たーぼのつぶやき ”福祉援助における<褒め方>を考える” [社会福祉一般]
今日はちょっとこの場を借りて、皆さんに向かって小石を投げてみたい。日ごろから、私は福祉現場に身を置いて仕事をしているのだが、改めてこの世界に生きる人間の一つの不思議な人間観を感じずにはいられないことがある。
それは、対象者に対する見方ということに的を絞って考えていることなのだが、どうにも感傷的なものの捉え方をする人が多いことが歯痒い気分ではあるのだ。たとえば、私が過去に勤務していた障害児施設でもある指導員が一人の子を捕まえて「○○ちゃん、すごーい!」とはしゃぐように褒めちぎっていたことがある。それが果たしてその指導員の本音で現れた言葉なのかどうかは分からないけれども、私は当時も大変この指導員の態度が気になったものである。
また、現在勤めている児童相談所のある同僚の場合でも、電話相談の対応として相談者が話した内容について「○○さん、すごーい。驚きやわー!」という表現で対応していることが記録に残っていたのだが、これも先の指導員と共通した雰囲気を感じずにはいられないのである。障害を持っているとか病気を抱えているとか色んな事情で機能不全(impairments)や能力障害(disabilities)に陥っている人が何某かのことを克服したときの努力を積極的に評価する姿勢は必要だと思われるが、それが過剰な態度として現れるとどうにも嘘臭い。過度な態度で褒めちぎっている本人にはそのことが分からないのだろうかと思ってしまうのだ。
これが例えば子どもが手が不自由な人が口で絵を書く姿を見て、純粋に「すごいなあ、頑張ってるんだなあ」と感じるのとは、わけが違うのである。 何というか、褒める”技術”が誇張して「設定」されているのではないかと思ったりしてしまうのだ。教育でもそうだが福祉援助においては、本人の意欲を喚起して、社会的自立(福祉本来の意味合いでの自立と断っておく。昨今の自己責任的な自立観とは異なるものである)を実現する力になるような支援が欠かせない。褒めるということもその一環のものであるのだが、過度な褒め方は相手を馬鹿にしたような態度にも映るのだということを私たち福祉の世界に身をおく人間は特に心しておくことが必要なのではないか。
私は、「すごーい!」を連発するような褒め方に象徴される態度を「エセ福祉」と呼んでいる。純粋にそんな風に思って言うのかどうか疑わしく感じる事が少なくないのである。福祉援助に熱くなるのもいいが、少しはクールにものを見る眼を持つことも大切だろう。
こんなことを普段考えている私であるが、皆さんはどう考えられるだろうか。
それは、対象者に対する見方ということに的を絞って考えていることなのだが、どうにも感傷的なものの捉え方をする人が多いことが歯痒い気分ではあるのだ。たとえば、私が過去に勤務していた障害児施設でもある指導員が一人の子を捕まえて「○○ちゃん、すごーい!」とはしゃぐように褒めちぎっていたことがある。それが果たしてその指導員の本音で現れた言葉なのかどうかは分からないけれども、私は当時も大変この指導員の態度が気になったものである。
また、現在勤めている児童相談所のある同僚の場合でも、電話相談の対応として相談者が話した内容について「○○さん、すごーい。驚きやわー!」という表現で対応していることが記録に残っていたのだが、これも先の指導員と共通した雰囲気を感じずにはいられないのである。障害を持っているとか病気を抱えているとか色んな事情で機能不全(impairments)や能力障害(disabilities)に陥っている人が何某かのことを克服したときの努力を積極的に評価する姿勢は必要だと思われるが、それが過剰な態度として現れるとどうにも嘘臭い。過度な態度で褒めちぎっている本人にはそのことが分からないのだろうかと思ってしまうのだ。
これが例えば子どもが手が不自由な人が口で絵を書く姿を見て、純粋に「すごいなあ、頑張ってるんだなあ」と感じるのとは、わけが違うのである。 何というか、褒める”技術”が誇張して「設定」されているのではないかと思ったりしてしまうのだ。教育でもそうだが福祉援助においては、本人の意欲を喚起して、社会的自立(福祉本来の意味合いでの自立と断っておく。昨今の自己責任的な自立観とは異なるものである)を実現する力になるような支援が欠かせない。褒めるということもその一環のものであるのだが、過度な褒め方は相手を馬鹿にしたような態度にも映るのだということを私たち福祉の世界に身をおく人間は特に心しておくことが必要なのではないか。
私は、「すごーい!」を連発するような褒め方に象徴される態度を「エセ福祉」と呼んでいる。純粋にそんな風に思って言うのかどうか疑わしく感じる事が少なくないのである。福祉援助に熱くなるのもいいが、少しはクールにものを見る眼を持つことも大切だろう。
こんなことを普段考えている私であるが、皆さんはどう考えられるだろうか。







こんにちは!たーぼさんは鋭い問題提起をされますね!
「褒める」ということが、技術になりマニュアルとなると、過剰な誇張表現になったりするのだろうか。相手を肯定的に受容する、ということは援助技術の教科書に必ず書いてあり、その具体化として「褒める」という行為が位置づくということは一面では大切な意味を持つとおもいますが、要は、その行為のなかに対象者への真の共感的人間関係が横たわっているか、が分かれ目だ、と思います。
by よっぽ (2008-09-17 17:46)
こんばんは、よっぽさん、コメントありがとうございました。
そうですねえ、やはり社会福祉においては援助ということを欠かすことが
出来ないだけに、その行為論をしっかりと考えなければならないと思うわ
けです。
たとえば本文でも挙げた電話相談の対応でも「傾聴」という態度について、私たち担当者は専門家としては「共感的態度」ということを平素から
意識して取り組むのではありますが、「受容」と同義であるのか、はたまたもっとそれぞれには特有の概念があるのかということを私は業務を通して
一人突き詰めて考えたりしています。
同義であるかどうかは別としても、相手の訴えを受け止めるという行為については、<受容=肯定>という等式を原則にすることが普通ですが、私はこの<肯定>の意味合いをはき違えて理解したところで対応している人が多いのではないだろうかという疑問を長らく持ってきました。
だから、こういう議論をこの場で吹っかけてみたのです。同様の議論は、大学内のコミュニティーサイトでも持ちかけております。
機会がありましたら、覗きに来てくださいね。大学のほうも同じ名前で登録しておりますので。
by たーぼ (2008-09-18 19:40)