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筆子の教育 ~障害児教育が歴史番組のテーマになった~ [障害者福祉]

 今日は、大正-昭和のスーパーウーマン石井筆子(ふでこ)女史の話。実は、私は筆子の夫である石井亮一については、学生時代に戦前の低能児教育論争のテーマで文献読んで知っていたが、筆子女史その人については殆ど知らなかった。福祉系の大学で学んでいながらいささか恥ずかしいことと反省しているが、そんな中で、6日前にNHK『その時歴史が動いた』<母の灯火 小さき者を照らして 石井筆子・知的障害児教育の道>を観た。本放送は昨年暮れの12/20で万を持して見たいと思っていたが、仕事やら何やらでなかなか観られなかった番組の一つだ。その際もビデオ録画はしてあったのだが、結局年を越して、再放送版で観ることとなった(前回の記事で、散々にNHK批判をしていたにもかかわらず、こーゆー番組だけはチェックしているのは矛盾だろうけれど・・・)。筆子女史(以下、敬称略)の紹介からしておこうと思う。

 筆子は、1861(文久元)年、肥前国大村藩(現長崎県大村市)の家臣・渡辺 清の長女として生まれる。父・清は幕末から明治維新にかけての志士で、明治政府では福岡県令や元老院議官等の要職を歴任し、男爵に叙せられた。筆子の叔父・渡辺昇も同じく幕末から明治維新の志士で、坂本龍馬と親交を持ち薩長同盟の周旋をした功労者である。筆子は鹿鳴館きっての美女であり3ヶ国語を操る才女で、皇后の命令によってわが国初の女子海外留学生として津田梅子(津田塾創設者)山川捨松らとともにフランスへ渡る。この留学ボアソナードから人権思想の薫陶を受け、帰国後、梅子と筆子は華族女学校静修女学校(後に女子英学熟、津田塾大学)の教師となった。そのときの教え子には貞明皇后がいた。 また、鹿鳴館の舞踏会にも度々参加し、若くして「鹿鳴館の華」と評判を呼んだ。

筆子は、同郷の高級官吏・小鹿島 果と結婚するが、母となった筆子に大きな転機が訪れる。生まれた3人の娘はいずれも健康ではなく、長女・3女には知的障害があり、次女以下二人は虚弱で早逝する。さらには夫を若くして亡くし、嫁ぎ先から離縁され(孫は結婚もできないだろうからという理由)女手一つで子どもを育てていた。時代は富国強兵政策の直中にあり、生産力のない障害者(とくに知的障害者)への理解は皆無と云って良く、障害児の親の多くは隠すように養育し、本人は座敷牢のようなところで生涯を閉じるケースも多かったようだ。弱い者には厳しく、障害をもつ子は義務教育を受ける権利すら与えられずという情況の中、当然、彼女へ向けられる視線は蔑視の色合いが濃くなっていく。こういった差別的な社会の中で失意のどん底にあった筆子だったが、牧師から教えを受けた人権思想を心の支えに生きる。1898年、「大日本婦人教育会」(女子教育の振興を図るための民間組織)の雑誌に、「思ひ出つるまヽに」という論考を発表する。そこには、「男女の此世にあるは云ふまでもなく同等の権利を具備するものにして、男子の為に女子あるにあらさる・・・」と書き、人権思想に基づいた男女平等論を訴えている。

そして、この後筆子は長女を預けるために訪れた知的障害児の学校『滝乃川学園』を訪ねたことで同園創設者の石井亮一氏と運命的な出会いをする。石井亮一は立教大学から渡米しセガンらの障害児教育論を学び、明治30(1897)年に滝乃川学園(前身は「孤女学院」)を創設した。学園を立ち上げたばかりの石井亮一の人間性に惹かれた筆子は、「私の一生を委ねる仕事が見つかった」と記している。そして、志を同じくした二人は結婚し(明治40(1903)年 亮一36歳・筆子42歳)、前人未踏の教育に乗り出し、知的障害者の保護・教育・自立に献身する。二人は深い人間愛で、「生活の中で、五感を刺激する」をモットーとして、人権思想に根ざした教育実践に邁進する。筆子が結婚祝いにもらっていた「天使のピアノ」も、子どもの感覚を養う重要な道具であった。

こうして施設がうまく機能しだした矢先、園児の火遊びから火災が起こり、6名の児童を失い、自らも子どもを助けるためにのぼった梯子からの転落で車椅子生活を余儀なくされる(1924年)。さらには戦争による財政難(時価2億円の借金だったという)。しかし、渋沢栄一翁らの救済により学園は再建される。<命あるものは皆きょうだい、ともに生きることが人道の基本>という理念に基づき、学園では、生徒が大人になってからでも就労の場として利用できる農場が作られ、筆子らは彼らに農業指導をする。しかし折しも世界大恐慌であり、さらには程無くして夫 亮一が脳溢血から急逝(1937年、享年70歳)。その後、日中戦争の勃発で園生も卒業生も戦力に駆り出され、学園は存続の危機にさらされる。一時は、「廃物同然の私に何が出来ましょうか」という思いだった筆子だが、「人は誰かを支える時、相手からどれだけ恵みを受けているかを忘れてはいけない」という亮一の言葉を思い起こし学園の存続を決定。『いばら路を知りてささげし身にしあれば いかで撓(たわ)まん撓むべきかは』と再起を決断、そして、1937年10月に76歳にして学園長に就任する。さらには、その運営に私財を投じつつ寄付を募り、国には職業訓練設備の拡充や小学校への養護学級併設を訴える。

筆子は1944(昭和19)年に82歳で死去するが、学園は戦乱を生き延び、戦後のわが国の障害児教育発展の礎になったのだ。この偉業により、後年「知的障害児福祉の母」と呼ばれ、男女同権思想の先駆者としても活躍した。これが石井筆子という人物である。

思えばこの番組で日本の障害児教育をテーマにするのはそうあることではない。大半が歴史的に大きな事件(例えば、本能寺の変や、源平の合戦、大化の改新など)がテーマになるが、昨日の番組は、歴史の年表には大きく書き込まれることのない、社会の片隅で一生懸命に障害児らを支え続けた一人の女性の物語だった。それだけに、かねてから期待していた番組ということもあって、この日は繰り返し録画分でも観た。過去には石井十次がとり上げられたかどうか分からないが、とにかく障害者福祉がテーマになったのは大きい。そもそも、わが国の障害者福祉の歴史を見直してみれば、古くは6世紀頃から貧窮民・障害者への救済事業はあったのだが(たとえば光明皇后の建てた孤児院など)、基本的な思想は納税者の頭数を確保する必要から救済するという色合いばかりが強かったという。それでなくても、皇室や将軍など為政者側の罪滅ぼしを目的とした事業として福祉事業が行われていたという面も否定出来ないことだろう。そういう歴史の中からこれを変える出来事として登場してきたものの一つが滝乃川学園であり、石井夫妻その人たちなのだと云える。障害児教育を一つの大きな歴史の中で時代を動かした出来事として捉えた番組制作者に大きな賛辞を送りたい。勿論石井夫妻の人物像をベースにしていたが、亮一氏との関わりの中での筆子女史の心の動きに焦点が当てられており、障害児教育という当時の日本では社会の片隅におかれていた分野を根付かせていこうとする情熱が伝わってくる番組だったと思う。

さらには、石井夫妻をとり上げたことで障害児教育そのものを考えるよい機会にもなったと思うのだ。亮一氏も筆子女史も障害児に向き合うとき、指導がうまくいかないとき「自分の教え方が悪かったのかも」と自省を忘れない姿勢を貫いたという。そうした気持ちで語りかけたことで子どもたちにも変化が現れ石井夫妻に心を開いていったというのは、たんなる現象論で片付けられない教育の重みを感じさせる話だ。因みのこの石井亮一氏は、当時の低能児教育の権威的存在だった乙竹岩造や呉秀三らと「白痴および低能児概念論争」を展開した人物でもある。簡単に説明すると、乙竹が欧米の低脳児教育の紹介し、白痴児と低能児を突き合わせて概念整理することが出来なかったのに対して、亮一の研究はセガンの教育論に即して知的障害児の教育可能論を実証的に論じる所まで踏み込んだ先進的なものだったという。これは、当時の時代背景もあって劣等処遇の容認という側面があり問題性があるのだが、子どもをどう捉えるかということからさらにその福祉的・教育的援助をどう実践していくべきなのかを実証的に推し進めたという意味で大きな一歩であったし、彼やその妻筆子女史のような人物の存在なくして日本の障害児教育はなかっただろう。石井夫妻でなくても、欧米文化が入ってくる中でいずれは今に至る流れが出来ただろうとは思うが。亮一氏や筆子女史の残した言葉の一つひとつには、子どもたち(わが子だけではなく)の深い愛情・理解が込められている事は間違いのないことなのだが、その背景の一つにはキリスト教信仰という事も大きく関わっていただろうと私は思う。この愛情で、逆に誰からも「おかあさま」と慕われたが、まさに彼らにとって筆子女史は聖母マリアにも等しい存在であったに違いない。

番組で筆子の言葉を朗読したのは、映画版で筆子役だった常盤貴子だ。こんな演出もNHK、流石に映画を意識してのことと思ったが、それでも筆子女史の心の動きを語るに相応しいムードを出していたと思う。私は勿論映画のほうをまだ観ていないが、吉永小百合の朗読でのドキュメンタリー映画もあるらしい。なお、『その時、歴史が動いた』の再放送はあと1回(平成19年1月23日(火)16:05~16:48 総合 福岡県を除く全国)。ご覧になっていない方には是非観てほしいと思う。

参考文献ページ  ① 日本の知的障害者福祉の創始者石井亮一・筆子夫妻の偉大なる事績

            ② 滝乃川学園 http://takinogawagakuen.cocolog-nifty.com/


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よっぽ

たーぼさん、当ブログへのトラックバック、有り難うございました。
返礼の気持ちを込めて、当該記事をトラックバックさせていただきました。
障害児教育の先達の仕事に学ぶ点が多い番組でした。
たーぼさんは歴史性豊かに解説しておられ、セガンや乙竹岩造などの名前に接し、僕も学生時代に学んだことを懐かしく思い出しました。僕は、学んだことが、だいぶサビついており、お恥ずかしい限りです。
by よっぽ (2007-01-18 09:18) 

たーぼ

よっぽさん、返礼のトラックバックをいただき有難うございました。
僕は、物事を考える場合、その時代がどんな時代であったかということにはかなりこだわって見つめるほうなのかもしれません。それが福祉・教育・文化芸術の場合は特にそうですね。その時代性というものを意識してその人物の思想に近づきたいといつも思うのです。今は勿論時代が違うのですが、本当に色々なことを学ぶことが出来ていいものだと思います。
そう云えば、サークルやゼミなどでも歴史的な視点にはかなりこだわりました、そんなことを思い出しました。
by たーぼ (2007-01-18 15:44) 

碧空

テレビは、時に教科書になってくれます。津田梅子のことは知っていても、石井筆子女史のことを知らなかったのが恥ずかしいです。
私は、人は、自分の身に起きたことから、生き方が生まれてくるのだと思います。筆子女史の場合、自分の子供が知的障害者だったことが人生を動かしたのでしょうが、こういう神様からのミッションを自ら受け入れる生き方を尊敬します。当時、座敷牢に入れられていた知的障害者もいると聞き、その心を考えると、大変ショックです。まして、華族出身だった筆子女史のとった行動と勇気には感服いたします。
人権のことは、みんなで考えていかなければなりません。自分には、何が出来るのか、どういう行動をとればいいのか、模索中です。
私のブログにトラックバックありがとうございました。これからも、良かったら、おいでください。
by 碧空 (2007-01-18 16:48) 

大介パパ

始めまして、TrackBackしていただいた大介パパと申すものです。
歴史的事実関係を良くお知りなってらっしゃることに敬服いたします。知的障害者の親という立場で映画とNHKを見て、感じたままを書いたことに対して、トラックバックしていただきありがとうございました。
映画はある学校での試写会で、プロジェクターの調子が悪い中でみました。その後、NHKを見て、NHKもダブらない様に補完的に見せてくれていたことに感謝しています。
現在、障害者の置かれている状況は、筆子の置かれた時代背景とは雲泥の差はあるももの、日本場合はヨーロッパに比較して(特にロンドンと)、インクルーシブという点から見るとまだまだと思っております。
インクルーシブという概念がもっともっと日本に広まることが、石井亮一と筆子の思いの延長上にあると信じています。インクルーシブ活動のお手伝いをしながらこれからもがんばっていきたいと考えています。
最後に、こちらからもTrackBackさせてください。
by 大介パパ (2007-01-18 20:24) 

たーぼ

大介パパさん、コメント有難うございました。
筆子女史の番組のこともさることながら、先日はあるシンポジウムを聴講して、改めて障害者福祉の世界でもユニバーサルデザインという発想を活用することが必要だという印象を持ったので、あなたのインクルーシヴという考え方にも共感をした次第です。ただ、ある方が仰っていたのですが、ユニバーサルというのも「援助」という視点に立つ場合は、個別的な支援の必要という観点からすれば限界を持つものではないかということがあるようです。これはインクルージョンやインクルーシヴも同様に関わる話なのですが、私は(実際的なアクションとしてどうバランスを持たせるか)ということにあると考えます。このブログは、テーマが福祉に限らないブログなのですがこれからもよろしくお願いいたします。
by たーぼ (2007-01-19 11:19) 

mwainfo

トラックバック有難うございます。参考になります。
これからも宜しく御願い致します。
by mwainfo (2007-01-19 17:53) 

トレビアン

コメントありがとうございました。
石井亮一・石井十次らの先達の仕事には、大きく学ぶところがあります。
社会福祉法人は、社会事業創設期の頃の活動家たちを見習うべきです。
ミッション(使命)を忘れてしまった経営者もどきの社会福祉事業経営者の多いこと。
お金がない、は言い訳です。しっかりしたミッションを持って、活動すれば、お金はついてくるものと思います。
現実は苦しいですが…。
by トレビアン (2007-01-22 15:30) 

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