1回の試験で人生が決まるというような運用は避けたいですね
昨日テレビでは、韓国の大学受験が厳重な不正行為防止チェックを伴ってはじまりました、というニュースをやっておりました。昨年の入試で、携帯電話による大量カンニングが発覚したことを背景に、今年は試験会場への携帯電話持込を禁止するなど、厳重な不正行為防止策を講じているということでした。
一昨日、TOEFL-iBTが自宅受験できない理由として、不正行為防止を含むセキュリティの対策課題が大きいというお話をしました。「人生を左右する試験になればなるほど」受ける方も必死になりますので、セキュリティの対策はより重要になります。資格認定試験一般でいえば、例えばピアソンVUEの場合、「試験中、テストセンターにお持ちになった私物に触れることは許されません。」といったことになっておりますし、携帯電話の電源は切ることが求められます。またメモ帳と筆記用具もテストセンターで用意されたものしか利用できません。このように、厳格なセキュリティのもとで試験を実施してこそ、取得された資格の価値が保証されるということになります。
一方で、CASECやヤフーのインターネット検定のように、人を選別するための試験というよりは、自己診断的・教育支援的な要素が強い試験の場合、不正行為をしても自分のためにならない、という受験者の意識がはたらきますので、セキュリティの対策はそこまで重要視されないのかもしれません。
考えてみれば、1回の試験で人生が決まるというような仕組みは、無いに越したことはないのでしょう。かといって、試験不要論が出てくるのもあまり感心しません。あくまで試験はハードル(試練)ではなく、能力をはかるモノサシとして機能すべきなのです。試験そのものが問題なのではなく、結果の利用方針に問題があるということです。自動車免許の適性検査として、視力が両眼で0.7無い人が不合格になるのは、あきらかにその適正が欠けていることから仕方が無いとしても、その他多くの場合は、1回、あるいは1項目の試験の結果だけで不合格としてしまうような「運用」は、様々な不都合、歪が生じます。自動車免許の視力検査にしても、裸眼で不合格であっても、メガネやコンタクトレンズを利用することで0.7以上になればOKですし、私のように方眼0.3の視力が無くても、視野検査で合格とするような救済措置もあります。試験の結果、ある分野の「能力」が劣っていたとしても、それは落とすための理由ではなく、今後補うべき、また伸ばしていくべき「課題」として捉え、その他の能力で秀でていれば合格となるような、試験結果の運用法がいいですね。







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