使い捨て感覚の労働意識批判 ~こんな考え方が日本人を堕落させたのだ!~ [社会学]
わが国の首相が新しくなってから数日が経った。新しいといっても首が挿げ替わっただけだけであるとともに旧時代の顔が首相になったという印象もあるのだが、それでも前首相よりはましだと思う他は無い。昨日朝日新聞では<”上書き保存”福田新政権>という皮肉たっぷりな呼称が使われていた。閣僚の中には妥当な再任や新任の顔もあるので、取り敢えずは実績がどこまで上げられるのかを見守りたいとは思うが、何にしても問題山積の時代ではある。かつて小泉元首相が地方にに出来ることを地方にと景気良く云ったけれども、実質は地方の自己責任だという切捨て御免的な丸投げ話になってしまっているし、安倍前首相に至っては国政そのものを投げ出した形になって、更に国民生活は路頭に迷う羽目になってしまっている。これまでだって政府・与党のしてきたことというのは功罪何れが比率が多いかと云えば明らかに罪の方が多いような実績しかない印象が強いのは私だけでもあるまいと思う。戦後民主主義の是非を問い始めると、もちろん共産化社会にはさせなかったことは自民党政権としては評価すべきことだ。しかし、その行き着いた先の社会情勢がどうであるのかと云えば、格差拡大と雇用不安・国際関係における無為無策・危機管理能力の低下といった国民生活の内外に跨っての不安を招くこととなってしまっているのである。それぞれの不安の中身については今更詳述するまでも無いことなので割愛するが、実に情けないという言葉に尽きる。
産業構造の変容という現実が格差拡大や雇用不安の因になったということは事実だろうが、変容そのものがどうというよりも、その変容に対応して出来るだけ雇用不安が起こらないような制作を国家的な見地から行うという努力が政府にどれだけあったのかということは問い続けられなければならないだろう。小泉政権時代に竹中平蔵氏が云っていた「雇用のミスマッチ」という話も、実際に何故ミスマッチが起こるのかということについて竹中氏がどこまで現場を把握してモノを云っていたのか、私は未だに疑問である。企業の倒産件数が増え、シャッター街のゴーストタウンが増え、税金を払いたくても払えない国民が増え(払えるのに払わないとか、もっといい加減な国民までもが増えているのも看過出来ないことだが)、自殺者やニート人口が増えとわが国の国民として積極的に生きることが出来なくなっている社会、それが日本の一面の姿である。ああ、もちろんこういう世界とは無縁な立場の人間も居るには居るが、そういう人々は放っといても生活に困ることは無い階層だ。ただ、彼らは関係無いからどうでも良いというわけではない。経済的に困窮することの無い一握りの階層の人々が富を独占することによって、生活不安を抱えている人たちとの格差は更に増大し続けるのである。これが健全な社会なのかという問いはもちろん小学生的かつ人情論的なレベルの話でしか無いのだが、社会の一員としては生活する上では絶対に軽く考えてはならないテーマだと思っている。
こんな前置きをした上で今回述べるのは、「日本人の生活意識と労働」というテーマの中でとりわけ労働に対する価値観の問題である。このテーマも幾度となく論じられて久しいものだが、改めて私も考えを整理しておきたくなった。様々な論考がされているが、素材としてあるニ、三の新聞記事を叩き台にして述べてみたい。何れも朝日新聞の記事ではあるが、過去の記事とは云え相当に印象が濃く残っていたので、どうしても触れずには居られないということで採り上げる。
第一は『過労死は自己管理の問題か』と題する今年4月2日の記事である。ここでは、見出しのテーマについて労働政策審議会委員で人材コンサルティング会社「ザ・アール」社長の奥谷禮子氏と経済アナリストの森永卓郎氏が奥谷氏の過労死に関する発言を叩き台にして対談をされている。奥谷氏の発言の要旨は「過労死は自己管理の問題であり、働き方を国で規制せずに祝日も廃止し、労働基準監督署も不要である」というもの。この発言を巡っての両者の論争には激しい応酬があったので、それを紹介しながら論じてみたい。この問題を考えるキーワードとして挙げられていたのが「ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)」「裁量労働制」というものである。労働時間は労働基準法(以下、「労基法」)によって一日当り原則8時間と定められ、残業や休日出勤などのいわゆる超勤には割増賃金が支払われることになっている。が、WEではこの規制が適用されず、残業の概念が無くなるという。裁量労働制というのは、一定の職種・役職に限定した対象者に対して、実労時間とは別に事前に労使間で決めた時間を勤務時間と見做す制度のことで、時間規制も割増賃金もあるのだという。対談はのっけからヒートアップしていた。奥谷氏は自身の発言に批判が出ていることについて、「長く働けば生産性が上がる時代ではなく、労働時間を自己管理して生産性を高められるように働けば良いというのが真意だが、それが伝わっていなかった」と釈明する。これに対して森永氏は直ちに反論する。すなわち「自分で労働時間をコントロール出来る人間がどれだけ居るのか?集団で働くことが多い中で自分だけが仕事が終われば退勤というわけにはいかないのが普通だ」と。森永氏が「(社員が自分勝手に動いていると)査定が厳しいし、出世は難しくなる」と云えば、奥谷氏は「査定などというみみっちいことを離れれば良いのだ」という具合。この時点で両者の認識がかけ離れていることはハッキリしているのだが、記事を読み進めていよいよ奥谷氏の考え方には相容れないものを感じていった。
奥谷氏はその主張の基礎に「自分の身は自分で守る術を身につけるべし」ということを置いている。その背景には、近年のM&A(企業合併・買収)の普及がある。確かに合併だの買収だのともなれば、それまでの環境を維持することは困難で、人員削減を代表とするリストラが進み、自己の地位も危うくなる。だから、クビになったとしても何とか乗り切れるように普段から備えておけというのが奥谷氏の考え方である。「個人が強くなれ」という奥谷氏の考え方は逆に「弱い者は生き残れないのだ」ということで過労死も仕方が無いという印象になる。奥谷氏本人はこの指摘に対しては「疲れて生産性が落ちると思えば休めば良い。出来ないことは出来ないと云う勇気も必要だ」と反論するが、実のところこれは奥谷氏の逃げの答弁にしか感じられない。更に奥谷氏が云うには「悪徳事業者を想定してあれもダメこれもダメというのでは何も出来ない」とのこと。過労死防止の対策については、IT化やオートメ化によって労働時間が減少しているのであり、国の規制が行過ぎるのは問題だとしている。
これに対して森永氏は真っ向から反対意見を出している。曰く「現状は人員削減の影響で一人当たりの仕事量は増えた。サービス残業は多い。日本経団連もWEの対象者を正社員の領域でも拡大させている印象がある。WEの制度は時間管理が義務付けられていない為、過労死を問う証拠も無くなってしまう。わが国では実残業時間の4割分しか手当てが支払われていないのが実態。規制が無くなれば地獄の底までも働かせるのは産業革命で実証済みのことであり、労働者の最低限の権利を守る仕組みが必要だ」と云う(内容は記事本文より筆者抽出・要約による)。
私はもちろんこの議論においては森永氏の見解に賛同する。以下に私見を述べる。先ず冒頭の奥谷氏が真意が伝わっていなかったとしているのは、後付けで無いとしても自己弁護に走っている印象を受けた。無駄な時間の省略ということの必要は私も理解している。だらだら仕事にはろくなことは無いくらいなことは誰でもわかることだ。しかし、労使間で従業員側が自由選択が出来る機会は少ないのである。奥谷氏の会社は融通が利かせられるらしいが、そうした会社はほんの一握りなものであり、それぞれの事業所(公的・民間共通)では各々の条件で就業規則というものが定められており、労働者(社員・従業員・職員)はその規則に沿って職務に携わっている。ただ、就業規則自体も労基法・人権上の妥当性が問われるところだが、ごく一般的に云えば法に従って作られるものであると認識してきたが、それでも違法な事業所が無いわけではない。この上WEが積極的に運用されるとどうなることだろうか。それが森永氏が指摘する「規制が無くなれば地獄の底までも」という理屈である。個人が強くなれと奥谷氏は云うが、そうなれる条件が揃う人ばかりいないのが社会というものではないか。この点についてはもう一つ触れておきたい指揮者のコメントがある。それは同じく朝日新聞の求人欄「THE21」というコメントコーナーの一節である。8月6日は『ビジネス運を掴む術①幸運を呼び込む「クセ」を身につける』と題して、慶大大学院教授で株式会社「コーポレイトユニバーシティープラットフォーム」代表取締役社長の小杉俊哉氏が寄稿されていたが、ここでも大変気になる話があった。小杉氏に拠れば、わが国は実は本人が努力さえすればどうにでもなる恵まれた社会だという。その一方で小杉氏は消極的な人間は常に受身的で自己の実力の無さの原因を外的要因に求める傾向があるので、仕事運を掴むことは出来ないと切り捨てている。これは奥谷氏の考え方と共通している。私も別のことに因果付けて泣き言を云うようなことが好ましくないことは理解している。日頃の自分の仕事を見直しても言い訳の多いところに好印象は生まれてこないものである。実のところ、言い訳・泣き言に逃げ込んでいる本人も何となく後ろめたさが残っていることが多い。ただ、努力さえすればどうにでもなる恵まれた国だというのは間違いである。その理屈はどこから来るのかと云えば、恐らくは日本のように平和な国では無いところの外国との比較において成り立つのかも知れない。国家的なレベルでも景気が僅かながら持ち直し始めているのかなという程度であり、個人の生活レベルでは景気回復の実感はまだまだ乏しいのが実情だ。小杉氏の考え方に拠れば不況だ失業だと社会を嘆く人々は努力が足りないのだということになるが、とんでもない話である。世を嘆いている人々が努力していないわけではない。そして努力をしたからといってそれが報われないことが多いのが現実ではないか。安倍前首相がブチ上げていた「再チャレンジ構想」というのはその意味では理念としてはもっともだが誠に空しいスローガンではあった。この構想を聞いたときは私は思わず「そんなうまい話があるもんか」と鼻で笑ったものだ。小杉氏が云うような話は、基本的に生活背景にどうにも克服出来ないレベルの不安がまるで無い、条件揃いな人間に対してのみ云えることなのだ。奥谷氏の発言も不自由の無い立場の人間からのものに過ぎず、そこには社会的ないたわりという視点は見えてこない。こういう発言は、所詮は人材派遣業や金融系の業界の人間の云うことなのだと思わずにはいられない。彼らは結局は「人材は使い捨て」という価値観でしかモノを考えられない精神的に貧しい人種なのだと私は思っている。
確かに国際競争力に負けるというのは屈辱だというのも事実だろうが、私の見るところわが国は戦後の経済発展を経て、国民を粗末にする風潮が蔓延っている。「健康で文化的な最低限度の生活の保障」という法25条の精神は本当に国民生活を最低限度の枠に押し込めてしまって、後は自己責任で好きにしろという無責任・出鱈目な社会構造を許してしまっている。こういう状況を生んだのには私たち国民一人ひとりにも責任が無いわけではない。国際競争力と国際協調という相反する概念の中で、いかに自国の文化・風土を守りながら生き抜くのか、否応無く襲来するグローバリズムの枠組みに私たちはどう向き合うのかということをいよいよ実質的に考えて国づくりをしなければならないときに来ている(要は、単純にグローバリズムに取り込まれても良いのかよという話である)。奥谷氏は現状のままでは国際競争に負けて最貧国になってしまうと危惧を示すが、そもそもそこまで競争に「勝つ」ことがどれ程重要なことなのかという気がする。そういうことを追い求める前に国内的にもっとやるべきことがある沢山あるはずだろう。そしてその基本にすべきことはやはり「国民を大事にする国を作る」ということに尽きる。奥谷氏の思想はグローバリズムにコミットしてやっていく為のものでありアメリカ型経済の論理でこそ有用な考え方であるが、日本はアメリカではないのである。そもそもの文化的歴史的背景も異なるところに持ち込んでも相容れないことがあるのは当然だ。日本型経営ということがひと頃バッシングされてきた経緯があるが、最近では再評価の動きがある。年功序列型勤労の弊害も十分に理解した上で、なおかつ個人の生活・福祉を大切に出来る社会の為に産業構造を見直す姿勢が求められているのだ。
参考) 奥谷禮子の私的通信
薔薇、または陽だまりの猫 過労死は自己管理のもんだいです。奥谷禮子/週刊東洋経済
泣くな古田よ、またスタジアムに戻って来いよ!! ~球界の"のび太"君の野球人生一区切りに思う~ [スポーツ(野球)]
既に4日前のことだが、プロ野球ファンの一人として関心を寄せてきたことでもあり、残念な気持ちと半ばほっとした感覚の中でその様子を見て、コメントを残しておきたくなった。東京ヤクルトスワローズ(以下、スワローズ)の古田敦也監督の辞任・引退発表のことである。
球団社長から監督としての続投要請、しかし彼は最後までこれを固辞したという。その辞任の理由は極めてシンプルなこと、「結果を出せなかったのは監督の責任であり、僕の力不足」というものだった。記者会見の席上、彼が語った限りにおいてまとめると、現役については今季の早い段階で引退を考えていたようだ。やはりそうだったかと思った。監督以前の選手としてもプロである以上結果が出せなければおしまいということは、彼の意識の中に強くあるのは自然なことだろう。その世界において力を発揮出来なくなった者が一線を退くときの身の処し方は精神的なレベルからしてキッパリとしたものがある。否、実力もないのに延々とその地位にしがみ付く者の方が世間には多いが、物事のけじめをしっかり持った者はその決断も潔いのだという方が正確だろう。古田氏もまたごく常識的な真っ当な考え方の持ち主だということだ。
結果が出せないときは責任を取る、これがプロとしての最低限のあり方だと思うが、古田氏の辞任・引退表明は何とも云えない悔しさ・寂しさが残るものとなった。南海ホークス時代の野村克也監督(現 楽天監督)以来29年ぶりの兼任監督ということで大いに話題をさらったが2年連続のBクラスという結果は彼にとっては余りにも辛過ぎる現実となってしまった(クライマックスシリーズの出場権云々以前にこちらの方が屈辱だろう)。朝日新聞も論評していたが、最後まで古田色が感じられない采配で他の選手との信頼関係も不完全なままになってしまった。フロントとの確執のことも関係していると云われているが、そこで湧き起こった古田氏のフロントに対する根深い不信感というのは、実は飽くまでも氏の個人的な感情に過ぎないものであり、球団総体としての判断は厳正であったことと思う。「見切りをつけられればクビ」の構図は社会的な掟であり、プロ野球も例外ではない。
ファンの皆さんがあの古田氏の記者会見をどうとらえたかは様々だろうが、驚きと同情の念で受け止めた方は少なくないはずだ。ドラゴンズ戦に臨む神宮球場では古田氏に対して、「辞めないでコール」が相次いだそうだが、ファンとしては自然な思いだろう。ただ、私はこの「辞めないでコール」の表面的なところだけで古田氏の辞任劇をとらえては問題の本質を見誤る危険があると思っている。いつも思っていることだが、浪花節根性だけでは公正さを欠くということだ。
今回の辞任表明会見は、一見古田氏の自主的な形にはなったが、実質的には球団から燻り出されたところのものであると私は見ている。結局のところ、球団・フロントからの「辞めろコール」が内々には頂点に来ていた中で、止むに止まれず無念の会見となったのではないのか。仮に私が古田氏の立場だったら、当然「退き際は自分で決めたい」と球団に直訴するだろうし、古田氏にもそうした気持ちがあったのではないか。それが男のけじめというものだろう(否、女性もか)。しかしそれを云わせない程の古田氏への不満が球団全体にあったと見るのがほぼ正確な見立てだろう。だからこそあのような会見になったと私は思うのだ。「寂しいというより悔しいかな」という氏の言葉の意味はこういうことなのだろう。思えば、このテの監督辞任劇は古田氏以前にもあった。私にとって一番強烈な印象が残っているのは、西武ライオンズの森祇晶監督の辞任。あの時も多少状況は異なるものの、成績不振でシーズン途中の辞任という構図は同じ。それもフロントからの「辞めろコール」が起こって、本人が口にしていないうちから"辞任"を印象付けてしまう球団側の手法まで酷似している。これが本人の自尊心を傷付けるものであることは間違いないことなのだ。
冒頭でも述べたように、球団は古田氏には何度も監督として残留することを要請したそうだ。球団が野村克也氏直伝のID野球の申し子としての明晰な頭脳は今のスワローズナインに欠かすことが出来ないという評価をしているのは事実だと思う。それは10度の盗塁阻止率リーグトップをはじめとする輝かしい記録が証明している。私にとっては1995(平成7)年の日本シリーズ、そう、あのイチローが活躍していた時代のオリックスブルーウェーブとの対戦が印象深い。あのシリーズ決戦でイチローはほぼ完全に古田氏に抑え込まれ、結果的にスワローズが4勝1敗で日本一となった。ブルーウェーブにとっては、阪神・淡路大震災の爪痕も濃い神戸の復興への活力たらんとした日本シリーズ制覇を果たせずという屈辱に終ったのである。当時スワローズが日本一を決めた翌日のニッカン・スポーツ紙の見出しには確か「泣くな、イチロー」という副題がついていたと思うが、あのイチローでさえも古田氏からの徹底したマークに苦しめられていたわけだ。
また、古田氏でもう一つ忘れてはならないことは、3年前の球界再編におけるプロ野球史上初のストライキの断行で2リーグ制の維持に尽力したことだろう。毎日新聞によれば、記者会見が行われたこの日の丁度3年前はストライキ決行の日だったとのこと。当時の球界がいわゆる近鉄バッファローズの球団身売り騒動に始まり、ライブドア社の堀江社長が買収を画策して失敗し、一時は2リーグ制が存亡の危機に見舞われたという情勢にあったことは周知の事実である。結果的には近鉄はオリックスブルーウェーブとの統合を経て、オリックスバッファローズと東北楽天ゴールデンイーグルスに再編されたのだが、統合によって1リーグに縮小されそうな球界の流れを食い止めるために奔走した男こそ古田敦也氏だった。このことはプロ野球ファンならずとも感じるもの少なしとせず、逆にファンが増えるきっかけとなったことは有名である。あの一件で誕生したパ・リーグ2球団のその後は、今年もまだAクラスに縁遠い日々が続いているが、楽天イーグルスは駒大苫小牧高校・田中将史投手が入団したことで一気に人気が高まり、順位が低迷していても仙台の杜は沸き返っているというのが実態だ。私も熱狂的な楽天ファンというわけでは決してないが、田中投手や山崎武司選手などに注目をしている。いずれにせよ、古田氏があの時身を挺して2リーグ制を守ってくれたからこそ今があるのは間違いない。
話を古田氏に戻そう。今、古田氏はシーズンの残り試合を全うするために戦っているところだが、会見を終えてひとまずは肩の荷が下りたというところだろうか。昨日の試合も幾分寂しげな表情も見えていたが、それでもタイガースに競り勝ちほっとした様子であった(タイガースファンとしては悔しいのだが・・・)。しかしストライキ断行のときの統率力と監督としてのそれとは次元の異なる話である。プロ野球労働組合という空間は交渉の現場としての理屈が通っていればそれなりに望む結果が得られる可能性はある。しかし、野球の勝負のことは別の話。流石の明晰な古田氏でも現場の監督としてのキャリアが少な過ぎるために、理論的に考えるだけではどうにもならない流動的な力が働く試合のフィールドでは勝手の違う向きがあったというのは言い訳に過ぎないだろうか。
新聞に掲載されていた古田氏の周辺の人々の談話の中では、やはり師である野村監督のものが最も愛情に満ちていたように思う。それは毎日新聞よりも朝日新聞に掲載されたものの方が良い内容だつた。その弁に曰く「我々の世代の後の人材が少ない中で、これから監督らしくなっていくところじゃないか。もったいない。・・・(中略)・・・いい参謀が必要だったな」というもの。このコメントは他の誰よりも古田氏本人への慈愛に満ちたものに私には感じられた。私は普段は野村氏に余り好感は持てないでいるけれども、このコメントは古田氏の置かれている現実を踏まえた上で限りない弟子への愛情を表したものになったと嬉しく感じている。自分がこんなことを師匠と思う人から云われたらどんなにか嬉しいことだろうかと思う。また、テレビで聴いたがドラゴンズの落合監督も「」辛いことが多かったろうけど、よく頑張ったよ!」と労っていたという。「ああ、落合も温かいところあるよなあ、ちゃんと見るとこ見てるよな」と感じた。兼任監督をすることが決まったときも「別にやって良いんじゃないの?彼なら出来るでしょ」とエールを送っていたのは落合氏だった。それに引き換えわがタイガースの岡田監督はちょっと冷ややかなコメントを寄せていた。けれどもそれも本当は「兼任なんてそんなに甘いものじゃないんだよ」という戒めのものだったと私は解釈しているし、実際そうなのだろう。星野仙一氏に云わせると「岡田ほど野球について全てを熟知している男はいない、正に野球小僧だ」とのこと、その岡田氏が云うのだから耳を傾けるべき忠告ではあったのだ。今、こういう段階に至って古田氏が岡田氏のこの忠告を振り返ったとしたら何を思うのだろうか。もう少し本人の気分が落ち着いたときに改めて訊いてみたいところではある。
上のようなコメントがあるかと思えば別のとらえ方があるのも当然なこと。そりゃ、良い大人のことだから特に誰が苦境を助けてくれるというわけではないのは分かっている。しかし、球団社長にしても慰留に努めたとは云っても、当初の古田氏への接し方を考えれば「何を今更?」のコメントである。他のチームメイトの談話は報道されている範囲のものは真に古田氏のことを気遣うものだと思うが、それ以外の人の思いはどうだか分からない。シーズンの最中には古田氏に対して見限るようなことを云っていた者たちも、ここに至って急に残念がる談話を出す奴もいるかもしれないが、そうだとしたら、今まで辛く当たってきたにもかかわらず卒業式間近になって急に掌返したように「今までひどいことをして悪かった」と謝ってくるいじめっ子のレベルと大して変わらない話ではないか。私は、古田氏にすればそういうおためごかしに云うような人に対しては「今頃気遣ってもらってもしゃーないわ!」という思いも内心はあるんじゃないだろうか、と想像してしまうのだ。だから、球団の再三の慰留を突っ撥ねたというのは古田氏なりの筋を通したわけであり、当然なことだと私は評価している。
なあに、古田氏は必ずまた現場に戻ってくるに決まっている。必要な人材なのは云うまでも無いことで、球界が彼を放っときゃしないさ。やっぱり先ずはコーチから出直した方が良いだろう。古田氏自身にとっても今回の挫折はより大きな人間になるための良い肥やしになるはずだ。最後に古田氏に私からエールを贈って稿を締めたい。
古田さん、かつて貴方は大学卒業を控えてのドラフト会議で「眼鏡の捕手は成功しない」と云われて指名見送りの屈辱を味わい、そこからリードの研究に目覚めてプロを目指してここまで歩いてこられたのです。そして、その後の社会人時代にはあの野茂英雄氏とともにノンプロチームでオリンピックにおいて金メダルの栄光を勝ち取っていましたね(その後のオリンピックチームではプロ選手を揃えてもなかなかメダルが取れなかったことを思えば、快挙中の快挙だったことは云うまでも無いのです)。プロ入りしてからの貴方は、監督からの怒られ役となり、屈辱に耐えながら不断の努力を続けて、ついに球史に残る名捕手になつたのでした。愛用の眼鏡によって世間では"のび太"と親しまれ、エリートとは云えないけれども地味な選手生活の中でも着実に歩み続けてこられた姿には、私自身大いに力づけられたものでした。もう貴方はただの"のび太"君ではないのです。球界を通じての社会全体の宝なのですから、これからも新しい形で私たちにプロ野球の魅力を見せて欲しいと思うのです。私は、挫折は大体において人生の肥やしになるものと考えているので、貴方の再出発に大いに期待しています。何と云っても、昭和40年代の星だもんね、頑張れ古田!!
儚げな歌声がゆるーい魅力になってる"女優"上戸彩さんに思うこと [音楽(J-POPS)]
今日はこのブログでとり上げるのは極めて珍しい"女優"の話をしてみたい。このブログではこれまで女性アーティストとしてはBoA、イルカ、坂井泉水(ZARD)などといった歌手をとり上げてきたに過ぎず、女優分野で女性アーティストのことを紹介することは殆ど皆無であったと思う。私は個人の好みという点では独特のとらえ方をしていることもあって、単に見た目で判断するのではなく、歌手なら歌唱力、女優なら演技力、という具合に本来のテリトリーの中でどれだけ光るものを感じさせられているのかという点でこだわって見ているので、そう簡単に持ち上げたりはしないが、それでも直感的にこれと感じたものには割合鋭くアンテナが向いてそのアーティストを気に入ることが多い。しかも、華々しいスターよりは寧ろ二番煎じ三番煎じ程度の辺りで注目することが多いので、多分スター好みの読者においては「ええっ、そんなものかなあ」と意外な反応をされる可能性は高いだろうと思っている。
で、今回とり上げる"女優"というのが、上戸彩さんだ。二番手三番手レベルのと云いながら上戸さんの名前を挙げたことを意外だと思った方は、華々しいところの上戸さんを知っている人たちかもしれない。じゃあ、私が彼女の裏の顔を知っているのかというと然に非ず。映画・ドラマで活躍しているのはもう彼女にとっては当たり前なのだが、この頃は歌の方面にもエリアを広げて頑張っているということで歌手としてはキャリア少ない彼女の一面を交えて、私なりに本来の"女優・上戸彩"に迫ってみたい。予めお断りしておくが、私は別に年下女性が好きだからで話をするつもりは無い。この頃の色んなドラマなどを通して女優の魅力ということを考えるようになったところに起因している。というのも、ドラマが面白くないと云いながらも、ストーリーが良くないということだけではなく、キャスティングで無理があったり、演技が物足りないんだという感覚が面白く感じられない大きな理由になっているからである。実はこの点で私は、上戸彩さんという"女優"は本来的にはかなり無理があるように思ってきたのである。というのも、彼女の出演したドラマと云って第一に思い出す『3年B組金八先生』の鶴岡直役は、本人の中では多少ギャップもあったかもしれないけれども、等身大の中学生徒を好演した役どころと評価されている。しかしながら平成17(2005)年の大河ドラマ『義経』における"うつぼ"という牛若丸時代の義経の幼馴染の役は、上戸さんにとってはかなり背伸びをしたものだったのではなかったかと改めて思うのである。配役設定も「宮尾本平家物語」や「義経」原作本に拠ったのではあるが、うつぼなる女性が結局はあのドラマでどれ程の存在感が出せたのだろうかと云えば、ちょっと物足りない印象が私にはあった。話はあくまでも源義経が主役だから仕方も無いのだが、静御前という愛妾がいる義経に対して恋慕の情を抱く女性として"うつぼ"は描かれている。それなら静御前との対比をもっと鮮明にしてドラマを作って欲しかったのであるが、実際には上戸さんのその役は目立たないものになってしまった感がある。勿論、これはドラマの製作者の描き方だとは思うのだが、上戸さん本人にはもっとパンチの効いた女性として演じてもらいたかったところである。ま、これは今更に云うべくも無いが、女優は監督の指示通りに演じることなので、静御前ほどには目立たないような役どころと云われれば仕方無いのだろう。いずれにしても、映画「あずみ」やドラマ「ホテリアー」、「アテンション・プリーズ」など華々しい役を頑張ってはいるが、もう一つ演技力が空回りなところが惜しいところである。ただ、先に挙げた鶴岡直役や映画「インストール」の主人公の役などは上戸さんにぴったりな役どころだと思っている。
簡単に上戸さんの印象を述べてきたのだが、私はこのある種の"物足りなさ"の感覚が上戸さんの持つ魅力のベースになっているように思うのである。それは歌手の分野にエリアを広げたことにも通じるものがある。そこで、例えば上にリンク表示してある「笑顔のままで」という歌のこと。卒業シーズンを意識して作られているということで、今の時期にこの歌は合わないらしいが、先日この歌を聴いて単純明快に気に入ってシングルを中古で買ったので紹介する。2月頃に放送されていた日本テレビ系のバラエティー番組「くりぃむしちゅーのたりらリラーン」のエンディングに使われていた歌だ。この歌は上戸さんが歌手にもなったということを長い間知らないままに上戸さんのことを見てきたので、この曲を歌い上げている彼女の声質の"脆さ""儚さ"のようなものが持つ魅力をここにきて少しわかるようになってきた。歌そのものは実のところどうって事は無い(コラボレーションしたケツメイシのメンバーRyoji氏には失礼なことでした!)のだが、彼女なりの精一杯で歌っている雰囲気がその声から垣間見えたところがあるのだ。
ひと頃宇多田ヒカルさんのようなハスキーボイスが流行ったことがあった。勿論、宇多田さんだけでなくハスキーボイスというのは独特の世界観を伴った声のように思われるのだが、上戸さんのような声は清純派アイドル路線への回帰にも通じるものを感じることが出来る。これが松田聖子の時代までは何となくこうわざとらしい面があったところのものが、ナチュラルなイメージを感じさせる。飾り気の無い歌声というものは、いつの時代も聴き飽きることが無いものであり、その意味では新進の歌手としてもポジションを確立させたいと励んでいる上戸さんにもちょっと期待してみたいのである。因みにこの「笑顔のままで」という曲、私は例によってメロディから注目をし始めてその上で上戸さんの声とのマッチングを味わったところで評価している。上戸さんのナンバーには海援隊の「贈る言葉」もあるが、これは流石に「金八先生」の縁だね。これはBGMアレンジによって原曲とは雰囲気の変わった作品に仕上がっているが、上戸さんの声はここでも「頑張って歌ってるよ!」というアピール感が伝わってくる感じだ。歌の方は取り敢えずは今のままの「儚げ」感の濃い雰囲気でバラードを歌ってくれれば私は満足だ。上にも述べたが、この"物足りない"感こそが、上戸さんの魅力の基本にあるのだと私はとらえているので。後は女優の道をどう切り開いていけるかだろう。
少しずつ大人の女性へと変貌している上戸さん、これからも演技力を磨いて押しも押されぬ女優の一人になっていって欲しいと切に期待して止まない。
「売りっ放し」の無責任さを感じたサポートセンターの対応の話 [経済一般]
これは私の方が認識不足なのだろうかという話を今日はしてみたい。私は普段からワープロソフトををよく使う。それは勿論仕事に関わることであって、持ち帰りをすることもあるので今や私の生活でワープロソフトは不可欠なものとなっている。しかし、先日来ちょっと困ったことが起きた。某社製のワープロソフトにおいて、異なるバージョン同士で使い回しが出来ない事態が発生したのである。具体的には私は現在職場と自宅併せて3台のパソコンを使っているのであるが、実はこれらが全てOSのバージョンが違っている。そしてそれに伴い、ワープロソフトのバージョンも異なっているのだが、新旧それぞれの環境下で作成したデータが編集や保存は愚か最悪の場合は読み込みすら出来なくなってしまうのである。旧いバージョンの環境で作成したものはその環境で利用する限りにおいては何らトラブルは起こらない。しかし一旦新しいバージョンになると、それらのデータが更新出来なかったり保存してあるCDのディスクそのものを認識してくれなかったりということで、非常に使い勝手が悪い。逆の場合は旧が新を兼ねるということはないので仕方が無いのかもしれないが、パソコンのような分野で新が旧をカバー出来ない機能なんて話があるのかと思った。
もっと細かな話をすると、旧環境下で作成したものを新しい環境で使うという場合、データの読み込みは出来たとしても、良く見ると「互換モード」という表示がされている。更にその脇には(読み取り専用)という表記まで添えられているのである。これは何だろうと思って調べてみたが、元データでは細かい設定において(読み取り専用)なる制限はかけてはいないにもかかわらず、新しいバージョンでは手動で訂正設定をしてもいないのに勝手に(読み取り専用)ということになってしまっているのである。不可解なのはそれでいながら「互換モード」という表示がされていることである。「互換」というからにはバージョンの新旧を問わずデータの使い回し利用が出来るものと私は思っていたのだが、それはどうやら違うようで、閲覧が精々というレベルのものだったのである。
私はどうにも納得が行かず、ソフトウェアメーカーのサポートセンターに問合せをしてみた。そして、そこで得られた回答を受けて私は改めて幻滅することとなった。すなわちその回答に曰く、「お客様お問合せの事案につきましては、バージョンが新しくなるほど旧バージョンにおいては感知されなかった不具合や欠陥が感知されることで編集・保存は愚かデータの読み込み・ディスクの認識までが出来なくなることがございます。また、別の要因としては、お客様が作成・保存に使用されたCDディスクやパソコンのハードウェアに不具合または欠陥があることでガードがかかってしまうということが考えられます。これは新から旧への流れにおいても同様なことなので今一度ご確認下さいませ」との事。これはどういう事なのかというと、つまりは私の側に不具合や欠陥があるのだからそれで使う事が出来なくても自己責任だから諦めろという理屈なのである。
私はそんなバカな話は無いと抗議した。特段に異常な使い方をしているわけでもないのに、普通のディスクで簡単に損傷だの欠陥だのと云われるのは心外なことであるからだ。CD自体も旧環境で使っている分には問題なく使えてきたのである。そりゃ、旧型のものが新型に対応するのには限界もあり使い回しが出来ないということは理解る。しかし、新が旧を兼ねることの出来ない機能なんて何なのかと思うのである。その上、使っているユーザー側のものに原因があるから仕方がないので諦めろとはどういう云い草なのか。「互換モード」という機能についても、使い回しが出来るわけでもないのにそうした表示をしてあるということ自体がおかしい。この事を問うと、「その件につきましては制限の解除を行う方法がございますが、サポート回数にカウントさせていただいての回答になります」という。私は呆れた。個別具体的な製品単体における問合せであればまだ回数制限の範囲内に押し込めてのサポートでも納得が出来るが、これは旧バージョン・新バージョンの双方に跨るテーマだろう。メーカーは次々とバージョンアップをする傍らで、ある一定の期間しかサポートをしないというやり方をし、その後は売りっ放し状態でも平気な態度である。これは利用者にとっては何とも不親切なやり口であるわけで、私はこの点には以前から大いに不満を感じていたので、今回これをサポート担当者にぶつけたのである。担当者はそれでも平然とこんなことを云ってきた。「ワープロソフトはOSのバージョンの変化に伴ってバージョンアップしており、それぞれは別個の製品であります」。ということは某社の製品の中でも、例えばワープロソフト『ワードックス(仮名)』のバージョンAとバージョンBは名前も異なるので別の製品という理屈になるのか、だから両者の間での互換性は擬似互換ということにしかならないというのか。これはとんでもない云い逃れではないのだろうか。見た目も基本的には明らかに同じなのに、こんな屁理屈のためにトラブルが起こっても仕方が無いので諦めなさいというのか。
そもそも、「互換モード」という機能に関してガイドブックに分りやすい説明がなされていないではないか、私はこの点からもサポート担当者を問い詰めた。そうしたところ、「お客様ご質問の点につきましては、上級者向けのご説明としてはさせていただいておりますが、いわゆる紙媒体としてはその辺りの説明は行っていません。詳細は弊社ホームページ所在のヘルプガイドにおいて掲載させていただいてあります」というのである。私はそうまで云うのかと思い、早速その場でヘルプガイドを閲覧したが、それとわかる回答箇所は見当たらない。私はほとほと呆れて「今、こちらでも見させていただいているけれども、こういうわかりにくいヘルプページは改めてもらいたい。互換性の問題は旧バージョンの利用者にとっては生命線の機能であり、これはワープロソフト全体のベースを成すところの話であるのだから、解説は徹底して行うべきではないのか。旧い型式の製品のユーザーに対しての貴社の姿勢の本質がこの体たらくなのかと思う」と詰めた。要するに、ユーザー軽視・無視の企業体質があるからこそ、今回の私のようなトラブルについても、上記のような顛末になるわけだ。私は勿論専門家レベルとまでは行かないまでもそれなりにパソコンについては色々と学んで知識は仕入れ続けてきているつもりである。だから、メーカーの説明責任に関わることについてはかなり五月蠅い。それゆえ、余計にこのワープロソフトメーカーのサポート担当者のものの云い方にはぞんざいなものを感じて抗議することとなったのである。要するに、OSを売ってその上で基本ソフトを抱合せで売っているにも関わらず、そのサポートにおいては新規優先でしか対応をしない企業体質というところに私はイチャモンをつけたわけである。ん、この「抱合せ販売」というフレーズで今回の抗議先のメーカーがどこであるかは凡そ察しがついてしまうかも・・・。さて、皆さんはこのような問題についてどういうお考えをお持ちだろうか、忌憚の無いご意見をいただきたいと思っている。
体調不振の中で考えたこと -タイガース・赤星君の姿勢に学んだ教育の基本- [プライベート]
先日来続いている頸部痛の件、痛みがとれず仕方が無いので今日は罹りつけの病院で診てもらった。結論から云うと、単なる肩こりのひどいものに過ぎないということであっさり終ってしまった。痛み止めの薬と湿布で処理すればいいだけのこととなり、市販のものもあるが一応湿布だけ貰って帰ってきた。痛み止めはいわゆる「ロキソニン」というもので、これは殆どのケースで間に合う鎮痛剤だ。以前別の件で貰ったものがあるので今回は貰ってこなかった。ただ、色んな痛みに効くとは云っても、実際には余り服用せず我慢出来る範囲のものは我慢するに限る。何でもかでも薬というのは気休めにしかならないことも多いし、やり過ぎると体内で化学変化を起こして思いがけない身体の変調を招く可能性もある。幸いにして頸部の骨にも神経にも以上は見つからずに済んだので良かったが、怪我の功名というか何と云うか、ここ数日仕事をしながらで絶え続けてきて色んな事を考えることが出来たのは良かった。
頸部の痛みということではまず母の話。母が最近同じ様な症状に見舞われていて苦しんでいたのであるが、自分自身が同様な状況になるまでは次第に良くなるよと私は軽く考えていたのである。が、自分自身もなってみて初めてその痛みが分るものである。そもそも首を動かすことがまともに出来ないのが辛い。このことは身体を起こしている寝かせているは関係なくただただ痛むので、どうにもならない。正面向きを基準にすると、左右それぞれに20度程度動かすのさえ苦しい。それは、その内上下に動かすのも辛くなってくるのである。頸部も様々な骨・神経が密集する部位であるが、動かすたびに節々に痛みが走る。その上、時には息苦しくなることもある。呼吸を整えるのが辛くなるというやつだ。だから、ちょっとした動きでも首そのものだけを動かすのが辛いので身体全体で向きを変えてかからないといけない。誠に厄介なことだ。しかし、頚椎損傷の患者の方々をはじめ頸部に関わる障害を抱えた方々の日常生活の大変さはいかばかりかと思うのである。
次には阪神タイガースの赤星選手の話。彼も椎間板ヘルニアを抱えながらペナントレースを戦っている。今年は初夏の頃だったか首位から12ゲームも離されていた時期があって、その時点で今年はダメかと諦めていた優勝があれよあれよという間に現実味を濃くしており、赤星君も選手会長としてチームを引っ張っている。ちなみに今日の朝日新聞のスポーツ面では「赤星快足、トラ加速」というタイトルで昨日の勝利のことを掲載してあったが、好調の右腕投手を揺さぶる走攻撃をしていることについて彼のコメントが載っていた。彼曰く「相手があれだけ警戒してくれることはうれしい、それが出来れば好不調に関係なく自分の仕事が出来る」とのこと。こんなにfor the teamなコメントも赤星君ならではだと思った。他のチームのファンの皆さんには誠に申し訳ないが、私は今や完全なるタイガース・ファンなのでベッタベタの身贔屓発言になってしまうがご容赦願いたい。それは何かというと、今のプロ野球12球団の中でタイガースほどチームの結束が強くてそれが「絆」として確立していると云い切れるようなチームは他に見当たらない。選手一人ひとりも”イケメン揃い”で、何よりも自分のことよりもチームのためという姿勢が全ての選手に漲っている。
私はかつて2002年度までは中日ドラゴンズのファンをしていたし、それ以前の1988年までは今ではあるまじき話だが読売ファンをしていたのである(1985年の日本シリーズでは一応セ・リーグの応援として阪神を応援、この事は以前にもブログで触れた)。王貞治氏が読売の監督を辞めたことで読売ファンを辞めたのである(因みにパ・リーグについては、元々阪急、オリックスブルーウェーブ(イチロー在籍時まで)を経て、福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)へとファンの流れを経てきている)。こうして色んなチームをつぶさに見てきたが、星野仙一氏がタイガースの監督になってからは「先ずは何を措いてもタイガース」というファン意識が確立した。所謂「トラの血」が私のDNAに刷り込まれたといっても過言ではない。これが野村監督時代のタイガースに対してはボロクソに貶していたのだから世話は無いな。ただし、あの時も監督野村克也氏が好きになれないだけであって、既に入団していた赤星君や今岡君のことを嫌う理由はどこにも無い。寧ろ赤星君などに対しては凄いやつだなあという衝撃の目を向けていたのである。そんな彼も今年は今岡君の後を受け継いでの選手会長。初めはかなり会長ということに無理をしてきた雰囲気があったものだが、この頃はすっかり逞しくなったものである。彼についてはよく知られていることなので一々云うまでも無いのだが、盗塁の数によって車椅子の寄付をするというボランティアを毎年続けていることは余りにも有名で、そんな姿勢も素晴しく感じられる。ただ、こういうことは彼に限らずタイガースの選手は何かとボランティア活動には積極的なように思う。福祉施設の慰問は元より、あしなが育英会への寄付活動もタイガースの年中行事である。こういうところに目を向ける野球選手の存在というのは、福祉がわが国の社会的課題として確立して当たり前に受け止められるようになってきているとは云っても貴重なことだと思う。
ただ、この話は今日の話の中では浅いレベルのものであって、ともかくも赤星君のことに話を戻しておかなければならない。開幕当初の苦しい状況を乗り越えてタイガースは今、レギュラー・シーズンを1位で終えられるかどうかという熾烈な中にいる。その中での赤星君の激走は或いはタイガースファンならずとも感じるものがきっとあるはずだと私は思っている。先に述べたように彼も椎間板ヘルニアを患っている中でその苦痛を微塵も見せずにグラウンドで躍動している。そのことを思うと、私如きが首の痛みでオタオタしている場合ではない。赤星君だけではない、金本にしろ矢野にしろ下柳にしろ桧山にしろ昭和40年代組はみんな”ご老体”(失礼!)を押して頑張っている。私にとってはまさに「同世代の星」である。「おじさんは頑張っているぞーっ!!」 昨日の試合を見ていても思ったが、下柳なんかはもう殆どくたびれオヤジそのものであり、後続の投手陣への応援も誠にのーんびりした様子であった。「何を寛いでいるんじゃい!」と思ったが、実際のところタフだよなあ。矢野も疲労の色が濃いように思えたが、それでも歯を食いしばってホームベースを守り抜いている。どんな悪球が来ても身を挺して受け止める、正にチームの要である。こういうベテランがいて、若手も溌剌と躍動する。しかもそれでいて自分の記録のことだけを考えると云うのではなく、自分の活躍でチームに貢献するという意識を一人ひとりが高く持っていること。ここにタイガースの強さの真髄があるように思うのである。そして、赤星君の快足ぶりは、そのことを象徴的に表しているように思うのである。読売ファンには申し訳ないけれども、一発攻勢で勝つ野球に馴れ切ったチームとは訳が違うのである。大金を積んで完成品の選手ばかり取り揃えて勝ったところで何ぼのものか、なのだ。打てなければ守備で活躍する、守備がダメなら機動力攻撃で活躍する、色んな技を会得してプレイしてくれた方が見ているこちらも楽しいし、実際に勝利の味も格別なものになるのだろうと思う。
人生も実はそんなものなのかも知れない。一芸に秀でることは貴重なことであり、それぞれの長所を伸ばすことは大切にしていきたい。それぞれの長所は多様なものであって良いし、勝負の舞台で戦えるものを持つ人にはどんどんチャレンジさせてみたいものだと思う。それがスペシャリストというものなのだ。しかし、ジェネラリストも捨てたものではない。色々な技を身に着けていることは応用力の幅を広げることが出来る利点がある。私のように中途半端に色々なことに関心を向けているばかりではどうにもならないわけだが、それでもそれはそれで良いのかもしれない。色んな分野の物差しを持っておくことで、世間の物事に目を向ける上で、生きる力に出来そうな場面が意外に少なくないからである。赤星君が200本安打だの盗塁だのという多彩な能力を発揮しているのと比較するのはおこがましいことではあるが、現在の教育の現場で身に着けさせるべきものとしての「生きる力」ということにひきつけて考えるとき、彼の活躍は一つの大きな教材になることは間違いない。ただでさえ野球選手としては小柄な体格という事で不利なのに、毎年色々な記録で私たち野球ファンを楽しませてくれている。その上、今年はヘルニアを抱えながらという過酷な中で戦っている赤星君。私たちは、その痛々しい姿を感傷的に見つめるに止まらず彼の生き様から多くのことを学んで日々の生活、ひいては人生の手本の一つにしていきたいものである。日頃から思っていることであるが、人生は良いときもあれば悪いときもある、だから落ち込んだままでも浮かれてもいけない。そこに生ある限り、何某かのことを見て学び、理想の生き方をひたむきに追うということが大切なのだと思うのである。
体調不振の中で考えたことはこの他にも色々あるのだが、それはブログに披露するほどのことではないので割愛する。しかし、仕事のこと、私的なことともに"生活"についてゆっくり考えることの出来た数日間ではあった。診断結果も大したことにならずに済んだ今、明日からまた気を取り直して前へ進んで行こうと思う私である。
国を任せられるという安心感を持たせて欲しい首相選び ”国民生活を大切に出来ることが一番” [社会学]
数日前の寝違えで頸部を痛めてやや苦しい日が続いている。今日は安静に過ごしていた。明日は職場で運動会が予定されているが参加どころではないのでキャンセルの電話を入れた。今の生活は仕事をコンスタントにやっていくことで回っているので、このペースは崩したくない。頸部というのは恐ろしいもので、一旦痛めるとなかなか首が回すことが出来ない。急な動きは厳に慎むべしというやつで、途端に行動範囲が狭くなった気がする。かつて、大学時代に障害児病理保健学やリハビリテーション医学論の講義で関節可動域(ROM)についてあれこれと学んでいたが、自己の痛みをもって身体の仕組みを改めて思うものだ。
首が回らないという話をしたが、今は政界・自民党の世界がまさにそんな感じだろう。一昨日の安倍首相の辞意表明からにわかに自民党は慌しい動きを見せている。いやね、いずれは安倍君はああなるんじゃないかと思っていたけどね、割合呆気なかったよねえ。思えば参院選での大敗北が大きな契機となったんだろうけれども、あの時点でさっと辞めていればまだ良かったのだが、どうにもお粗末な結果となった。内政にあっては年金問題、外交においてはテロ特措法延長の問題(勿論、これ以外にも様々な課題が山積しているのだが、ざっくりといってこの2つに集約出来ると思う)が安倍の心臓(晋三)を苦しめたというところか。「美しい国」などという世迷言で国民を煙に巻いた積りだったのか解らないが、国民はそんなに莫迦ではないということで民意は安倍政権にダメ出しをしたのである。当然だろう、老後の生活が懸かっている問題でこれを蔑ろにするような政治に対して、それでも続けて欲しいなどという国民は本来いない(続けて欲しいと思っているのは、明日の生活に不安がない金持ちセレブな人間か、出鱈目の限りを尽くして国民の税金を貪るような卑しい公務員か、いずれにしても今の時点でうまみを味わっている階層に限られていることだろう)。しかし、安倍君はツッパリが利かなかった。要は堪え性がなかった暗愚なお坊ちゃんであったに過ぎない。
そもそもが、安倍君の本質は祖父の威光を傘に着る程度のものでしかない。二言目には「お祖父様は偉かった」ということで、祖父が果たせなかった夢を自分が実現するのだという妄想に囚われて首相の椅子に座っていただけであり、一般国民にとっては甚だ迷惑な話ではあった。口では物柔らかにさも誠実そうな顔で良いことばかり云っていた安倍君。しかし、彼が真に国民を憂えて政治をやっていたという印象は全くといって良い程残っていない。安倍君といえば小泉前首相時代に北朝鮮拉致被害者の救出に尽力という話があるのかもしれないが、あれにしたところで中途半端なことしか出来ていない。結局のところ、横田めぐみさんをはじめとする被害者の救出にまでは至らず、6カ国協議も交渉が空転状態で首が回らない。云うべきことを云えばまだ多少は評価も違っただろうけれども、対米協力なんてのも日本が進んでお先棒を担ぐような幼稚な外交ばかり。安倍君の思惑なんか世界は何とも思っちゃいない。アメリカ頼みなんて当てにならない話で、今やアメリカは中国に接近しており、日本は国際的に結局孤立するような状況に追い込まれる無様さを露呈しただけ。こんなことでこの期に及んで拉致被害問題が解決出来るなんて思っていたらお笑いだ。そんな体たらくでありながら国連の常任理事国になりたがっているので、国連分担金も割高に拠出せざるを得なくなる。そうでもなければ、今度は対テロということのために日本には直接に関係の無いイラクの治安維持に関して国連という面をかぶった積りのアメリカへの協力をさせられる。片方で、国内では年間自殺者3万人という事態。国民を粗末にする政治は自殺者数も勿論のこと、国民の福祉の切捨て(単なる介護福祉だけでなく、年金という生活そのものに響く問題を基盤にしたレベルの話だ)が政治への信頼を失わせているという構図は長期化しているにもかかわらず、安倍君は高所得者優遇の税制を敷き、それでいて再チャレンジ構想をぶち上げて国民をチョロまかしていたわけだ。「雇用のミスマッチをなくして、頑張った人間が報われる社会」とは何と「美し」かったお題目であることか。世情を全く理解出来ていないから”KY”と揶揄されたのである。挙句の果てには、政権構想が実現出来ないからということで、政権を投げ出したというお粗末振り。だが、単にお粗末なんて言葉では片付けられない実に無責任な最期であったことは誰の目にも明らかだろう。報道では、安倍君が親しい筋に対して「麻生や与謝野に騙された」なんて愚にも付かぬ泣き言を漏らしたそうな・・・。やれやれ、これで一国の首相なのか・・・。というか、こういう人間を首相に選んだのは結局のところ私たち国民なのだという理屈もあろうが、とんでもない話だ。この話は、つまりは現行の選挙制度のあり方を変えなければならないというところに結び付くものなので、単純には語れない。変えるべきと考えるのは自由だ。しかし、変えることをどう実現するのかということこそが問われるので、具体的なイメージはなかなか決まらないものだ。
上のことを踏まえたところで、私は改めて安倍君には色々とぶちまけたいことがあるのだが、彼に対しては実はもう怒りを通り越して哀れさしか感じられない。みっともないね、これだったらまだ愛人問題などで物議を醸した故・宇野宗佑君は可愛いものだったろう。結局のところ、これまでの自民党政権(連立という時代もあるにはあったが、基本的に単独政権だね)の回り持ち政治がどれだけ国民のためになったのかを考えると、お寒い事情しか残らない。利権を貪る連中だけが潤ったのであって、大抵のことにおいて国民不在のままに時代を流してきたに過ぎない。少々改革だと叫んだところで何程のことも出来やしない”小泉チルドレン議員”も罪は重い。更に云えば、彼ら”チルドレン”たちも哀れである。都合の良いときだけ頭数のために使われた”レトルト議員”という屈辱を味わっているからだ。今日は、次期党総裁(=首相)の椅子を巡って、麻生・福田両氏が立候補を表明した。麻生太郎氏が有利といわれてきたが、福田康夫氏の登場が空気を一変させているようだ。麻生君もね、愛読書が漫画というバカさがいただけない。あんなオヤジに国を任せられないと思う人間は少なくないはずだ。漫画を愛読書にして若者の感覚が理解出来るからと若者受けしての人気なんて、実に情けない・・・。麻生君も吉田茂首相の孫という七光りを気取っているに過ぎない。麻生君が醜いのは、その上更に安倍君と係累としてお友達を張っていることにある。福田君もそりゃ穏やかな人間かもしれないけれど、実務的には押し出しの利かない物足りなさが漂う。加えてご高齢であることも昔の自民党体質に戻ってしまいそうで嫌だなあ・・・。
個人に対してこれを非難中傷するということは本来私の性格には合わないけれども、首相という公人中の公人に対するそれはわけが違う。安心して国を任せることの出来る人物に首相になってもらいたいと思うのは自然なことだ。加えて、何よりも国民のことを大切にする政治を実現する人物でなければ、困るのである。そんなことを色々と感じて政治に改めて注目をしていきたいと思う私である。桝添君も頑張れ!!!
行動の選択について -大坂の役における大名の道の選択に学ぶ ①合戦準議期の家康の場合- [日本史]
人はある局面に至った時にどういう行動の選択をするのか、これが最近の私の問題関心の基本になっている。勿論、こういうことは今に始まったことではないが、この頃は何かにつけて考えさせられる出来事が多いからである。見渡せば、政界ではもう遠い話になりにけりの松岡農水大臣の自殺、続く"赤城の山も今宵限り"の赤城大臣の不正資金流用とそれを隠蔽せんとした絆創膏辞任、久間防衛大臣の「原爆しょうがない発言」による辞任・・・、とにかく枚挙に暇が無い程であったが、その局面々々でのそれぞれの人間たちの行動の選択は押並べて虚飾と曖昧、そして虚しさだけが残る居直りのオンパレードであり、モラル以前のいわば感覚の欠落した行動ぶりを感じるものとなった。そんな中で柳澤伯夫氏の後を継いだ桝添要一厚生労働大臣の決意表明に対する評価は比較的高いものとなっている。「社保庁職員はこれはもう盗っ人でしょ、盗っ人にはしっかりと牢屋に入ってもらう」、「まだ告発していないのなら今から告発してやろうと思っているくらいだ」などの発言は、この頃の年金問題の一部始終を振り返れば当然なものであり、桝添氏は一市民の生活感覚でモノを云った格好だ。尤も、この発言は聴き様によればポピュリズムに過ぎないのではないかという懐疑も起こさせる危険を孕んでいる。しかし、そうした批判をするのはこれまで不正の限りをやらかしておきながら口を拭い続けてきた悪徳政治家や官僚、そしてこれらに繋がる財界の人間たちであることは想像に難くない。彼ら所謂"お代官様"や"桔梗屋"たちからすれば、桝添氏の姿勢は「良い子ぶるな」というところだろうか。桝添氏の発言・態度が利権を貪り合う自分たちにとっては実に目障りな存在になっている。だから氏に対する彼らの抵抗は根強いのだろう。だが、桝添氏のやっていこうとする方向性は国民生活の側に軸足を持ち続ける限りは間違ってはいないと云える。国民の一人としてはこの決意表明が掛け声倒れにならないようにと願うものだ。そして、手法の差こそあれ、対立する民主党の長妻氏も桝添氏と手を取り合って国民のために活躍してくれることを期待するものである。最近の政界の中で際立った桝添氏の政治姿勢を例に挙げたが、これに限らず誰でも何かを為そうとする時にはその行動のために拠って立つものを取捨選択し、自己の定めた規範の中で行動するものである。さらには自己の自由意志で行動が出来ずに外的要因に否応なしに追い込まれることも少なくない(現実には寧ろこちらの方が多い)。だからこそ、普段の生活の中でも世間で見聞き出来る事柄に対して何かとケーススタディーをしておくことが肝要なのだということになるのだ。
こうした考え方の中で私は今、大坂の役(1614~15)に関する一冊の本を読み返している。本の題名は『大坂冬の陣夏の陣』(著;岡本良一、筑摩書房グリーンベルトシリーズ43、1964年)というものである。本書は大坂の役に関する他の類書同様に、関が原合戦(1600年)以後豊臣氏を滅亡せしめた軌跡を追い、そこに関わった大名たちの姿を描いたものである。すなわちそれは、太閤亡き後の豊臣政権が瓦解していく中で、太閤恩顧の諸大名が、新機軸となった家康に与する道を選ぶか、滅亡していく豊臣氏に殉じるかという歴史の選択を否応なく迫られた事実を検証しようとしたものであり、そして最早誰にも打ち崩すことなど叶わない実力を持った家康が、すぐにでも滅ぼすことの出来る豊臣氏を敢えて"温存"させたまま諸大名を自家薬籠中のものにしていった経緯と、彼の権謀術数に翻弄されていった大名たちの姿を検証するものである。当然ながら、戦記物のことなので勝者と敗者に二分されるのだが、注目すべきなのはいかにして勝者または敗者になっていったのかということだろう。そこに横たわる各々の大名の"行動選択"がどこまで自発意思によるものとなり得たのか、勝者・敗者ともに自らの運命を決定付けていったものは何だったのかというあたりが、本書の肝であるということが出来よう。そして、その決戦に向けて選んでいった(若しくは選ばざるを得なかった)道の良し悪しは単純に決められないことも含んで語られるところに、戦記物特有の「もののあはれ」があり古典に学ぶ意義が感じられる。
今しがた大名たちが選んでいった道の良し悪しは単純に決められないと書いたが、合戦の本質がどんなものであったのかということを考えると、実のところ道の選択を誤ったのではないかという印象を残したものも少なくない。断っておくが、私は家康政権に楯突いたのは損だったのだなどというスタンスで語る積りはない。豊臣氏にどう向き合うかということよりも、実質的に最高権力者になった家康とどう向き合うのかの方がその時代を生き抜く上で重要なのだという認識が当時の大名たちにはあっただろうからである。歴史を紐解けばそもそも秀吉が亡くなる寸前から覇権争いには凄まじいものがあった。当時の権力構図を見れば、所謂五大老の中でまずは家康が最高位であり、これに拮抗し得るのが前田利家という位置関係があったわけだが、秀吉がいまわの際に利家に対して「呉々もあの家康には用心せよ」と云ったかどうかは別として、利家は相当に家康を警戒していたであろうことは推察可能であるし、家康も自らの野望を敢えて表に出さず、周囲を刺激しないように気を配り、特に利家に対しては神経を尖らせていたと思われる。そんな風だから、家康は関が原の合戦に向けてもかなり用心深く情勢を見極め、これを自分のところに手繰り寄せていったのである。権力の行方が誰の目にも明らかに家康に有利になってもなお、家康は容易に豊臣政権打倒には乗り出さなかった。家康においては慎重細心な周到さであり、対立する側からすれば何とも厭味たっぷりな執念深いやり口だったのだが、大坂の役は寿命との戦いの意味でまさに「泣くまで待て」なかったところの出来事だったのだ。
関が原合戦において、家康が膠着状態の戦況の打開のために、この期に及んでもなおどちらに味方するか迷い続けていた小早川秀秋に対して砲撃の恫喝をしたことも焦りの表れだったとされるが、戦前に開かれた軍議(世に名高い小山会議)では、諸大名の腹を決めるべく実に狡猾な誘い文句で煽り立てたとのこと。恩賞に与りたい追従者の福島正則や加藤清正が真っ先に味方することを名乗り出たという。小早川秀秋が戦後、家康に寝返りの約束を果たすのが遅れたことを詫びた折に、福島や黒田長政はその卑屈を見て嘲笑ったというが、彼ら自身が家康の実力の程が解っていたならば秀秋を哂うことなど出来なかったはずなのだ。その意味では福島正則たちは目先の欲(戦後の恩賞)に目が眩んだだけの愚かな人物という話になる。しかし、自己の一身は元より家の存続も賭けてのこと、現実的には福島たちも内心は苦々しいところだったのではないだろうか。そもそもが関が原合戦は明らかに家康が豊臣政権を本格的に倒しにかかった端緒となったのではあるが、当時の諸大名にあっては(五大老筆頭の家康が本来、秀頼公に対する敵対心はなく、秀頼公を抱き込んだ佞臣の石田三成をこそ倒すべし)という甘ったるい時勢の捉え方があったらしい。が、それは家康の巧妙な演技によって騙される方の不明でしかない。誓書を交したから大丈夫だなどという見通しが如何にバカげていることか。外様ながら隠然たる力を秘めた伊達政宗あたりはとっくの昔にそうした慧眼を持っていたことだろう。そして、政宗自身はと云えば、太閤存命中からそうであったのだが面従腹背も良いところで、太閤も家康も政宗の知恵者振りには一杯食わされているのである(鶺鴒の花押の逸話は有名なところである)。家康が関が原合戦後の豊臣秀頼の処遇(形式的にはこの時点ではまだ家康は秀頼の臣下ということになっていたが、実質は逆転していた)について検討していた時期の政宗は、家康に対して「秀頼公を大坂城から退去させた方が不満分子の糾合を防ぐために良い」という進言をしたが、家康は「秀頼公はまだ幼く、直ちに城から退去させるのは人情として忍びない」とこれを退けたという。ところが、これは飽くまでも表向きな事で、ホンネは(ここで儂が秀頼公を大切にしていく姿を見せておけば、諸大名もこの家康の仁義深さに感じ入って靡いてくるはずだ)というものであったと思われる。家康にしてみれば、政宗が秀頼の大坂退去論を云い出したのは政宗自身が秀頼を取り込んで家康にひと戦をしかけてくることを企んでいると恐れたのではないだろうか。しかし、政宗もそこは家康に肚の内を読まれたと見るやだんまりを決め込んだことだろう。
このような情勢の下、家康は更に豊臣氏に対して念入りな誠に厭味ったらしい行動を起こす。それが「秀頼様関白にお成りの由に候」(毛利輝元書状)の一件である。すなわち、自らの征夷大将軍就任とともに秀頼公の関白宣下を世間に喧伝しながら、その実秀頼方のみ何の沙汰も下されなかったという、家康一流の無視戦術を取ったのである。ここに至って、豊臣氏側にとって"秀頼の天下"という構想が実に幻想であったことを思い知らされたかっこうとなり、騙される方が愚かなわけだが、これを信じ込む程に家康の計略が緻密だったという他は無いだろう。尤も、秀頼公の取り巻きの中には家康の罠に用心するように秀頼に諫言した家臣もいたのであろうが、秀頼の母である淀殿が哀しいまでに盲目的な権勢欲とステージママぶりでこれを退けてしまったことで、豊臣氏の運命は滅亡へと突き進むことになってしまったのである。更には、その実現の過程においては秀頼の関東下向について淀殿が随分と抵抗したとのことであるが、秀頼は家康の孫娘千姫と婚姻した。これも元々は太閤の遺言によるものであったが、太閤没後に完全に家康の思惑通りのものに変質していったのである。
以上、今回は大坂の役へ突き進む頃の家康の人物像について駆け足で述べてきたが、改めて彼の人心掌握術というか権謀術数ぶりには舌を巻くものがある。家康は後世"狸親父"と揶揄される程の狡猾さがあったと見えるが、ここぞという時に行動を起こすために爪を隠しながら待ったであろうことは、それはそれである一定私自身の生き方にも参考になっている。しかし、周りの人間に対して家康が与えた影響というのは、彼にどっぷりと靡いた人間は別として、あからさまに抵抗した人間や政宗に見られるような面従腹背の人間にとっては実にどす黒いものが横たわり続けたのではないだろうか。家康が戦乱の時代を終らしめたことの意義は大きいのだが、その後の"泰平"は詳しい方はお分かりの通り国民にとっては過酷なものになっていった。今回とり上げた家康周辺の人物の中で私が知る限りにおいては、伊達政宗が唯一人家康政権を倒し得る位置にあったように思うだけに、もし関が原合戦においてもそして大坂の役においても政宗が上杉氏と和して家康討伐に回っていたならば、天下の様相はだいぶ変わっていたはずである。まずかったのは、政宗が家康討伐の企みを疑われていた当時、その行動をスペインという外圧を利用して推し進めようとしていたことである。スペイン艦隊の力を借りようとした時に、それによって二次的三次的には、逆にスペインによる日本占領という事態を招く危険のことを政宗が意識に置かなかったのか、置いたとしてどこまで考え切れていたのだろうか、そのことは秀吉の禁教令発令(1587(天正15)年)の教訓を踏まえて考えるべき話であり、政宗にそこまでの外交感覚があったのかが私の関心の一つになっているのである。
このシリーズは、次回以降は大坂の役に進んでいく過程でのその他の諸大名の生き様に迫っていく積りである。家康がじわじわと権勢を剥き出しにしてきたとき、周囲はどのように受け止め行動を選んでいったのか、そしてもし私自身がその状況にいたとしたらどんなポジショニングをとっただろうかということを考えてみたいと思う。
参考サイト) 大坂の役Ⅱ(大坂夏の陣)エピソード高校日本史 坂口安吾-家康
映画評 「善き人のためのソナタ」 -生の証としての"自由"を得るために闘ったドイツ市民の物語- [映画]
私は先にこのブログにおいて、今年は映画鑑賞を自分の趣味の一つに定着させたいと書いてきたが、この頃はやっと本当に定着してきたという感覚がある。別段水野晴郎氏の言葉を借りるわけではないけれども、やはり映画は良いものだ。映画の世界には日常では味わうことの出来ないものがあるのがしみじみとわかる。単純にスクリーンを通してそこに映し出される様々なものを観るわけだが、描かれたものが何であれ、観入っていくうちにその世界に自分自身が同質化していく感覚の何と幸せなことか。映画の中の世界は、それがフィクションであれノンフィクションであれ、観る者の五感、時には第6感までも刺激してくる。これはごく当たり前な話なのだが、映画というものはそれを観る者に対して「こんな世界をお前はどう観るのか」といういわば単なる鑑賞眼を超えた世界観・社会認識を問いかけてくるものだと私は思う。勿論、これは社会派的な作品を観た場合の話であるが、とにかくこれまで映画館に足を運んで観た作品はいずれも社会派の作品ばかりであり、今のところそれ以外のジャンルにはなかなか食指を伸ばす気になれない。要は、人間いかに生くるべきかというような哲学的な問題意識から始まって、その問い以上に、自分自身の日常の生活感覚を問い直してみたいという欲求へとつながるものとして、映画鑑賞を一つの大きな手段に取り入れているというのがこの頃の私の映画鑑賞作法になっているという思いがある。
そんな前置きをした上で、今回も映画の話。今回で鑑賞作品が5つ目。3日前に職場の最寄り駅付近の映画館でその作品が上映されていることを知り、昨日鑑賞してきた。作品は『善き人のためのソナタ』(原題;Das Leben der Anderen, 2006年、ドイツ)。この作品、実は今年の春頃に既に公開されていたのだが、その時は時間が取れず観逃していたものだった。しかし、思いがけず身近な場所で時期外れの上映をしてくれていたことで機会を得た。時期外れと云ったが、小さな映画館の場合は、ロードショーが終わった後に何ヶ月かをおいてフィルムが回されてきて上映してくれることが往々にしてあるので、観逃した人にとっては有り難いものだ。
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物語の舞台は、1984(昭和59)年の東西の壁が崩壊する5年前の東ベルリン。東西冷戦下、旧東ドイツ(DDR,ドイツ民主共和国)では国民統制のために国家保安省(シュタージ)が徹底的に国民監視をしていたことは周知のことである。社会主義や共産主義の体制では国民の自由意志・思想は認められず、反政府的と思われたが最後、刑務所に放り込まれるという独裁国家の旧東ドイツ。戦前戦中の日本の特攻も反動的なものに対する仕打ちの恐ろしさでは負けてはいないと思うのだが、実にどす黒い歪みまくった国家の時代がドイツにはあったのだ。シュタージの局員であるヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は、国家の命により劇作家ゲオルク・ドライマン(クリスチャン・コッホ)とその恋人で女優のクリスタ・マリア・ジーランド(マルチナ・ゲディック)が反体制的であることの証拠を掴むために盗聴を開始する。この指令はクリスタを我が物にしたいという時の大臣ヘンプフの個人的な欲望から始まったものだった。ヴィースラーはそんな事実を知らぬままに、国家的忠誠心に基づいて盗聴操作を始めた。ドライマンの留守中に部屋に入り込み、室内のあらゆる場所に盗聴器を仕掛けていく(バスルーム、トイレに至るまで!盗聴はここまで微に入り細に入りなのだ)。
ある晩、ドライマンの誕生日が彼の自宅で開かれた折に、招待客の一人で演出家のイェルスカがドライマンに「この曲を本気で聴いた者は悪人にはなれない」という言葉とともに”善き人のためのソナタ”というタイトルの楽譜を贈る。イェルスカも反動的であると睨まれ、職業活動を禁止されている身であったが、ドライマンにとって師とも云うべき存在の男だった。ドライマンはイェルスカが再び仕事が出来るようにと運動を起こしていくのであるが、それは後の話。この晩、パーティーが終った後のクリスタとの燃えるような情事の一部始終までヴィースラーは盗聴により記録に残していった。その後、ヴィースラーはその盗聴において、ドライマンが奏でるイェルスカの作品”善き人のためのソナタ”の音色を繰り返し聴くことになる。併せて、盗聴器から聞こえてくるのはドライマンとクリスタの自由な生活ぶり。日常会話や情事に象徴される自由な生き方の前に、ヴィースラーははからずも一筋の感涙を流すのであった。
シュタージの恐怖は、ヴィースラーでさえ震撼させる。彼の学友だったシュタージの部長グルヴィッツは、ヴィースラーが教官を勤めるシュタージ養成学校の学生の会話にまで立ち入って、ほんの些細な戯言でもそれが反政府的と見做せばこれを許さずという冷酷さを見せ付ける。国民統制は斯くあるべしというグルヴィッツに圧倒されるヴィースラーだが、元々が国家に忠実な吏員でもあり、ドライマンやそのシンパたちへの監視活動は次第にエスカレートしてゆく。片や、ヘンプフ大臣はとうとうクリスタを陵辱するに至り、それをドライマンに見せつけることでドライマンの芸術家としての思想信条に揺さぶりをかける。イェルスカの演出家としての活動を再興させるためにドライマンは運動を展開しようと目論見、その下地となる記事を新聞に投稿するために原稿を執筆する。が当局の監視を免れるために、原稿とそれを打ち出したタイプライターを自宅の床下に隠し、時を待つのだった。ヴィースラーはこのことについては敢えて見逃していた。ところが、これに待ったをかけたのが当局部長のグルリッツだった。彼は、クリスタを禁止薬物の所持・服用の廉で捕縛し、刑務所に拘禁した後、「もはや我々は学生ではないのだから」という言葉で、ヴィースラーにクリスタへの尋問を命じる。ドライマンとの赤裸々な生活ぶりを既に把握しているだけにヴィースラーもそこは冷徹に尋問をするが、これによりクリスタは恋人ドライマンをシュタージに売り渡してしまう。
ここから事態は一気にドライマンの逮捕劇に進んでいくのだが、その直後に身近な生活だけでなく世界情勢は大きく変貌する。クリスタは最後まで、ドライマンを庇い続けて自殺する。が、ドライマンの政治的運動の証拠である新聞記事の原稿とタイプライターのありかについてヴィースラーが見逃したことをグルリッツは責め、ヴィースラーは左遷されてしまう。そして数年後のある日、同じ社会主義・共産主義体制のソヴィエト連邦がM.ゴルバチョフの登場により崩壊し、冷戦構造が揺らぐ。さらにベルリンの壁崩壊・・・。ここに至ってヴィースラーの環境も慌しく変わる・・・・。
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ストーリーはあらかたこんな展開なのであるが、ヴィースラーの目を通して観た旧東ドイツの暗黒の時代のことが丁寧に描かれていた印象を受けた。当時の政治体制のことは私も良く覚えていて壁の崩壊のニュースには小躍りしたものだった。長きにわたって国を分断し、人間を分断してきた壁、思想をはじめとする「自由」を抑圧してきた壁が取り払われたことはドイツ国民の切実な願いであったこともその映像から良く感じていたからである。それだけに、それ以前の共産圏の国家の密告社会の怖さというものがどれだけのものであったろうかということをこの作品を通して改めて想像したものである。私は作品の中で主人公ヴィースラーの心の動きというものが良く表現されていたので、彼が単に冷徹な人間なのではなく個人としては血の通った一面があることから、国家主義的な視点と個人の生き方を追及する視点の両方から主人公の人物像を辿った。その中で、社会体制を変えてゆく力がどんなものであるか、冷徹な人間にも宿る一掬の情というか自然な人間性を呼び起こす原動力とは何なのかということを改めて考えさせられた思いである。「生きる」ということについての姿勢として、「自由」であることがどれ程貴重なことであるのかをヴィースラーをはじめとする登場人物それぞれは教えてくれる。劇作家や女優という立場からの人生と国家主義思想に固められた人間からの人生観にはどうにもならないほどの隔たりがあるが、勿論、国家主義思想に漬かり切った人間たちの価値観やや生き方を単純に否定するべきでもなく、そこに横たわったヒューマニズムの視点から感じ取ることの出来る国家としての構造的矛盾をこそ抉り出して検証することが不可欠だというのが、ナチスに始まる負の遺産を背負い続けるドイツの国民の総じての恒久的課題になっている。そのことに思いをいたして、私たち日本人も歴史に学び続けていかねばならないと痛感したものである。
この4月から映画館で5作品を見てきたが、やっと繰り返してでも観たい作品に出逢った気がしている。既に先月、DVD化されているとのこと。買っておきたいと思っている。ちなみに情報によれば、7月下旬に主人公ヴィースラーを演じたウルリッツ・ミューエ氏は胃癌により54歳という若さで逝去されたとのこと。ここに哀悼の意を表して、映画評を奉げる次第である。
心に響く映画 『善き人のためのソナタ』 - [ドイツ]All About
くたばれ、福祉! -人間性皆無の施設福祉現場に喝!!!(五色精光園職員の虐待問題から)- [障害者福祉]
暑い、本当に暑い、たまらなく暑い。こんな気候では何をするにも元気が出ない。一説には地球はあと50年も保つかどうかという程の異常気象。これも偏に温暖化の進行が激しいことによるのは理の当然というべきか。このところのこの厳しい残暑の煽りを食って、筆者もついついブログの更新をサボりがちになってしまい、とうとう中4日空いてしまった。今月に入って早くも1週間なのに今日でやっと2回目。先日のブログ開設記念日から数えても4回目、とにかくしんどい2週間ではあった。夏が暑いのは当たり前だが、つまるところ本当にしんどいのはこれからの3週間ほどではなかろうか。正に夏の疲れがどっと押し寄せてくるのだ。皆さんはどのようにお過ごしだろうか。勿論、少々しんどくても仕事は休めないのがサラリーマン。私はといえばこれでもまだ非常勤職員という立場だから何とかしのげているところ。
そんな中、今月冒頭は筆者自身にとっても実に気分の良くないニュースが飛び込んできた。それが以下の記事である。例によって各紙共通の内容として要約を載せておく。
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兵庫県洲本市所在の知的障害者支援施設「五色精光園」の成人寮で、いずれも男性の成人支援課長補佐(53)と支援員(43)が、知的障害のある入所男性18人の下腹部の体毛を切るなど人権侵害をしたとして、県社会福祉事業団は31日、同日付で課長補佐を懲戒解雇、支援員を解雇したと発表した。園長と成人支援課長も減給などの処分にした。
課長補佐は2月21日、18人を入浴させた際、下半身の毛をはさみとくしを使って短く刈った。支援員は6月5日、うち40代男性1人の下半身の毛を安全カミソリでそった。
7月下旬に内部告発があり判明。2人は「衛生的に問題があるのでやった」などと釈明しているという。他の職員もその場にいたが何も云わなかったという。同事業団は「意思表示が出来ない障害者に対して許されない行為」としている。同事業団は「被害に遭った入所者や保護者らに謝罪した。虐待と人権侵害に当たるため、重い処分を課した」としている。また監督責任を問う意味で、園長(59)を戒告、支援課長(57)を一カ月間、日給を半分に減額する処分にした。
同事業団は兵庫県が全額出資する社会福祉法人であり、指定管理団体として同園などの施設を管理運営。職員は事業団が雇用しているという半官半民の福祉法人である。
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このニュースを知り私は唖然としたと同時に実に情けない思いになった。というのも、この施設はかつて私が勤務していた施設だからである。私は今を去ること10年近く前に同施設の児童寮に児童指導員として勤務していたのである。これが精光園でなくてもこういう問題が起こるたびに福祉に携わってきた一人として恥ずかしい思いになるのだが、よりによってかつての職場で発生した事案ともなると心中穏やかならぬものがある。同事業団は半官半民という性格上、職員は準公務員と位置付けられる。福祉事業者の中でも公的性格の濃い法人であるからして、そこに勤務する職員の勤務意識にはそれ相応なプライドがあるようだった(少なくとも私が在職していた当時は)。余り内輪のことを語るのは職務規定違反になってくる恐れがあるので慎重に言葉を選んでいくつもりだが、実際にこういう問題が起こってみると本当にやりきれない思いでいっぱいになる。この施設でも何年かの単位で人事異動があるのだが、問題になっている元課長補佐などは私の在職当時からいた人物ではないのだろうかという不安がよぎったのである。
児童寮と成人寮に分かれた同園の支援体系の中では勿論各々の職員の顔は比較的見え易いものがあり、「今年はあの人は児童寮に配属になったなあ、あの人はどうなんだろね」なんていう会話が年度始めには職員の間で起こるのが常であるので、どんな些細なことであってもすぐにわかる。このことは私は大変、誤魔化しが利かない点において大切なことだと思っているのだが、反面、身内意識というのか庇い立ての横行のようなことがデメリットという印象もあるのだ。辞めた人間が云う事ではないかもしれないけれども、私は事業団に就職してこの施設に配属になって3日のうちに「こういう環境は自分にとって長く居るべき場所ではないな」と感じていたものだった。ただ、それだけにそもそも私自身が高校生時代からあたためてきた福祉マインドをいかんなく発揮して、この狭い世界からでも俺が日本の福祉を変えてやるという高い理想を持って働いていたものだった。
変えてやるといったのは実のところ大袈裟な話ではない。内部に居るとそこで起こっていることの問題性についての認識は世間一般のそれとは隔絶されたものがあり、「一体何がそんなに問題なのか」と云わんばかりの開き直りも福祉現場には少なくない、私の中では当時から社会福祉現場のイメージはそんなものだった。ここでよく云われる台詞として「大多数の職員は真面目にやっている」というコトバがあるが、私は甚だ懐疑的な気持ちを持っていた。社会福祉という人間の生活の基本を支える世界のこととはいえ、所詮はハコの中、施設内部のことは世間ではベールに包まれていて実態はなかなか見えにくいものであるからして、職員は何とでも環境を左右することだって可能なのだ。この辺りは、学校現場と大差は無い。こんなことを云えば福祉や教育の現場に対して明らかに挑戦的な態度だと思われることだろうが、当然その積りである。
学校や福祉の現場のことをろくに知らぬ奴が偉そうにほざくなと感じている人たちに私は敢えて云う。そういうあなた方こそ一般的な常識的な、ごく人間としての当たり前の感覚というものを解からないままに、立場の弱い相手に向き合っていることで自分が偉くなった気でいるのではないか、と。学校にあっては子ども、施設にあっては福祉支援を要する立場の人々・・・。どちらも職員から見れば弱い立場の人間たちである。そういう方々に向き合うときの心構えとして、基本的にやってはならないことくらい判断がつかないのかと憤りを覚えるのは私だけだろうか。
これは私が中学生の頃の話である。私は中学を転校した経験があり、転校先の学校にはなかなか馴染めないものがあったのであるが、一つだけ誰にも負けないものがあった。それは根っからの正義感というやつで、理不尽なものに対する抵抗ということについてはとにかく神経質なまでの私だった。もっとも抵抗といっても、いわゆる校内暴力などという派手な問題行動で表すのではなく、正当なることを正当なる方法で真っ当に訴えることにこだわってきた学生時代だった。思想的にどうとかの意識は無いが不条理なものに対する批判の精神は中学の頃に叩き上げてきたという自負はある。転校先の学校では当時、全校生徒が恐れに恐れている女性美術教師がいた。その教師の美術に対する考え方がどうとかはわからなかったが、生徒泣かせな教師としては筆頭格の教師だった。忘れ物といっても色鉛筆や絵の具の1色でも忘れたら往復ビンタを食らわせていた。それも何月何日という日付の数字の合計の回数分食らわせるという実に常軌を逸したやり方の上に「尻たた木」などというものを自分で作って持ってきてはそれを使った体罰をしていた教師である。これを当たり前と見るかどうかは皆さん一人ひとりの判断だが、私はそんなものクソ食らえということで、当時は時に故意に絵の具を不揃いで持ってきたりして徹底的に反抗的な態度をその教師にしていったのである。当然彼女は怒り狂ったものだが、ある時私は例によって彼女が体罰をしようとするのである程度されるがままにして時を待った。彼女は手製の叩き棒を忘れたために手持ちの傘で叩きに来て、弾みで傘が壊れるほどだったのだが、これを受けた直後に私はその教師に同じ分だけとまではいかないまでも逆襲をした。彼女はまさか自分が生徒から返り討ちに遭うなどとは思いも寄らなかったのであろう、ひどく興奮してしまい当時この問題学校中の噂になった。何人かのクラスメートは「お前、あの先生に反抗するなんて誰にも出来んかったことやぞ、すごいなあ」と驚嘆していたが、私にしてみれば「それは違う、お前らこそあんなバカげたルールで生徒を縛ろうとする先公の理不尽に抵抗しないのがおかしいのだ」という理屈であった。されるがままであれば良し、反抗的態度を見せれば内申書評価を低くする、という”恫喝”は私の中学生時代から健在なことであったのだ。子どもの弱みを握ってやりたいように生徒を管理する、そんな理不尽は他の誰が我慢していようとこの俺は絶対に許さない!当時の気持はそんなところだったのだ。
こんなエピソードからもご理解いただけると思うが、私は実に反骨精神の旺盛な子ども時代を送ってきた。だからこそ、話を元に戻すが今回のような卑怯卑劣・そして下劣な神経で引き起こされる行為は正に唾棄などというコトバでは済まないほどの憤りと情けなさを覚えるのである。だからこそ社会福祉業界の質の低下ということについてはついつい敏感にならざるを得ない。何よりも福祉業界の人間の卑しさは、向き合う相手が自分よりも立場が弱い人間だということが前提になっているが故に生まれるものだと私は思っている。施設職員の要支援者(施設利用者・入所者)に対する問題行動はセクハラ・虐待が圧倒的に多く、彼ら実際にあってはならないようなことをしている職員階層の実態の相場は犯罪三昧もいいところと思っておいて良いだろう。これを決めつけだと反発するなら好きに反発すれば良いと思うが、人間として恥ずかしいことをしていることの認識を持てば反発など出来た義理ではなかろう。何だって、衛生管理のためだって?笑わせるんじゃねえよ、いくら彼ら障害を持つ人たちが自己管理が出来ないからといって、下腹部の体毛を剃っている時の瞬間的な気分はどうだったのだ?同性相手だから問題ないことと思っていたのか、行為の質を考え直してみやがれってんだ!!!
私はこの施設には10年ほど前に3ヶ月ほど勤務して程なくして辞めた。当時は折角の就職口を失うことで経済的なことも含めて不安でたまらない面もあったが、今にして思えばあの時点で辞めておいて良かったという思いがある。あのままこういう世界で埋没しなくて本当に良かった。その後の私の歩みはまたまた茨の道にはなったけれども、それはそれで常に志を持ち続けて今に至っていることなので後悔はしていない。今回のこのありうべからざる施設福祉の事件を見つめて、そんなことをつらつらと感じたのであった。
参考新聞記事
iza「障害者18人の体毛切り取る 男性支援員を解雇」事件です‐事件ニュース
参考ブログ
秀吉の狂気について -”英雄”と評される者の実像は所詮こんなものなのだ- [日本史]
今日から9月、いよいよこれからは錦秋の秋。観光と読書の楽しい季節である。それでなくとも日頃から暇さえあれば手当たり次第に色んな本を読んでいる私であるが、この頃はその読み方がすっかり変わって、かなり適当になっている。じっくり1冊を読み込むというよりも一日に何冊かを少しずつ読む形になっているのである。とは云うものの新刊本はなかなか買うことが無い。手持ちの本を読み返すのが専らである。2、3度読めば大抵は卒業ということになるのだが、私はどこまでも卒業出来ないでいる。過去の本を繰り返し読むという意味では結果的に1冊の本にじっくり向き合っていることになる。そういう中で時代の変化を感じることが出来るのは、本来は新刊本なのであるが、それに寄らずとも今の尺度でちょっと前の本を手にしても隔世の感があると思えるものだ。それは世相を論じた本も然ることながら、私の好きな歴史モノ等は解釈が変容するので、10年前、20年前とは格段に異なっているのも読み取れるのである。
歴史モノを読む場合に前提としなければならないのは勿論、今までに発見された史料群の数々である。そしてそれらをどう読み解くのかということがデリケートな問題になっていることは云うまでも無い。史料が語るものも虚実綯い交ぜになっているものが少なくなく、例えば平家物語と吾妻鏡でも同じ治承動乱(源平合戦)の描き方も対称的であるし、本能寺の変直後の豊臣秀吉のいわゆる「中国大返し」における情勢のとらえ方も対称的な解釈がある。すなわち、秀吉は信長が滅ぼされたと知ったときに嘆き悲しんだか喜んだかというレベルからその後の天下統一への推移を見ても明らかに秀吉という人間の二面性が見受けられ、ために一農奴からの成り上がりの漢が最高権力者になったことで引き起こされる表現し尽くし難いまでの狂気としての「朝鮮出兵」とその敗北、という没落のシナリオが歴史に刻まれることになったのも納得のいくものであると云えよう。このブログでは以前に上杉謙信の人物像に迫る記事を書いたが、今回は秀吉という男についての印象を書いてみたい。
日本史上最高の出世頭(成り上がり者)である豊臣秀吉。その名は燦然と輝き”戦国の3大英雄”と称されること久しく、歴史のお勉強で思い浮かびやすい名前となっているのは周知のことである。秀吉の出自については足軽の子というのが通説であったが、実質は後世の江戸時代末期でいうところの郷士クラスの子であったというのがこの頃の解釈のようである。いずれにしても出発は身分卑しかったことだけは確かなようである。秀吉は後に朝廷に関白を奏請した折には、自らの出自の卑しさを覆い隠そうとして「自分は日輪の子である」などと嘯いたり、「自分の母親は然る公家の娘である」などという馬鹿げた理屈を実しやかに語ったと伝えられている。余程のコンプレックスの種であったのだろうが、草履取りからトントン拍子に出世したことが増長慢にさせたことも中国大陸侵略などという人格破綻的な暴挙に帰結する淵源となったのは自然な理屈だろう。
人格破綻の材料はこれだけに止まらない。切支丹弾圧は日本の占領を企図した南蛮人たちの野望への防波堤的政策として止むを得ざる仕儀ではあったが、甥の秀次の一族へのジェノサイドは惨憺たるものであったという。秀次が酒乱の傾向強く、残忍な振る舞いが多かったというのもよく云われているところである。妊婦の腹を切り裂いたとかという話は余りにも有名な話であるが、ただし秀吉の秀次への仕打ちはそんなものでは済まない残虐なものであったと史料は記す。僅か3歳程の幼児も含めて妻子眷族全てを一同に晒し首の姿に変わり果てた秀次の前に侍らせこの首を拝ませた上で一人ひとりを惨殺していったというのである。哀れを誘うのは、3歳の子どもが他の子どもが殺されていくのを見て恐怖に怯え、その母に縋るのを容赦無く引き剥がし、母の目前で数回にわたり胸を刺し続けるという殺し方をしたという。子の母はこれを見て狂気の沙汰となり程無く斬首されるに至ったという。このような殺戮は、平氏滅亡の折の平宗盛父子の処刑の図にも匹敵する残酷さであった。宗盛の処刑の折には、その子”副将丸”は当時僅か5歳程。宗盛は処刑の前にこの副将丸と最後の別れをするのだが、翌日に桂川で柴漬(ふしづけ-体を簀巻きにされて石籠に押し込めて水中に沈めるという処刑方法)にされたとのことである(平家物語延慶本による)。またもう一人、平維盛の子”六代”もまたその殺され方は凄絶なもので、壇ノ浦敗戦後の護送中に護衛兵の指令で乳母に刺殺されたという。この際の乳母もまた豊臣秀次の側室同様に狂乱してしまったとある。
時代を超えて、武家社会における子どもの処刑というものはおよそ温情あるものは皆無に近く、後々の反逆を恐れての見せしめとして、残虐な殺戮になったことは否定出来ない。それは平清盛による頼朝助命の禍根が下敷きになっているのであるが、話を秀吉の所業に戻すと斯くの如き秀次一族の誅滅を見るに及び、秀頼に溺れまくっての精神異常を思わずにはいられない。記録によると、そのベタ惚れは凄まじく、余りに可愛くて側室の淀君共々に「”口吸い”(今で云うキス)をしまくってやるからね」というなんとも破廉恥な手紙を書き送ったとのこと。秀頼が実のところ石田三成と淀君の間の子であることを秀吉は知らずのままに思い込みながら死んでいったのか、それとも知りつつもというところなのかは判然としない。が、ともかく秀吉は愛欲に耽り、権勢に驕り、見境の無い領土欲に目が眩み、そして老醜を晒しながらこの世を去ったという実にお粗末な終末を迎えたといってよい。こうして見てくる限りにおいて、彼のどこが然程に英雄なのかという思いに駆られる。秀吉は殺戮を好まないという逸話も実のところは大嘘で、その残忍さは信長にも劣らないものだと思う。三木合戦においての別所家に対する仕打ちは兵糧攻め。これも1年余の間の攻防戦であったが、篭城した別所家の食糧輸送路を絶ち、数多の餓死者を出さしめる凄惨な図に終わった。武家社会のことだから斬り合いで死ぬのはまだ自然なのだが、飢えさせるというのは余りにも酷い戦法であったことは想像に難くないだろう。最後には篭城する兵士同士の人肉を食い合ったというのは筆舌に尽くし難いものだ。すぐに殺さないだけ残虐なのである。こういう所業をしての”英雄”という評価は果たしてどうなのだろうかと思う。秀次を殺したのも秀次の才優れたるを恐れての追い落としであったろうし、石川五右衛門の釜茹での刑も余りな見せしめであった。
一体最高権力者というものは押しなべてこのような残虐性を一面に持っているのだが、それは裏返せば、本人の臆病さを如実に表すものだろう。余談だが、韓国の大統領は歴代、退任と同時に逮捕されるという傾向が続いているらしい。その殆どが汚職が関ってのものと云われているが、現大統領はこれを恐れて自ら法律を変更して大統領任期を引き延ばそうとしたと云われている。追い落としの恐怖に慄いて自らに都合よく政治をいじるというのは、それだけ権力者といっても脆弱さを抱えているということの証だという印象を改めて感じた次第である。
今日採り上げた秀吉に関する史料・著述については各種のサイトでご確認いただきたくここでは割愛することをお許しいただきたい。











