ある友人の訃報(1) [プライベート]
先日は悲しい知らせが私の携帯電話に舞い込んできた。それが見出しの一件である。
電話が入ったときは、私は業務の電話対応の最中ですぐにはこの知らせを聴くことができず。後追いの電話によって奥さんから聴いたのだが、3時間経った今でも気持ちの整理がついていない。何でも、昨夜バイク事故になってそのまま還らぬ人となったのだということだった。まさに青天の霹靂というやつだ。何で死ぬんだ、バカヤロー!
彼とは、予備校時代に知り合った。私は高卒後しばらく病院通いの暮らしをしていて3年浪人して大学(本学)に入学したのだが、浪人3年目に通った予備校、それが彼との出会いであった。
互いに長めの浪人生活ということで、苦しい時期を励まし合う仲であった。時には授業がつまらなくなった日に一緒に予備校を抜け出して遊び呆けることもあったが、なかなか気の良いヤツだった。彼と励まし合ったから浪人時代を乗り切れたわけで、それがあればこそ今日まで友情を保ち得てきたわけだ。
彼はもちろん彼自身も色んな紆余曲折を経ているが、最近7年程は通関士の業務に志を得て資格を取り転職をするという具合に自分自身の夢を実現しキャリアを積んできた。
その最初の頃は持病絡みで転職についてとても不安がっていたのを、私がとことん励ましていたものだった。私自身もまた当時は大学院生活に敗北し無職生活でどん底の状況ではあったが、気持ちだけは何故か圧倒的に私の方が強くいられていたため、むしろ私が彼を励ます役であった。「可能性があるなら、怖がらずに挑戦していけ」何度となく彼を励ましていたものだったが、そんな私も志を持っている彼の存在が支えになっていた。
この励まし合いが、彼と私の20年近くの友情の原点だったし、これからも生涯にわたってそうあり続けたかったのに、彼は呆気なくこの世から消えてしまった。
この悲しさ、寂寥感は筆舌に尽くしがたいものがある。彼が奥さんと出会ったことや婚約したことについて楽しそうに語っていた顔を私は今でも忘れられない。それを思うと、仲の良かった奥さんの悲しみはなおさらで、どんなに辛いお気持ちだろうかと、心配になる。他人が心配してどうなるものでもないが、それでも残酷すぎる。
仮通夜は、結局私が最後の訪問者となった。仕事が終わってからの駆けつけのため、大幅に遅れることは事前に奥さんに連絡済ではあったが、会場では丁重なご挨拶をいただいて、故人との対面となった。バイク同士による事故死ということである程度予想はしていたが、それでも故人の姿に接し私は言葉を失っていた。何というのだろうか、それは極めて悲しいことではあるのだが、不思議なことであるがその場で私は涙を一滴も流すことができなかった。悲しさとか寂しさを通り越していたのだろうか。気持ちが乾いていたという表現が一番相応しいかもしれない。号泣してやりたいところなのだが、それを通り越すとこんな感じなのか。自他共に信じ難い光景ではあると思うのだが、やたらに冷静に現実を受け止めている自分がいることに気付いた。
昼間の電話では奥さんも咽び泣きながら話をしていたが、仮通夜という儀式に入っているだけに気丈なもので、故人の姿も痛々しいが、私はむしろ奥さんの姿がもっと痛々しく感じた。自己は出逢い頭の衝突ということであるが、ぶつかった相手の女性のほうが軽傷で済んで、本人が逝ったという話。しかも、前日(土曜日)の昼間に事故に見舞われ、その数時間後に息を引き取ったというから、いよいよ酷い話だ。その息を引き取るまでの1~2時間はどんなにか酷い時を過ごしたことだろうかと思うと、それだけでも気の毒で仕方がない。
私は会場に入って奥さん他のご遺族との顔合わせの瞬間に全てのことを精一杯察しつつ、個人との対面をした。奥さんとの話では、彼との出会いのことや彼が転職をする際に相談に乗ったときのエピソードなど主だった思い出話をして20年近くの友情を凝縮して話して差し上げた。奥さんのことは既に結婚報告のお写真で拝見していたが、事実上これが初対面である。こんな場で初対面になろうとは思いも拠らなかったが、彼女のお姿・語ることを通して、本当に想い合って仲良く過ごしておられたのだということがしみじみ伝わってきたのが、なお一層私の悲しみを深くした。
しかし、悲しいのは奥さんばかりではなく、本人の親も然りであることを決して忘れてはならないと思った。親より先立つことを最大の親不孝というのはまさにその通りで、逝く順番が逆というのはその親にとってこれほど深い悲しみは無いこと。私は、対面した故人に向かって、本来はご遺族を前にしては禁句であろう一言を小声で漏らしてしまった。
「何で、親御さんより先に逝くという不孝をしたんだ!バカタレが・・・」と。
もちろんひたすら冥福を祈ったが、これ以上は何ら言葉にならずじまい。
奥さんに対してもあれこれの慰めの言葉もうまくかけられなかったが、とにかく大切な友人のことゆえ、本通夜でも本葬でも自分にできることがあればお手伝いをしたいという思いを伝えて、会場を後にした。
それでも何だか気持ちがおさまらず、帰路の道中で奥さん宛にメールを書き送って差し上げたのが以下の文面である。
先程は、ご心労のなか、仮通夜にお邪魔させていただき、誠に有難う御座いました。思いがけないことで動転していたとは言え、お慰めの言葉も言葉足らずになってしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。
(故人)さんとの思い出が私も色々あり、言い尽くせない悲しみに暮れております。生涯の友を失う辛さとはこのようなものであったのかと寂しさが募っております。
先程も申し上げましたが、私は明日明後日とも予定が空いております。
お手伝いできることがありましたら何なりとお申し付け下さいませ。
連絡は携帯宛・自宅(電話番号)宛のいずれでも構いませんので、よろしくお願いいたします。
ご家族ご親族の皆様にもよろしくお伝え下さい。
とにかく色々ご心労が絶えないこととは存じますが、お気を落とされませんように、心よりお祈り申し上げます。
(たーぼ)
電話が入ったときは、私は業務の電話対応の最中ですぐにはこの知らせを聴くことができず。後追いの電話によって奥さんから聴いたのだが、3時間経った今でも気持ちの整理がついていない。何でも、昨夜バイク事故になってそのまま還らぬ人となったのだということだった。まさに青天の霹靂というやつだ。何で死ぬんだ、バカヤロー!
彼とは、予備校時代に知り合った。私は高卒後しばらく病院通いの暮らしをしていて3年浪人して大学(本学)に入学したのだが、浪人3年目に通った予備校、それが彼との出会いであった。
互いに長めの浪人生活ということで、苦しい時期を励まし合う仲であった。時には授業がつまらなくなった日に一緒に予備校を抜け出して遊び呆けることもあったが、なかなか気の良いヤツだった。彼と励まし合ったから浪人時代を乗り切れたわけで、それがあればこそ今日まで友情を保ち得てきたわけだ。
彼はもちろん彼自身も色んな紆余曲折を経ているが、最近7年程は通関士の業務に志を得て資格を取り転職をするという具合に自分自身の夢を実現しキャリアを積んできた。
その最初の頃は持病絡みで転職についてとても不安がっていたのを、私がとことん励ましていたものだった。私自身もまた当時は大学院生活に敗北し無職生活でどん底の状況ではあったが、気持ちだけは何故か圧倒的に私の方が強くいられていたため、むしろ私が彼を励ます役であった。「可能性があるなら、怖がらずに挑戦していけ」何度となく彼を励ましていたものだったが、そんな私も志を持っている彼の存在が支えになっていた。
この励まし合いが、彼と私の20年近くの友情の原点だったし、これからも生涯にわたってそうあり続けたかったのに、彼は呆気なくこの世から消えてしまった。
この悲しさ、寂寥感は筆舌に尽くしがたいものがある。彼が奥さんと出会ったことや婚約したことについて楽しそうに語っていた顔を私は今でも忘れられない。それを思うと、仲の良かった奥さんの悲しみはなおさらで、どんなに辛いお気持ちだろうかと、心配になる。他人が心配してどうなるものでもないが、それでも残酷すぎる。
仮通夜は、結局私が最後の訪問者となった。仕事が終わってからの駆けつけのため、大幅に遅れることは事前に奥さんに連絡済ではあったが、会場では丁重なご挨拶をいただいて、故人との対面となった。バイク同士による事故死ということである程度予想はしていたが、それでも故人の姿に接し私は言葉を失っていた。何というのだろうか、それは極めて悲しいことではあるのだが、不思議なことであるがその場で私は涙を一滴も流すことができなかった。悲しさとか寂しさを通り越していたのだろうか。気持ちが乾いていたという表現が一番相応しいかもしれない。号泣してやりたいところなのだが、それを通り越すとこんな感じなのか。自他共に信じ難い光景ではあると思うのだが、やたらに冷静に現実を受け止めている自分がいることに気付いた。
昼間の電話では奥さんも咽び泣きながら話をしていたが、仮通夜という儀式に入っているだけに気丈なもので、故人の姿も痛々しいが、私はむしろ奥さんの姿がもっと痛々しく感じた。自己は出逢い頭の衝突ということであるが、ぶつかった相手の女性のほうが軽傷で済んで、本人が逝ったという話。しかも、前日(土曜日)の昼間に事故に見舞われ、その数時間後に息を引き取ったというから、いよいよ酷い話だ。その息を引き取るまでの1~2時間はどんなにか酷い時を過ごしたことだろうかと思うと、それだけでも気の毒で仕方がない。
私は会場に入って奥さん他のご遺族との顔合わせの瞬間に全てのことを精一杯察しつつ、個人との対面をした。奥さんとの話では、彼との出会いのことや彼が転職をする際に相談に乗ったときのエピソードなど主だった思い出話をして20年近くの友情を凝縮して話して差し上げた。奥さんのことは既に結婚報告のお写真で拝見していたが、事実上これが初対面である。こんな場で初対面になろうとは思いも拠らなかったが、彼女のお姿・語ることを通して、本当に想い合って仲良く過ごしておられたのだということがしみじみ伝わってきたのが、なお一層私の悲しみを深くした。
しかし、悲しいのは奥さんばかりではなく、本人の親も然りであることを決して忘れてはならないと思った。親より先立つことを最大の親不孝というのはまさにその通りで、逝く順番が逆というのはその親にとってこれほど深い悲しみは無いこと。私は、対面した故人に向かって、本来はご遺族を前にしては禁句であろう一言を小声で漏らしてしまった。
「何で、親御さんより先に逝くという不孝をしたんだ!バカタレが・・・」と。
もちろんひたすら冥福を祈ったが、これ以上は何ら言葉にならずじまい。
奥さんに対してもあれこれの慰めの言葉もうまくかけられなかったが、とにかく大切な友人のことゆえ、本通夜でも本葬でも自分にできることがあればお手伝いをしたいという思いを伝えて、会場を後にした。
それでも何だか気持ちがおさまらず、帰路の道中で奥さん宛にメールを書き送って差し上げたのが以下の文面である。
先程は、ご心労のなか、仮通夜にお邪魔させていただき、誠に有難う御座いました。思いがけないことで動転していたとは言え、お慰めの言葉も言葉足らずになってしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。
(故人)さんとの思い出が私も色々あり、言い尽くせない悲しみに暮れております。生涯の友を失う辛さとはこのようなものであったのかと寂しさが募っております。
先程も申し上げましたが、私は明日明後日とも予定が空いております。
お手伝いできることがありましたら何なりとお申し付け下さいませ。
連絡は携帯宛・自宅(電話番号)宛のいずれでも構いませんので、よろしくお願いいたします。
ご家族ご親族の皆様にもよろしくお伝え下さい。
とにかく色々ご心労が絶えないこととは存じますが、お気を落とされませんように、心よりお祈り申し上げます。
(たーぼ)







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