学生の学びへのモチベーションと学費の関係について [社会学]
このところ、ブログの更新が全く滞っており、どうにも煩雑な日常が解消されないことを改めて実感している。
前回の記事は、ある友人の訃報に関するものだった。これもご無沙汰の中のアップ記事だったが、今日はそれからさらに1ヶ月が経ってしまった。この間(かん)の私は、基本的に仕事や大学の勉強漬けの毎日であったが、それも間もなく大学の生活一本になる見込みである。今年度も残すところあと5日。ということで、私の児童相談所での5年間の勤務生活が任期満了となるからである。残すは、次の日曜日(3/29)の夜勤のみ。
考えてみれば、やはり5年間は長かったと思う。終わってしまえばあっという間ではあるのだが、世間も私個人も色々と環境が変わり、時代の移ろいを感じるものだ。変わっていないのは私自身の精神年齢なんだろうかなんて思ってしまうけれども、最近はとにかく自分の年齢を忘れて、学生という身分のおかげか若やいで20代前半に戻ったかのように日々を過ごしている。やはり社会人になってから再開する勉強のほうが充実感が違うし、通信教育課程で学ぶ身としては、もちろん全国の学友と直に会う機会など殆ど無いわけだが、それでもスクーリングに出れば、おお、やっぱり大学生の集団なんだなと妙に感激してしまったりする。そこに集う学生たちの群像は様々なものがあり、学びの目的意識もバラバラで面白い。私は母校の大学の通信課程で学んでいるわけだが、昔の学生と今の学生の違いなんて有り触れたことを言うつもりはない。ただ、以前は、本学の学生が一癖も二癖もある人間の集まりのように感じたことがあったが、今は違う。そもそも、学生の時期というのはみんなどこの大学でも多かれ少なかれ変わり者の集団になっているんじゃないかと思う。それは、かつての一期校・二期校なんて謂われた時代の学生像とは決定的に異なるものだと思うが、今はいわゆるスタンダードというもののあり方が変容しており、変わっているといえば皆どこでも押並べて変わっているし、自分が変わり者だと思っているような学生ほど、それほど「変わってる感」が無いように思うのは私自身が年を喰ったせいなのだろうか。少々の変わり者では驚きゃしない。
そのような集団に成り下がったイマドキの学生にとって、学びの世界とはどのように移っているのだろうかと、ふと気になるものがあった。通信教育課程の学生集団の中にあって、かつての通学部課程の学生のそれとの質的な違いと問われると、勉学に対するモチベーションがやはり通信課程のほうが強いように思う。それは、社会人学生であったり、今までなかなか思うように大学に進学する機会が無かったりすることによる、知への渇望とも言うべきものがあるからだろう。でも、もちろん、通学部の学生がモチベーションが低いと言いたいわけではない。通学部の学生であろうと無かろうと勉学意欲のある人薄い人は様々であるからだ。ただ、何故違って見えるのかといえば、それは私が見るところ、学費にまつわる事情が大きいように思う。これは私の母校の大学の学費制度がその理由になっていると思われる。私の母校の場合、通信教育課程の学費は単位制学費となっている。これは必要な単位数分の学費というものであり、1単位当たり幾らの勘定で、その年度の履修単位分の学費総額が定まる形である。これは、無駄な経費をかけさせない意味では明瞭なシステムとして評価できるものである。もちろん、単価の設定の妥当性が充分に吟味されることを前提にしてのことだ。そこに来ると、通学課程の学生の学費は内訳が明瞭でなく大雑把に感じられる。そのあたりは、次年度に際履修をしても何をしても構わないためでもあろうけれど、設定される学費は通信教育課程のそれに比べると割高であるように感じる。通信課程の学生の場合、再履修になればさらにその分の学費が掛かるのだが、それは費用根拠が明瞭なだけフェアーなものである。ほぼ必然的に、再履修にならないように、その年度内に単位が修得できるように学生が頑張って勉強する動機付けにもなる。
こんな学費体系の違いを考えるだけでも、大学生の学びに対する意欲の差は表れるのだろうなと、新年度を迎えようというこの時期にふと感じたのである。
前回の記事は、ある友人の訃報に関するものだった。これもご無沙汰の中のアップ記事だったが、今日はそれからさらに1ヶ月が経ってしまった。この間(かん)の私は、基本的に仕事や大学の勉強漬けの毎日であったが、それも間もなく大学の生活一本になる見込みである。今年度も残すところあと5日。ということで、私の児童相談所での5年間の勤務生活が任期満了となるからである。残すは、次の日曜日(3/29)の夜勤のみ。
考えてみれば、やはり5年間は長かったと思う。終わってしまえばあっという間ではあるのだが、世間も私個人も色々と環境が変わり、時代の移ろいを感じるものだ。変わっていないのは私自身の精神年齢なんだろうかなんて思ってしまうけれども、最近はとにかく自分の年齢を忘れて、学生という身分のおかげか若やいで20代前半に戻ったかのように日々を過ごしている。やはり社会人になってから再開する勉強のほうが充実感が違うし、通信教育課程で学ぶ身としては、もちろん全国の学友と直に会う機会など殆ど無いわけだが、それでもスクーリングに出れば、おお、やっぱり大学生の集団なんだなと妙に感激してしまったりする。そこに集う学生たちの群像は様々なものがあり、学びの目的意識もバラバラで面白い。私は母校の大学の通信課程で学んでいるわけだが、昔の学生と今の学生の違いなんて有り触れたことを言うつもりはない。ただ、以前は、本学の学生が一癖も二癖もある人間の集まりのように感じたことがあったが、今は違う。そもそも、学生の時期というのはみんなどこの大学でも多かれ少なかれ変わり者の集団になっているんじゃないかと思う。それは、かつての一期校・二期校なんて謂われた時代の学生像とは決定的に異なるものだと思うが、今はいわゆるスタンダードというもののあり方が変容しており、変わっているといえば皆どこでも押並べて変わっているし、自分が変わり者だと思っているような学生ほど、それほど「変わってる感」が無いように思うのは私自身が年を喰ったせいなのだろうか。少々の変わり者では驚きゃしない。
そのような集団に成り下がったイマドキの学生にとって、学びの世界とはどのように移っているのだろうかと、ふと気になるものがあった。通信教育課程の学生集団の中にあって、かつての通学部課程の学生のそれとの質的な違いと問われると、勉学に対するモチベーションがやはり通信課程のほうが強いように思う。それは、社会人学生であったり、今までなかなか思うように大学に進学する機会が無かったりすることによる、知への渇望とも言うべきものがあるからだろう。でも、もちろん、通学部の学生がモチベーションが低いと言いたいわけではない。通学部の学生であろうと無かろうと勉学意欲のある人薄い人は様々であるからだ。ただ、何故違って見えるのかといえば、それは私が見るところ、学費にまつわる事情が大きいように思う。これは私の母校の大学の学費制度がその理由になっていると思われる。私の母校の場合、通信教育課程の学費は単位制学費となっている。これは必要な単位数分の学費というものであり、1単位当たり幾らの勘定で、その年度の履修単位分の学費総額が定まる形である。これは、無駄な経費をかけさせない意味では明瞭なシステムとして評価できるものである。もちろん、単価の設定の妥当性が充分に吟味されることを前提にしてのことだ。そこに来ると、通学課程の学生の学費は内訳が明瞭でなく大雑把に感じられる。そのあたりは、次年度に際履修をしても何をしても構わないためでもあろうけれど、設定される学費は通信教育課程のそれに比べると割高であるように感じる。通信課程の学生の場合、再履修になればさらにその分の学費が掛かるのだが、それは費用根拠が明瞭なだけフェアーなものである。ほぼ必然的に、再履修にならないように、その年度内に単位が修得できるように学生が頑張って勉強する動機付けにもなる。
こんな学費体系の違いを考えるだけでも、大学生の学びに対する意欲の差は表れるのだろうなと、新年度を迎えようというこの時期にふと感じたのである。







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by 過去最高記録更新中!何もしないでなぜ儲かる!?秘密の方法を限定公開中。今すぐクリック! (2010-05-05 14:58)