅まきながら、今年の初ブログ！</title> 
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  <link rel="service.edit" type="application/x.atom+xml" href="http://blog.so-net.ne.jp/atom/blog_id=125013/entry_id=11057267" title="遅まきながら、今年の初ブログ！" />
  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2009-01-05 12:39:32+09:00</issued> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2009-01-05">
<![CDATA[
<img src="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/_images/blog/_1b2/turbo-s_taniguchi/E4B891imgE38080.jpg" width="120" height="100" border="0" align="" alt="丑img　.jpg" /><br />
<br />
皆さんへ<br />
<br />
新年明けましておめでとうございます<br />
昨年中は公私共々お世話になり、誠に有難うございました。<br />
本年もよろしくお願い申し上げます。<br />
<br />
昨年は世間的には本当に落ち込んだ１年であったと思います。<br />
社会には思うように解決のいかない問題が山積しています。<br />
「こういう時代に誰がしたのか」と憤っているだけでもどうにもならないということを思うとき、そ<br />
こに社会を変えていこうという機運が満ち満ちて欲しいと思うと同時に、そのために私自身も<br />
自分で出来る範囲の行動を起こしていかなければならないと決意を新たにするばかりです。<br />
<br />
今年１年が少しでもより良い方向に進んでいけるように、そして、皆さんの目指すものが一つ<br />
でも多く実現できますようにささやかながらお祈り申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　平成20年１月５日　　　たーぼ<a name="more"></a>
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<title>今年の勉強はもうやりません（というか、年末過ぎるし・・・）</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2008-12-29 19:10:50+09:00</issued> 
  <id>tag:blog.so-net.ne.jp,2010:turbo-s_taniguchi.10970964</id> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2008-12-29-2">
<![CDATA[
別にドッキリカメラではありません。<br />
<br />
　考えてみると、今年は一念発起して社会<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%A6%8F%E7%A5%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">福祉</a>士の受験<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%B3%87%E6%A0%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">資格</a>を得るべく本学に復帰して、色んな勉強をしました。<br />
社会福祉士受験の要件科目を今年度内に全て修めることは勿論のこと、そういう資格追求型の学びにとどまらず、課題追究の勉強も色々ありました。<br />
<br />
仕事の面でも、実習関連においても、そしてスクーリングでも、どこに身を置いても、それらの場所での体験全部が勉強だったという実感を味わってこられたことが今年の学びの最大の収穫だと私は思っています。<br />
<br />
　春先に編入学した頃は、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%85%90%E7%AB%A5&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">児童</a>相談所の仕事に加えて学童<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E4%BF%9D%E8%82%B2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">保育</a>の仕事もし始め、秋口には学童保育は退職してしまう結果となったわけですが、それでも<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">子ども</a>達から「心」というかけがえの無いものをもらい、そして児童福祉分野の学びに活かすことも出来ました。<br />
また、児童相談所の同僚職員の縁で、地域で<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%8F%E4%BC%91%E3%81%BF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">夏休み</a>イベントとして絵本ボランティアをしたことも良い思い出です。<br />
また、学童保育の仕事をきっかけとして、実習前から来年の実習先に内定した社協の人たちとの関わりも出来、色々とその仕事ぶりに学ぶことも出来ました。<br />
<br />
そして、極めつけは<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学</a>のスクーリングで田原孝教授の最終講義に参加したこと。これは今年の学びにおいては絶対に欠かすことの出来ない貴重な経験をさせていただきました。このスクーリングは、今年シリーズで開講されていた最終のもので、私にとっては教授の講義は最初で最後のゼミナールでした。そこでの学びは、私にとって単に刺激的ということでなく、人生における心構えを確認させてくれるものでもありました。<br />
先生の教えの全てが良いとは言いませんが、それでも、改めて、学ぶことに謙虚でかつ貪欲になろうという気持ちにもなれたのは良かったと思っています。また、一緒に受講していた学友の皆さんからも大きな刺激をもらうことが出来たことも忘れることが出来ません。<br />
<br />
こうした思いを色々と心の中にしまいこみつつ、今年の勉強を先日19日で打ち止めとしました。<br />
実際、エネルギーを使い果たしており、もう年内は勉強をする気力が一切無いのです。出来ないと思ったらやらない、このくらいの割り切りも時には大切かなあと思いました。<br />
<br />
勉強をしなくても、他に特別なことがあるわけではありません。今年もクリスマスは何も予定もなく実に孤独なものです。精々親に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%88&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">プレゼント</a>をする程度（親へのプレゼントはもう用意してあります）でした。私の携わっている仕事の場合、一般的な<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">サラリーマン</a>のような仕事納めが特にあるわけではなく、元旦の朝も職場で迎える予定ですし。この５年間の仕事のことを振り返りながら、年越しそばを職場ですすることを楽しみにするばかりです。<br />
<br />
<br />
とにかく、勉強は今年はもうやりません。やれません。。。。。<br />
<br />
※本稿は、在籍する大学の学内<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">コミュニティー</a>サイトで記述文を加筆修正したものである。<a name="more"></a>
]]> 
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<title>自分の壊し方　～田原教授から学んだ自己の再構築のための処方箋を考える～</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2008-12-29-1" />
  <link rel="service.edit" type="application/x.atom+xml" href="http://blog.so-net.ne.jp/atom/blog_id=125013/entry_id=10970903" title="自分の壊し方　～田原教授から学んだ自己の再構築のための処方箋を考える～" />
  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2008-12-29 19:03:16+09:00</issued> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2008-12-29-1">
<![CDATA[
先日の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E9%98%AA&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大阪</a>での田原孝先生の最終スクーリングが終わって2週間が経った。すでにこの日記で触れているように、私はこのたびのスクーリングで今までにない刺激を受けた。それは講義の内容を理解するための学びにとどまらず、そもそもの自分自身のものの考え方の基準を見直す極めて本質的なところに<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%A7%A6%E3%82%8C%E3%82%8B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">触れる</a>ものとなった。このことについては、スクーリングの成績通知が出た後に先生に対して改めてお礼を申し上げるつもりである。が、振り返ってみて改めて残った課題がある。それが見出しの話である。「壊し方」などという表現で、疑問に感じた方もいるかも知れないが、私の中では、自今以後折にふれて考えずにはいられないという思いがある。<br />
「変だ変だ」と思ってきたことが、ますます変になってきた。これを「壊し方」と説く。その心をこれから述べてみたい。<br />
<br />
　このテーマで考え続けていく必要を感じたのは、これまでの自分の学び方・考え方が思い返せばかなり表層的なものを追いかけてきただけに終わってきたという反省があるからだ。それは単に学問ということにとどまらず実生活上で、自分自身の信念とは裏腹に、目先の状況変化に振り回されてきたのではないかということに尽きる。田原先生の講話のテーマは結局のところ「維新」ということであったろうと私は理解しており、これを考察する上で私は「変」という一文字をキーワードに据えた。それは、「自己を作り変えて時代を生き抜く力を持て」との先生の熱き<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">メッセージ</a>の中に「作り変えるとして何をどう変えるのか」という大きな宿題が横たわっていることを思ったからだ。<br />
<br />
　私は普段から性格的に一つの考え方に縛られるというのが嫌な面がある。必要に応じて積極的に自分を変えようという生き方でここまでやってきたつもりだ。それだけ柔軟であろうとしていると言えるのだが、これは裏返せば状況に流されやすいと見られがちな弱さを含んでいる。まあ、本人には一切そんなつもりは無いから構わないけどな。<br />
　しかし変わるということについては当然に条件があるもので、「変わらなきゃ！」と思うような<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%B4%A0%E6%9D%90&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">素材</a>が無ければどうにもならない。「変えたい」と思う気持ちというのはそう思う背景があればこそなわけで、そうでないところで変わろうとしてもなかなか難しいものだということも良く知っているつもりだ。その上、厄介なのは変えることが難しいことをよく知るからこそ「自分が変わって何になるのか」という冷めた気持もあること。これは本当に自分で自分が嫌になるくらい冷めているときがある。冷静に考えれば、これは対象を“引き”で観ることによる「大人の対応」と言っていいのだが、それまで持ち続けてきた自分の中の「理想」とやらに胡散臭さを感じるようになってしまってはもう手がつけられない。<br />
<br />
　物事に対して飽きっぽいのかというとそういうわけでもない。何にでも関心は持つし、それを深めていこうと思うものについては結構貪欲になれるからだ。でも、「理想」が持つ危うさを思うと、本当にそんな旗印を掲げていていいのかという疑問がわくのだ。疑問がわくのもこれまたそれなりのきっかけがあってのことなので、大抵の場合、話はその疑問がわいたところで終わってしまう。そして、この疑問に対して私自身がどう向き合ったのかと言えば、圧倒的に流してきたものが多い。誠に恥ずかしい限りである。何故、その疑問がわいたのか、その疑問に対して解決法は無いのかという食いつき方が弱いままで終わったことが数知れない。それは貪欲なることとは相反する態度であり、自己矛盾であるだけでなく、自分の考え方に責任を持ち切れていない実に未熟なものだということを思い知ることになった。こういうことを繰り返しているようでは何時まで経っても学問的にも人間的にも深まりのない人間で終わってしまうと、私はさらに不安になった。<br />
<br />
　そこへ持ってきて今回の田原先生の講義である。先生の講義は、予想通り毒っ気のある語り口も相俟って、私の肺腑を抉った。私にとって実に良いタイミングだったと思う。「変えなきゃいけない」と思うことは大切なことだ。しかし、「それをするために必要な条件が何であるかを理解せずに闇雲に変えようというのはバカだ」と言わんばかりの先生の話であったと思う。要するに「自分の立ち位置を知れ。それが分からずして、世間のことを云々する<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%B3%87%E6%A0%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">資格</a>は無いんだぞ」ということだったわけで、これを学生に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%8B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">教える</a>ための素材がたまたま「<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8C%BB%E7%99%82&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">医療</a>・<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%A6%8F%E7%A5%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">福祉</a>の経営」であったに過ぎない。私はそう受け止めている。<br />
　その上、田原先生がいみじくも仰っていたコトバに「このスクーリングは単位をとるためのものと思うな。そんな目先のレベルではない、学びの本質を知る機会にせよ」というのがあったよな。ガッツリ釘をさしているところが田原先生らしい。この極めて倫理的な問いに対して私がすぐに明瞭な答えを出せるはずもないのだが、感じたのは「壊し方を探せ」ということ。<br />
<br />
　「変」をキーワードにして講義を聴いたが、「変えなければならないもの」「変えてはいけないもの」「変わらざるを得ないもの」「変わりゆくもの」「変えたくても変えられないもの」という能動的・受動的な次元の中で、なお一層私は自分の生き方を探すことになるんだなあと思った。「変えること」「変わること」に対して、臆病になる人は少なくないだろう。そして、自分が変えたいと思った時が<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B9&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">チャンス</a>、と思えば良いのだけれども、変え時を見失っては取り返しがつかないということにも改めて思い至った私である。<br />
<br />
<br />
※本稿は筆者の在学する<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学</a>の学内コミュニティーサイトに掲載したものを加筆修正したものである。<a name="more"></a>
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<title>田原孝氏が学生たちに投げかけていたもの　－そのラストセミナーを終えて－</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:15Z</modified> 
  <issued>2008-12-29 18:55:42+09:00</issued> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2008-12-29">
<![CDATA[
　暮れも押し詰まってきたこの時期に遅ったれて書き記しておきたいことの中に、今年の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学</a>でのスクーリング受講で学んだことがある。受講したのは今月の13-14日のことなので既に2週間は経ってしまっている。スクーリングの内容は、「<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8C%BB%E7%99%82&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">医療</a><a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%A6%8F%E7%A5%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">福祉</a>の創造と経営」と題するもので、担当は<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E9%80%9A%E4%BF%A1%E6%95%99%E8%82%B2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">通信教育</a>部の田原孝教授であった。終了直後に学内の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">コミュニティー</a>サイトでそのことを書き記しておこうとしたとき、何から書いて良いものか分からず、２日近く費やした。というのも、田原氏から受けた刺激は久しぶりに味わった強烈なもので、事前資料に書かれている数々のコトバが放つ力に希望を感じ続けてきた。それは極端に言えば「感化」と言っても良いような、ある種危険な程の精神の揺さぶり(「地獄の前の甘美な誘惑」)があったことによるものだ。圧倒され過ぎたという感覚は無い。予想していた田原氏の勢いにとことん食いついていく心積もりであったから、平素から仕事を中心に感じてきた満ち足り無さを克服するヒントを得るべく挑んだ。 <br />
<br />
　たった２日間(事前<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%AD%A6%E7%BF%92&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">学習</a>期間を含めて長く見積もっても精々実質２ヶ月程度)で田原氏の10年分の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">メッセージ</a>を理解し切るというのは土台無理なことと承知の上で、この際、恥をさらしてでも構わない、それより学べる瞬間を大切にしたいという切なる願いの中で過ごした２日間だったというのが正直なところだ。「ひたすら考えよ」という課題を自らに突き付けて取り組んだことで、終盤はエネルギーが消耗し切っていたのも事実。学業でこんなに疲れたのは久し振りだが実に心地良い。やるだけやりきって悔いが無いと自信を持つことも出来たのは、極めて幸運なこと。田原ゼミの歴戦の受講者はこういう刺激をとことん受けてこられたのだと思うと羨ましいが、飽くまで私は私の感覚で氏のメッセージを受け止めるだけであると思えば、この２日間の感覚は何ものにも代え難い。 <br />
　ただし、この興奮状態は、謝恩会で氏に対して感謝の意を述べたときには、その場のコトバの勢いの裏で冷静に返っていた。と言うより、興奮状態の危険さを感じて努めて冷静にならなければと戒めていたというのが実情である。高を括るなという意味合いから考えても、感動しまくりでは余りに単純なので、とにかく冷静に受け止めて今後に活かすことを強く念じている。 <br />
<br />
　実は、今回のスクーリング資料で示されたレポート課題について、1ヶ月前から悩んできた。というのも、過去６回のそれとは趣をがらっと変えたテーマであったからだ。過去のテーマも田原氏の独特なものではあったが、どういう解答にすべきか一番迷ったのが今回である。今回はレポート課題のイメージを掴み切れずに見切り発車の参加になってしまったので、先ずは初日を聴いてからと開き直った。初日でどこまで投げかけてくるかでイメージも湧くだろうという私の読みは幸運にも当たった。「やはりすげぇや！」である。たった1日の講義の中で学生に観える形にして話が完璧に出来るというのはそうざらにあるものではないからだ。私自身も常々人と対話をするときに、自分の話の世界が聴いてくれる相手に分かりやすいように心がけてはきたが、まだまだ修業が足りない。「自分の言葉に責任を持つというのはこういうことなのだ」というお手本のような氏の話に、私はいつの間にか魅了されたのである(おい、簡単に魅了されててどうするよ？)。 <br />
<br />
田原氏がこの<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">セミナー</a>を通して一貫して訴えてきたのは「自らを維新し、これをもって社会を創れ」ということであったろうと思う。素材はあくまでも「医療・福祉の経営」であったが、講義の本質は極めて哲学的・倫理的なもので「君らは次の社会をどう作るんや？」という氏の問いは重い。そして、これは私自身も以前から感じてきたことに重なるが、福祉が抱える脆弱さをどう克服するべきか、その指標たるものの考え方(<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">チャート</a>)を田原氏が示してくれたということに尽きよう。 <br />
氏が毎回のように講義の初めに言われていた「基本となるものの考え方」の真髄がここにあるように思う。社会福祉関係に携わる人は往々にして、自分の実践について表面的な成果を求め過ぎる傾向が無しとしない。人に関わるという無形の行為で援助する福祉、そこには「働きかけによる変化」という目先の成果への欲が漂っていると観るのは私だけだろうか。援助は援助であって教授・指導ではないのだが、例えば介護一つにしても「こんな働きかけをしたことで利用者が良くなった」というところに思い込みを持ち過ぎてはいないか、田原氏はそんな姿勢や考え方を厳しく批判している。 <br />
　例えば医療現場において、ある働きかけによって患者が快復という結果を得られればそれは一つの成果であるが、医師が医療行為において自身の診断に過信をすることの危険を弁えることこそ不可欠なのだということで、それは福祉業界も例外ではないのだというのが田原氏の一貫した考え方であるし、私もそう思ってきた。医療ミスが昨今問題になっているが、「結果責任の所在」が曖昧にされがちであるところに医学分野の病理があることは言うまでも無い。「白い巨塔」の世界は其処此処にあると思われる。氏が強調するのは「これを福祉で置き換えてみると医療よりはソフトなイメージの業界なために、もっと見えにくくなっている」ということではないか、と私は考えた。要するに「こんな働きかけをしたことで利用者の状態が良くなった。良かった良かった」で満足し切ってしまうことの危険を自覚せよ、というレベルの話だ。そんな目先の方法・実利・効用にしゃかりきになって本質的なことを見失うのは誠に愚かなのだ、というのが田原氏の思いであろう。 <br />
<br />
　ただ、考えてみると、目先の効用が確認できることで満足できるだけでも有難いというような現場の空気も理解出来なくは無い。３Ｋ以下という環境の中で決して良いとは言えない待遇で携わっている現業員がどれほど多いことかと思うと、せめて日頃の介護支援活動でプラス面を見出してモチベーションを高めたいと思う専門職の心情には共感できるというものだ。「モチベーションを高めたいというよりも高めなければ、この仕事はやってられないよ」という現場の悲鳴は想像に難くない。給与報酬という名のニンジンを増やしてもらえなければ、福祉業界でなくても「やってらんねえ！」と言いたくもなるだろう。結局は「パンのみに生きるにあらず」などときれいごとは言っていられないわけで、それは突き詰めれば政治のあり方が問題だということに行き着く。 <br />
<br />
　しかし、そう不満を言い立てているだけでは何も変えていくことは出来んぞ、というのが田原氏のメッセージであった。氏の語り口はある種毒っ気があるため恫喝も良いところの勢いだが、悠長なことは言えないという警鐘であることはしみじみ感じることが出来た。 <br />
<br />
　この警鐘に向き合う上で私たちが何を為すべきかというところで氏が基本に据えていたのは「自分自身の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">フレーム</a>を変えてみろ」ということであったろう。状況に対する受け止めは誰しも自分自身のフレームに限定されるもので、他者から模倣するわけには行かない。というより、模倣したとしても自己の枠組みに消化し切れるものではないため、無理にはめ込めばいずれは破綻を来たすことになる。そうならないためには、自分の間尺を広げて社会の様々な状態に適応できるように作り変えなければならない、それが維新なのだ、ということを田原氏はさんざん強調していたと思う。過去の自分に無いものを貪欲に取り入れる姿勢がないと、時代についていけなくなるという田原氏の言葉は重い。 <br />
<br />
　そしてその上でなお、不易・流行の話で私たち学生に原点に立ち返れと釘をさすことも忘れない田原氏。私はレポート課題の答案でも触れたことだが、医療にしても福祉にしても、鍵は「変」にあると思った。そう言えば、今年を表す一字も「変」だったよな。「変」には色々な意味合いがあるが、変えるべきもの・変えてはいけないもの・自然に変わり行くもの・状況にあわせて変化を余儀なくされるもの、のそれぞれ次元の間を漂流しつつ、社会に向き合っていかなければならないのが福祉・医療に共通した課題なのだと考えたのである。そして、それらの「変」の次元のなかでもとくに「時代が移り変わっても変えてはいけないもの」を重視しつつ、それでいて社会を作り変える努力を続けよ、という田原氏のメッセージが最後に私の中に重く残ったのである。 <br />
<br />
<br />
　２日間圧倒された私であるが、改めて田原氏のメッセージを振り返ると実に基本的なことを教わっていただけでなく、私自身のものの考え方に厚みを持たせてくれたという思いが強い。私のこれまでの考え方の基準を大きく変えるきっかけにもなった。ものの見方は様々で良いのだが、ボリュームはあるに越したことは無い。お金にむやみに貪欲になることは無いが、それ以外のことには何かしらと欲張りな性質の私にとって、田原氏からの刺激は最高のクリスマスプレゼントになったのである。<br />
<br />
※本稿は、筆者が在学する大学の学内コミュニティサイトにおいて、記述したものを加筆修正したものである。<a name="more"></a>
]]> 
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<title>グッバイ、０系　それでも「ひかり」は歴史に輝くのだ！</title> 
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  <modified>2010-05-03T06:34:16Z</modified> 
  <issued>2008-12-04 22:50:03+09:00</issued> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2008-12-04">
<![CDATA[
<img src="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/_images/blog/_1b2/turbo-s_taniguchi/0E7B3BB(3)img.jpg" width="250" height="200" border="0" align="" alt="0系(3)img.jpg" />　<img src="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/_images/blog/_1b2/turbo-s_taniguchi/0E7B3BBimg.jpg" width="250" height="200" border="0" align="" alt="0系img.jpg" /><br />
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  昭和から現代まで、新幹線の先駆けとして活躍していた０系新幹線が11/30についにラストランを終えた。この記事については、既に一般のブログでも数多の投稿があり、今更改めて書き記す要も無いほどではあるのだが、どうにもこの新幹線のことは書きとめておかなければならないと思った。<br />
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毎日新聞記事<br />
<a href="http://mainichi.jp/select/wadai/rail/shinkansen/news/2008..." target="_blank">http://mainichi.jp/select/wadai/rail/shinkansen/news/2008...</a><br />
<br />
　というのも、この０系という車種が新幹線の歴史の先駆であっただけではなく、日本の戦後復興から高度成長の象徴の一つとしての存在意義がある上、いわゆる「昭和」の時代そのものの象徴でもあったからである。<br />
私は後期に生まれたとは言え、正真正銘の「昭和人」である。「昭和」という時代に対する思い入れが40代手前としてはことのほか強いのでこういう言い方になるのだが、失われ行く昭和の一つとして０系に対する愛着は限りなく持っている。その時代への愛着の上位に位置するのが、この新幹線０系であると言って良い。<br />
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　と、こんなことを言っているけれども、実のところこの０系に乗ったことはたった２度しかない。いずれも幼少の折りのことで、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">小学校</a>に上がりたての頃に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%9D%B1%E4%BA%AC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">東京</a>の知り合いの牧師さんの未亡人のところに遊びに行ったときと、小学高学年で初めての<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%B5%B7%E5%A4%96%E6%97%85%E8%A1%8C&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">海外旅行</a>に出かけたときである。このたった２度の経験がここまで私に０系の感慨を残してくれていることに感謝したい気持ちでいっぱいである。<br />
　この頃の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">子ども</a>たちは、身の回りに<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">パソコン</a>でも<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">携帯電話</a>でもごく当たり前にあって、それらが登場した感動というものを感じることが出来ない世代だと思う。しかし、私の場合は勿論０系は既に私の生まれる１０年ほど前に誕生しているのだが、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ウォークマン</a>やパソコン、携帯電話と日本の経済発展を支えてきた代物の登場のシーンを見てきた世代の一人として、まあ、いわばこれも一つの時代の証人のような気持ちがある。新幹線の初代を知る者としては、このたびの引退は誠に残念で仕方が無い。<br />
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　どうよ、この団子っ鼻の愛らしさは？(上掲<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%86%99%E7%9C%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">写真</a>)　これこそがまさに新幹線なのだ。すべてがここから始まったというのは当然のこと、このフォルムがいかにも日本の新幹線らしい愛らしい形なのであると強調したい。<br />
現在携帯電話などで使われている新幹線の絵文字だって<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">デザイン</a>はしっかり０系なんである。どれ程車種が更新されていこうとも、新幹線といえば０系が基本なのである。新しく開発されている新型旅客機「MRJ」だって、元はと言えばあの名機「YS-11」を基礎にしたものである。それだけ、初代の技術というのは、現在においてなお高く評価されるべきであるのだ。こう言っては何だが、「<昭和>って時代は問題も色々あるけれども、良い時代だったんだよ」ってところをこの０系が見せてくれているような気がするのは私だけだろうか。<br />
　いやもう、こうなりゃ今からでも０系新幹線グッズを集めたいものだ。どなたかお持ちの方は少しお分けしてくれないだろうかって、そのような方は０系への愛着は当然のことなのだから、誰も他人に譲れるわけは無いのだろう。などということを考えてきたが、何にしても「新幹線といえば０系、０系といえば新幹線」というほどに、この車両は記憶に残るわが国の誇れる歴史遺産の一つなのである。この新幹線がわが国は発展への夢と希望を運んできてくれたのだという感慨は深い。私も高々４０年程度の半生に過ぎないけれども、時代の変遷を見続けている一人として、０系の引退という一大イベントを直に見守りたかったのだが、仕事の都合で駆けつけることは出来なかった。今はただ、改めて長年の労を心からねぎらいたいと思う。<br />
<br />
最後に、０系への限りない愛情とオマージュを込めて、新幹線の歌「走れ超特急」の歌詞を添えておきたい。<br />
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「走れ超特急（ちょうとっきゅう）<br />
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作詞 山中 恒　 　作曲 湯浅譲二<br />
<br />
１ ビュワーン ビュワーン <br />
　走る青い光（ひかり）の ちょうとっきゅう じそく２５０キロ<br />
　滑るようだな 走る ビュワーン ビュワーンビュワーン 走る<br />
<br />
２ ビュワーン ビュワーン<br />
　走る丸い光の ボンネット じそく２５０キロ<br />
　飛んでくようだな 走る ビュワーン ビュワーンビュワーン 走る<br />
<br />
<br />
大切なものを失うようで、何とも寂しい。<br />
０系クン、本当に長い間お疲れ様でした。君のことは決して忘れないよ！！<a name="more"></a>
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<title>秋の便り</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2008-12-01" />
  <link rel="service.edit" type="application/x.atom+xml" href="http://blog.so-net.ne.jp/atom/blog_id=125013/entry_id=10611593" title="秋の便り" />
  <modified>2010-05-03T06:34:16Z</modified> 
  <issued>2008-12-01 12:55:58+09:00</issued> 
  <id>tag:blog.so-net.ne.jp,2010:turbo-s_taniguchi.10611593</id> 
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  <dc:subject></dc:subject> 

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/2008-12-01">
<![CDATA[
長らくご無沙汰していたブログ更新である。このところ何かと暇が無くて、読んで下さっている皆さんには誠に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。<br />
　先日は、私の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%A4%A7%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大学</a>の通信課程で秋季試験があった。私はといえば、一応無難に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8C%BB%E7%99%82&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">医療</a><a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%A6%8F%E7%A5%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">福祉</a>サービス論の受験を終えて、これでストレートで及第すれば今年度の学内の試験はすべて終了となる見込みである。今回の秋試験は日本史と医療福祉サービス論であったのだが、これらはいずれも私にとってはオプショナルな位置づけでしかない(既に夏季に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E9%80%9A%E4%BF%A1%E6%95%99%E8%82%B2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">通信教育</a>課程の卒業単位は取得済みなので)。ただ、日本史は個人的な興味関心の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%B4%A0%E6%9D%90&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">素材</a>であるし、医療福祉サービス論は将来受験する予定の社会福祉士国家試験の本試験のためにも大変役立つ内容の濃い科目として本当に楽しく<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%8B%89%E5%BC%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">勉強</a>させていただいた。<br />
　試験自体はどちらも内容の濃いもので、特に日本史は添削課題の問題だけでは完全解答ができないようなものもあり、余程の日本史に詳しくないと困難な印象もあり面白かった。骨太な試験はやはりチャレンジし甲斐があるものだ。<br />
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<img src="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/_images/blog/_1b2/turbo-s_taniguchi/PB230350.JPG" width="160" height="120" border="0" align="" alt="PB230350.JPG" />　<img src="http://blog.so-net.ne.jp/turbo-s_taniguchi/_images/blog/_1b2/turbo-s_taniguchi/PB230366.JPG" width="160" height="120" border="0" align="" alt="PB230366.JPG" /><br />
　チャレンジといえば、今日は試験の話をメインにするつもりではなく、先週の日曜日(11/23)に行ってきた<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E4%BA%AC%E9%83%BD&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">京都</a><a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E8%A6%B3%E5%85%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">観光</a>について触れておこうと思う。今回の旅は、苔寺と松尾大社の観光である。諸般の都合で<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E6%97%A5%E5%B8%B0%E3%82%8A&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">日帰り</a>となったが、久しぶりに良い気晴らしが出来た。<br />
毎年私の旅は過去の学生時代の学友との定例的なものになっているのだが、これはいわば歴史趣味の仲間内の旅という形になっている。今回も春の宮島観光に続いて、その友人と観光を楽しんだ。<br />
　そこで私がチャレンジしたのは、写経である。苔寺では、その拝観に際して写経をすることが条件で受け入れをしている。その受け入れも事前の申し込み制になっていて、参拝希望日の２ヶ月ほど前からの申し込みによるものになっていて、いわば人数制限を敷いているので、実際に行くと割合に落ち着いて拝観が出来るのがメリットである(ただし、拝観料は3000円と高めである)。そんなこんなで、写経体験をしてきたのだが、久しぶりに毛筆をすることとなつて大変楽しかった。やはり、筆・墨・硯というものは良い。それに向き合うだけでも大変心が落ち着くものだ。勿論、般若心経の内容などはよく分かっているわけではないのだが、一文字ずつ筆を走らせているその瞬間に漂う独特の緊張感は清々しささえ感じるものである。<br />
300字程度を書き上げて、最後に願い事を添え書きし、署名をしたところで寺に奉納するのである。要するに、書いた般若心経は寺に半永久的に保存されるのであるから、貴重なことではある。あんまりおバカな願い事は書けないもので、実際には大変平凡な願い事になってしまったのだが、貴重な体験であった。<br />
　ということで、一応、その折の寺の敷地内の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%B4%85%E8%91%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">紅葉</a>ぶりやその他の印象に残った場所について写真でお見せしておこう。何しろ、一週間前なので今とは色付き方が異なるのであるが、皆さんにとって少しでも気分を和ませることが出来れば幸いである。<a name="more"></a>
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<title>社会福祉体験実習はこれで完結！</title> 
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  <link rel="service.edit" type="application/x.atom+xml" href="http://blog.so-net.ne.jp/atom/blog_id=125013/entry_id=10216448" title="社会福祉体験実習はこれで完結！" />
  <modified>2010-05-03T06:34:16Z</modified> 
  <issued>2008-10-31 11:54:24+09:00</issued> 
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<![CDATA[
　昨日は、体験実習（かかわり体験）の報告書レポートの合否結果が発表になった。結果は一発合格だった。自慢する積りは無いけれども、考えてみれば当然の成り行きであり、ひとまずほっとした。以下に、通知の本文を要約して載せておく。<br />
<br />
「今回のかかわり体験で社会<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E7%A6%8F%E7%A5%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">福祉</a>協議会において「社会福祉協議会の置かれている状況」や「介護保険制度の運用の状況」について学ばれたことが伝わってきました。「かかわり体験報告書」として合格と判断します。<br />
　今回は主に制度面やその運用面からの学びを多くされたようですが、今後は利用者の方たちの理解といった視点での学びを深め、社会福祉協議会等の状況を複眼的にとらえるように事前<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=turbo-s_taniguchi:000263568784&k=%E5%AD%A6%E7%BF%92&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">学習</a>を十分に行い実際の実習の際に活かしてください。<br />
　なお、一点　気になることがあります。今回のかかわり体験では、社会福祉協議会のもとで、社協の事業、地域包括支援センターの事業、老人ディサービスの事業など多くの分野にまたがってかかわりの機会を作られました。しかしながら、社会福祉士の実習にあっては「種別」をひとつ決めていただく必要があります。実習に際しては、決定した種別を中心に行っていくこととなります（種別については「実習の手引１」40ページの表5をご覧ください）。その点をおさえて置いてください。コメントは以上です」<br />
<br />
　厳密に言えば、このコメントそのものには？という面も無いわけではないが、上のような指摘は十分織り込み済みのこと。先ずもって申し分の無い評価をもらったと思っている。<br />
　実習に当たって種別を一つに絞るなんてことは十分分かっている。そもそも、今回の体験実習では実は利用者とのかかわりは少なくても仕方が無いものと心得ていた。それを深めるには、現時点では予備知識も少な過ぎているという認識があったからだ。私の場合、今回に限っては徹底して施設のあらましについて知っておく必要があったからそれを主眼に据えたのである。そのことは、当初の事前の学習課題で私が述べてきた話には直接結びつくものでないことも了解済みで敢えて記したことなのであった。<br />
＜あくまでも体験実習は現場実習の前振りでしかないこと＞を思えば、この段階ではこれで十分だと改めて思っている。<br />
<br />
　一応、今年の実習はこんなもの、自分なりに振り返ってみれば合格して当然なのではある。まあ、そうは言ってもこれで不合格なんて食らったら怒りまくっていたことだろう。「やい、指導教官ども、手前らの目は節穴なのか」と怒りをぶつけずに済んで良かった。勿論、来年の本実習における課題の絞込みは荒削りであり、寧ろこれからが大変だなあという思いは持っているので、今後とも心して励んでいこうと思っている。<a name="more"></a>
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