田原孝氏が学生たちに投げかけていたもの -そのラストセミナーを終えて- [社会福祉一般]
暮れも押し詰まってきたこの時期に遅ったれて書き記しておきたいことの中に、今年の大学でのスクーリング受講で学んだことがある。受講したのは今月の13-14日のことなので既に2週間は経ってしまっている。スクーリングの内容は、「医療福祉の創造と経営」と題するもので、担当は通信教育部の田原孝教授であった。終了直後に学内のコミュニティーサイトでそのことを書き記しておこうとしたとき、何から書いて良いものか分からず、2日近く費やした。というのも、田原氏から受けた刺激は久しぶりに味わった強烈なもので、事前資料に書かれている数々のコトバが放つ力に希望を感じ続けてきた。それは極端に言えば「感化」と言っても良いような、ある種危険な程の精神の揺さぶり(「地獄の前の甘美な誘惑」)があったことによるものだ。圧倒され過ぎたという感覚は無い。予想していた田原氏の勢いにとことん食いついていく心積もりであったから、平素から仕事を中心に感じてきた満ち足り無さを克服するヒントを得るべく挑んだ。
たった2日間(事前学習期間を含めて長く見積もっても精々実質2ヶ月程度)で田原氏の10年分のメッセージを理解し切るというのは土台無理なことと承知の上で、この際、恥をさらしてでも構わない、それより学べる瞬間を大切にしたいという切なる願いの中で過ごした2日間だったというのが正直なところだ。「ひたすら考えよ」という課題を自らに突き付けて取り組んだことで、終盤はエネルギーが消耗し切っていたのも事実。学業でこんなに疲れたのは久し振りだが実に心地良い。やるだけやりきって悔いが無いと自信を持つことも出来たのは、極めて幸運なこと。田原ゼミの歴戦の受講者はこういう刺激をとことん受けてこられたのだと思うと羨ましいが、飽くまで私は私の感覚で氏のメッセージを受け止めるだけであると思えば、この2日間の感覚は何ものにも代え難い。
ただし、この興奮状態は、謝恩会で氏に対して感謝の意を述べたときには、その場のコトバの勢いの裏で冷静に返っていた。と言うより、興奮状態の危険さを感じて努めて冷静にならなければと戒めていたというのが実情である。高を括るなという意味合いから考えても、感動しまくりでは余りに単純なので、とにかく冷静に受け止めて今後に活かすことを強く念じている。
実は、今回のスクーリング資料で示されたレポート課題について、1ヶ月前から悩んできた。というのも、過去6回のそれとは趣をがらっと変えたテーマであったからだ。過去のテーマも田原氏の独特なものではあったが、どういう解答にすべきか一番迷ったのが今回である。今回はレポート課題のイメージを掴み切れずに見切り発車の参加になってしまったので、先ずは初日を聴いてからと開き直った。初日でどこまで投げかけてくるかでイメージも湧くだろうという私の読みは幸運にも当たった。「やはりすげぇや!」である。たった1日の講義の中で学生に観える形にして話が完璧に出来るというのはそうざらにあるものではないからだ。私自身も常々人と対話をするときに、自分の話の世界が聴いてくれる相手に分かりやすいように心がけてはきたが、まだまだ修業が足りない。「自分の言葉に責任を持つというのはこういうことなのだ」というお手本のような氏の話に、私はいつの間にか魅了されたのである(おい、簡単に魅了されててどうするよ?)。
田原氏がこのセミナーを通して一貫して訴えてきたのは「自らを維新し、これをもって社会を創れ」ということであったろうと思う。素材はあくまでも「医療・福祉の経営」であったが、講義の本質は極めて哲学的・倫理的なもので「君らは次の社会をどう作るんや?」という氏の問いは重い。そして、これは私自身も以前から感じてきたことに重なるが、福祉が抱える脆弱さをどう克服するべきか、その指標たるものの考え方(チャート)を田原氏が示してくれたということに尽きよう。
氏が毎回のように講義の初めに言われていた「基本となるものの考え方」の真髄がここにあるように思う。社会福祉関係に携わる人は往々にして、自分の実践について表面的な成果を求め過ぎる傾向が無しとしない。人に関わるという無形の行為で援助する福祉、そこには「働きかけによる変化」という目先の成果への欲が漂っていると観るのは私だけだろうか。援助は援助であって教授・指導ではないのだが、例えば介護一つにしても「こんな働きかけをしたことで利用者が良くなった」というところに思い込みを持ち過ぎてはいないか、田原氏はそんな姿勢や考え方を厳しく批判している。
例えば医療現場において、ある働きかけによって患者が快復という結果を得られればそれは一つの成果であるが、医師が医療行為において自身の診断に過信をすることの危険を弁えることこそ不可欠なのだということで、それは福祉業界も例外ではないのだというのが田原氏の一貫した考え方であるし、私もそう思ってきた。医療ミスが昨今問題になっているが、「結果責任の所在」が曖昧にされがちであるところに医学分野の病理があることは言うまでも無い。「白い巨塔」の世界は其処此処にあると思われる。氏が強調するのは「これを福祉で置き換えてみると医療よりはソフトなイメージの業界なために、もっと見えにくくなっている」ということではないか、と私は考えた。要するに「こんな働きかけをしたことで利用者の状態が良くなった。良かった良かった」で満足し切ってしまうことの危険を自覚せよ、というレベルの話だ。そんな目先の方法・実利・効用にしゃかりきになって本質的なことを見失うのは誠に愚かなのだ、というのが田原氏の思いであろう。
ただ、考えてみると、目先の効用が確認できることで満足できるだけでも有難いというような現場の空気も理解出来なくは無い。3K以下という環境の中で決して良いとは言えない待遇で携わっている現業員がどれほど多いことかと思うと、せめて日頃の介護支援活動でプラス面を見出してモチベーションを高めたいと思う専門職の心情には共感できるというものだ。「モチベーションを高めたいというよりも高めなければ、この仕事はやってられないよ」という現場の悲鳴は想像に難くない。給与報酬という名のニンジンを増やしてもらえなければ、福祉業界でなくても「やってらんねえ!」と言いたくもなるだろう。結局は「パンのみに生きるにあらず」などときれいごとは言っていられないわけで、それは突き詰めれば政治のあり方が問題だということに行き着く。
しかし、そう不満を言い立てているだけでは何も変えていくことは出来んぞ、というのが田原氏のメッセージであった。氏の語り口はある種毒っ気があるため恫喝も良いところの勢いだが、悠長なことは言えないという警鐘であることはしみじみ感じることが出来た。
この警鐘に向き合う上で私たちが何を為すべきかというところで氏が基本に据えていたのは「自分自身のフレームを変えてみろ」ということであったろう。状況に対する受け止めは誰しも自分自身のフレームに限定されるもので、他者から模倣するわけには行かない。というより、模倣したとしても自己の枠組みに消化し切れるものではないため、無理にはめ込めばいずれは破綻を来たすことになる。そうならないためには、自分の間尺を広げて社会の様々な状態に適応できるように作り変えなければならない、それが維新なのだ、ということを田原氏はさんざん強調していたと思う。過去の自分に無いものを貪欲に取り入れる姿勢がないと、時代についていけなくなるという田原氏の言葉は重い。
そしてその上でなお、不易・流行の話で私たち学生に原点に立ち返れと釘をさすことも忘れない田原氏。私はレポート課題の答案でも触れたことだが、医療にしても福祉にしても、鍵は「変」にあると思った。そう言えば、今年を表す一字も「変」だったよな。「変」には色々な意味合いがあるが、変えるべきもの・変えてはいけないもの・自然に変わり行くもの・状況にあわせて変化を余儀なくされるもの、のそれぞれ次元の間を漂流しつつ、社会に向き合っていかなければならないのが福祉・医療に共通した課題なのだと考えたのである。そして、それらの「変」の次元のなかでもとくに「時代が移り変わっても変えてはいけないもの」を重視しつつ、それでいて社会を作り変える努力を続けよ、という田原氏のメッセージが最後に私の中に重く残ったのである。
2日間圧倒された私であるが、改めて田原氏のメッセージを振り返ると実に基本的なことを教わっていただけでなく、私自身のものの考え方に厚みを持たせてくれたという思いが強い。私のこれまでの考え方の基準を大きく変えるきっかけにもなった。ものの見方は様々で良いのだが、ボリュームはあるに越したことは無い。お金にむやみに貪欲になることは無いが、それ以外のことには何かしらと欲張りな性質の私にとって、田原氏からの刺激は最高のクリスマスプレゼントになったのである。
※本稿は、筆者が在学する大学の学内コミュニティサイトにおいて、記述したものを加筆修正したものである。
たった2日間(事前学習期間を含めて長く見積もっても精々実質2ヶ月程度)で田原氏の10年分のメッセージを理解し切るというのは土台無理なことと承知の上で、この際、恥をさらしてでも構わない、それより学べる瞬間を大切にしたいという切なる願いの中で過ごした2日間だったというのが正直なところだ。「ひたすら考えよ」という課題を自らに突き付けて取り組んだことで、終盤はエネルギーが消耗し切っていたのも事実。学業でこんなに疲れたのは久し振りだが実に心地良い。やるだけやりきって悔いが無いと自信を持つことも出来たのは、極めて幸運なこと。田原ゼミの歴戦の受講者はこういう刺激をとことん受けてこられたのだと思うと羨ましいが、飽くまで私は私の感覚で氏のメッセージを受け止めるだけであると思えば、この2日間の感覚は何ものにも代え難い。
ただし、この興奮状態は、謝恩会で氏に対して感謝の意を述べたときには、その場のコトバの勢いの裏で冷静に返っていた。と言うより、興奮状態の危険さを感じて努めて冷静にならなければと戒めていたというのが実情である。高を括るなという意味合いから考えても、感動しまくりでは余りに単純なので、とにかく冷静に受け止めて今後に活かすことを強く念じている。
実は、今回のスクーリング資料で示されたレポート課題について、1ヶ月前から悩んできた。というのも、過去6回のそれとは趣をがらっと変えたテーマであったからだ。過去のテーマも田原氏の独特なものではあったが、どういう解答にすべきか一番迷ったのが今回である。今回はレポート課題のイメージを掴み切れずに見切り発車の参加になってしまったので、先ずは初日を聴いてからと開き直った。初日でどこまで投げかけてくるかでイメージも湧くだろうという私の読みは幸運にも当たった。「やはりすげぇや!」である。たった1日の講義の中で学生に観える形にして話が完璧に出来るというのはそうざらにあるものではないからだ。私自身も常々人と対話をするときに、自分の話の世界が聴いてくれる相手に分かりやすいように心がけてはきたが、まだまだ修業が足りない。「自分の言葉に責任を持つというのはこういうことなのだ」というお手本のような氏の話に、私はいつの間にか魅了されたのである(おい、簡単に魅了されててどうするよ?)。
田原氏がこのセミナーを通して一貫して訴えてきたのは「自らを維新し、これをもって社会を創れ」ということであったろうと思う。素材はあくまでも「医療・福祉の経営」であったが、講義の本質は極めて哲学的・倫理的なもので「君らは次の社会をどう作るんや?」という氏の問いは重い。そして、これは私自身も以前から感じてきたことに重なるが、福祉が抱える脆弱さをどう克服するべきか、その指標たるものの考え方(チャート)を田原氏が示してくれたということに尽きよう。
氏が毎回のように講義の初めに言われていた「基本となるものの考え方」の真髄がここにあるように思う。社会福祉関係に携わる人は往々にして、自分の実践について表面的な成果を求め過ぎる傾向が無しとしない。人に関わるという無形の行為で援助する福祉、そこには「働きかけによる変化」という目先の成果への欲が漂っていると観るのは私だけだろうか。援助は援助であって教授・指導ではないのだが、例えば介護一つにしても「こんな働きかけをしたことで利用者が良くなった」というところに思い込みを持ち過ぎてはいないか、田原氏はそんな姿勢や考え方を厳しく批判している。
例えば医療現場において、ある働きかけによって患者が快復という結果を得られればそれは一つの成果であるが、医師が医療行為において自身の診断に過信をすることの危険を弁えることこそ不可欠なのだということで、それは福祉業界も例外ではないのだというのが田原氏の一貫した考え方であるし、私もそう思ってきた。医療ミスが昨今問題になっているが、「結果責任の所在」が曖昧にされがちであるところに医学分野の病理があることは言うまでも無い。「白い巨塔」の世界は其処此処にあると思われる。氏が強調するのは「これを福祉で置き換えてみると医療よりはソフトなイメージの業界なために、もっと見えにくくなっている」ということではないか、と私は考えた。要するに「こんな働きかけをしたことで利用者の状態が良くなった。良かった良かった」で満足し切ってしまうことの危険を自覚せよ、というレベルの話だ。そんな目先の方法・実利・効用にしゃかりきになって本質的なことを見失うのは誠に愚かなのだ、というのが田原氏の思いであろう。
ただ、考えてみると、目先の効用が確認できることで満足できるだけでも有難いというような現場の空気も理解出来なくは無い。3K以下という環境の中で決して良いとは言えない待遇で携わっている現業員がどれほど多いことかと思うと、せめて日頃の介護支援活動でプラス面を見出してモチベーションを高めたいと思う専門職の心情には共感できるというものだ。「モチベーションを高めたいというよりも高めなければ、この仕事はやってられないよ」という現場の悲鳴は想像に難くない。給与報酬という名のニンジンを増やしてもらえなければ、福祉業界でなくても「やってらんねえ!」と言いたくもなるだろう。結局は「パンのみに生きるにあらず」などときれいごとは言っていられないわけで、それは突き詰めれば政治のあり方が問題だということに行き着く。
しかし、そう不満を言い立てているだけでは何も変えていくことは出来んぞ、というのが田原氏のメッセージであった。氏の語り口はある種毒っ気があるため恫喝も良いところの勢いだが、悠長なことは言えないという警鐘であることはしみじみ感じることが出来た。
この警鐘に向き合う上で私たちが何を為すべきかというところで氏が基本に据えていたのは「自分自身のフレームを変えてみろ」ということであったろう。状況に対する受け止めは誰しも自分自身のフレームに限定されるもので、他者から模倣するわけには行かない。というより、模倣したとしても自己の枠組みに消化し切れるものではないため、無理にはめ込めばいずれは破綻を来たすことになる。そうならないためには、自分の間尺を広げて社会の様々な状態に適応できるように作り変えなければならない、それが維新なのだ、ということを田原氏はさんざん強調していたと思う。過去の自分に無いものを貪欲に取り入れる姿勢がないと、時代についていけなくなるという田原氏の言葉は重い。
そしてその上でなお、不易・流行の話で私たち学生に原点に立ち返れと釘をさすことも忘れない田原氏。私はレポート課題の答案でも触れたことだが、医療にしても福祉にしても、鍵は「変」にあると思った。そう言えば、今年を表す一字も「変」だったよな。「変」には色々な意味合いがあるが、変えるべきもの・変えてはいけないもの・自然に変わり行くもの・状況にあわせて変化を余儀なくされるもの、のそれぞれ次元の間を漂流しつつ、社会に向き合っていかなければならないのが福祉・医療に共通した課題なのだと考えたのである。そして、それらの「変」の次元のなかでもとくに「時代が移り変わっても変えてはいけないもの」を重視しつつ、それでいて社会を作り変える努力を続けよ、という田原氏のメッセージが最後に私の中に重く残ったのである。
2日間圧倒された私であるが、改めて田原氏のメッセージを振り返ると実に基本的なことを教わっていただけでなく、私自身のものの考え方に厚みを持たせてくれたという思いが強い。私のこれまでの考え方の基準を大きく変えるきっかけにもなった。ものの見方は様々で良いのだが、ボリュームはあるに越したことは無い。お金にむやみに貪欲になることは無いが、それ以外のことには何かしらと欲張りな性質の私にとって、田原氏からの刺激は最高のクリスマスプレゼントになったのである。
※本稿は、筆者が在学する大学の学内コミュニティサイトにおいて、記述したものを加筆修正したものである。
2008-12-29 18:55
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