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のり巻き [今日のできごと]

物心ついたころから、父は家で飲むと、「母さん、すだれと、おかかと、お下地(醤油)もってきて」と言って、のり巻きをつくってくれた。
喜々として、みんなでわけて食べた。

思春期、「いらない」とか、「なんで自分で(モノを)取りに行かないの?」とか、言ってみせた。
それはそれで本心ではあったのだけれど。

自分が中学から大学にかけての8年ほど、父はずっと単身赴任だった。
2,3週間に1度は帰ってきてくれる、今思えば、まめで、家族思いの父だった。
それでも、自分はおんなじように接した。
あるときは1か月ぐらいろくに口もきかなかった。
「たまに帰ってきた時ぐらい、甘えたいんだよ」って、言わせてしまった。
そのときは自分が正しいとしか思わなかったけど。

一度は奥さんに家事を任せた50前後のオジサンが、単身赴任で、掃除も、洗濯も、食事の準備も、全部自分でこなさなければならない、まして職場で労災があったり、不景気の影響で人員の問題があったりという話をきいていた。
振り返れば、そのときうちの父はどれだけの苦労をしていたのだろうと思う。
そりゃあ、糖尿病のコントロールもつかなければ、狭心症で心臓にステントも入るわけだ。

覚えたての知識で父に「それって狭心症じゃないの?」なんて受診を促したら、心カテ中にプラークがとんで一時ショック状態、IABPが入った状態でCCUで面会した。
もしあそこで父を亡くしていたら、自分の軽口を一生悔いて生きていくことになっただろう。


逆単身赴任状態になってたった1ヶ月半、食生活の乱れか、子どもがいないせいで夜更かしなためか、吹き出物が増えてきた。
今週末の夕飯は実家にお世話になることにした。
父が、いつものように「母さん、すだれと・・・」。
久々ののり巻きは、ご飯が多すぎて、納豆があふれだして、うまく巻けていなくて、ぐずぐずに崩れながら食べた。
父が覚えているかどうかはともかくとして、あのころのことを謝りたいと思ったけれど、結局言葉にはできなかった。
「のり巻きは、飲まない人がつくったらその人の手間が増えるだけ。飲む人がつくればいい。」

これも我が家で受け継ぐ文化のひとつかな。
少なくとも思春期までは、子どもたちも喜んで食べるはずだし。

2011.10.21.追記 院長にご馳走になった寿司屋さんで海苔をお土産にいただいて、わが家でものり巻き始めました。
娘はわざとごはんを残して「コロコロ」「コロコロ」って催促します。
楽しいね。





子ども手当廃止は単純増税(再掲) [時事ネタ]

2011.02.08.の記事を再アップ。



某ポータルサイトをみると
子ども手当なんて廃止!
という意見が少なからず見受けられるのですが、
冗談じゃありません。

1月分の給与明細から、私の(税制上の)扶養家族は一気に2人減りました。
15才以下の年少扶養控除が廃止になったからです。
増税です。

でもこのままでは最悪子ども手当そのものなくなってしまいかねない情勢です。

子育て支援のはずが、むしろ子育て世代の首を絞めかねません。
(我が家だけの話ではありません。医者がそんなチンケなこと言うな、なんて言うことなかれ。)

政権の段取りの悪さはともかくとして、せめて増税分の手当を出すことには反対しないでいただきたいと思っています。

2011.03.03.追記
子ども手当 廃止 増税 といったフレーズで検索してきてくださる方が少なくありません。
該当する方はいーっぱいいるはずなんです。
賛同いただけるなら、何らかの形で表明していただければ・・・。

2011.04.15.追記
先日、実家でうちの税制上の扶養家族って何人だと思う?ってきいてみました。
当然3人だと思っていました。専業主婦1人+乳幼児2人。
違うんだよ!っていうと驚いていました。
そして子ども手当なんていらないって思われていました。
政治家も、マスコミも、年少扶養控除はすでに廃止されていて、それが恒久法であることに表だって触れようとはしない。
与党は、年少扶養控除を廃止した手前子ども手当は廃止にできない、とは言わない。扶養控除は廃止のまま、子ども手当も廃止にしたら子育て世代からの票をまるまる捨てることになるでしょうね。
野党も、児童手当(所得制限付き)復活なんていって、結局それって子育て家庭の増税分で払うわけでしょ?
震災復興のための増税を拒むつもりはさらさらない。
でも、子育て世代を狙い撃ちにするのはあまりに不公平だ。





 [今日のできごと]

病み上がり初出勤は日曜当直だった。
「誰か代わりを探しましょうか」ではなく「別の週と交換しますか」なんてききかたをされたら、ただでさえ少ない休みをみすみす手放さない方向で考えるしかなかった。

翌朝、3年目後期研修医と初顔合わせ。午後の予定手術を終えてから緊急手術2件。
火曜は医局の会議。
水曜も緊急手術1件。
木曜は予定手術だけれど終わったのは夜、その後リンパ節拾い、家路に就いたのは23時。
金曜は比較的早く仕事を終えて、若人たちと飲みに行った。

一口に(初期)研修医と言っても、どんな研修病院に就職するかで、どんな3年目後期研修医になっているかは、かなり違う。
まず研修医が鑑別診断、検査・治療計画を立てて、指導医がそれに助言、修正を与える病院と、
後期研修医が計画して、指導医が監督して、初期研修医には実質的な決定権がない病院と。
今回指導を仰せつかった彼女は後者の病院育ち。
検査や治療の計画、退院までの見通しを自分で立てることには慣れていないらしい。ちょっと一苦労だ。
外科医には術前診断と手術適応の判断、予想される合併症を含めた病状説明、糸結びをはじめとした手術手技、術後管理、覚えてもらわなければならないことがたくさんあるのだが・・・。

指導医って、結構めんどくさいんだな、ということがたった1週間でわかった。
「指導医手当」があるわけでもないのに、という不満も含めて。
そして自分と後期研修医とが、4年も離れているという事実に気付いて、少しショックを受けた。
まだまだ若手、まだまだ修行中の身、後期研修医はライバルだと思っていたのに、そこにはすでに4年もの月日が・・・。


家族と再び離れてからまだ1週間。こちらに戻ってくる日にちも具体化しつつある。
暖かくなって、計画停電もしばらく休みに入った。震災直後のような、日々のニュースに動揺することもない。
先日入浴中に地震が来たときにはさすがに「やめてくれー」と思ったけれど。その後ネットで震度6だったと知った。本当に、もう、やめてほしい。
状況が落ち着いているから、少々忙しいぐらいの方が気持ちも落ち着いていられる。


近所の梨の花が咲き始めた。
夕飯だけのつもりだったけれど、昼間のうちに実家近くの桜並木をみにいくことにした。
祭は中止になってしまったけれど、たくさんの人が満開の桜のトンネルのもとへ訪れていた。

たくさんの人に、春が届きますように。





広島にて [今日のできごと]

日曜の朝、相方からリクエストがあった子どもたちの春物の服をバッグに詰め込んで出発。
世間では出回っていないと言われるペットボトル入り飲料水が、東京駅では潤沢に取り揃えられていた。
母子連れも数組見かけたが、家族旅行をにぎやかに楽しんでいる方々もいた。
新聞を読んだりして、世の中のことを忘れるわけではもちろんないのだけれども、解放感のほうが大きかった。
従って駅まで迎えにきてくれた相方や子どもたちには、軽いハグと笑顔で再会できた。

一旦荷物を置いてから娘と散歩に出た街は、普段と変わらない様子だった。
多少雨がぱらついていたが、ここでは、おびえる必要がなかった。

翌日、とくに育ち盛りの息子の洋服と、15年ほど使い続けてとうとうファスナーが閉まらなくなってしまった旅行カバンを買いに出かけた。
ランチはそのショッピングモールの近所の喫茶店に入った。
初めて、娘が自分用のランチプレートに手をつけた。むしろ足りないぐらいだった。

その晩、子どもたちが眠そうにしているから、ということで19:30就寝。実際に眠ったのは自分だけだったそうなのだが・・。
ここで、数々のウイルスをものともしてこなかった体が、限界を迎えてしまった。
翌朝強い倦怠感と発熱。
誰かの手を煩わせることなく4時間も新幹線に乗り、無事に帰宅できるとは思えなかった。
職場に、今日は帰れない、明日の出勤もできないと連絡を入れた。


一日中寝続けたら、翌朝は解熱(午後にはまた熱が出た)した。
近所のクリニックでインフルエンザの診断。
イ○ビルという吸入薬をその場で吸った。その1回でいいらしい。その薬の存在さえ知らなかった。
職場に連絡したら、週いっぱいの自宅療養を指示された。異動で人手のないときに申し訳ない。
義父母も具合よくなるまでいていいと言ってくださったので、最終的に広島滞在は当初の2泊3日から6泊7日に延びた。

出産のときなどたびたびの長期滞在をさせていただき、本当に義父母に恵まれたし、いい関係を築くように言っていた両親の言わんとすることを、おそらく両親が思っていた以上に実感している。
そして、いろんな風当たりは厳しくとも、不況だろうが、震災だろうが、優先的に資源を供給、維持するべきとされ、雇用の安定している職場に勤めていることもありがたいと思う。
逆に「逃げ出す」ことが許されないのではあるけれども。

薬と自力とでそこそこ具合はよくなったけれども外出はできないという状況で、相方が借りていたDVDをみたり、新聞を読んだり、布団に横になったり以外はゆったりと子どもと戯れる時間になった。
家事は義母さんと相方にお願いすればいい。
あまり子どものことをしからずにすんだ。

下の息子の成長は目覚ましい。
もっていった服はサイズが足りなくなり、ここ1週間で明らかにハイハイが上手になった。
歯がはえた。
泣くと父親の自分では太刀打ちできないけれど、基本的によく笑う。
食事時はなにかしらと戯れて、我々に平穏にご飯を食べさせてくれる。娘のオマルに手をかけるのはやめてほしいけど。
離乳食も嫌がらずに食べているよう。
娘は肉も野菜も好き嫌いなくいろいろ食べている。
トイレトレーニングも再開。
弟と遊ぶ時の力加減も、多少、上手になった。


母によると、関東の余震の頻度は低下傾向、水道水汚染もない、野菜は普通に手に入る、ペットボトルの水や乳製品は相変わらず、ということだった。
天気しだいでまた影響が出てくるとは思うけれども。

相方と子どもたちが帰ってくるのは4月末予定。
具体的な懸案事項があるようには見えなかったが、下が7ヶ月、上だって抱っこをせがんだり、思うように歩かなかったりだから、無理もないか。
春物の服なんてちっとも持ってきてないんだから、一度帰ってきたらどうかとも言ってみたけれども。
とりあえず、けがの功名も手伝って、地震のない、明るい世の中で、家族とのんびり過ごせた1週間だった。


震災で部品供給が止まっていて、広島駅に向かう電車は極端に減らされていた。
詰め込んでも乗りきれないほどの満員電車。
ニーズを読み誤った雰囲気が、計画停電の混乱に似ていた。
片手に娘、片手につり革で踏ん張った。

広島駅、普段どおりビールと穴子竹輪を買った。
(娘)が泣いても知らないぞって言ってあったのに、笑って手を振る娘を前に、真っ先に潤んだのは自分のほうだった。





大地震9 [今日のできごと]

地震発生から2週間。
図らずも、我が家の相方と子どもたちが「疎開」生活を始めてから3週間。
もともとの予定ではそろそろこちらに帰ってくるころだが、そのめどはたたない。

自分はひとりでは生きていけない人間だと、すでに学生時代には悟っていた。
そんな自分には、今の状況は心細くてしかたがない。
地震そのもの、停電と電車の運行状況、ガソリンや食料の買占め、供給不良、原発や放射能と、次々に生活を左右する要素が現れてくる。
透視下の検査でもろに被曝するのに比べれば、現状でのこのへんの空気の放射線量なんてたいしたことはないだろうと思う。
でも、原発に電源がつながり、事態が好転する兆しが見えたかと思ったら、今度は水道水の放射能汚染で乳児の飲用は避けるように言われている。

自分のことや、家族をいつ呼び戻せるか、どうしたら会えるかで精一杯。
あまり神経質になりすぎてもって思いつつも、あえてリスクをおかす理由はない。
たびたびの地震や停電に相方や子どもたちが動揺せず、物資の調達に困ることもなく、ましてミルクや離乳食に水道水が使えない事態に直面せずにすんでいるメリットは、かなり大きいだろう。
(2011.04.03.注 「離乳食」の記載は、「煮沸では放射線量は減らない」ことから記載したものであり、科学的根拠によるものではありません)

65年の時を経て、広島に子どもたちが「疎開」することになろうとは。
でも、それはすなわち福島、日本は必ずまた立ち直れるってことなんだとも思う。


津波やその後の街の変貌の映像は直視できず、テレビではなくラジオに情報を求めるようになった。
「自分たちにできることは」とか、当たり障りのない音楽だったりとか、共感はしているのだけれど、それが何日も続くと、ますます抑うつ状態になっていきそうだった。
最近の情報源は、ネットと新聞。学生の頃のよくきいていたCDをかけたら、つらいことも忘れられた。

連日の休日出勤とたびたびの緊急手術、予定手術も長時間で、心身ともにヘトヘト。
ふと、同僚が異動でいなくなる前じゃなきゃ、今度いつ広島に行けるかわからないじゃん、ということに気づいた。
早速他のDr.の勤務予定、当直を代わってくれるあてを確保して、広島行きを決めた。
いつものスーパーの駐車場に車を止めて、新幹線の指定席をとった。
ひとりであればいつもなら自由席に飛び乗るけど、実は「疎開」している人はそれなりにいるらしく、混雑している可能性があるから。

その後、スーパーで食品を買った。
店全体が薄暗い。あの暗さは、ますます元気がなくなってしまう。明るいのに慣れ切ってしまっただけなのだけれど。
相変わらず、乳製品は手に入りにくい。
シーツを買い換えようと思っていたけど、あまりいいのがなかった。
酒屋さんに寄ったら、その日の昼間に水道の報道がされていたらしく、水は売り切れだった。
自分が買いに行ったのはビールだけど。
孫がいるわけでもないじぃさま、ばぁさまが買い占めたわけではないことを切に願う。
ホームセンターに行くつもりだったけれど、疲労感が強くてやめた。

避難生活を送っておられる方々の方が大変なのは百も承知。
被災しながらも懸命に医療活動を続けている方々よりはるかに平穏な生活を送っていることもわかっているんだけれども。

明日、やっと子どもたち、相方に会える。
そのときの自分は笑ってるかな、泣いてるかな。
はたまた、相方が大遅刻してきて、怒ってたりして。





大地震8 [今日のできごと]

この3連休(といっても仕事のなかった日はない)は停電なし。
電車も、本数は少ないが常時動いていた。
明日からも、常時動くとのこと。
これで、ガソリンや渋滞の心配をする必要はおおかたなくなった。
電車ってものすごい影響力をもっている。

今日も午前から緊急手術だった。
入室までの間に、昨日の時間外入院の方々の方針を出す。
退院や転院の方には、カルテ記事、退院時要約、入院療養計画書、退院証明書、病名を記入するシート(、診療情報提供書(=紹介状))を一気に書きあげ、退院時処方を出さなければならない。
これが1人だけならまだしも、2人、3人にもなると結構きつい。俺の仕事は診療であって書類書きじゃないんだよって。

病棟からの問い合わせに応えてから、手術室に駆け込む。
それほど長時間の手術ではなかったが、強い疲労感があった。
疲れを自覚せざるを得なかった。

その後救急外来に交代に入った。
インフルエンザが勢いを盛り返していたり、胃腸炎の方が多い印象。
初めは相当不愛想になってしまったが、その後勝手を取り戻した。
地震の後から具合が悪いという方も、少数だが、いる。
いろいろありながらも社会とのつながりを持たざるを得ない人の方が、疲れてはいても、心の健康を保てているのかもしれない。
新規受診の患者が途絶えた16時ごろ、やっと昼食にありついた。

数十人規模で被災地から広域搬送されてくる患者さんを受け入れている病院は、どうやら入院中の比較的軽症者に退院してもらうなどしてベッドを確保しているらしい。
非被災地の皆さん、具合悪くなってる場合じゃないよ!
なんていっても無理だけど。

ショッキング、あるいは扇動的なテレビ映像に耐えかねてラジオに情報を求める人が少なからずいるらしい。
自分だけじゃないんだって、少しほっとした。

電車も動くことだし、そろそろこのシリーズは不定期にしようかと思う。





大地震7 [今日のできごと]

ガソリンを温存するために、買い物に行くでもなく、ドライブに行くでもなく。

地震でしっちゃかめっちゃかになったものの一つが年賀状。
この機会に過去の年賀状を整理することにした。
2007年分から、年ごとに輪ゴムで留めてそのままつっこんであった。

結婚を機にやりとりが再開した人がいたり、
姉貴が結婚して、子どもが生まれたり、
写真付きはがきの、いとこの子がだんだん大きくなったり、
友人のうちの親子3人がおんなじ顔してたり。
5年間を振り返ると、いろんな変化があったんだなぁと、結構楽しかった。

その後、アルバムの整理。
うちの子って可愛いなぁと思ったり、
出産のときいろいろあったなぁと振り返ったり。

わりと楽しかった。
でも、前提が「省エネなことをしよう」だったりとか、
いつもは明るく冗談を飛ばしているDJがときおり言葉に詰まりながら放送してたりとか、
どうしても寂しさはついてまわった。

入院患者の状況把握や、弁当を食べる時間、シャワーの時間を考えて早めに家を出た。
同じマンションのお子さんが、「こんばんは」って言ってくれた。
そしてお母さんに「これからお仕事?」ってきいていた。
内心「そうだよ、これからお仕事だよ。そんなに楽して稼いでるわけじゃないのよ」とつぶやきつつ、
今の状況、子どもが一緒なのもそれはそれで間違いなく大変だけれど、正直言って「いいなぁ」と思う。
駅に着く手前で、そういえばこの休みで久々のひとり旅にでも行こうかと思ってたことを思い出した。

ICUが大変らしいとききつけて気道確保困難な患者に挿管したり、
他科の麻酔を手伝ったり、
自分が入院させた患者の緊急手術をしたり、
自分で言うのもなんだけど、彼じゃなくて俺が当直でよかった、と思った。
他科のDr.に感謝されると、自分も少しずつ頼れる医者になっていけているのかなって、自信につながる。

今日の朝食は蕎麦だった。
先週のフライドチキン、フライドポテトに比べればはるかにましだ。
文句は言うまい。

手術を終えて実家に直行した頃にはもう昼過ぎだった。
電車はいつもの半分の本数。
多少混雑していても、満員ではない。
実家ではラーメンとおはぎをごちそうになった。
ロールキャベツ、おはぎ、ヨーグルトを持たせてもらって、歩いて帰った。

これからの日本はどうなっていくんだろう。
電力と経済。
生活で節約できる電力はわずかだけれど、それでもたくさんの人が心がければ大きな力になる。
事実、ひとりひとりの節電が計画停電見合わせにつながっている。
これから先も、みんな、少なくとも当面は電気をこまめに消すように心掛けるだろう。
ただ、それよりも企業の大口消費の方が問題。
原発再建か、非原発のエネルギー源をたくさんつくるのか、それとも経済成長をあきらめるのか。
大きな岐路に立たされている。
エネルギー源が再構築されなければ、計画停電だっていつ終わることかわかったものではない。

自衛隊や米軍。
災害支援を申し出てくださった国は100を超え、たくさんの方々が救助活動のために来日してくださった。
本当に感謝でいっぱい。
この震災を考える上で、地震、津波だけでなく原発の問題を避けられない。
消防、警察、電力会社も含めて、たくさんの方々が命をかけて最前線で活動してくださっている。
自分はそもそも軍隊というものに対して嫌悪さえ抱いていた。
今回、戦争にせよ、災害にせよ、いつ来るとも知れぬ苦境から国を守るために日々訓練を重ねておられることを思い知らされた。
こと米軍に対しては、「それとこれとは別だから、ありがとう、さようなら」という状況にはなくなった。

この国はどんなふうに生活様式を見直し、諸外国と付き合っていくようになるんだろう。






大地震6 [今日のできごと]

今週に入ってから、いつもより30分早く起きる日々が続いている。
行きも帰りも足を確保できそうだったので、電車で出勤した。

朝のカンファレンスで、「今度くる後期研修医のオーベン(指導医)になってくれる?よろしくね」と言われた。
は?自分でいいんっすか。
その後手術室にこもって、日勤業務を終えた。

2回目の停電のため、帰りの電車が動かないらしいと知った。
疲れたから歩いて帰ろうとは思わない。のんびり仕事しているうちに動く時間になるだろう。

検体からリンパ節を拾いあげてホルマリンに浸したのち、母に電話をかけた。
普段なら2つ3つの用事の話ぐらいしかしないけれど、最近は兄弟やうちの妻子の近況を話している。
カップラーメンをすすり、テレビから流れる情報を見聞きしながら手術記録を入力した。
術後患者の無事を確認してから病院を後にした。

確かに外は寒い。電力需要が伸びるわけだ。
一段と安全に注意を払っているためか、少し遅れて、運行を再開したばかりの満員電車がホームに入ってきた。
運行予定の掲示に人だかりができることを除けば、みな淡々としている。



停電する前にできることをしておこうと、6時に起きた。
朝食を済ませて、すぐに家を出た。
印象としては普段の普通の時間より少しすいているぐらい。
FMラジオで だいじょうぶ だいじょうぶ という絵本の朗読をきいた。
涙があふれてきた。
早めに職場について、術後患者の無事を確認してから仮眠をとった。
案の定、道路は混雑していたときいた。

外来には予約の方がみなさん来院され、定期フォローの方も、地震が起きる数日前に退院した方も、それぞれお元気に過ごされていた。
世間話しながら、たびたび揺れた。

宮城から帰ってくるDr.の代わりに明日の当直に入ることが本決まりになった。
彼の代わりを務めることが被災地への間接的な支援、と都合よく解釈することにした。

寒い。
電気ポットも、加湿器も、シャワートイレも数日前にコンセントを抜いたきりだが、エアコンだけは入れることにした。
お湯は必要な量だけガスで沸かすようにしている。
早めに寝て、身体を休めて、明るくなければできないことは明日にまわそう。





大地震5 [今日のできごと]

電車の運行状況は、結局今朝になっても昼分までしかわからずじまいだった。
幸いガソリンにはまだ余裕があり、車で行くことにした。
入荷するかどうかもわからないであろうガソリンスタンドに、500mぐらいの列ができていた。
普段は全く意識しないが、1時間足らずの通勤でも、確実にメーターは減っていた。

電車が動かないことによる個々人のガソリンの消費は、ガソリン待ちの車列にせよ、渋滞にせよ、貴重な労力と燃料の浪費だ。
経済効率が非常に悪い。

職場の至る所で照明が消えている。
つまづくほど暗いわけではない。
でも、明かりがともっていないと元気が出ない。
なにげなくつけっぱなしの電気が、気持ちまで照らしてくれていたようだ。

母によると、桜まつり(昨日の記事参照)は中止になったそうだ。
お祝いムードでもなければ、電気や発電機用の燃料を大量に食うイベントができる状況にもない。
的屋さんには「商売あがったり」な春だ。

今日は仕事を終えて間もなく帰宅することにした。
ディスカウントストアに寄った。地震以来、お店に入るのは昨日のコンビニと、これで2件目。
野菜は意外にたくさんあって、ちょっと安心した矢先、その奥には空の段ボールがたくさん並んでいた。
パウチ入りのお惣菜と、ノンアルコールと、ビールを購入した。
普段ならケース買いするものが、6缶入りx2というだけでなんとなく罪悪感。

ガソリン行列は帰りもほぼ同じ長さだった。
中には大型トラックや、介護事業者の車もあった。
なんとか統制がとれないものだろうか。

夜のうちにがんばって調べたって、明日のことは明日にならなければわからない。疲れたから早く寝よう。
兄にメールしてみた。東海地方でも、売り切れ商品があるらしい。
m3(医療従事者向けサイト)のポイントで、5000人、1500万円分以上の募金が集まっているらしい。
クリックだけで労せずして得たポイントだ。美味しいものを食べようなんて言わずに、協力することにした。

相方から電話がかかってきた。
娘は携帯に録音された父の声に反応しているらしい。
まぁ、娘から言わせれば、確かにわけもわからず離れ離れになったうえ、10日もあってないわけだから。
新幹線が平常運行に戻ってくれれば、1泊でいいから会いに行きたいと思う。





大地震4 [今日のできごと]

今朝の新聞の折り込みに市の広報が入っていた。

桜まつり!

・・・今それどころじゃないだろう。
もうちょっとリアルタイムな話がありそうなものだ。
でも、なくてはならない年に1度のイベントであることも確か。
果たして今年はどうなるんだろう。
にぎやかに屋台が並んだりするんだろうか。


今日は電車で出勤した。
行きも、帰りも医局の会議が終わるころには電車が動いてるはずなので。
車にしようかどうか迷ったけど、自分ひとりのために貴重なガソリンを浪費するのは不経済だ。
多少の不便は受け入れよう。
早めに出たら、それほどの混雑というわけではなかった。

ガソリンが残り数日分しかなく、このままでは出勤できなくなってしまうから電車通勤に切り替える、緊急呼び出しに対応できなくなってしまう、というDr.が少なくない。
でも、同じ県内でも上下水道やガスが保たれていて、液状化もない、というのは恵まれた環境のようだ。

原発が大変。
みんなで先輩Dr.がいる九州の病院に避難しようか、
同期のDr.は子どもだけでも四国の実家に送りたい、と。

とかなんとかいいつつ、準緊急手術を予定通りに終えた。


帰りがけ、相方に電話をかけた。今日は携帯が普通につながった。
節電とかいいながら、ネットで深夜に探し当ててやっと翌日の停電や電車の運行状況がわかること。
もっと防災無線や掲示板を活用すればいいのに、なんて。
食料やガソリンの供給がおぼつかない、停電もある状態で、しばらく帰ってこないつもりでいる、と話した。
最近たまたまテレビを見ていたりで声を聞いていなかった上の子の、自分が電話に出たいと号泣する声がきこえた。
ここまでは普段通りではあったが、半泣き風の声で、なにやらずっとしゃべっていた。
いつもなら、1分としないうちに黙ってしまうのに。
1週間ちょいぶりの父に何か訴えたかったのか、彼女なりのねぎらいなのか。

実家の母とも話した。
何か困ったら兄が救援物資を送ってくれると言ってるらしい。さすがにガソリンは無理だけど。
姉は子どものおむつやトイレットペーパーが手に入らないらしい。オイルショックじゃあるまいし、みんな冷静になれよ。
こちらから言うまで口にはしなかったけど、相方や子どもたちはしばらく帰ってこない方がいいだろうと、母も思っていたらしい。

電話がかかってきた。
こんな時間に誰だよって思ったら、相方がお得意様の地元のお米屋さん。
品薄で店頭に出すものがない状態だけれど、今、お困りじゃないですかって。
そういう心遣いが、すごくうれしかった。





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