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自分の壊し方 ~田原教授から学んだ自己の再構築のための処方箋を考える~ [社会福祉一般]

先日の大阪での田原孝先生の最終スクーリングが終わって2週間が経った。すでにこの日記で触れているように、私はこのたびのスクーリングで今までにない刺激を受けた。それは講義の内容を理解するための学びにとどまらず、そもそもの自分自身のものの考え方の基準を見直す極めて本質的なところに触れるものとなった。このことについては、スクーリングの成績通知が出た後に先生に対して改めてお礼を申し上げるつもりである。が、振り返ってみて改めて残った課題がある。それが見出しの話である。「壊し方」などという表現で、疑問に感じた方もいるかも知れないが、私の中では、自今以後折にふれて考えずにはいられないという思いがある。
「変だ変だ」と思ってきたことが、ますます変になってきた。これを「壊し方」と説く。その心をこれから述べてみたい。

 このテーマで考え続けていく必要を感じたのは、これまでの自分の学び方・考え方が思い返せばかなり表層的なものを追いかけてきただけに終わってきたという反省があるからだ。それは単に学問ということにとどまらず実生活上で、自分自身の信念とは裏腹に、目先の状況変化に振り回されてきたのではないかということに尽きる。田原先生の講話のテーマは結局のところ「維新」ということであったろうと私は理解しており、これを考察する上で私は「変」という一文字をキーワードに据えた。それは、「自己を作り変えて時代を生き抜く力を持て」との先生の熱きメッセージの中に「作り変えるとして何をどう変えるのか」という大きな宿題が横たわっていることを思ったからだ。

 私は普段から性格的に一つの考え方に縛られるというのが嫌な面がある。必要に応じて積極的に自分を変えようという生き方でここまでやってきたつもりだ。それだけ柔軟であろうとしていると言えるのだが、これは裏返せば状況に流されやすいと見られがちな弱さを含んでいる。まあ、本人には一切そんなつもりは無いから構わないけどな。
 しかし変わるということについては当然に条件があるもので、「変わらなきゃ!」と思うような素材が無ければどうにもならない。「変えたい」と思う気持ちというのはそう思う背景があればこそなわけで、そうでないところで変わろうとしてもなかなか難しいものだということも良く知っているつもりだ。その上、厄介なのは変えることが難しいことをよく知るからこそ「自分が変わって何になるのか」という冷めた気持もあること。これは本当に自分で自分が嫌になるくらい冷めているときがある。冷静に考えれば、これは対象を“引き”で観ることによる「大人の対応」と言っていいのだが、それまで持ち続けてきた自分の中の「理想」とやらに胡散臭さを感じるようになってしまってはもう手がつけられない。

 物事に対して飽きっぽいのかというとそういうわけでもない。何にでも関心は持つし、それを深めていこうと思うものについては結構貪欲になれるからだ。でも、「理想」が持つ危うさを思うと、本当にそんな旗印を掲げていていいのかという疑問がわくのだ。疑問がわくのもこれまたそれなりのきっかけがあってのことなので、大抵の場合、話はその疑問がわいたところで終わってしまう。そして、この疑問に対して私自身がどう向き合ったのかと言えば、圧倒的に流してきたものが多い。誠に恥ずかしい限りである。何故、その疑問がわいたのか、その疑問に対して解決法は無いのかという食いつき方が弱いままで終わったことが数知れない。それは貪欲なることとは相反する態度であり、自己矛盾であるだけでなく、自分の考え方に責任を持ち切れていない実に未熟なものだということを思い知ることになった。こういうことを繰り返しているようでは何時まで経っても学問的にも人間的にも深まりのない人間で終わってしまうと、私はさらに不安になった。

 そこへ持ってきて今回の田原先生の講義である。先生の講義は、予想通り毒っ気のある語り口も相俟って、私の肺腑を抉った。私にとって実に良いタイミングだったと思う。「変えなきゃいけない」と思うことは大切なことだ。しかし、「それをするために必要な条件が何であるかを理解せずに闇雲に変えようというのはバカだ」と言わんばかりの先生の話であったと思う。要するに「自分の立ち位置を知れ。それが分からずして、世間のことを云々する資格は無いんだぞ」ということだったわけで、これを学生に教えるための素材がたまたま「医療福祉の経営」であったに過ぎない。私はそう受け止めている。
 その上、田原先生がいみじくも仰っていたコトバに「このスクーリングは単位をとるためのものと思うな。そんな目先のレベルではない、学びの本質を知る機会にせよ」というのがあったよな。ガッツリ釘をさしているところが田原先生らしい。この極めて倫理的な問いに対して私がすぐに明瞭な答えを出せるはずもないのだが、感じたのは「壊し方を探せ」ということ。

 「変」をキーワードにして講義を聴いたが、「変えなければならないもの」「変えてはいけないもの」「変わらざるを得ないもの」「変わりゆくもの」「変えたくても変えられないもの」という能動的・受動的な次元の中で、なお一層私は自分の生き方を探すことになるんだなあと思った。「変えること」「変わること」に対して、臆病になる人は少なくないだろう。そして、自分が変えたいと思った時がチャンス、と思えば良いのだけれども、変え時を見失っては取り返しがつかないということにも改めて思い至った私である。


※本稿は筆者の在学する大学の学内コミュニティーサイトに掲載したものを加筆修正したものである。
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