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加藤淳solo-performance『hiroshima DNA』 d-15 [hiroshima DNA]


加藤 淳 solo-Performance
hiroshimaD.N.A.

2005年
12月2日[金] 20:00 3日[土]15:00/19:00
Space & Cafeポレポレ坐
12月4日[日]15:00
原爆の図丸木美術館 アートスペース

企画・出演/加藤 淳
設計/二瓶龍彦
音楽/沙知
映像/宇田川伸一
舞台監督/田中克季
フライヤー写真/豊泉富士美
フライヤー・パンフレットデザイン/オータ・ナオ
パンフレット制作/猫柳けいた+二瓶龍彦
[パンフレット:森住卓(フォト・ジャーナリスト)インタビュー所収]
制作/Philia Project

[Photo/Hagiwara Kenichi]


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加藤淳solo-performance『hiroshima DNA』 d-14 [hiroshima DNA]


2005年12月4日(日)11:00am、「原爆の図丸木美術館」に入る。
美術館の奈良間さんはじめ、スタッフの人がほんとうによく協力してくれる。
朝日新聞広島支社の宮崎さんもよんでくれていた。彼は公演がとてもうれしかったようで、打ち上げの二次会までつきあってくれた。お酒は一滴も飲めないのに。
準備は、問題なく進んだ。
開場前に森住卓さんが来る。著作をもってきた。何冊も売れた。だが、その売り上げも結局、「飲み代の足しにして」という森住さんの言葉とともにカンパされた。森住さんには最後までお世話になりっぱなしだった。
美術館の丸木夫妻の作品を見るということもあって、開場前から人は集まってきていた。
僕の中学校のときの英語の先生が来た。僕の舞台を観にくるのはもちろんはじめて。話を聞けば、谷川雁さんのところに出入りしていたり、舞踏もよく観ていたという。中学時代何も知らず反抗ばかりしていたことが、とても恥ずかしく感じられる。先生は、森住さんにサインしてもらい、とてもうれしそうだった。
詩人の稲川方人さんもきてくれた。稲川さんは「丸木美術館」を気に入ったらしかった。
14:30、開場。遠方にもかかわらず、たくさんの人が来てくれた。
15:00、開演。
丸木夫妻のアウシュビッツ、水俣などの巨大な画に囲まれて、パフォーマンスはたんたんとつづいた。不思議な時間だった。何もかもが時間を越えてつながっていくような。
すべては問題なく終了した。
この公演は、様々な人に支えられ、死者たちにも支えられてやっと成立した。感謝の仕方もわからないほど、感謝しなければならない舞台だった。自分たちの力では、このような舞台はつくれない。本来、「悲劇」というものはそういうものかもしれない。死者たちに支えられなければ、「悲劇」は成立しない。
「丸木美術館」は去りがたかった。通常の劇場では、こういうことはあまり経験できない。つまり、多くの劇場は、その「場」を人が支えていないということだ。そこには機構と制度だけがある。
「丸木美術館」も「ポレポレ東中野」も、その「場」を支えているのは、たしかにそこに生きる人たちだった。

東中野まで戻って、打ち上げがはじまった。いつになく、やけに人がいた。これもまた、ありがたいことだ。
そして、二次会へ。ここでは人数もぐっと減る。その分、作品についての濃い話になる。
一緒につくったメンバーたちのなかにはまだくすぶっているものが残っている。それは、結局この作品は誰のために、何のためにつくられたかということにつきる。それは、この作品の今後の未来をも大きく左右する。その自覚が企画者でもある加藤淳のなかにはっきりしていない、そのことが問題だった。やはり、どこか障害をもっていることがエクスキューズとして働いたまま、自分の喜びにだけ帰結してしまう。そのままならば、「広島の3世が障害をもちながらもがんばっています」というものでしかなくなる。みんなが危惧したのは、そのことだった。それは、時に政治的にも利用されるだろうし、そこには障害など関係ない表現者の自由が存在する場所がない。それを乗り越えなければ、芸術の真の役割は生まれてこない。
加藤淳はまだ実感をもてないようだったが、これは逆に言えばみんな期待しているということでもある。可能性を感じているということである。そのための条件は、恵まれすぎるほどそろっている。
このとき、みんな、広島をはじめ、長崎でも、そして大きな悲しみが残っている場所での公演を夢見ていたのだから。

この公演での成果は大きかった。だが、それ以上に大きな課題が重くのしかかる。
それでも、つづけなければならない。思いつづけなければならない。
『hiroshima DNA』という言葉とともに。
たとえ、広島から遠い場所にいようとも。

[Photo/Hagiwara Kenichi]


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加藤淳solo-performance『hiroshima DNA』 d-13 [hiroshima DNA]


2005年12月2日(金)『hiroshima DNA』の幕が 「ポレポレ東中野」でおろされた。
開場準備をしているところに、森住卓さんが来る。パンフレットづくりまで手伝っていただくことになる。
20:00開演。
上演時間は、約45分。
多くの人が来てくれた。広島からも大勢の人が来てくれた。終演後、加藤淳は多くの人に囲まれていた。
加藤淳のお母さんの姿もあった。作品のなかで、加藤淳が静かに名前を呼ぶシーンがある。それらの名前の人は、加藤淳自身とつながっている人たちであり、広島の原爆でつながっている人ともいえる。そのなかに、加藤淳のお母さんの名前も出てくる。僕はそのシーンの間、客席の加藤淳のお母さんを見つめつづけた。彼女は、終始背筋を伸ばし、静かに舞台を見つめつづけていた。そのシーンでも、彼女がそれに反応するように動くことはなかった。胸中、様々な思いが駆け巡っていたことだろう。だが、それが外へあらわれることはなかった。母親の強さなのか、あるいは広島の人間の強さなのか。おそらく両方なのだろうが、僕はむしろ後者の個人の強さ、厳しさを感じた。
美術家の嶋田美子さんも来てくれた。帰り際、「どんどん面白くなってゆくね」と言った。後日、嶋田さんから感想のメールをいただく。僕は常々、障害はその人の属性にしかすぎないと言っている。そのことを、証明してくれるような内容だった。障害に関係なく、加藤淳のつくりだす固有の造形の美しさについて書いていた。うれしかった。
12月3日(土)
15:00と19:00の2回公演。
これで、「ポレポレ東中野」での公演は終わった。
すべて問題なく終えることができた。
だが、参加者のなかに安堵はなかった。公演が終わっても、広島の問題は継続しつづけている。安堵した段階で、僕たちは広島から遠く離れてしまう。
しかも、「丸木美術館」での公演が、明日ひかえている。

[Photo/Hagiwara Kenichi]


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加藤淳solo-performance『hiroshima DNA』 d-12 [hiroshima DNA]


「ポレポレ東中野」で、リハーサルを行なう。
ずっと体調を崩していたフライヤー写真を担当した豊泉富士美も顔を出す。けっして体調はよくなさそうだったが、さかんにシャッターを切っていた。
映像も問題はない。音楽も、ピアノだけでなく、沙知にスキャットで歌ってもらうことになり、重層感を増した。
後は、本番の幕が開くのを待つばかりになった。
思えば、この公演を巡っては様々なことがあった。
『祥子歌唱ライブ』を広島で上演したときに会った、加藤淳の両親をはじめとする広島在住の多くの人たち。広島という場所で多くの人たちと出会えたことは大きかった。広島で長年仕事をしているアーティスト岡部昌生さんの存在も大きかった。『ポレポレ東中野』、『丸木美術館』のスタッフの人たちとの話し合いも貴重な体験だった。そして、フォトジャーナリストの森住さんとの出会いも、財産になった。
同時に起こった個人的な出来事。中学時代の同級生の自殺。友人の美術史家の片桐頼継の絶望的な病状の知らせ。父親の突然の入院。それに加え、この公演直前に、別の舞台の本番をふたつかかえていた。それもなんとか無事に終えることができた。
作品づくりでも、様々なことがあった。継続する広島の問題の重さ、まさに「hiroshima DNA」の重さにみんなが必死で向かい合った。
その舞台が、試されるように幕をあげる。
広島からも大勢の人たちが来るという。

[Photo/Hagiwara Kenichi]


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加藤淳solo-performance『hiroshima DNA』 d-11 [hiroshima DNA]


誠実に作品と向き合いつづけるしかない。
作品として仕上げるための余計な欲望をいかに捨てられるか。
やっと作品の核が、ゆるぎないものとなってくる。このままでも幕を上げることはできるが、もうひとつ飛躍させたい。上演時間45分。ソロとしては十分な時間だが、ここから飛躍させ、1時間にしたい。だが、加藤淳は足の障害のほかに、喘息も持っている。無理はさせられないという思いもよぎる。彼はまだ呼吸法を身につけていないために、その負担の蓄積は想像以上だ。
この作品は、今回だけとは思っていない。いまの核を大事にしながら、成長していけばいい。それでも、今回の上演の間に、飛躍が生まれるかもしれない。
公演場所が2ヶ所であるため、どちらもリハーサルをしたい。特に、影を焼きつける映像の実験は、事前にそれぞれの場所でやっておきたい。
最初に「丸木美術館」でリハーサルをやらせてもらう。公演場所の壁全面には、丸木夫妻の「アウシュビッツ」や「水俣」の巨大な画が掲げられている。改めて、ここで公演できる喜びと興奮、緊張をかみしめる。
そこに、インタビューしたフォト・ジャーナリストの森住卓さんが来て、写真を撮る。
フォト・ジャーナリストが実際に写真を撮る姿は、なかなか見られるものではない。
加藤淳が床に這いつくばっているところに、森住さんは同じように這いつくばりながら彼と向き合う形でシャッターを切った。パフォーマーと息を合わせるように、動きつづけた。あの壮絶なセミパラチンスクやイラクの写真の数々も、きっとこういう態度で撮っているのだろう。
「僕は彼のことが好きなんだよね。なんか馬が合うんだよな」
森住さんは、加藤淳についてそう言った。
リハーサルは問題なく終わった。映像も何とかなりそうだ。
帰り道、森住さんもまじえてお茶をする。森住さんは甘党だった。
僕が唯一もっていない森住さんの写真集『ウィーンフィルハーモニー』を、次回もってきていただけることになった。
森住さんと別れた後、僕と加藤淳はフォト・ジャーナリストの広河隆一さんの講演会に出かけた。
そこで激動しつづける世界の現状を目の当たりにさせられ、緊張と同時に、自分たちの仕事を問われていると感じる。

[Photo/Hagiwara Kenichi]


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加藤淳solo-performance『hiroshima DNA』 d-10 [hiroshima DNA]


少しづつではあるが、形をとりはじめる。稽古場にいい緊張感が生まれはじめる。背後には、時間との切迫した葛藤もある。それを抑えての緊張感であるから、密度の濃い時間が生まれる。やっと作品づくりのコラボレーションがはじまった。
そして、ある日、突如として決定的な時間が生まれた。「ぬけた!」という一瞬だ。いつでもそうだが、その瞬間が生まれたら、後は飛躍してゆくだけ。この瞬間がいつ生まれるかは計算できない。本番の2週間前のこともあるし、本番前日のこともある。いつかは計算できないが、必ずどの作品にもその瞬間は訪れる。それをどれだけ待てるか。その瞬間が訪れないまま幕が開くことはない。そのときは公演中止にせざるを得ない。幸い、いままでその決断をしたことはない。
パフォーマーにとっても無限に先が開けてゆく瞬間でもある。次の日から、作品はまるで別の作品のようにガラリと様相を変えるはずだ。
だが、次の日、愕然としてしまった。加藤淳は、飛躍することとは全く逆の、前日の復習をしてきていた。こういったよい時の後追いは、パフォーマーに限らず役者などにもよく見られる。「二日落ち」といわれるのは、このことに由来する。だが、この飛躍の瞬間を受けて、後追いするパフォーマーにあったのは初めてだ。少なくとも、彼の身体は飛躍の瞬間を感知したはずだった。それを抑えこんだのは、またしても彼の自意識だった。そして、「当事者」の問題。やはり、パフォーマンスで「当事者」の特権が顔を出しては、訴えになっても、作品にはならない。
彼は、立つことにこだわった。そして、歩くことにも。飛躍の焦点がそこに集約されてしまった。
彼は言った。
「二瓶さんのおかげで、こんなに足が動くようになって、立てるようになったんですよ」
僕は残酷に答えるしかない。
「君が立てたと思っているその姿を、人は立てない悲惨な姿として見る」
彼は納得しかねているようだった。立てる喜びに抗しきれない。だれかに褒めてもらいたい。だが、それは作品とは全く関係がない。彼個人の問題でしかない。だれもそれを共有できない。僕はつづけざるを得ない。
「それは、君のなかの比較でしかない。立てなかった君が少し立てるようになった。それだけ。この舞台は、君が立てるようになったことを発表するためのものではない」
加藤淳は、呆然とした顔をした。少しづつ理解しているようでもある。
パフォーマンスとは、存在そのものの表現。すべてが露呈する。どれだけ謙虚に存在を受け入れ、同時に放り投げられるか。そのとき、身体は生まれる。そのとき、ある意志を身体が強くもっていれば、そこには圧倒的な時空間が生まれる。
またやりなおしだ。
「もう間に合わない」という声を押しつぶしながら、あせらず粘るしかない。最後の正念場だ。

[Photo/Hagiwara Kenichi]


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加藤淳solo-performance『hiroshima DNA』 d-9 [hiroshima DNA]


稽古は、難航をきわめた。
要は、具体的に加藤淳が何をやりたいのかということにつきる。どんな舞台をつくりたいのか。
これは、簡単そうでそう易々とはいかない。普通のパフォーマーでもそうだが、加藤淳の場合「当事者」という問題が大きく立ちはだかる。
通常、当事者が何かを表現する場合は、差別的な現状を訴えるとか、少なくとも同じ境遇の人たちの待遇改善の訴えなどが目的とされる。政治的な目的のひとつの手段として、パフォーマンスが選ばれる。よって、その表現のクオリティは問われることはなく、普遍性も生まれない。当事者の訴えで終わる。
だから、今回は二重に大変な作業になる。加藤淳が今まで参加してきた舞台は、ある意味、そこにいるだけでよかった。障害を持つパフォーマーがそこにいればよかった。彼はたえずよばれるだけの存在だった。それが、彼にとっても存在理由の大きな支えにもなっていただろう。求められる存在。だが、今回は与えなければならない。
全く稽古が進まない日がつづく。
遂に、音楽の沙知が爆発した。
「いったい何をやりたいんだ!」
当然のことだ。
だが、加藤淳から答えは出てこない。そう易々と答えが出るはずもないが、その糸口さえ出てこない。いろいろ聞いても「僕」のことしか出てこない。
この「僕」というのも厄介だ。彼に限らず、僕はパフォーマーに対して「それは、あなたの問題で、共有できない」とよく口にする。自分が問題としていることと、自分の問題が往々にして混同される。今回の場合、当事者であるだけに、その混同は起きやすい。映像の宇田川も頻繁に稽古場を訪れ、彼の話に耳を傾けていたが、ヒントすら出てこないことに焦りはじめていた。
もはや、タイムリミットは過ぎていた。手をうたなければならない。
下手をすると、加藤淳にとって、内容の話で互いにぶつかり合うことが、よりよい作品を作るための作業ではなく、単なる政治的な関係になりかねない。それほど彼が過ごしてきたこの社会での生活が過酷であったともいえるのだが。
ある方向性だけでも見出さなければならない。
沙知と宇田川に今まで稽古で何か見えたものはないかと聞く。
沙知は、「爆心地の人が聞いた音楽をつくりたい」といった。原爆投下の瞬間、何もかもが消えてしまう瞬間、永遠の静寂の中を流れた音楽。いい着眼点だと思う。困難なところがいい。
宇田川は、「影をつくりたい」と言った。加藤淳が動いた後に、床にその影を定着させるというもの。この宇田川の発想は、なかなか映像作家からは生まれてこない。舞台の現場を数多く踏んでいるいることもあるが、その発想の出所が誠実なのがいい。
このふたつを柱に進めてゆくことにする。
加藤淳自身はまだピンときていないようだったが、逆にアプローチされて、彼のなかに何かが生まれることを期待するしかなかった。
「当事者」から素晴らしい芸術が生まれることは、本当にまれなことであり、ひとつの作品を生むことはできても、継続してゆくことは困難だ。加藤淳の将来のことを考えても、ここは互いに踏んばるしかない。

[photo/Hagiwara Kenichi]


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加藤淳solo-performance『hiroshima DNA』 d-8 [hiroshima DNA]


この企画が決定した直後に、僕はひとつの訃報を受けとった。
中学時代の友人。自殺だった。
その訃報を家の留守電で聞いたとき、僕は怒鳴っていた。
「なにやってんだよ!」
彼女は東映に勤めていた。時々、僕の舞台も観にきていた。そして、いつもきまって具合が悪そうになっていた。はせさんの舞台を観にきたときは、元気で帰っていった。
何かやろうとしていると思っていた。
だから、彼女の気持ちは痛いほど伝わってきた。乗り越えなければならなかったのだ。そういう時期だったのだ。Philia Projectを設立したのも、僕個人にはそんな思いもあった。そして、多くの人に助けられた。
彼女は、その孤独を乗り越えられなかった、あるいは受け入れきれなかった。
彼女とはしばらく会っていなかった。会っておけばよかった。もしかしたら、何かが変わっていたかもしれない。言ってもしょうがないことだが、そんなふうにしか思えなかった。
今でも、棺のなかの彼女の死顔が、頭から離れない。その顔は、僕の代わりのようにそこにあった。
「あいつは、何か書いていたんじゃないの? 残っていないのかな。残っていたら、遺稿集とかさ」
後日、別の中学時代の友人に飲みながら僕がそう言うと、
「書けていたら、死んでないよ」
友人は、そう言った。
彼女の死は、もう10年近く前に死んだジャナーリストの友人きむ・むいの死以来の、ボディブロウのような痛みとして徐々に効いてきている。
  *
稽古が本格的に始まった直後、めずらしく弟から電話が入った。いやな予感が走る。
父親が倒れた。心臓。幸い、命に別状はなかった。
加藤淳だけには、このことを伝えた。
「もしかしたら、この後、突然なにかあるかもしれない。だから、お前がちゃんとこの企画を早く仕切ってくれないと」
加藤淳は、心配そうなまなざしを向けた。それは、僕のことを心配するまなざしだった。だが、それは僕を不安にさせた。自分のことよりあなたが心配だというそのまなざしに、僕は彼のいつもの社会を生きのびてゆくための身振りを感じたし、この企画を自分でちゃんと引き受けていくということの意味を理解していないように感じた。
その不安は、ずっとつづくことになる。

[photo/Hagiwara Kenichi]


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加藤淳solo-performance『hiroshima DNA』 d-7 [hiroshima DNA]


スタッフとの最初の仕事は、フライヤーの作成となる。
これは、身体を集中的にほぐしなおす前にやらなければならなかった。
写真撮影は、豊泉富士美。
僕としては、圧倒的な身体を撮ってもらいたかったのだが、とりあえず豊泉富士美と加藤淳のふたりにまかせた。
二日間、撮影したが、どうも納得のゆくものが撮れないらしいので、僕も立ち会って実際に身体を動かすための「場」をつくる。
僕のいう圧倒的な身体は、完全な脱力の身体が極限にむかって動くときにあらわれる。それを最も阻むものは、自意識だ。これが身体を支配しはじめると、ただがんばっている肉体があらわれるだけになる。
前にも書いたように、加藤淳はまだそれを体得していない。そして、彼は自意識が強い。撮影などという場では、ぞんぶんに自意識があらわれる。つまり汗だくの肉体だけが露呈する。
それで、圧倒的な身体を撮れというのも無理な話だ。
豊泉富士美は、それでも撮りたい絵があったらしく、淡々とシャッターを切っていった。
ポートレートがいいと思う」彼女はそう言った。
後日、みんなで出来上がった写真を見た。
やはり、動いている写真は当然のことながら圧倒的なものではなかった。
しかし、ポートレートはよかった。僕には残酷な写真に見えた。広島被爆三世のサンプル写真に見えた。フライヤーの写真は、こうしてすぐに決まった。
デザインは、オータ・ナオが担当。彼女は、自分自身のソロ・パフォーマンスのときにフライヤーのデザインをした。今回は2度目となる。経験は少ないが、デザインをやってゆくのがいいと僕は思っていた。
いよいよフライヤーが上がった。やはり、残酷に見えた。いいフライヤーだ。
(実際、このフライヤーを見て、オータ・ナオのところに別の劇団から発注が入った)
すべてはそろった。
いよいよ作品の内容に入ってゆく。

[フライヤー・写真/豊泉富士美
フライヤー・デザイン/オータ・ナオ]


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加藤淳solo-performance『hiroshima DNA』 d-6 [hiroshima DNA]


作品の内容に入る前に、3週間ほど集中的に身体だけを見直すことにした。
誰しもが日常のなかで身体は緊張と抑圧を受けている。その結果、背骨は曲がり、縮こまり、固まってしまい、血の流れも、気の流れも悪くなり、腰痛をはじめ様々なところに支障をきたしている。加藤淳の場合、車椅子で移動の生活のため、それは人より激しい。
体の表面にたまった緊張をほぐすことからはじめる。
腕だけの力で車椅子をこぐために、上体と下半身のバランスがかなり悪くなっている。足も股関節も固まっている。
それらを徹底的にほぐし、自然な身体にしてゆく。健常者のような身体にしてゆくということではない。あくまで緊張と抑圧をとり、その人のありままの自然な身体に戻してゆくということ。
そして、身体を頭の支配から解き放つこと。人は頭で身体を動かしていると思っている。もしそうなら身体はほとんど動かない。関係は逆である。頭はいつでも身体の声を聞くことしかできない。
ほぼ身体はゆるみ、ほぐれた。本人が思っていた以上に股関節はほぐれ、足は動くようになった。でも、これは障害のある足がよくなったということではない。本来、障害があっても動ける範囲に戻したにしかすぎない。それほど身体への抑圧ははげしい。しかし、加藤淳はよくなったと、健常者に近づいたと思いたがった。その後、それを何度もいさめることになる。
次は、そのほぐれた身体を力を使わず動かし、コントロールする段階に入る。これは、一朝一夕にはいかない。それができれば時間と空間を身体ひとつで生成させることが可能となる。そのためには、徹底した脱力状態で、身体を極限まで動かせなければならない。これが、彼と他のパフォーマーとの致命的なテクニックの差となってあらわれていた。いうまでもなく、ありのままの身体になれば、障害など関係ない。個の存在が問われるだけである。そのテクニックを今回、彼は多少とも手に入れなければならない。
すべては、呼吸法にかかっている。
しかし、これは本番までに徐々に身につけてゆくしかない。

そして、いよいよスタッフをまじえての作品作りがはじまった。

[photo/Hagiwara Kenichi]


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