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ルリピーのカトリック講座14 [ルリピー]

リンクの許可は一切出しません。某偽者とは無関係です。
第37章 仕事についての提案

2.家庭訪問
339 家庭訪問は、レジオが最初に取り組んだ仕事ではありませんが、伝統的にレジオが優先してきた仕事であり、どこでも行われているレジオの特別な仕事で、レジオがきわめて大きな善を達成する道です。レジオの一つの特色です。
 この訪問を通して、非常に多くの人びとと個人的ふれあいをもつことができ、またすべての人とすべての家庭に教会が関心をもっていることを示すことができます。「教会は最も近辺のキリスト者の家庭だけに司牧的な関心を絞るのではなく、キリストのみ心と一つになってその範囲を広げ、一般家庭、特に困難な状況や問題のある家庭に対して一層深い司牧的関心を向けます。教会はすべての家庭に、真理と親切と理解と希望と、そして同情の言葉を語りかけます。家族が時として直面する悲劇的な苦労に対するように創造主が『はじめ』から意図され、キリストが贖いの恵みによって新たにされたあの家庭の模範に近づくことができるよう、教会はすべての家庭に分け隔てのない助けを与えます」(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告「家庭」65)。
 プレシディウムは、家庭に取り組むための自分たちの方法を考え出さねばなりません。当然、レジオ会員は自己紹介をして、訪問の理由を説明しなければなりません。次のページ以降に述べられている家庭をイエスのみ心に奉献するための訪問や、小教区の名簿の作成、カトリック文書の普及などは、家庭への取り組みがなされるためのいくつかの方法でしょう。
 キリスト教的生活を送っているカトリック信者だけではなく、すべての人びとを、家庭訪問を通してレジオの使徒職の領域に導き入れることができます。カトリック信者でない人、キリスト教徒でない人、また教会から遠のいているカトリック信者ともふれあいをはかることができます。上に述べたような、正規の婚姻関係にない人たち、要理を学ぶ必要のある人たち、一人暮らしの人や病人などへも配慮がなされるでしょう。すべての家庭が奉仕の対象とみなされるべきです。
 レジオの訪問には、謙虚さと誠実さがなければなりません。人びとは訪問に関して、高飛車に説教されるのではないかとの間違った考えを抱いているかもしれません。これに反して、レジオ会員はまず話すことよ
第37章 仕事についての提案

りも聞くことを目指さねばなりません。忍耐強く尊敬をこめて耳を傾け
たとき、レジオ会員は自分たちの話も聞いてもらえる権利を勝ち取ったことになるのです。

340 「信徒の福音宣教の使徒職において、家庭の宣教活動ということを強調しないわけにはいきません。教会の歴史でいくたびも、また第二バチカン公会議においても、家庭はまことにふさわしく『家庭の教会』という美しい名で呼ばれました。この名は、キリスト教徒のどの家庭にも、全教会の様々な面が見いだされるべきであるということを意味します。その上、家庭は教会のように、そこで福音が伝えられ、そこから福音が輝き出るような場でなければなりません。
 「この使命を自覚している家庭では、全員が福音宣教をし、同時に福音化されています。両親は子どもたちに福音を伝えるだけでなく、自分も子どもたちから生活にふかく根付いたものとなった同じ福音を受けることができます。
 「このような家庭は、他の多くの家庭と自分の近隣とを福音化するものとなります。
混宗結婚をしている家庭では、子どもたちにキリストをしらせ、共通の洗礼から生じるすべての務めを完全に教える義務もあります。その上、一致をつくる者となるという困難な仕事もあります。」(教皇パウロ六世使徒的勧告「福音宣教」71)。

3.家庭をイエスのみ心に奉献すること
341 家庭をイエスのみ心に奉献する信心を広めることは、家庭間の友情への特に好ましい導入であり、その道を備えるものであることがわかるでしょう。
 この取り組みを特徴づける考え方や方法については、第39章「レジオの使徒職の要」で詳しく考察されています。そこには、できるかぎりひとつの家庭も見過ごさずに各家庭において老いも若きも例外なしに、一人ひとりが霊的生活を一歩でも前進させるように、愛情のこもった
第37章 仕事についての提案

忍耐強い努力を払わねばならないことが十分に述べられています。
 この仕事に派遣された会員は、イエスのみ心の十二の約束を豊かに受けることになるでしょう。第十番目の「わたしはもっとも頑固な心をも動かす恩恵を司祭に与えるでしょう」との約束さえ、司祭の代理として行く人びとにもある程度与えられるでしょう。特にこの思いに励まされて、レジオ会員は「絶望的」の烙印をおされた問題とも取り組むために、完全な信頼をもって出かけて行きます。
 奉献のための訪問は、糸口となるあらゆる方法の中で最も実り豊かなもので、一番最初から素朴な信心について適切に話し、親しくなって繰り返し訪問できるように助け、レジオの使徒職の発展を容易にしてくれます。
 イエスのみ国をもたらすことがマリアの使命ですから、レジオ マリエがイエスのみ心への奉献の信心を広めることは、特別に適切なことです(これは聖霊の特別な恩恵を招くはずです)。

 「家庭を愛することは、家庭のもろもろの価値と本質を正しく評価し、それを常に育てていくことができることです。家庭を愛することは、家庭を脅かす危険や悪を見抜き、それに打ち勝つことです。また家庭を愛することは、家庭が成長していくために好ましい環境を創造する努力をすることです。現代のキリスト者の家庭はしばしば失望に陥りがちで、増大する難問に悩まされています。こうした家庭に対して、家庭そのものに信頼し、またその本性と恵みによって家庭に備わる豊かさや、神が家庭にゆだねられた使命を信頼する根拠を取り戻させることは、愛のまことに優れた形です。『そうです、今日の家庭はその本来の居場所に呼び戻されなければなりません。家庭はキリストに従って歩まなければならないのです』(『アクタ・アポストリケ・セディス』72、791)」(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告「家庭」86)。

4.小教区信徒名簿の作成
342 この仕事は配慮を必要とするカトリック信者、または「遠のき信者」の部類に入ってしまった信者、すなわち教会とのつながりを全く失ってし
第37章 仕事についての提案

まった人たちとふれあうための最善の方法です。司祭の名で行くのですか
ら、訪問はできれば軒並みに行うべきでしょう。訪問を受けた人たちは、宗教についてこまごまと聞かれることを当然のことと考え、一般には、喜んで質問に答えてくれるでしょう。こうして学んでいくことの中には、司祭とレジオ会員にとって、長期にわたる努力を必要とすることがらが多く含まれています。
 しかし発見は手始めの、最も容易な一歩にすぎません。こうして見いだされた人たちを教会の集いに連れ戻すことは、ある意味で神からレジオに与えられた信託の仕事であると考えねばなりません。レジオが喜んで着手し、不屈の精神で遂行しなければならない仕事です。たとえその戦いがどれほど長引こうとも、労苦がどれほど大きくとも、どんなにひどい仕打ちを受けようとも、状況がどんなに困難なものであろうとも、また見通しがどれほど絶望的であろうとも、レジオは自らの力が原因で、この神の信頼に応えられないことのないようにしましょう。
 加えて、無関心な人たちだけではなく、すべての人に愛のこもった配慮を注がねばならないことを繰り返しておきます。

 「教会で使徒的努力を必要とする分野において、わたしたちは公的使命、摂理的な活動方法、わたしたちに特有の武器を持っている。それは、わたしたちは単にマリアの名と保護のもとに霊魂に近づくだけでなく、何よりもまずそれらの霊魂をマリアへの子どものような愛情で満たすために力の限り働くということである」(「マリア会士 マリア学提要」)。

5.神経科病院を含む病院訪問
343 貧しい人びとのための病院訪問は、レジオが最初に手がけた仕事で、しばらくの間はそれ以外の仕事はしていませんでした。生まれたばかりの組織にとっては恵みに満ちていました。そしてレジオはプレシディウムがこの仕事をずっと続けて行くことを望んでいます。レジオの初期に書かれた次の文章は、訪問の特徴となるべき精神をよく示しています。 「そ

第37章 仕事についての提案

れから一人の会員の名前が呼ばれ、報告を始めました。それは病院訪問
に関するものでした。簡単でしたが、患者と大変親密な関係にあることを示していました。彼女は少し当惑したように、患者たちがみな彼女の兄弟姉妹の名前を知っていることを認めました。共同訪問者が彼女に続いて報告をしました。明らかに二人一組で仕事をしているのです。わたしは、これが使徒職の模範となることとは別に、この習慣によって毎週の訪問が次週に延期さることが防げるということがわかりました。
344 「報告が次ぎから次ぎへと続きます。ある病棟では何か新しいことがあって報告が長くなりますが、ほとんどの報告は簡潔です。興味深い報告や感動するような報告が多く、この病人たちの中で訪問されているのは「だれ」なのかはっきり認識されており、すべての報告は美しいものです。どの報告にもその証しがあります。ここで報告されるように、人びとの中でもっとも小さい人たちのために飾り気なく自然に行われていることを、自分の血肉を分けた人たちに対してさえしようとしない人が大勢いるのです。行き届いた世話や優しさで訪問し、手紙を書いたり、音信不通の友達や親族について調査したり、使い走りをしたり、たくさんの仕事をこなします。明らかに、どんなに嫌なことでも、どんなにつまらないことでも世話できないものは何もないのです。
345 「集会である患者から訪問者に当てた手紙が読み上げられました。その手紙のなかに、『あなたがわたしの生活の中に入ってきてから』というくだりがありました。安っぽい小説のように聞こえて皆笑いました。しかし後でわたしは病院のベッドに一人寂しく横たわる病人のことを思いおこし、これらの言葉がその病人にとってどれほど大きな意味を持つかを考えたとき、非常に感動しました。わたしはまた、それは一人の人について述べられているが、すべての人に当てはまるのだと考えました。こうして多くの人を一つの部屋に集め、天使のような使命をもたせて彼らを世間から忘れ去られた何千の人たちのもとに送り出す組織の力はすばらしいものです」(コンチリウム初代指導司祭、マイケル・クリードン師)。
346 レジオの訪問は、患者に苦しみの真の意味を伝え、彼らがその苦しみを正しい精神で耐えることができるようになるためのものでなければなりません。

第37章 仕事についての提案

 彼らが耐え難いと思っていることは、実はキリストの似姿に形づくる
ことであり、「神は、愛するみ子が生きられたような生涯をお与えになるほどに大きな恩恵をわたしたちにお与えになることはありません」とアビラの聖テレジアは言っています。したがって大きな恩恵であることを、分かってもらはなければなりません。苦しみのこの意味を人びとに理解してもらうことは難しいことではなく、一度理解すれば、痛みは半減するでしょう。
 病人が病から得ることのできる霊的宝のすばらしさを悟るためには、アルカンタラの聖ペトロが非常につらい病を見事な忍耐力で長い間耐えた一人の病人に言ったあの賛辞の言葉を繰り返すことが助けとなるでしょう。「おお、なんと幸せな病人よ。あなたがその病から勝ち得た栄光がどれほど偉大であるかを神はわたしに示されました。あなたは他の人びとが祈りや断食、徹夜や鞭打ちその他の償いの業によって得ることができる以上の功績を勝ち得られました。」
 これらの霊的宝は、それを得る方法はひとつですが、用いるにはさまざまな用途に用いられることが望まれます。その上、自分のために宝を蓄えるということもあまり説得力はありんせん。そこでレジオ会員は苦しみの使徒職という考え方を明らかにすべきです。病人には、この世の霊的なことがらのために忙しく働き、苦しみから得た宝をそれを必要としている無数のことのために捧げ、これを一つの運動として行うように教えねばなりません。この運動は祈りであると同時に償いの行為でもあるため、その力には抵抗しがたいものがあるからです。
 「神に挙げられたこのような手は、敵に打ちかかる手よりも、多くの軍勢を打ち破る」とボスエは言っています。
 もし病人が自分たちが祈っていることに個人的に興味を感じるようになれば、その祈りを長続きさせる助けとなります。そこで、格別の必要事や仕事(特にレジオ会員自身の)を選び出して病人に説明することが重要です。
 賛助会員にすることがまず最初の目標でなければなりません。それからアジュトリアン段階を目指します。これらの会員のグループは、次に他の人たちを募集するグループとなっていくでしょう。他のどのような方法

第37章 仕事についての提案

による場合でも、患者同士が互いに助け合うよう励まさねばなりません。
 しかし、この段階の会員を獲得できるのなら、活動会員を獲得できないはずはありません。患者で構成されているプレシディウムのある神経科病院はたくさんあります。施設にこのようなプレシディウムがあるということは、そこで強力なパン種の働きをさせることです。これらレジオ会員は、他の患者の間で活動するための時間は十分にあり、自らを高度な聖性へと高めることができます。治療力や回復力としてより低い水準で考えても、レジオ会員であることは、至るところでこのような病院の医師たちが認めているように、患者自身にとって価値があることは明らかです。
 この新しい人生観が開けてくると、今まで自分は役立たずで重荷だと考えて惨めな思いのどん底にあった患者たちは、神のために役立っているのだと感じて、無上の喜びを味わうでしょう。
 そこにはきっと、レジオ会員と訪問を受ける人たちとの間のように、重荷と恩恵を有利に交換するような仕方で、諸聖徒の交わりが強く働いているにちがいありません。死すべき人間の誰もが払わねばならない苦しみの負債の一部を、病人がレジオ会員に代わって払っているとは考えられないでしょうか。もしすべての人間が自分でその負債を払わねばならないとすれば、世界中の人がみな病人になってしまうでしょう。ですから世の中の仕事がうまく進んでいくために、ある人たちは自分の分け前以上のものを担う特別な恵みを受けているのです。
 ではこの目に見えない取引で、レジオ会員は何を与えることができるのでしょうか。レジオ会員はその使徒職を分け与える以外にありません。病人はキリスト者としての使徒職の務めを果たすことができない(時としてはその心構えができていない)のですから。  こうしてすべての人は、互いの犠牲によって喜んで恩恵を与えあいます。しかしこれは均衡の取れた交換にすぎないことではありません。与えることは百倍になって報われるというキリスト教的原則のために、各自の利益はその損失をはるかに上回るからです(第39章「レジオの使徒職の要」20項参照)。

347 「『わたしはキリストの麦である。神にふさわしいパンになるために

第37章 仕事についての提案

ライオンの牙でかみ砕かれなければならない』とアンチオキアの聖イグナチオは言った。十字架の中で最もよいもの、最も安全なもの、最も聖なるものは、イエスご自身がわたしたちに相談することなくお決めになる十字架であることを疑ってはならない。ナザレトのイエスに象られた聖人たちがこよなく愛したこの教えへの信仰を深めなさい。神のみ手から直接に来るあらゆる反対や試練に会うとき、神を崇め、賛美し、称えなさい。そしてあなたの本性からくる嫌悪感を克服して、心から『み旨のままに』と、あるいはもっとふさわしく『主をあがめます!』を唱えなさい」(マテオ・クローリー・ボエヴィー)。  

6.最もみじめで、失意にある人びとへの仕事
348 これには、彼らのたまり場や旅館、ホステルや刑務所への訪問などがあり、住み込みや通いのレジオ会員によるホステルの経営などもあるかもしれません。
 どこの中心地区にあるレジオも、十分な経験と能力をもつ会員がいれば、直ちにキリストの最も小さな人びとの最も小さな者のためのこの仕事に取り掛かるべきです。この仕事がなおざりにされることがあまりにも多く、その結果カトリックの名前が非難されることになります。
 イスラエルの家の迷える羊を捜し求めてレジオ会員が入り込めないような深みなどあるはずもありません。間違った恐怖感が最初の妨げとなります。しかし間違っていようと根拠があろうと、だれかがこの仕事をしなければなりません。有能でよく訓練されたレジオ会員が、その祈りに支えられ規律のある組織に守られて、この仕事をやってみることができないなら、だれもやれるものはいません。
349 どこの中心地区にあるレジオも、その会員たちが「下層の階級のすべての」人びと一人一人を個人的に知っており、なんらかの方法でふれあっているとほんとうに言えるまでは、その仕事はまだ不十分な発展段階にあると考えるべきで、この方向に向かっての努力を強化しなければなりません。
 この地上の珍しい貴重なものを捜し求めている人でも、この世の不幸な人びとを捜し求めているレジオ会員以上に熱心にその心の望みを追求し

第37章 仕事についての提案

てはいないにちがいありません。レジオ会員のこの仕事は、これらの人び
とにとって永遠の生命を得るための唯一の機会であるかもしれません。彼らはめったによい影響を受ける機会に恵まれないため、牢獄は彼らにとって表面は不幸に見える一つの祝福なのです。
350 さらに、この仕事を実践するにあたって、戦場にある兵士と同じ見方をしてみなければなりません。レジオ会員はいろいろ明らかに迷惑なことに出会うでしょう。おそらく暴言の「投石と矢」に加えて、もっと悪いことが起こるかもしれません。「ライフル銃火」のような殴打や、「大砲」のような負傷にやられたりするかもしれません。これらのことは屈辱感を与え苦痛を覚えさせるでしょうが、それにおびえてはなりませんし、動揺することさえあってはなりません。レジオ会員が幾度となく心にかみしめ、何度も口にした兵士としての覚悟の堅固さがここで試されるのです。彼は戦いについて語ってきました。最悪の人びとを捜し求めることについて話してきました。その人びとを見いだした今、不平を言うのは矛盾しています。悪い人の振る舞いが悪く、最悪の人の行動が恥ずべきものであるのを見て、どうして驚くことがありましょう。
 要するに、特別に困難なあらゆる状況において、あるいは危険に直面したとき、レジオ会員は「戦いは始まっている」ということを思い出さねばなりません。戦いに打ちひしがれた人びとに犠牲を払うよう勇気づけるこの言葉は、霊魂のために戦うレジオ会員の決意を固めて、たいていの人が断念してしまうときにもその仕事をたゆまず続けさせるはずです。
351 もし霊魂が貴重であり永遠であるという話に真実性があるならば、霊魂のために喜んである種の代償を払わねばならないでしょう。どんな代償を、だれが支払うのでしょうか。その答えは、もしも信徒に危険に立ち向かうよう要求しなければならないとすれば、マリアのレジオ会員の名にふさわしくありたいと努めている人たち以外の、だれに要求すべきだろうかということです。もし一般の信徒に大きな犠牲を払うように要求しなければならないとすれば、カルワリオの丘に立たれたマリアへの奉仕に、よく考えてまじめに身を捧げた人びと以外のだれに要求すべきでしょうか。レジオ会員たちは、求められればきっとそれに応えるでしょう。

第37章 仕事についての提案

352 しかし、指導を受ける人たちへの間違った心遣いのために、指導者が指導性に欠けることがあるかもしれません。したがって、指導司祭や役員たちは、コロセウムの殉教者たちが抱いていた水準にいくぶん似た水準を打ち立てるよう強く奨められます。この言葉は計算高い現代には非現実的に響くかもしれません。しかし、コロセウムもまた計算ずくのものでした。マリアのレジオ会員と同様強くもあり弱くもあった多くのすばらしい人たちの計算でした。彼らは「人は魂のためにどのような代償を払えばよいのだろうか」と自問しました。コロセウムは第4章「レジオの奉仕」で多くの言葉を費やして述べていることをたった一言で要約しています。そしてこの章は、単に感傷を述べているわけではありません。
353 社会から見捨てられ忘れ去られた人たちのための仕事は、常に困難で時間を必要とする仕事です。その基本方針はこの上ない忍耐でなければなりません。何度も失敗を重ねた末やっと立ち上がるといったタイプの人たちと向かい合う仕事なのです。この人たちに対処するのに規律を優先させれば、何も達成できないでしょう。この厳しい方法では短時間の内に、向かい合おうとしている人たちをすべて失ってしまい、何も治療を必要としていない人たちを患者にしてしまうでしょう。したがって、この仕事は価値逆転の原則に沿って進められなければなりません。すなわち、楽観主義者でさえ全く絶望的と呼ぶような人たち、偏屈な心でどんな訴えにも無関心でこたえるために見込みがないと思えるような人たちと、特に関わりをもたねばなりません。不道徳な人、悪意のある人、自然的に嫌悪を感じる人、社会から受け入れられない人、ほかの社会や集団の出で要注意人物とされている人、都市から出る屑のような人たちに対して、拒絶されようと、恩知らずな仕打ちを受けようと、また失敗したように見えても、断固とした忍耐で当たらなければなりません。これらの仕事の相当のものは生涯にわたる仕事となるでしょう。
 明らかにこのような考え方に従って行われるこの仕事は、英雄的な資質と純粋に超自然的なものの見方を必要とします。これ程大きな労苦に対する報いは、その労苦の対象となった人たちがやがて神との友愛のうちに死を迎えるのを見ることにあります。
 「泥沼のうちから、忍耐に忍耐を重ねて、

第37章 仕事についての提案

 神を賛美するように人びとを命に立ち返らせたお方」
             (ニューマン枢機卿「ゲロンチウスの夢」)
と協力したことは、なんという喜びでしょう。
 この特別な仕事については、レジオの精神全般に関係するために、詳しく考察してきました。その上、これは教会に対して行われる奉仕の中で重要な地位を占めます。それは、最下層の人たちでも、わたしたちにとっては、彼らの価値やわたしたちに快い人であるかどうかは全く関係がないことで、わたしたちは彼らのうちにキリストを見、敬い、愛さねばならないのだというカトリックの原則を、特に示すものだからです。
354 この愛が真実であるかどうかは、特別な状況のもとで試されてはじめて証明されます。この重大な試しは、わたしたちが人間の本能では愛したくないと思う人たちを愛せるかどうかということにあります。これで人間に対していだく愛が真実のものか虚偽のものかの厳しい検査がなされます。それは信仰の要であり、キリスト教の重要な点です。カトリック的理想がなければ、この種の愛はまさしく存在し得ないからです。それに意味といのちを与える根から切り離されれば、愛という考えそのものが幻想となってしまうでしょう。人間性そのものが福音となるのであれば、すべてのものは人間にどれほど役にたつかという角度から判断されねばならないことになります。人間にとって明らかに価値のないと思われるものは、こうした方式のもとでは、必然的にキリスト教の罪とおなじように、どん犠牲を払っても取り除かねばならないものと考えねばならないでしょう。
 真のキリスト教的愛の最高の姿を自己犠牲的行いによって表す人たちは、教会に最高の奉仕をするのです。

355 「悪を行う人を忍耐することは難しいとあなたは言う。しかしそのためにこそ、あなたはその人のために愛をこめて尽くさねばならない。あなたが定めた目標は、彼を罪深い生き方ら引き離して、徳に導くことでなければならない。あなたは、彼があなたの言うことを聞かず、あなたの忠告にも従わないと反駁するだろう。確かにそうだと、どうして言えるだろうか。あなたは彼に訴え説得しようと努力しただろうか。何度も彼を

第37章 仕事についての提案

説得して止めさせようとしたと答えるだろう。しかし何度そうしたか。「幾度も」と答えるだろう。それを「幾度も」と思うのか。あなたが生涯
それを続けねばならないとしても、決してその努力を緩めたり希望を捨ててはならないのだ。神ご自身が預言者を通し、使徒を通し、福音史家を通してわたしたちに訴え続けておられることが、あなたには分からないのだろうか。その結果はどうだろう。わたしたちの行動はすべて正しいものだったろうか。すべてのことで神に従うようになっただろうか。事実はなんとそこからほど遠いことか。それでも神はわたしたちのを追い求め訴え続けることを決して止められない。それはなぜか。霊魂ほど尊いものは何もないからである。『人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか』(マタイ 16:26)」(聖ヨハネ・クリゾストム)。

7.若者のための仕事
356 「子どもたちは確かに、主イエスの優しい包み込むような愛の対象です。イエスは子どもたちを祝福し、それ以上に彼らに天の国を約束しています(マタイ 19:13-15、 マルコ 10:14参照)。とくにイエスは子どもたちが神の国においてもっている積極的な役割を強調しています。子どもたちは、神の国に入るために、また主に全幅の信頼をおいて生きるために必須の、倫理的かつ霊的な条件の雄弁な象徴であり、この上ない表象そのものです。『はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ』(マタイ 18:3ー4、 ルカ 9:48参照)」(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告「信徒の召命と使命」47)。
 もしも若い人たちを信仰と純潔の内にしっかりと保つことができれば、将来はどれほど輝かしいことでしょう。そうすれば、元気を回復した巨人のように、教会はこの世界にキリストをもたらす使命に身を投じ、すばやくそれを成し遂げることができるでしょう。ところが実際は、その努力の大部分は教会内部の傷口を癒すつらい仕事に費やされているのです。
 さらに、維持することの方が、後にそれを取り戻すよりはずっと容易です。「維持すること」と「取り戻すこと」は両方とも非常に重要なこと
第37章 仕事についての提案

ですから、レジオはこの両方の仕事に取り組みます。しかし、レジオはこの二つのうちより易しいほうの仕事、すなわち維持する仕事を決してな
おざりにしてはなりません。のちに堕落した成人を改心させるために費やす苦労で、多くの子供たちを大きな不幸から救うことができるのです。
 いくつかの問題点を次にあげてみましょう。

 (a) 子どもたちのミサへの出席
357 ある司教は、レジオ会員たちに仕事の予定を渡すときに、子どもたちの間で主日のミサに出席する運動を進めることを最重要課題としました。この司教は、子どもたちがミサにあずからないことが、後になって起こるすべての問題の主な原因の一つであると考えました。日曜日の朝に子どもたちの家庭(その名前は学校の名簿などから確かめられるはずです)を訪問することは、最高に効果のあることが分かります。  
 ところで、子どもたち自身が悪いわけではないということを心に留めておかねばなりません。子どもがこのカトリックの基本的な務めを果たしていないときは、両親の無関心や悪い手本の犠牲となっていることは間違いなく、レジオの使徒職はこのもう一つの悪に留意して進められねばなりません。
 子どもたちの場合、他の分野の仕事以上に、思いつきの訪問や短期間の訪問ではほとんど、または何も得るものはないでしょう。

 (b) 子どもの家庭の訪問
358 子どもの家庭を訪問することに関して、慎重に考慮しなければならない点を強調しておきましょう。それは使徒的な活動をしている人がいろいろな理由で近づけない家庭でも、子どもたちに会いに来たのだと述べれば容易にその家に入ることができることです。自分自身よりも子どもに対してより強い熱意を抱くのは、親の子に対する自然の関係から生じる当然のことだからです。普通の親なら、自分のことを忘れても子どもの利害には関心を持ちます。最も頑なな人でも、自分の子どものことを思うと少しは心が和らぐものです。宗教に全く無関心になっていても、心の奥深いところでは子どもが自分と同じ運命をたどることを望まず、子ど
第37章 仕事についての提案

ものなかに神の恵みの働きを見て、本能的に喜びを感じるものです。その結果、宗教的な目的で直接近づこうとする者には、無作法にまた荒々
しく拒んだりする親でも、その目的が子どものためであれば同じ相手でも寛大に受け入れてくれるでしょう。
 有能なレジオ会員は、一度家庭に受け入れられると、彼らの使徒職から発する熱意をその家族のすべての人たちに感じさせる術を心得ています。子どもたちへの心からの関心を示せば、普通両親に好ましい印象を与えます。これを両親の中に超自然の種を育てるため上手に役立だたせることができ、こうして子どもたちが両親の家庭を開く鍵となったのと同じように、両親の心を、ひいてはその霊魂を開く鍵となるでしょう。

 (c) 子どもたちにキリスト教の教理を教えること
359 非常に価値のあるこの仕事は、出席のよくない子どもたちの家庭を訪問したり、一般に子どもたちへの個人的な関心を示し、また家庭の中の他の人たちと接触するために子どもたちの家庭を訪問することで、補う必要があります。ちなみにレジオは「カトリック要理兄弟会」の地元の支部の目的のために働くこともできます。付録8を参照ください。
 次の例は、人口の多い小教区内の日曜日の要理のクラスにレジオの組織を用いることがどれほど効果があるかを示しています。説教壇から呼びかけるなどの司祭の熱心な努力にもかかわらず、子どもたちの平均出席者数は50名に減ってしまいました。このような状態のときに一つのプレシディウムが設立され、要理指導の他に子どもたちの家庭を訪問する仕事が加えられました。一年間の仕事で、要理への子どもたちの平均出席者数は600名にも達しました。この驚くほどの数字には、子どもたちの親族で宗教に無関心だった無数の人びとに与えられた霊的な恵みは数えられていません。
 すべての仕事において、レジオ会員の合言葉は「聖母はこれらご自分の子どもたちをどのようにご覧になり、どのように扱われるだろうか」というものでなければなりません。この仕事では、他の仕事以上にこの考えが生き生きと息づいていなければなりません。子どもたちには忍耐を失うのが自然の傾向です。しかし、もっと悪いことは、これらの要理のクラスが子
第37章 仕事についての提案

どもたちにとって学校の授業の延長としか考えられないような仕方で、いかにも事務的な俗っぽい調子で指導がなされることです。もしそうなれ
ば、収穫の九割は刈り入れないで残されることになるでしょう。そこでもう一度考えてみましょう。「これら一人一人の中に、ご自分の愛し子をご覧になるイエスの母は、この子どもたちをどのように教えられるだろうか」と。
 若い人たちを教えるには、暗記や視聴覚教材が重要な役割を演じます。要理の教材を選ぶに当たっては、特別な配慮を払う必要があります。その教材は教会の教えに完全に従うものでなければなりません。
 キリスト教の教理を教える人にも、またその指導を受ける人にも、部分免償が与えられます(EI 20)。

 (d) 非カトリック学校または公立学校
360 カトリック学校に通っていない子供たちの生活は、常に危険にさらされているようなもので、将来それが問題に発展するのを防ぐことは困難でしょう。各地域の教区長によって認められた何らかの改善策があれば、レジオはそれを取り上げ、力の限りそれを当てはめるべきでしょう。

 (e) 青少年会
361 良い学校に在学してきた子どもたちにとって、危機は学校を卒業する時期にやってきます。そのとき子どもたちは、良い影響を受け、規制によって保護され、細心の注意を払って守られてきた学校から解放されるのです。家庭が宗教的な感化や、躾を与えないために、時として子どもたちは学校でこのような支えに全面的に依存していることもありました。
 こうした支えがなくなる時期が道徳的に最も難しい年代に当たり、不幸にもこれら若い人たちがもう子どもではないが、まだ大人にはなりきっていない時期でもあることでいっそう困難な事態になります。当然、このような過渡期にふさわしい準備を整えることは難しく、往々にして何の準備もなされていません。そして過渡期が過ぎ去り、大人の保護組織が彼らに保護の手をさしのべるときには、通常は役に立たなくなっています。彼ら
第37章 仕事についての提案

はすでに自由の持つ危険な魅力を味わってしまっているのです。
 したがって、学校で行っていた監督を、多少とも子どもたちが卒業した後にも続けていくべきでしょう。推奨される方法には、レジオの主催で少年信心会または少なくとも一般の信心会の中に特別に少年部を作るということがあげられます。子どもたちが学校を卒業する前に、学校側が子どもたちの名前をレジオに提供するようにします。レジオ会員は子どもたちと親しくなり、信心会に入会するように説得するため、子どもたちの家庭を訪問します。入会させることのできない子どもたちは、きちんと出席しない子どもたちと同様に、特別に訪問するようにしなければなりません。
362 各レジオ会員に、信心会の若い会員を一定の人数だけ割り当て、彼らに対して責任をもたせます。信心会の集会の前に、集会に出席する義務を思い起こさせるためにその会員たちを訪問します。年次黙想会(できれば、その会だけの)や年次親睦会がその信心会に組み込まれていなければなりません。
 学校卒業後の若者たちを、頻繁に規則正しく秘跡に与からせるためには、これ以上に良い方法はなく、また事実これ以外に決定的な方法はありません。
 少年院や養護施設を出た若い人たちの場合は、上述した方向へ指導するために特別な配慮が払われねばなりません。彼らの中には全く両親のいない人もいれば、良くない両親の犠牲になっている者もいます。

 (f) 子供会、ボーイ・スカウト、ガール・スカウト、J.O.C.(カトリック青年労働者連盟)、裁縫教室、児童福祉会支部などの指導
363 多分これらはプレシディウム全体の仕事としてよりも、むしろプレシディウムの一部の会員の仕事として割り当てられて実践されていることでしょう。しかし、一つのプレシディウムが上述したような特別な仕事にだけ専念することもふさわしいことでしょう。しかしこの場合、仕事とは別にきちんとプレシディウムの集会を開き、完全に規則に従って行われなければならないことを理解していなければなりません。今までに示唆してきたように、夕方の特別な仕事の一項目として、祈りを唱え、記録を読
第37章 仕事についての提案

み、わずかな報告を大急ぎで済ませるために会員が集まっても、それはプレシディウムの集会の代わりにはなりません。このような方法で行っても集会の大切な部分は守られていると言えるかもしれませんが、11章「レ
ジオの概要」を読めば、このような間に合わせの集会では、レジオの規則の精神はほどんど反映されていないことがわかるでしょう。
 レジオが望んでいることは、レジオの管理下にある特殊な仕事の各会合では、開会のときと中頃と閉会のときにレジオの祈りを唱えるということです。もしロザリオの祈りを唱えることが無理であれば、すくなくともテッセラの祈りの残りの祈りは唱えられねばなりません。

 (g) レジオの青少年指導の方式
364 種々のクラブや青少年会を運営しているレジオ会員に、指導の原則となるものを示すことが必要と思われます。通常その運営方法は、こうしたグループを担当している個々に全く委ねられているので、毎日開かれる集会から週一度のもの、単なる娯楽や技術指導から純粋な宗教的なものまで、多種多様にわたっています。明らかにこうしたいろいろな方法では、非常に異なった結果を生み出し、必ずしも最善の結果になるとは限りません。例えば、単に娯楽本位のものは、たとえ「彼らを面倒なことから守る」ためであったとしても、若い人たちの訓練になるかどうか疑わしいでしょう。「勉強ばかりで遊ばぬ子はのろまになる」という有名なことわざがありますが、これはをうまく言い換えて「遊んでばかりで勉強せぬ子はただの玩具になる」ということわざにしたものがあり、この方がより真実でしょう。
 プレシディウムの組織は、あらゆるタイプの人間や仕事に適合した模範的な基準であることが示されてきました。同じように、広く若い人たちへ向けた簡単で標準的な組織を考え出すことができるでしょうか。
365 実験によって次の線に沿った計画がうまくいくことがわかったので、青少年会を担当しているプレシディウムは、それを試してみるよう強く勧められます。
 1.最低年齢は制限なく、最高年齢は21歳までで、年齢別に組分けすることが望ましい。
第37章 仕事についての提案

 2.すべての会員は毎週の定例集会に出席しなければならない。もしグループが週一回以上集会を開く場合は、これらの規則を余分の集会に適応するかどうかは任意である。
 3.各会員は毎日カテーナ・レジオーニスを唱えること。 4.毎週の集会には、プレシディウム集会の場合のように机の上に、あるいは別に離して、あるいは安全のために高い所に、レジオの祭壇を設置すること。
 5.各集会で、ロザリオを含むレジオの祈りを、プレシディウム集会と同じように分けて、唱えること。
 6.集会の長さは、一時間半より短くてはいけないが、この時間を越えてもかまわない。
 7.すくなくとも半時間以上は会の仕事や教育目的のために当てられなければならない。残りの時間は、希望があれば娯楽に当ててもかまわない。「仕事」とは、たとえば、フットボールその他のスポーツ・クラブなどのように、あるグループの運営から自然に出てくる事柄を処理することであり、「教育的」とは、宗教的か世間的かを問わず、どういう種類であれ訓練や教育的な感化を与えることを意味している。
 8.すべての会員は、すくなくとも月に一度は聖体を拝領すること。
 9.会員たちをレジオの賛助会員になるように励まし、隣人と社会への奉仕という考えを彼らの心に刻みつけなければならない。

 「聖ヨハネ・ボスコの非常に活動的な生涯の多くの教訓について長々と述べることは容易だが、わたしは非常にしかもいつまでも重要なただ一つを選びたい。すなわち、学校、大学、または神学校において教える者と教えられる者、目上と目下、先生と生徒の間になければならない関係についての彼の考え方である。ときには主義として、ときには考えの足りなさから、またときには全くの利己主義から、長上や教師たちが、よそよそしかったり、人を寄せ付けなかったり、威厳を大袈裟に示したりして、神からその訓練と育成を託された者たちに近づきにくい存在になることを、正当にも極端に嫌った。聖ヨハネ・ボスコは、『宴会の世話役に選ばれたなら、有頂天になるな。客の一人として、皆と同じようにふるまえ。
第37章 仕事についての提案

彼らに心を配り、席に着け。』(シラ書 32:1)という言葉を決して忘れなかった」(バーン枢機卿)。

8.移動図書館
366 レジオ会員が、公の場所や、なるべく繁華街かその近くで「移動図書館」または移動書籍屋台を運営するのもよいでしょう。経験によって、これがレジオの仕事として大変価値のあることが判明しています。善良な人、平凡な人、良くない人に対する総括的な使徒職を実践する方法として、またあまり物事を考えない多数の人たちの意識を教会に向けさせる方法として、これ以上に効果的な方法はありません。だから、レジオはすべての中心地区にこの種のものがすくなくとも一つあればと切望します。
 できるだけたくさんの本の題名がよく見えるようにしなければなりません。またあまり高価でない宗教書をたくさん備えているべきでしょう。レジオ会員がその係りを務めればよいでしょう。
367 初めから買う目的で書籍に目を通す人のほか、あらゆるタイプの人たちがここに引き寄せられるでしょう。同じ信仰の信者と語りたいと望んでいるカトリック信者、時間つぶしや好奇心にかられて来る無思慮な人や無関心な人、教会に属していないか、または教会に直接には関係を持ちたくないが、すこしは教会に興味を抱いている人など。これらすべての人たちが、柔和で思いやりのある係りのレジオ会員と言葉を交わすようになるでしょう。係りの会員たちは、いろいろな質問や書籍の購入を、親しみのあるふれあいの糸口とするよう訓練されていなければなりません。このふれあいは、そこで出会ったすべての人たちをより高度な考え方と行動に導くために用いられねばなりません。カトリック信者には「なにかカトリック的なもの」に参加するようにすすめなければなりません。カトリック信者でない人には、教会を理解してもらうように手助けできるでしょう。ある人は毎日のミサに与かり聖体拝領することを決意し、またある人はレジオの活動会員、賛助会員、またはパトリシアンになろうと決め、他の人は神と和解し、また別の人は教会へ改宗しようとその種を心に宿して、そこを立ち去るでしょう。その町を訪れた人たちはレジオ
第37章 仕事についての提案

(その町を訪れなければ見ることもなかったでしょう)に興味をもち、自分たちの町でレジオを始めたいと思うかもしれません。
 しかし、レジオ会員は人びとが「移動図書館」に来るのをただ受け身で待
っているだけではいけません。躊躇せずに近隣の人たちに近づくように
すべきです。それは必ずしももっと書籍を売るためではなく、前の文節で述べたように、用いることのできるふれあいを築くためです。
 これがきっかけで生まれた知り合いや友情をどこまでも続けていくことがこの仕事全体の大切な部分であることを、レジオ会員に思い起こさせる必要はないでしょう。
368 このような仕事を始めようという提案に対して、それを行うには特に宗教を熟知したカトリック信者が必要だし、そういう人は得られないという反対がいつも出てくることでしょう。カトリック教理についての特別な知識が大変役立つことは事実です。しかしこの知識がないからといって、レジオ会員がこの仕事を始める妨げとはなりません。レジオ会員の個人的な魅力こそが重要なことだからです。ニューマン枢機卿は言います。「人柄がわたしたちを感化し、声色がわたしたちの心を和らげ、顔つきがわたしたちを捕らえ、行いがわたしたちを燃え立たせるのです。多くの人は教義のために生きそして死んでいくでしょうが、だれも神旨的結論のために殉教者となろうとはしいないでしょう」。一言で言えば、熱意と優しさが知識の深さよりも大切だということです。知識の深さは、その知識を持つ人を深い淵や、どこへも通じない曲がりくねった水路に誘いこもうとしますが、「わたしは知りませんが、調べて知ることはできます」と自分の弱さを素直に認めることで、話し合いをしっかり続けることができるでしょう。
 口にされる反論のほどんどはまったくの無知から出ており、普通のレジオ会員ならそれらの反論に上手に対処できることがわかるでしょう。もう少し複雑な問題はプレシディウムか指導司祭のところに持って行けばよいでしょう。
369 悪行や迫害や熱意の不足の理由で教会に浴びせられる非難は、際限なく議論を戦わすことができるでしょうし、どうしようもなくこの問題を混乱させるでしょう。非難の根底にはある種の真実が含まれていることも
第37章 仕事についての提案

あり、それが問題をさらに複雑にしてしまいます。こうした問題やほかのどんな小さな論点でも敵意ある非難者を納得させることは、たとえ偉大な博学者の助けがあったとしても、全く不可能なことです。レジオ会員がや
らなければならないことは、こうした論議を根気強く最も単純な要点に絞り込んでいくことでなければなりません。すなわち、神がこの世に一つのメッセージを残されたに違いないということ(人はこれを宗教と呼びます),またこの宗教は神の声だから絶対に一つであり明白で矛盾もなく誤りもないものでなければならず、神の権威を主張するものでなければならないことを強調することです。
370 これらの特性はカトリック教会だけに見られるものです。これらの特性をもっていると主張できる団体や組織は他にはありません。カトリック教会の外には矛盾と混乱しかなく、ニューマン枢機卿が圧倒するような調子で言っているように、「カトリック教こそ真に目に見えない世界がこの世に到来したものであるか、それとも、わたしたちがどこへ行くのかについて確実なもの、教義的なものは何もないか、そのどちらかである」ということになります。
371 真の教会がなければなりません。真の教会はただ一つしかあり得ません。もしそれがカトリック教会でなければ、どこにあるというのでしょうか。一点に向かって加えられる強打のように、「真理」に近づくこの単純な道は圧倒的な威力を持っています。その力は純真な人にとっては明白です。より学識のある人は、教会の悪行を言いたて続けるでしょうが、その心の中では反論できないのです。そうした人には簡潔に、しかし優しく、あまりに論証ばかりし過ぎることに気づかせることです。カトリック教会に対する彼の反論は、他の宗教団体にたいしてもすくなくとも同じくらい言えることです。もし彼が、教会の人が間違ったことをしたと証明することで教会が虚偽だと言うなら、彼は単にこの世界には真の宗教が存在しないことを証明できたにすぎないのです。
372 プロテスタントが自分たちの宗派だけが真理を独占しているのだと主張していた時代は過ぎ去りました。今日ではより謙そんに、すべての教会がそれぞれ真理の一部または一面を持っていると主張するでしょう。でも真理の一部では不十分です。この主張は、知られている真理と
第37章 仕事についての提案

いうものはなく、それを見いだす方法もないと主張しているのと同じことです。もし一つの教会が真理である一定の教理を持っており、したがって他の教理が真理でないとすれば、どちらが真理でどちらが真理でない
かを見分けるのにどんな方法があるのでしょうか。真理を選びだそうとして、真理でないものを選び出すかもしれません。ですから、自分の教理について「そのうちのあるものは真理です」と言う教会は、手助けにも、道案内にもなりません。そのような教会ははじめからなかったのと同じです。
 そこで、この論法が完全に理解されるまで繰り返してみましょう。真の教会はただ一つしか存在しないということです。その教会には矛盾があってはならず、全真理を所有していなければならず、何が真理で何が虚偽かの違いを判別することができねばなりません。
373 「世界は、あなたよりも力強い助け手を見いだすことはできない。世界には使徒、預言者、殉教者、証聖者、おとめたちという立派な助け手がいて、わたしは彼らに祈る。しかし、わたしの女王よ、あなたはこれらすべての取り次ぎ者よりも偉大である。彼らがあなたとともに皆でできることを、あなたは彼らなしに一人でおできになる。それは、あなたが救い主の母だからである。あなたが沈黙されれば、だれも祈らず、だれもわたしたちを助けに来てくれない。あなたが祈られれば、皆が祈り、皆がたすけに来てくれる」(聖アンセルムス「聖会の祈り」)。

9.群衆との触れ合い
374 使徒職とは、教会のあふれる豊かさをすべての人にもたらすことです。この仕事の土台は、一人の熱心な人が他の人と個人的に根気強く接触することで、これを専門語で「ふれあい」と呼びます。個人的な「ふれあい」が弱まるにつれて、人に与える実際の影響も弱まります。人びとは群衆となってくると、自然にわたしたちから逃げていくことになるものです。群衆がわたしたちに「個人」とふれあうのを妨げているのかもしれません。これら群衆は個人の集まりであり、その一人一人は貴重な魂を表しています。群衆のなかの一人一人にはそれぞれの生活があります
第37章 仕事についての提案

が、その時間のほとんどは、路上やいたる所にたむろするいろいろなタイプの群れの中で使われています。わたしたちはこれらの群衆を個人に変えて行かねばなりません。そうすることによってその魂とのふれあいを
築くことができるのです。聖母はこれら群衆をどのように見ておられるのでしょうか。聖母は群衆の中の一人一人の魂の母です。彼女は彼らの必要なことがらに心を痛めて、彼らに対する母としての仕事を果たすためにだれかが手助けしてくれるよう切望しておられるに違いありません。
375 しかし公の場での移動図書館の価値についてはすでに示してきましたが、群衆に対する幅広い使徒職は別の仕事として行うことができます。信仰の問題について話したいとていねいに頼んで人びとに近づけば、必ずふれあいは実りあるものとなるでしょう。このような人々への働きかけは、路上、公園、パブ、鉄道やバスの駅の近く、その他人びとが集まる公の場所ですることができます。こうした人びとへの働きかけが、一般に快く受け入れられていることは経験によってわかっています。この仕事に携わるレジオ会員は、自分の話し方や態度がこのふれあいの道具であることを忘れてはなりません。したがって彼らは謙虚で礼を尽くさねばなりません。話し合いでは、他の人と言い争っているのではないかと思うわれるような言葉や、説教しているように聞こえるようなことや、命令的な言い方、または優越感を感じさせるような態度や言葉は避けなければなりません。レジオ会員は、使徒の女王マリアが彼らの説得力の弱い言葉に力を与え、彼らの使徒職を実りあるものにすることをたいへん望んでおられることを、心から固く信じなければなりません。

10.カトリック信者である家政婦に対する使徒職
376 これは訪問の仕事の一部として、またはそれだけを特別な仕事として行うことができます。カトリック信者である家政婦たちは、信仰には無関心か、または敵意さえ抱いている家庭で働くことがほとんどで、単なる機械のようにみなされ、孤独で、地方出身者や移民が多いので友人もなく、後に災害となり得るような危険に満ちた知人関係を作るはめになり、
第37章 仕事についての提案

特別な配慮と支えを必要としています。彼らとふれあっていくことは注目に値する種類の使徒職となります。
 彼らの幸せを心にかけているレジオ会員たちの定期的な訪問は、彼らにとって一条の光りとなるでしょう。一般にこの訪問の目的は、彼女たちをカトリックの信心会やクラブに入会させ、ふさわしい友人関係を築かせ、そして多くの場合レジオ会員そのものになってもらうことです。この仕事は多くの人を新しい、より幸福な道へと導く助けとなり、安全と聖性へと導きます。

377 「一見したところ、神の偉大なおん母には、この地上での生活のすくなくともある期間は、非常な荘厳さと威厳が与えられたことだろうと、わたしたちはきっと予期したかもしれない。しかし事実は神の摂理によって、何と違ったものであったことだろう。マリアは貧しい住まいの中で、床の掃除をしたり、亜麻布を洗濯したり、食べ物を料理したり、頭に水がめをのせて井戸を行ったり来りするような卑しい仕事を果たしておられたのだ。イエスやマリアやヨゼフによって示された模範を目のあたりにしてもなお、わたしたちがあえて卑しいと呼ぶような仕事に従事しておられたのだ。マリアの手は疑いもなく激しい労働で赤くなり、こわばっていたことだろう。マリアは疲れ、過労におちいることもしばしばであった。マリアの心労は、労働者の妻としてのそれであった」(ヴァッサール・フィリップス「キリストのおん母」)。

11.軍隊の隊員や移動する人たちのための仕事
378 生活環境のために、こうした人たちは宗教をおろそかにしがちで、多くの危険にさらされます。ですから、彼らの間で使徒職を行うことは二重の意味で望ましいことです。
 (a) 兵営に立ち入ることは一般の市民にはいつも容易なこととは限らないので、兵士たちのための仕事を効果的なものにするには、兵士で構成されるプレシディウムを設立する必要があるかもしれません。すでにこれは多くの場所で行われていて、すばらしい成功を収めています。
 (b) 海兵隊員のための仕事には、船舶を訪問したり、陸上に種々の施設
第37章 仕事についての提案

を準備することが必要となるでしょう。この仕事に携わっているプレシディウムは、ほとんどの海洋国に支部のある公認された国際組織、Apostolatus Maris(海の使徒職)に加入すべきでしょう。
 (c) レジオ会員は、軍隊と海兵隊員の規律に対してきめこまやかな尊敬を払わねばなりません。レジオ会員の活動が決して軍隊や海兵隊員の規則や慣習に反するものであってはなりません。実際においてレジオ会員は自分たちの使徒職が、あらゆる面で兵士たちを高め、これら軍隊の純粋な資産、いやそれ以上のもの、絶対必要なものであることを、無条件に認めてもらえるよう切望しなければなりません。
 (d) ジプシーやサーカスの団員のように巡業する人たちも、移動する人たちに属し、レジオの使徒職の範疇に含めなければなりません。移住者や難民もレジオの使徒職の一部とすべきです。

379 「現代世界に起こりつつある大きな変化のなかで、移住は新しい現象をもたらしています。伝統的なキリスト教諸国においてキリスト者でない人々の数が非常に増え、ふれ合いと文化の交流のための新鮮な機会をつくり、そして親切なもてなしや対話、支援、一言で言えば、兄弟愛を教会に呼びかけています。移住者のなかでも、避難民は特別な地位を占め、もっとも深い思いやりを受けるべきです。今日、世界中の避難民の数は何百万人にも達し、その数は絶えず増え続けています。彼らは、政治的抑圧や非人間的で悲惨な状態、破滅的な飢餓や干ばつから逃れてきました。教会は彼らを、教会のあらゆる使徒的配慮の一部にすべきです」(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅「救い主の使命」37(b))。

12.カトリック書籍の普及
380 ヒツポの聖アウグスチヌスや聖イグナチオ・ロヨラのように、数え切れないほどの人びとの生涯が例証しているように、その見識を尊敬していた人たちから奨められた影響力の強い数々の本を読むことが、彼らをより高みへ導くためにどれほど助けになったかがわかります。カトリック書籍の普及は、いろいろな人たちと、使徒職を目的としたふれ合いをもつ
第37章 仕事についての提案

すばらしい機会を与えてくれます。そしてその人たちとカトリックの信仰について容易に語り合うことができます。成人への宗教教育を推し進めなければ、世俗化されたこの世界に住んでいる人たちは、大変不利な立場に置かれたままです。教会は彼らに霊的世界のことを説きますが、彼らは別の世界に住んでいます。世俗化された世間の声は、教会の声よりもっと大きな声で彼らに語りかけます。この不均衡は是正されねばなりません。キリスト教徒の使命は世俗化した世界をキリストのために勝ち取ることです。このためには、わたしたちは正しい価値観と心構え、すなわちキリスト教徒としての価値観と心構えを必要とします。
381 他の種類の文書を過少評価するわけではありませんが、まじめな書物、すなわち学ぶための書物は人の考え方に非常に豊かな影響を与えます。少しずつでも規則正しく読む方が、読みたくなったときにたくさん読むよりずっと役に立ちます。人びとに宗教的な書物を読んでもらうようにするのは本当にたいへんなことです。彼らの興味を呼び起こさねばなりません。彼らの興味を失わせないようにしたいなら、読書の材料は簡単に手に入るものでなければなりません。ここにカトリック使徒職への糸口があります。
 カトリックの書籍や小冊子のほかに、カトリック新聞や雑誌があります。これら新聞や雑誌の目的は、(1) 時事的な問題を綜合的に論じ、思慮深く評価すること、(2) 歪んだ考え方や意図的な黙殺を矯正する役割を果たすこと、(3)こんにちのメディアの提供することがらを再吟味し指針を与える事、(4) カトリック教会のいろいろなことがらに健全な誇りと心からの関心を高めること、そして、(5) より永続的な意味のある読書への趣味を育てることなどです。
 印刷物に加えて、視聴覚教材も信仰を伝えるのに大切な役割を果たします。
 どんな種類のものでも宗教に関する材料を使用する場合は、まずそれが教会の教えに沿ったものかどうかを、信頼のおける筋に確認することが常に大切です。カトリック出版物を自称しているものは、その名に値するものでなければなりません。「名前がものごとに信頼性を与えるのではなく、ものごとが名前に信頼性を与えるのです」(聖ヨハネ・クリゾス
第37章 仕事についての提案

トム)。
382 カトリック書籍の普及の方法として確かなものに、次のようなものがあります。1.家から家を回って購読者を募ること、2.新聞や定期刊行物を家庭に配達すること、3.教会の売店や書店の店員になること、4.公の場所での移動図書館や移動書籍販売店の店員になること、5.パトリシアンを使って引き続いてする読書の材料を推薦することなどです。
 書籍の展示や売店は、魅力的でよく管理されていなければなりません。カトリック教会を広めるのに、いいかげんな方法では十分とは言えません。
 カトリック書籍を普及する目的で家庭を訪問するとき、レジオ会員は、訪問した家庭のすべての人に働きかけることを目指して使徒職を行うよう努めねばなりません。   

 「マリアはイエスの切っても切れない友である。いつでも、どこでも、おん母はみ子のそばにおられる。だから、わたしたちを神に結びつけ、わたしたちに天上の宝を与えてくださるのは、キリストお一人ではなく、祝せられたお二人、『おんな』とその『すえ』である。したがって、神への礼拝においてマリアをイエスから切り離すことは、神ご自身が定められた秩序を破壊することである」(テリアン「人類のおん母」)。

13.日々のミサに与かる習慣と聖体への信心を奨励すること
383 「望ましいのは毎日、またはできるだけ何回も、信徒はミサ聖祭に与かり、聖体拝領によって純潔と聖性を新たにし、主キリストのこの偉大な賜物へのお返しとして適切な感謝を捧げねばなりません。信徒は次の言葉を心に留めねばなりません。『イエス・キリストと教会はすべてのキリスト信者が毎日聖なる宴会に近づくことを望んでいます。この望みは、信徒がこの秘跡によって神と一致し、そこから欲望を抑え、日々の出来事の中で犯す小さな過ちを洗い清め、人間の弱さが陥りやすいより重大な罪を避ける力を得るためです』(アクタ・アポストリケ・セディス 38(1905),401)。しかしこれ以上のことが求められています。典礼法規は聖体が教会で最高
第37章 仕事についての提案

の尊敬をはらって特別な場所に保存されなければならないと述べています。信徒はときどき聖体を訪問しなければなりません。このような聖体訪問は、感謝のしるしであり、愛の誓いであり、聖体の内に現存される主
キリストへの当然の礼拝を表すものです」(教皇パウロ六世「信仰の神秘」66)。
 これは、それ自体仕事としてしなければならないことというより、すべてのレジオの活動の重要な部分として心に留め、熱心に追求しなければならないことでしょう。第8章「レジオ会員と聖体」をご参照ください。

384 「十字架が神に捧げ、人びとのために獲得したすべてのものを、犠牲であり秘跡である聖体が、いかにそのあふれるほどの豊かさの内に要約していることか。それはカルワリオの血であると同時に天よりの露である。すなわち、慈悲を求めて叫ぶおん血であり、萎れる草木を蘇生させる生命の露である。それはわたしたちのために払われた代償であり、わたしたちにもたらされた祝福である。それは命であり、命の代償である。十字架も最後の晩餐も、この二つをあわせても、聖体以上に価値のあるものはない。そのすべては永続し、そのすべては人類の希望で満ちている。この理由で、ミサ聖祭は信仰の神秘と呼ぶにふさわしい。それは単にキリスト教の教義全体──アダムによるわたしたちの堕落とイエス・キリストによるわたしたちの救いの教え──がそこに要約されているからだけでなく、同時にまた主として、あのカルワリオの聖劇、すなわち人間性を比類ない高さにまで高めることと、それ以前の罪によって失ったものを償ってなお余りある代償を成し遂げた、あの英雄的行為が、聖体によってわたしたちのただ中に続いているからである。そしてミサ聖祭は単なる象徴としての繰り返しではなく、キリストご自身によって成し遂げられたことを、実際にわたしたちの中に実現させるのである」(ド・ラ・タイユ「信仰の神秘」)。

14.賛助会員の募集と育成
385 祈りの力を正しく認めることができるすべてのプレシディウムは、
第37章 仕事についての提案

たくさんの賛助会員の名前を書き込んだ名簿を持とうと努力します。賛助会員を獲得し、彼らと接触をたもつように努めることは、各レジオ会員の義務です。
 自分たちの魂の貴重な息吹の一部をレジオのために捧げてきた賛助会員の心の広さを考えてみてください。彼らのうちには聖性に達することのできるなんとすばらしい可能性が潜んでいることでしょう。レジオは彼らに無限の負債を負っています。その負債は、賛助会員を完徳に導くことによって立派に返すことができます。活動会員も賛助会員も、ともにレジオの子どもです。活動会員は年上の子どもであり、すべての家庭におけるように、レジオのおん母は、年下の子どもとともにご自分を助けるように活動会員たちに期待しておられます。おん母は単にその援助を監督されるだけでなく、それを効力のあるものとされますから、活動会員による賛助会員の「世話と育成」の中には、活動会員と賛助会員の両方にとってすばらしいものがあります。賛助会員の魂の中には聖徳の殿堂が建てられ、活動会員のためには、それを建設した者への報償があるのです。
 賛助会員のための仕事は可能性に満ちているので、プレシディウムの中の高い霊性を持った数人の会員が特別に世話をする必要があると思われます。彼らは「年上の子ども」の精神でその仕事を遂行するでしょう。

386 「恐ろしい罪と神への憎しみに満ちた現代において、わたしたちの主はご自分の周りに、選ばれた魂の軍団を集めようと望んでおられるのは明らかだとわたしは思う。彼らは主と主が関心を示されることに心も魂も捧げていて、主がいつも助けと慰めを期待することのできる魂たちであり、『わたしはどれだけのことをしなければならないのですか』と問うのではなく、むしろ『主の愛に対して、わたしはどれだけのことをすることができるでしょうか』と尋ねる魂たちであり、与えてもその代価を数えず、自分たちのためにこんなに多くのことをしてくださった主のために、より多くのことをし、より多くを与え、より多く苦しむことができないことをそのただ一つの苦しみとする魂たちの軍団である。一言で言えば、他の人たちとは異なりその合言葉は犠牲であって自己の慰めではないから、世間の目には愚かと見えるだろう魂たちなのだ」(アルフレッド・オ
第37章 仕事についての提案

ライリー「ウイリアム・ドイル師伝」)。

 「そのとき、小さな魂たちの軍団、あわれみ深い『愛』のいけにえた
ちは、『空の星、浜辺の砂のように』数多くなるであろう。それは悪魔にとっては恐ろしいこととなろう。それはおとめマリアが悪魔の高慢な頭を完全に踏み砕くのを助けるであろう」(リジューの聖テレジア)。

15.海外宣教のための仕事
387 海外宣教への関心を抱くことは、真のキリスト教的生活に欠かすことのできない部分です。それには、各自の状況に応じた祈りや、物質的な援助、宣教師の召命を育てることが含まれます。
 例えば、レジオ会員は児童福祉会の支部を運営し、大勢の子どもたちを集めて彼らに海外宣教への熱愛を燃え立たせることもできます。あるいはまた、レジオの活動会員には向かない人たちを集め(おそらくレジオの賛助会員くらいの資格で組織してもよいでしょう)、裁縫をさせたり、祭服を作らせたりしてもよいでしょう。ここでは三つの仕事を一度に行うことができます。すなわち(a) レジオ会員が自分自身を聖化すること、(b)他の多くの人たちが自分自身を聖化するよう導くこと、(c) 海外宣教の仕事を現実的な方法で支援することです。
388 この仕事に関連して、一般的にも当てはめることができるものですが、二つのことを特に強調する必要があります。
(a) どのような目的のためであっても、プレシディウムは単なる金品の収集機関となっては絶対になりません。
 (b) 裁縫の仕事に従事する人たちを監督しまとめていくことは、レジオの仕事の義務を十分果たしたことになります。しかし裁縫の仕事そのものは、例えば実際に身体障害のような非常に特殊な場合を除いては、シニア・レジオ会員のための実質的、活動的仕事とはみなされません。
 「信仰弘布会、宣教地司祭育成会、児童福祉会、そして宣教地司祭連合の四つの団体は、宣教にたずさわる普遍的な精神を神の民の間に育てる共通の目的をもっています」(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅「救い主の使命」84)。
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16.黙想会を普及させること
389 個人的に黙想会のすばらしさを経験したレジオ会員は、黙想会を計画し、その趣旨を広め、まだ一度も黙想会をしたことのない地域にも、それが行われるようにしなければなりません。
 これは、「カトリック・アクションによって教会の聖職者に奉仕することを望んでいる敬虔な信徒の団体」に与えられた教皇ピオ十一世の勧告で、その回勅には次のように述べられています。「この神聖な黙想会で、彼らは霊魂の真の価値を悟り、それを救いたいという願いに心が燃え立つであろう。また同時に使徒職の熱情、勤勉さ、勇敢な行動を学び取るであろう」。
 教皇が黙想会を通して信徒の使徒職の養成を強調しておられることに注意を払うべきでしょう。この目的が果たされていないこともあります。つまり、使徒が現れないということです。そのような場合には、黙想会が有益なものであったかどうかは疑わしいことです。 レジオ会員は、宿泊設備がないという理由で、黙想会によってもたらされる恩恵を広く人びとに知らせようとすることを思いとどまる必要はありません。実際の経験から、朝から夕方までの一日だけでも実り豊かな黙想会ができるこが証明されています。多くの人びとを黙想会に動員するにはこれしか方法はありません。ちょっとした庭のある建物であれば、ほとんどどのような建物でも、一日の黙想会に使用することができます。そして二、三回の食事を用意する費用はそれほどたいしたことではないでしょう。

390 「師である神は、ご自分の使徒たちを人里離れた家庭的な静けさの中に招き入れられるのが常であった。『人里離れたところへ行って、しばらく休むがよい』(マルコ 6:31)。そしてこの悲しみの世を去って昇天されるとき、この使徒たちや弟子たちがエルサレムの高間で磨かれ完成されることを望まれた。そこで十日間『心を合わせて熱心に祈っていた』(使徒行録 1:14)彼らは、聖霊に満たされるのにふさわしい者とされた。たしかにそれは記念すべき黙想会であり、後の霊的錬成をあらかじめ示すものであった。そこから、聖徳といつまでも変わらない力を持った教会が生まれて来たのであり、神の母おとめマリアのみ前で、またそのご保護
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の下に、カトリック・アクションの先駆者と呼ぶのにふさわしい人びとがつくり出されたのである」(教皇ピオ十一世回勅「メンス・ノストラ」)。

17.PIONEER TOTAL ABSTINENCE ASSOCIATION OF THE SACRED HEART                 (「み心の絶対禁酒開拓団」)
391 プレシディウムにとっての立派な活動の一つは、確かにこの団体への会員を募集することでしょう。この会の第一の目的は、節酒と節制の精神を培うことによって、神に光栄を帰することです。この目的を達成するための主な手段は、祈りと自己犠牲です。会員たちは、キリストへの個人的な愛を通して、 (a) 善を行うためにアルコール類を断つ、(b)会員自身の罪を含めて、わがままの罪の償いをする、(c) 祈りと自己犠牲を通して、過度に飲酒する人たち、また過度の飲酒の結果で苦しんでいる人たちのために恵みと助けを得るように励まされます。
 会員の主要な義務は、(1) 生涯一切のアルコール類を飲まない、(2) 「英雄的捧げ物」の祈りを毎日二回唱える、(3) 公に会の記章を身につけることです。
 「英雄的捧げ物」の祈りはつぎの通りです。
  
 おお、イエスのみ心よ、あなたのより偉大な栄光と慰めのため、
 良い模範となり、克己を実践し、
 不摂生の罪に対して、また過度な飲酒家の回心のために、あなたに償い  をすることができますように。
 わたしは生涯一切のアルコール飲料を飲みません。

 次の取り決めがあります。(1) The Central Director of the Pioneer Association(開拓団の会長)の認可を受けたプレシディウムは、パイオニア・センターを設立します。(2) すでに会のセンターがある地域では、プレシディウムは、現在あるセンターの同意が得られれば、会の発展と会員の募集を目的として、その会に所属することができます。(付録9参照)

第37章 仕事についての提案

18.場所によってそれぞれ特別に必要なことがある
392 レジオ会員は、レジオの目的を達成するために、地域の状況から考え出され、レジオの管理機関によって認められ、教会の教えにしたがっていることが分かれば、どのような方法でも採用することができます。実行できる見込みのある仕事は、冒険心と勇気を必要とするものでなければならにことを、ここにもう一度強調しておきましょう。
 カトリックの旗じるしのもとに行われたすべての英雄的な行いは、その地方の人たちの考え方に驚くほどの効果があります。非宗教的な人びとでさえ驚いて、宗教に対して改めてまじめな態度を取るようになります。これらの新しい基準によって、全住民の生活態度は改められるでしょう。

393 「『恐れてはいけない』とイエスは言われた。だからわたしたちも恐れを捨てよう。わたしたちは臆病者を仲間に持ちたいとは思わない。もしキリストの『恐れてはいけない』という言葉を繰り返す必要があるとすれば、それは疑いもなく使徒職に関してである。恐怖心は活動しようとする心にはふさわしくなく、わたしたちから正しい判断力を奪い取るからである。そのためわたしは繰り返して言う。ただ一つの恐れを除いてすべての恐れをわたしたちから遠ざけねばならない。そのただ一つの恐れを教えよう。それは神に対する恐れである。それを持っていれば、あなたがたは人間もこの世の悪魔も恐れないだろう。
 そして賢明さについては、聖書が述べているような、そして飽くことなく思い出させるような賢明さ、すなわち神の子の賢明さ、霊の賢明さでなければならない。それは肉の賢明さ、すなわち弱く怠惰な、愚かな、利己的で惨めなものであってはならないし、また事実そうではない」(1931年5月17日の教皇ピオ十一世の訓話)。

第38章 パトリシオ

第38章 パトリシオ

394 パトリシオの会は1955年に設立されました。その目的は、人びとの宗教的知識を深め、どのように自らの立場を他の人に説明するかを教え、人びとを励まして使徒職に向かわせることでした。その方法は試しのつもりでしたが、今日まで変わっていません。初めのうちは、人びとはさかんに方法を変更するように提案しましたが、それらはすべて、要理のクラス、講義方法、質疑応答会のように、すでに確立されている他の方法に立ち返ることにすぎませんでした。これらの方法はそれぞれ重要な立場を占めていますが、おそらく教会の根本的な問題である、成人の宗教的無知や一般信徒の麻痺した舌の問題に対処できるものではありません。パトリシオは、この分野では効果的でしたから、細心の注意を払って守って行かねばなりません。パトリシオの組織は、すばらしく均衡のとれたものです。ちょうどすこしダイヤルを回すと別のラジオ局に変わってしまうように、パトリシオも、すこしでも手を加えると全く違ったものになってしまう恐れがあります。
395 パトリシオ以外の組織では、一人か数人の熟練者で大勢の人たちを指導するようにしていますが、パトリシオの方法は、レジオそのものの方式を取っています。すなわち、取り組んでいる仕事に全員が一体となって当たります。全員が積極的な知識の追求のためにともに働きます。
 分析してみると、パトリシオこそがレジオの真の子どもであることがわかります。それはパトリシオがレジオそのものを作り上げているいろいろな特色のある要素を含んでいるからです。パトリシオは、宗教教育の分野へのレジオの組織の投影と言えます。
 この分野では、マリアが主宰されます。イエスをこの世にもたらしたのはマリアでした。その結果、マリアは、イエスを人びとに伝えるためのすべての任務を託されています。このマリアの支配は、パトリシオ集会の中心となるレジオの祭壇によって表されています。パトリシオ会員は、マリアを囲んで、あらゆる角度から教会について、すなわち、約束どおりかれらの真ん中におられるイエスについて語りあうのです。これは集会を多様化することによって易しくされている高度な形の祈りです。通常
第38章 パトリシオ

の祈りを二時間も続けることは容易なことではありません。これこそパトリシオが、教えながら同時に霊的感化を及ぼすことのできる理由の一つです。
396 プレシディウムで第一に求められることは、各会員から口頭で報告を受けることです。パトリシオも同じです。その第一の目的は、すべての会員から口頭での発言を引き出すことです。集会の会場準備や運営は、この目的に向けられていなければなりません。その雰囲気は、親しみがあり、理解しあっていて、おしゃべりな人と、そうでない人の違いはありますが実際にはみんなが自分の意見を発表できる良い家庭の雰囲気でなければなりません。その状態は、反対者がいないということにかかっています。公に論争する場合の通常の方法は、攻撃、非難、冷笑に基づいています。もしこうしたことがパトリシオに現れると、会員はいなくなってしまうでしょう。
 もし、「もっとも小さな人たち」がくつろげるような家族的な気風ができれば、パトリシオの基礎はできあがったことになります。鎖のそれぞれの輪がつながっているように、一つの発言は他の発言への「導火線」となるでしょう。知識の空白は埋められ、ばらばらの材料はカトリック教義というモザイックに形作られていきます。知識や関心が増すにつれて、一つであるキリストの神秘体の中に溶け込み、その生命に浸されます。
 その他の特徴に関しても、パトリシオのやり方はレジオの教えとやり方を応用していることがわかります。レジオ会員はこのことを十分に悟り、プレシディウムに対して持っているのと同じ確信を、パトリシオの仕事にも持つことが重要です。そうすれば、彼らは直面する課題に対して、十分な装備をすることができるでしょう。
397 カトリック信者が宗教について教会外の人びとに話さず、また教会内の人にもめったに話さないのは悲しいことです。キリスト信者のこの方向感覚の喪失について、一つの言葉が考え出されました。「沈黙主義」です。スーネンス枢機卿はこの態度を次のように要約しています。「教会外の人びとは聞こうとしないといわれています。しかし、真相はカトリック信者が語ろうとしないことです」。普通のカトリック信者が宗教のことについて、他の人を助けようとしないのが実情のようです。
第38章 パトリシオ

まじめに真理を求める人に、彼らが求めている知識が与えられていません。そして、カトリック信者は人びとの回心に無関心であるという間違った印象が作りだされます。
 この広範な不行き届きは、キリスト教の評判そのものを脅かしているように思えます。キリスト教は利己主義ではないからです。しかし、実情は見かけほど悪いわけではありません。概して、その沈黙も無関心と見えるものも、自信のなさから来ています。
 (a) この人たちは、宗教についての自分の知識の乏しさを心配し過ぎています。その結果、その弱点を白日のもとにさらすようなことはすべて避けているのです。
 (b) 相当な知識を持っていても、カトリック要理の答えのように、それぞれの知識はばらばらです。知性が、自動車や人間の体のようにいろいろな部分を正しくつなぎ合わせるというような、一歩進んだ働きをしていないのです。いろんな部品が見当たらないとか、あっても部品が互いにうまくかみ合わないとかいうような、さらに面倒なことが起こります。たとえ組み立てたとしても、できた製品は、部品がうまく合わないために、動かない機械に似たものとなってしまうでしょう。
 (c) 無知のために、信仰を支えるための十分な知識がない場合が多いのです。半分信じているという状態です。この状態では、非宗教的な環境に出会えば、信仰は崩壊してしまうほかありません。
 こうしたことが問題なのです。
398 パトリシオはレジオによって管理されている団体です。各支部は一つのプレシディウムに所属し、その司会者はレジオの活動会員でなければなりません。一つのプレシディウムが数個の支部を担当することもできます。支部には、その支部が所属するプレシディウムの指導司祭が承認した指導司祭がいなければなりません。修道者または(教会が許可すれば)一般信徒が霊的指導者の役を勤めることもできます。
 パトリシオの呼び名は、レジオのほとんどの名称と同じように、古代ローマの用語に由来します。パトリシオとは、貴族、平民、奴隷の三つの社会階級の上層階級の人びとでした。しかし、わたしたちのパトリシオは、すべての社会階級の人たちを一つの霊的な貴族階級に結合するこ
第38章 パトリシオ

とを望んでいます。さらにローマのパトリシオは、祖国への愛と繁栄のための責任感にあふれていなければならないと考えられていました。ですから、わたしたちのパトリシオも霊的祖国である教会を支える者でなければなりません。その規則は、会員は熱心なカトリック信者でなければならないとか、また信者としての務めを果たしている者でなければならないとさえ、強く主張してはいません。ただ、彼らの忠誠心はおおまかに言ってカトリック的であることだけを要求しています。根っからの反カトリック的なカトリック信者は、この部類には入りません。
 司教が出席を認めない限り、カトリック信者でない人は集会に出席することはできません。
 パトリシオの集会は毎月開かれます。時間を守ることと毎月集会を続けることが絶対必要です。実際に開くことができない場合を除いては、集会は必ず開かねばなりません。会員の毎月の集会への出席は義務ではありません。会員に次の集会を思い出させるための方法が必要でしょう。
 望ましいのは、一つの支部で会員が50名を越えないということです。この大きさでもいろいろ困難な問題が生じるものです。

会場の準備
399出演者と観衆という舞台効果は避けなければなりません。また無秩序な雰囲気があってもいけません。座席を出来る限り半円形に並べ、テーブルで円形になるようにします。テーブルにはレジオの祭壇を置き、祭壇にはヴェキシルムが必ずなければなりません。
 集会には、適当な座席、照明、温度のような物質的快適さを含めて、人を引き付けるすべての要素がなければなりません。
 費用は秘密袋の献金で支払い、その会計報告は集会ごとに行わねばなりません。

集会の順序
400 1. 集会は、起立して唱えるパトリシオの祈りの共唱で始まります。
 2. 討議のための課題についての一般信徒による研究発表または話は、
第38章 パトリシオ

厳しく15分に制限されていますが、必ずしも15分使う必要はありません。
すべての行き過ぎが有害なように、15分以上の話は有害です。研究発表は専門家がする必要はありません。専門性ということは、学問的過ぎたり、長過ぎたりして、集会を始から壊してしまうことがあります。他方、研究発表は必要ではないとの提案がされたことがあります。しかし、明らかに討議の主題についてなんらかの予備的研究が行われる必要はあります。これはそのためにだれかを指名してはじめて効果がでるものです。集会は討議するための材料を提供しなければなりません。
 3. 研究報告に続いて全体討議が行われます。集会の他の部分はすべてこの討議のためであって、それが完全に役目を果たすように仕向けられねばなりません。もし会員各自が発言しなければ、討議は成り立ちません。パトリシオの課題は、始めは発言する用意もその気もない人たちに発言する気を起こさせることにあります。この課題は、パトリシオ会員自身のためにも、また教会の健全さのためにも解決されねばなりません。 
 したがって、あらゆる手助けがおこなわれるべきで、逆影響を及ぼすものは取り除かれねばなりません。間違った発言や馬鹿げた発言(このような発言は多いでしょう)に厳しい態度をとることは致命的となるでしょう。各自に自分の意見を発表させるというパトリシオの目的をだいなしにしてしまうでしょう。そのために、言論の自由は重要であり、たとえぎこちない意見が述べられたとしても、発言の自由は擁護されねばなりません。こうしたことは、戸外でのコーラスがなんの修正も受けないように、幾度も繰り返されるものだということを忘れてはなりません。
 ですから、大切なことは発言されることで、発言が賢明であるとか正しいとかいうことではありません。完全な発言は一番輝くかもしれません。しかし平凡な発言こそが最も多くのことを成し遂げるのです。このような発言は口べたな人たちを話せるように訓練しているのです。
 発言は集会に向けられるのであって、集会に出席している主要人物に向けられているものでないということが、心理的に大切なことです。話し手が話し終わると、それがまるで二人の間の会話であるかのように、聞き手各自はいわばその話と、何か意見を求められるようにして向き合わされいるというのが、この考え方です。二人の間の会話の場合、答え
第38章 パトリシオ

はすぐに出てくるでしょう。そしてこの答え易さというのが、パトリシオ
の中に確立されなければならない姿勢なのです。
 もし人びとの心が他に逸らされれば、この心理的な均衡は崩れてしまうでしょう。たとえば、司会者が意見や感謝の言葉さえ述べたりして自分の方に注意をむけさせたり、研究発表者が研究で取り上げられた問題点にふれて繰り返し口をはさんだり、指導司祭が問題が起こる度にそれを解決しようとしたりすると、心を逸らされることになるでしょう。こうした方向に傾くことは、それがなんであっても、破壊的な結果を招くでしょう。それは集会を、数人の人が質問し数人の専門家から答えをもらうという、パネル・ディスカッションに変えてしまうでしょう。
 気の小さい人が話すことができるような雰囲気を作り出すことが望まれます。
 司会者は、問題とはかけ離れた関係のない発言に対して寛容でなければなりません。本論に戻るように注意することは集会全体に威圧的な影響を与えるでしょう。しかし、その的外れな発言が他の人びとまで本筋から離れさせるようであれば、そのとき司会者は彼らを本筋に戻すようにしなければなりません。
 発言は起立して行うべきです。もし座ったままであれば、発言はもっと自由に行われるかもしれません。しかし、これは討議を単なる会話と同じ無秩序な言葉のやりとりにしてしまう危険を冒すことになります。
 会員の発言は一回に限られてはいません。しかし、まだ発言していない人が、すでに発言した人に対して優先権を持っています。
 4. 集会が始まって一時間たつと、討議は中断されます。この直前に会計報告が行われ、指導司祭の講話のすぐあとで秘密袋が廻されることが告げられます。
 2.1. 次いで、軽い茶菓(例えば、紅茶・コーヒやビスケットなど)が出されます。これは集会の重要な特色ですから省いてはなりません。それは、(a) パトリシオに有益な親睦という一面を加える、(b) 意見を交換する、(c) よくしゃべるようになる、(d) 使徒的触れあいの機会となる、などの多くの大切な目的を果たします。
 茶菓の時間を省いて、その休憩時間を他の目的のためにとっておくとい
第38章 パトリシオ

う提案がされてきました。実際には、茶菓なしでこの休憩時間を正当に
用いるのは容易ではないでしょう。
 休憩時間は15分とします。
 6. 続いて指導司祭による15分の講話があります。すべてのことはこの講話に向けて行われてきたことであり、注意を集中して聞かねばなりません。講話は集会の大切な要素であり、討議の主題を秩序正しいものとし、それを最高の次元にまで高め、会員を神へのより偉大な愛と奉仕に駆り立てます。
 集会での発言のすべてを考慮することができるように、なぜこの講話を集会の終わりに置かないのかという意見が出されました。講話はこれからの討議の貴重な材料となるためのものだというのが、その答えです。講話が集会の終わりにあれば、この目的は果たされないでしょう。もう一つの理由があります。それは、集会に出席したすべての人がこの講話を完全に理解するとはかぎらず、その場合は討議が再開されたあとで、「解釈の原則」(後述)が効果を表すだろうから、ということです。
 7. 指導司祭の講話の後、集会終了の5分前まで、全体討議が続けられます。
 8. 次いで、(a) 司会者は研究発表者に、集会を代表して簡単に感謝の言葉を述べます。形式的な感謝の決議をしてはなりません。(b) 次ぎの集会の議題が決められます。議題は宗教に関してのものでなければなりません。単なる学門的、文化的、文学的、または経済学的な話題は避けねばなりません。(c) 他の知らせがあれば、それを行います。
 9. 次いで、終了の祈りとして使徒信経を、全員起立して共唱します。
 10. 集会は司祭の祝福で終わります。人がいっぱいの部屋でひざまづこうとして混乱するのを避けるために、祝福は立って受けるべきです。
 このようにして、集会の長さは二時間とすべきです。集会を通じて正確に時間を守ることが絶対に必要です。何か一つの項目で時間が超過すると、他の項目にそのしわ寄せが来て、集会の均衡がくずれます。集会の各部分とその時間について要約した表が  ページに掲載されています。
 各項目についての要約は必要ありません。もしいくつかの重要な課題
第38章 パトリシオ

が未解決のまま残ったとしても、落胆する必要はありません。次々と集会
が開かれて、最後には解決されるでしょう。
 義務としての仕事はありません。どのような仕事も集会で割り当てるべきではありません。余分な仕事をするように会員に圧力をかけてはなりません。親しいふれ合いが生まれれば、それをあらゆる面で、とくに人びとを、活動会員であれ賛助会員であれ、アジュトリアンであれ、レジオ会員に導くために利用しなければなりません。賢明に利用すれば、パトリシオは共同体にいるすべての人に恩恵を与えるような強い推進力となることができます。

いくつかのパトリシオの原則
1.集団心理
401 人は互いの助けを必要とし、自然に集団をつくります。集団は、それが持っている規則や精神の度合いに応じて影響力を行使します。個人は自分が属している集団に遅れないようについていこうと努力しますが、このことは良い方にも悪い方にも作用するのが事実です。彼らは単に受け身ではなくなり、集団の生活を共有します。もし彼らが集団の中でくつろぐことができれば、集団の力となるでしょう。これをパトリシオに当てはめれば、もっとも未熟な人を含めて、聞いたことを理解し別の方法で続けていくように、すべての人に静かなしかし抗しがたい圧力が与えられるということを意味します。もちろん集団は、これだけ多くのことを成し遂げながら、集団自体は全く進歩しないこともあり得ます。このことはパトリシオにおいては、高い精神を持った幾人かの会員がいて絶えず優れた思想を確実に提供すれば防ぐことができます。あの集団心理の力によって、会員はこれらの思想を吸収し、それによって、集団は常にその質を向上させることができます。
2苦しい沈黙
402 発言が長い間とぎれると当惑するかもしれません。そういうとき司会者は会員にむりに発言させようとします。これは間違ったやり方です。緊張感がうまれ、だれもますます話したくなくなるでしょう。ここで考えねばならないことは、家族では絶えずしゃべり続ける必要はなく、時折
第38章 パトリシオ

訪れる沈黙に安らぎを感じるということです。ですから、こうした沈黙が起こったら、家庭にいるようにみんなを静かに座ったままにしておきましょう。沈黙はやがて終わります。そのときが来れば、普通はその後に楽な雰囲気になり、舌が自由に動くようになるでしょう。
3.解決の延期
403 問題を解決するには大きく分けて二つの方法があります。一つは専門家から直接に答えをもらうことです。もう一つは自分たちで問題を解決しようすることです。前者は直接的で簡単な方法のようで、ほとんどの教育はこの方法によっています。欠点は、答えが半分しか理解されないことが多く、生徒の才能や責任感がのばされないことです。第二の方法はもっと骨が折れます。問題が生徒に投げかけられ、生徒は自分で努力しなければなりません。大まかな結果がでると、専門的な指導が与えられます。そして再度もっと高い段階に向かって彼ら自身で努力させるようにします。この他からの援助によって自分を助けるという方法の最終的な結果は、彼らが本当に学ぶことができたということです。彼ら自身のゆっくりとした仕方から解決が生じたので、安心し、忘れることもなく、将来への自信がもてるようになります。これがパトリシオの方法です。それはさらになにか不正確なことが発言されても、権威によって直ちにそれを修正すべきではなく、討議の成り行きにまかせねばならないということを求めています。不正確な発言もほぼ確実に取り除かれるでしょう。もし重大な誤りとして残るなら訂正されねばなりませんが、恥をかかせるような方法でしてはなりません。ご自分の子に教えておられるマリアのことを考えてください。
4.質疑
404 講義形式では、聴衆の中に反応が生じることを好ましいことと考えていますから、質問を歓迎します。ある人たちがそれに応えて質問し、講演者が返答します。これとは反対に、パトリシオはこうしたやり方を歓迎せず、電流の中で起こるショートとおなじように、反ってそれを討議の妨害と考えます。はじめのうちは、重要な人物の一人に質問する以外は、発言しようとしない人が多いでしょう。もしそれに答えようとすれば、討議は打撃を受け、実際には、生徒のいなくなった教室のようになるで
第38章 パトリシオ

しょう。 ここでの黄金律は、関連のある質問をするものは、この答えについて自分自身の考えを付け加えねばならないということです。このやり方だと、その質問を討議の流れに有効に乗せることができるということが分かっています。
5.パトリシオの形成原理
405 いわゆるレンガを一つずつ加えて積み上げていくように、知識を積み上げてゆくことはよいことです。しかし、パトリシオで行われていることは、足し算ではなく掛け算です。それぞれの新しい発言が、すでに述べられてきたすべてのことから出て、今度はそれに影響を与えながら、それと相互に作用しあうという意味で、パトリシオは生きているレンガで建てています。意見は修正されて、新しい思想が芽生えてきます。恩恵が働きかけているこの複雑な作用によって、各自の心は必ず豊かな刺激を受けるにちがいありません。しかし、それはまた共通の効果を、つまり団体全体への効果ももたらします。この効果は潮流に例えられます。前向きな積極的な推進力になるよう、会員の種々の性格や考えを集めます。よどんだ信仰や宗教的展望に活力と方向づけを与えることによって、結果として生活に変化をもたらすにちがいありません。
6.中心となる人の役割
406 プレシディウムの善し悪しがその役員にかかっているように、パトリシオの善し悪しもその中心となる人たちにかかっています。これらの人たちは自分の役割を越えないように注意しなければなりません。もし越えれば、一般会員の役割を減ずることになり、学校の教室のような状態に迷い込んでしまいます。指導司祭や、司会者、また研究発表者は、時間厳守やその他の制約に関してどんな誘惑があっても、時間を守り、決められた制約を順守することが重要です。たいていの人は、老練な人や権威ある人のいるところでは気詰まりを感じるものです。ですから、中心的な役割を果たす人たちは、知識を上手に伝えるために主ご自身が示された方法で行わねばなりません。「わたしは柔和で謙そんな者だから、わたしに学びなさい」(マタイ 11:29)。おそらく、実際の討議の間、彼らが目立たなくすればするほど、討議はより自由に進行すると言うことができるでしょう。だからといってこのことは、彼らを徹底して決められた
第38章 パトリシオ

時間に制約するものではありません。一般会員がするように、しかし控えめに、討議に加わることができます。
7.「解釈の原理」
407 パトリシオの特徴のなかで秀でているのがその「解釈の原理」です。これによって、なんらかの理由でほとんどの人が完全に理解できない発言も、全員に理解できるようになるのです。このことは、進んだ思想や難しい考えを最も単純な会員にも理解できる方法で表現し、伝えることができるということを意味します。非常に高い学識のある人と一番学識のない人とを相互理解という足場のうえにおくこの能力は、非常に高価な宝石のようなものです。その働きは次の通りです。集会冒頭での講話(またはどのよう発言でも)が非常に程度の高いもので出席者の一割しか理解できないと仮定しましょう。ですから、もし普通の講義なら、むだなものになってしまうでしょう。しかしパトリシオでは、理解できた一割のうちの何人かが、 それについて討議を始めます。実際は、かれらは大部分の会員の水準に合わせて討議しますから、難しい講話も討議が進行するにつれてその水準は全員が理解できるまでになります。それから他の人たちが発言し始め、ついには穀物を引き砕いて細かい粉にするのと同じ作用が達成されるのです。最初の講話の中にあった不明瞭な点はすべて、全会員の知的な能力に合わせて、いわば、解釈され翻訳されるのです。このようにしてパトリシオで発言されたことは何一つとして失われることはありません。
 パトリシオのこの特徴は、布教地のような条件のもとでは独特の価値をもっています。そこでの宣教師の仕事は、言葉も完全には理解できず、ものの考え方も違った人たちにカトリックの教えが完全であることを教えることです。パトリシオのこの解釈力がこうした深い溝に橋をかけてくれます。
8神が働きかけてくださるための材料を提供すること
408 このことは、多くのレンガを積み上げて一つの建物を建てるよりももっと問題です。そこには恩恵の原則が働いています。恩恵は自然をはるかに越え、わたしたちに自分が持っている材料で建てるよりもはるかに大きな建物を建てる力を与えます。
第38章 パトリシオ

 啓示宗教の世界で、完全な答えを出せる者はだれもいないということを知っていなければなりません。信仰と恩恵が常にそこに入ってこなければならないからです。もっとも賢明な論証でさえ、そのギャップに橋を架けるのには役立たないでしょう。だからといって、あまり賢明でない発言は無用だと考えるのは誤りでしょう。事実、神はもっともつまらない発言でもおん手に取って、それで何かをなさるのです。すべての人が最善を尽くせば、橋を架けられないようにみえた隔たりも埋められてしまうでしょう。その隔たりが思ったよりも小さかったのか、人間の貢献が思ったよりも大きかったのか、あるいは神が欠けていたものを満たされたのか、それはだれにも分かりません。しかし、その仕事は完成されたのです。
 上に述べたことは常にわたしたちの人生哲学でなければなりません。しかもパトリシオよりももっと大きな規模で。すべての参加者は、たとえそれが不十分なものとわかっていても発言しなければなりません。わずかな努力であってもしないよりはずっとましです。世界を回心させるということは、カトリック的努力が実を結ぶようにするかどうかの問題です。カトリック信者が「わたしには十分な知識がないから、おとなしくしていたほうがよい」とつぶやいている限り、努力不足と言えるでしょう。しかし、これが世間一般の状況であって、パトリシオはその中で有益な役割を果たそうとしているのです。

パトリシオの祈り
(全員起立して共唱します)

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
主よ、パトリシオの会を祝福してください。
わたしたちは、あなたと、あなたの母であり、またわたしたちの母でもあるマリアに、いっそう近づくために、この会に入会しました。わたしたちがカトリックの信仰を知り、その信仰の真理が働いてわたしたちの生活を変えてくださいますように。また、あなたがわたしたちと深く一致しておられることを悟らせてください。その一致によって、わたしたちはあなたのうちに生き、まただれかが怠ければ、他の人びとが苦しみ滅びるかも
第38章 パトリシオ

しれないほど、互いに依存しあっていることを悟らせてください。わたしたちに課せられた重荷は重くとも栄光に輝かせることができ、またあなたのためにそれを担うことを心から望むことができますように。わたしたちは自分がどのような人間かを知っています。本性から怠け者であるわたしたちは、あなたに肩をおかしするには、どれほどふさわしくないことでしょう。でも、あなたはわたしたちの弱さよりも、わたしたちの信仰を見てくださり、また、道具としてふさわしくないということよりむしろ、あなたの仕事にとって必要であるということを、見てくださることを信じています。いま、マリアの母としてのとりなしに、わたしたちの声を合わせて、天のおん父とあなたに、聖霊の賜物を送ってくださるようこいねがいます。わたしたちとともに住み、あなたの生きたみ教えをわたしたちに教え、わたしたちの必要をすべて満たしてくださいますように。また、豊かな恵みをいただいたわたしたちが、惜しみなく人びとに与えることができますように。そうでなければ、あなたの受肉ともっとも残忍なご死去の実りをこの世は受けることができないでしょう。これほど偉大な労苦と苦しみが、決して無駄になりませんように。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

集会の議題
409
0.00 パトリシオの祈り(全員起立して共唱)
   一般信徒による講話(15分以内)
0.15 討議
0.59 会計報告
   司祭の講話の直後に秘密袋がまわることを知らせる。
1.00 休憩
1.15 司祭の講話(15分以内)
1.30 討議の再開
   秘密袋の献金
1.55 お知らせ(研究発表者への感謝の言葉、次回集会の日時と議題など)
2.00 使徒信経(全員起立して共唱)
第38章 パトリシオ

   司祭の祝福(起立したままで受ける)

大学およびジュニアの集会

410 通常のやり方を守ることがどうしても不可能な次のような場合、すなわち、(a) 大学や施設内での集会、(b) 全員18歳以下の会員による集会には、次の簡略化されたやり方(集会の長さは1時間半)が認められています。0.00 パトリシオの祈り、次いで信徒による研究発表(5分以内)
0.05 討議(40分以内)
0.45 休憩(10分)(茶菓を省いてもよい)
0.55 指導司祭による講話(10分以内)
   秘密袋は省いてもよい
1.05 討議の再開(20分以内)
1.25 お知らせ、通常の集会と同じ
1.30 使徒信経、通常の集会と同じ

411 「パトリシオは家庭的なものである。わたしたち皆が関心をもっていることについて、心を開き、率直に、心から話し合う家族の会話は、家庭生活の喜びの一つである。わたしたちキリスト信者は、キリストの兄弟として神の家族に属している。ガリラヤでの宣教の日々の夕暮れに、その日の教えについて主と使徒たちがおしゃべりしているその精神で、わたしたちの信仰について考え、話し合い、どのように実践するかを討議すること、それがパトリシオの精神である。
 「イエス・キリストがすばらしい、愛すべき先生であり、師であり、主であることを知ることは、わたしたちの心を主の救いの真理に浸し、ちょうどわたしたちが自分の子どもたちや、家庭や、仕事について話すのが好きなように、宗教について語るときに完全なくつろぎを感じなければならないという意味である。聖霊はわたしたちみんなにキリストの真理への洞察力を与えてくれる。パトリシオの集会でこれらの洞察力を他の人たちと分かち合い、また学び合うのである。そこではわたしたちはキリストの証人であり、キリストがわたしたちの隣人の口を通して話されると
第38章 パトリシオ

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第34章 プレシディウムの役員の任務

ん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」(マタイ20:27)という主のみ言葉を受け入れねばなりません。
 13.会長は、会員が自分が携わっていない仕事についても意見を述べたり、援助を申し出たりするよう励まし、プレシディウムのすべての仕事について積極的な関心を持つようにします。
 14.各レジオ会員が仕事をするにあたって、会長は次の点を確認しなければなりません。
 (a)正しい精神で行っているか、
 (b)正しい線に沿っているか、
 (c)それぞれの仕事について、レジオが望んでいる実りが実際に得られているか、
 (d)以前から手がけている仕事にも気を配っているか、
 (e)絶えず新しい分野を開拓することによって、会員の間に進取の気象が生き生きと保たれているか。
 15.会長は、会員から出来る限りの努力と献身を取りつけなければなりません。有能な会員につまらない仕事を与えることは、その会員の永遠が今形づくられていることを思えば、彼に実に不当なことをしていることになります。安易に物事を受け取ってよいと言われれば、そうしない者はだれもいません。したがって、会長は、一人一人に最大の努力を払うように勧めねばなりません。なぜなら、神はご自分がお創りになった人間一人一人が能力を最大限にまで発揮することを望んでおられるからです。
 16.プレシディウムの欠陥は通常会長の欠陥です。もし会長が間違ったことを受け入れれば、それは繰り返され、ますます悪くなっていくでしょう。
 17.会長は一年に50回も議長をつとめ、また人間であるため、時には気持ちがいらいらしている場合があるのも避けられないことでしょう。不機嫌さほど人に伝染しやすいものはないので、そのような場合、決してそれを表さないようにつとめなければなりません。不機嫌が一人の人、
特に権威にある人から始まれば、すぐに全体が巻き込まれてしまいます。
 18.プレシディウムがいいかげんな方向に流れたり、その精神を失っ

第34章 プレシディウムの役員の任務

ているように思われたら、会長はクリアの役員にひそかに相談し、打つべき手を考えなければなりません。そしてもし会長をやめて一般会員になった方がよいと勧告されたら、謙そんにその決定に従うべきで、それはそのひとにとって大きな恵みとなるでしょう。
 19.他の役員や会員と同じように、会長はプレシディウムの一般の仕事をすることによってレジオ会員としての義務を果たさなければなりません。会長にこの規則をあてはめるのは不必要なように見えますが、決してそうでないことを経験が教えています。
 20.最後に、信徒使徒職に関する権威者(ピッツァルド枢機卿)が、特別な意味で使徒的活動を行うすべての指導者の特徴でなければならないと主張している事柄、すなわち、教会の指導者への従順、自己放棄の精神、他の団体やその会員一人一人への愛と調和の精神に、会長は欠けていてはなりません。

 「わたしは人びとの霊魂を委ねられた瞬間から、この仕事はわたしの力に余るものだと一目で悟りました。そこで直ぐわたしは、ものに怯えた幼子が父親の肩に顔を埋めるように、おん父のみ腕の中に身を寄せて叫びました。『ごらんの通り、主よ、わたしはあなたの子どもたちを養うにはあまりにも小さな存在です。もしわたしを通してそれぞれの子どもたちに適したものを与えることをお望みなら、どうかわたしの手を一杯に満たしてください。わたしはあなたのみ腕の庇護から逃れることも、顔を背けることもなく、糧を求めてわたしのもとに来る霊魂たちにあなたの宝を分け与えましょう。もしその糧が彼らの口に合えば、それはわたしのせいではなく、あなたのお陰であることがわかります。もし反対にそれが苦いと言って彼らが不平を言うことがあっても、わたしは心を乱さず、それがあなたからのものであると説得し、他の糧を与えないようにいたします」(リジューの聖テレジア)。

3.副会長
330 1.クリアの集会に出席することは、副会長の義務です。
 2.会長が欠席のときは、プレシディウムの集会の司会を務めます。

第34章 プレシディウムの役員の任務

しかし、会長の席が空席になっても、副会長が自動的にその職務を引き継ぐ権利のないことを理解していなければなりません。
 聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会の手引き書から引用された次の忠告は、同様にプレシディウムの副会長にも当てはまります。「会長が不在の時、とくにそれが相当の期間にわたる時、副会長は会長のすべての権限を有し、完全にその代理を務めます。一人の会員が欠けたからと言って、会の活動が止まってしまってはなりません。会長が不在の時、会員が何もする気が起こらないというのであれば、会の活動が止まってしまうことになります。したがって、会長が不在の時、副会長が会長の地位を完全に補うことは副会長の権限であるばかりでなく、良心上の務めです。それは会長が帰任した時、彼または彼女の不在のためにすべてが停滞していたということのないようにするためです。」
 3副会長は通常プレシディウムの管理と仕事の運営に関して会長を補佐します。会長が不在の時だけ、副会長の務めが始まると考えられがちですが、これは副会長にとってもプレシディウムにとっても不幸な結果をもたらす誤りです。副会長は、会長の仕事すべてに緊密に協力するというのが正しい考え方です。プレシディウムにおいての会長と副会長との関係は、家庭での父親と母親のような、または軍隊での最高司令官と参謀長のような関係にあります。副会長は会長を補佐するもので、現役の役員であって、予備的な役員でも受け身的なものでもありません。集会中の副会長の特別な任務は、会長の目の届かない、しかもプレシディウムの正しい運営に必要な数々のことがらを監督することです。
 4.副会長は特に会員の世話をする責任があります。初めて集会に出席した人と親しくなり、プレシディウムに喜んで迎え、集会の前後に他の会員に紹介します。新会員に仕事が割り当てられているかどうか、会員の義務(毎日カテーナを唱えることも含めて)を心得ているかどうか、また会員にはプレトリアンという段階があることや、それについて詳しく知らせるのも副会長の務めです。
 5.集会で会員の出欠をとります。
 6 活動会員、プレトリアン、アジュトリアン、一般賛助会員の名簿を

第34章 プレシディウムの役員の任務

作り、それぞれ正会員と試みの期間にある会員とに分類します。賛助会員が試みの期間の終わりごろに訪問を受け、賛助会員の義務を忠実に果たしていると認められれば、正規の会員として登録されるよう配慮します。
 7.活動会員の試みの期間が終わりに近くなればそれを知らせ、レジオの誓いをするためのあらゆる準備をします。
 8.集会に来なくなった会員があれば注意を払い、手紙やその他の方法で、会員から完全に脱落してしまわないように努力します。
 会員としての資格に全く疑う余地のない会員と適性に欠けるためにすぐに脱落してしまう会員との間に、大勢の中間層があることは明らかですが、そういう人たちが忍耐して会員としてとどまることができるかどうかは、外面的なまたは偶発的な事情によるため、親切な役員の特別な配慮によって会員としてとどまることができるのです。新しい会員を一人得るよりも、一人の会員を続けさせることのほうが、レジオにとってより大切であることを忘れてはなりません。こうして副会長の仕事が忠実に実行されれば、多くの良い活動と霊的な実りを得ることができ、新しいプレシディウムの設立へと発展し、副会長の仕事それ自体が特別な意味での使徒職となります。
 9.亡くなった会員への祈りを怠っていないかを注意します。この務めに関しては、別の項で詳細に述べられています。
10.病気の会員を見舞ったり、また他の会員が見舞うように配慮します。
11.賛助会員、特にアジュトリアンを獲得し、その後も連絡を保つ努力をするように会員を指導します。

 「修練女たちは、聖テレジアがあまりにもよく心の中まで見透すのを見て驚いた。すると彼女は説明した。『わたしの秘訣は、あなたがたを親しく観察するときは必ず聖母に祈ることです。あなたがたにとって何が最善であるかを教えてくださるように祈ります。そしてあなたがたに話すと、自分の言うことに度々驚いてしまいます。わたしがあなたがたに話しているとき、イエスさまがわたしの口を通してあなた方に話しておられるという信頼が誤ってはいないことを感じるのです』」(リジュー

第34章 プレシディウムの役員の任務

の聖テレジア)。

4.書記
331 1.書記はクリアの集会に出席します。
 2.書記にはプレシディウムの集会記録を保管する責任があります。集会記録は入念に準備され、はっきりとした口調で読み上げられます。記録は読み方と内容で非常に重要な役割を果たします。長くもなく短くもなく、しかも書記がかなりの苦労をしたことがよく分かる記録が、はっきりと読み上げられることは、集会のよい滑りだしとなり、大きな効果をもたらすでしょう。
 3.良い記録を書き上げようと思えば、書記は筆記用具にも気をつけなければなりません。たとえ優れた書記であっても、鉛筆や先の折れたペンで質の悪い用紙を使えばよい記録ができないのは人間の本性でしょう。ですから記録は、インクまたはタイプで良質のノートに書かねばなりません。
 4.書記は書記の務めの他に、プレシディウムから割り当てられる仕事を果たす義務があります。
 5.書記はクリアが要求するすべての情報と返信とをきちんと提出し、プレシディウムの通信全般についても責任があります。また、プレシディウムの事務用品がいつも適当に補充されているように気を配ります。
 6.会長は書記の任務の一部を、プレシディウムの他の会員に委任することができます。

 「『母はこれらのことをすべて心に納めていた』(ルカ2:51)と福音書に記されている。なぜそれを羊皮紙に書かなかったのだろうと、ボティチェリは考えた。彼は聖書の解釈にそれ以上深入りすることなく、歓喜と感謝に満ちた最も完全な賛歌を絵にあらわした。一人の天使が右手でインクつぼを差し出し、左手で、聖母がゴチック式飾り文字でマグニフィカトを書き上げられたばかりの用紙を支えている。そしてまるまると肥えた幼子イエスが預言者のような様子で、その小さな手でおん母の指を

第34章 プレシディウムの役員の任務

導いておられるように見える。それは、このフローレンスの名匠が自分の聖母像を表現するためにいつも描く敏感で、感じやすく、まるで思いにふけっているような指である。インクつぼもここではそれ自体に意味がある。黄金製でもなく、天使に支えられた冠のように宝石がちりばめられているわけでもないが、天地の女王の勝利の運命を象徴している。それは主の謙そんなはしためがご自分の栄光に関して預言されたことを確証して、世の終わりまで人びとの手で書き残されるであろうすべてのことを予告している」(フローベルグ)。

5.会計
332 1.会計はクリアの集会に出席します。
 2.会計はプレシディウムのすべての支出と収入について、またその完全で正確に記入された会計簿の保管について、責任があります。
 3.会計は集会毎に秘密袋の献金が行われるように気を配ります。
 4.会計はプレシディウムの指図によってのみ支出し、プレシディウムの規定する方法にしたがって、プレシディウムのために資金を保管します。
 5.第35章「資金」で述べられている、蓄えられた資金についての勧告を心にとめ、時々この問題をプレシディウムに提示します。

 「マリアは聖三位の恩恵のぶどう酒倉係である。聖霊の賜物であるぶどう酒を、ご自分がお望みになる者に、お望みになるだけ分け与えられるからである」(大聖アルベルトゥス)。

 「マリアはイエス・キリストという宝の宝庫係である。マリアが所有しているのはキリストご自身であり、マリアが与えるのもキリストご自身である」(聖エイマール)。

第35章 資金

第35章 資金

333 1.すべてのレジオの組織は、直属上位の管理機関を維持するために献金しなければなりません。このことと次に規定されていることを守った上で、各プレシディウムの組織は、その資金を管理し、その負債については全面的に責任を負わねばなりません。
 2.各組織は献金の額をある割合や最少限度に制限してはなりません。プレシディウムの必要を満たした後に、なお余った資金はレジオ全般の目的のためにクリアに送るように奨められます。この点でも、ほかの場合と同じように、クリアとプレシディウムの関係は、母と子の関係でなければなりません。すなわち、母は子のためにあらゆる心づかいをし、子は子で母の心配を和らげるためにあらゆる援助を惜しまないという関係でなければなりません。
 レジオの一般管理がプレシディウムからの献金に依存しているという事実をプレシディウムが十分に認識していないことがしばしばあります。これらの献金が辛うじてクリアの必要を満たしているか、時としてそれさえ満たしていないことがあります。その結果として、これらのクリアは、上位機関が拡張の仕事や、新しい支部を設立したり訪問したり、また、他の運営費に伴う重い負担を担っていくのを援助できなくなります。このことは、レジオの重大な機能が麻痺することを意味し、単なる無思慮が引き起こす嘆かわしい結果なのです。
 3.全く新しい種類の支出の申し出があった場合は、プレシディウムはクリアに問い合わせ、その支出が間違った結果を生むことのないようその判断を仰がねばなりません。
 4.クリアはプレシディウムに金銭的援助をすることができますが、そのプレシディウムが行っているどんな仕事に対しても財政的な責任を負ってはなりません。その責任はプレシディウム自体にあります。このような規定が必要なことは明白です。もしこの規定がなければ、クラブやホステルなどを経営している団体が、プレシディウムになることによって、その団体のために他のプレシディウムを集金の機関とすることも可能になるからです。

第35章 資金

 このことから、どのプレシディウムも、好意として受ける場合を除いては、資金集めに関して、他のプレシディウムまたはクリアに援助を仰いではなりません。
 5.プレシディウムがその特別な仕事に資金を送ったり送り返させたりする以外は、資金の移動はすべてクリアの承認を受けねばなりません。
 6.プレシディウムまたはレジオの管理機関の一つが衰退したり、レジオの組織としての機能を停止するような事態が生じた時は、その資金や用具の所有権は直ちに直属の上位管理機関に移されます。
 7.指導司祭は、自分が勧めたのではない負債については、個人的に金銭的な責任を負うものではありません。
 8.会計簿は年に一度、会計検査を受けなければなりません。プレシディウム、また(場合によっては)管理機関の会計係以外の二名の会員が監査をするように指名されます。
 2.聖母の家計では無駄遣いなど考えることもできません。したがって、レジオのすべての組織が、用具や資金を注意深く、経済的にあつかわねばならないことは言うまでもありません。

 「全人類は一つの全体であり、各部分が他の部分から受け、また与えなければならない一つの体である。命は生きて循環している。すべてに行きわたる。それを止める者は、それを失い、あえて失う者は、それを見いだす。すべての魂は、もし生きようと望むなら、自らを他の魂に注ぎ込まねばならない。神の賜物はすべて、それを保ち、増していくためには、他に渡さねばならない力である」(グラトリー「聖母月」)。

第36章 特別に述べる必要のあるプレシディウム

第36章 特別に述べる必要のあるプレシディウム

1.ジュニア・プレシディウム
334 1.18歳未満の人たちのプレシディウムは、クリアの承認を得、必要と思われる特別な条件のもとに、設立することができます(第14章、22項参照)。
 2.レジオを知る唯一の真の方法は、レジオを行ってみることです。青年たちに、社会に出てから使徒職を実行するように勧める講話がよくなされますが、このような講話は、どんなに優れたものでも、実際の実践という生きた体に比べれば、干からびた骸骨にすぎません。その上、実際の訓練がなければ、使徒職を始めようとする意図や希望だけではほとんど価値がありません。経験がないということは人を簡単に臆病にしてしまいます。また、たとえ自分流に始めたとしても、ほとんど例外なく困難に出会うとつぶれてしまいます。
 3.ジュニア・プレシディウムにおいては、少なくとも会長は成人の会員であることが必須条件です。会長の欠席の場合や、拡張の可能性などを考え、もう一人の成人会員がいる方が望ましいことです。これら成人の会員が、シニア・プレシディウムの会員であれば、ジュニア・プレシディウムの役員としての仕事が、シニア・プレシディウムの仕事の務めを果たすことになります。しかし彼らがジュニア・プレシディウムだけの会員であれば、成人としての能力に応じた実質的な活動をしなければなりません。こういう役員は、できる限り、レジオ会員の経験があり、レジオの組織を完全に理解していて、レジオがジュニア・プレシディウムを設立した目的をりっぱに果たせるように、若い会員たちを指導するのにふさわしい人でなければなりません。その目的は本来、何か一定量の有益な仕事をすることではなく、彼らを訓練し、その霊性を深め、学校を卒業したのち彼らがレジオ会員となれるように準備することです。
4.若いレジオ会員の多くは、自分で提要を読んで内容を完全に理解することはできないので、ジュニア・プレシディウムではアロクチオがあきらかに二重の重要性をおびてきます。ですから、指導司祭(不在の場合

第36章 特別に述べる必要のあるプレシディウム

は会長)は必ず提要に基づいてアロクチオをしなければなりません。短い節を読み、すべての会員がその箇所を十分に理解できるよう、詳しく、分かりやすく説明しなければなりません。このようにして、提要を毎週始めから終わりまで、繰り返し繰り返し丹念に学習しなければなりません。しかし、実際には、ジュニア会員である期間は非常に短いので、同じ会員が繰り返し学習する機会はないかもしれません。したがって、不完全なアロクチオは、好機を逃し、取り返しのつかない損失となります。
 5.もしも、付録10「信仰の学習」で奨められている方法で、提要を系統立って学ぶことができれば、「学校の宿題」のような印象を与えないで、非常に有益な教科となるでしょう。それは将来シニア・レジオの支柱となる人たちにとって、貴重な訓練となります。
 6.おそらく、シニア・プレシディウムが採用しているような仕事は、ジュニア・プレシディウムに当てはめることができないでしょうから、毎週会員の能力にぴったり合った実質的で活動的な仕事を割り当てるには、創意工夫が必要となるでしょう。多くのジュニア会員は、シニア会員に求められる仕事をする能力をもっています。実際、16歳にもなったジュニア会員に、シニア会員には仕事とみなされないような仕事を割り当てるべきではありません。プレシディウムの仕事は多種多様でなければなりません。異なったいろいろの仕事は、異なった方法で会員を教育するでしょう。一人の会員がすべての仕事を果たすことはできないので、多方面にわたる訓練をするのに次に良い方法は、他の人たちがしている仕事を見ることです。そうすれば、会員がプレシディウムの活動にさらに興味をいだくようになるでしょう。
 7.一週間に最少限一時間の仕事、つまりシニアの義務の半分の量をジュニア会員に求めることができます。
 8.仕事の提案
(a)次のような計画を立てて不思議のメダイを配布すること。集会毎に一つか二つ(一定の数)のメダイを会員に配ります。会員たちはこれを弾薬と思い、マリアの兵士として、できればそれらを信者でない人たちや務めを怠っている信者に与え、最も有力な武器のように用いねば

第36章 特別に述べる必要のあるプレシディウム

なりません。このことは考えるだけでも想像力をかき立て、犠牲を払おうという気にさせます。会員たちはメダイについて聞かれるかもしれない質問にどう答えればよいのか、また他の人との触れ合いの好機をどのように利用すればよいのかを教えられねばなりません。
(b)賛助会員を獲得すること。これには募集に際して祈りの唱え方を教えることや、定期的に彼らを訪問して賛助会員としての忠誠を確かめることなどが含まれています。
(c)少なくとも毎週あらたに一人の人に次の信心業に参加してもらうよう努力すること。毎日のミサ聖祭にあずかること、または何かの信心業を実践すること、または信心会や祈祷の使徒会、またはカトリックの団体に参加することなどです。
(d)幼い子どもたちをミサ聖祭や秘跡にあずからせること。
(e)ミサ聖祭で侍者を務めること。
(f)小さい子どもたちに要理を教えたり、要理のクラスに子どもたちを誘うこと。
(g)病院、その他の施設、または自宅に子どもたちを訪問すること。
(h)病人や目の不自由な人を訪問し、必要ないろいろな奉仕をすること。
 9.すべてのジュニア・プレシディウムは、上に述べた仕事のうち最後の三つ、すなわち(f)(g)(h)については、少なくとも二人の会員を割り当てるように強く勧められます。これらの仕事が正しく行われれば、これに携わる若いレジオ会員たちにとって優れた訓練となり、プレシディウムの他の仕事に対しても正しい基準を打ち立てることになるでしょう。
 10.ジュニア会員は、シニア・レジオ会員と一緒に仕事をすることができます。
 11.学校内のプレシディウムの場合、学校外での通常の活動的な仕事を割り当てることが望まれます。しかし学校長たちがその責任上、この許可が濫用されるのを恐れたり、他の危険が起こるのを心配したりするかもしれません。こうした懸念に対しては、次のように考えればよいでしょう。(a)もし、これらのレジオ会員が学校外のジュニア・プレシディウムに属していれば、彼らはそのような普通のレジオの仕事を行っていたでしょう。(b)将来のための準備は訓練によってのみ可能です。今

第36章 特別に述べる必要のあるプレシディウム

行動の自由がないなら、将来自由で何の制約もなくなったとき、訓練ができなくなります。校外での仕事は、学校とレジオの二つの規律に守られて、理想的な準備となります。
 12.休暇で学生が家に帰り、その期間集会を開くことができない学校でも、プレシディウムを設立することができます。その期間中、会員は郷里にあるプレシディウムで仕事をすることができるでしょう。
 13.自己の聖性がレジオの主な目的であるだけでなく、レジオの仕事の推進力でもあることを会員によく理解させねばなりません。そのため、会員たちにプレシディウムの意向のために祈り、犠牲をするよう奨励しなければなりません。しかし、こうした霊的修練は会員に割り当てられるべきではなく、また集会で報告されるべきものでもありません。特に強調したいことは、霊的修練は活動的な仕事の代わりにはならないということです。どのような霊的修練が行われたとしても、それはレジオの活動的な仕事以外に実践されねばなりません。
 14.会員はどのような報告をするかについてよく考えねばなりません。また役員は、報告の仕方について会員によく教えなければなりません。彼らが行う仕事の性質上、興味ある詳細な報告の材料となるのはほとんどないのが普通ですから、報告を興味深く変化のあるものにするには特別な努力が必要です。
 15.困難で時としては危険な環境の中で多くのすばらしい計画をたてて、主のために戦っていることではシニア・レジオ会員と同じだという認識は、あまりおもしろくない仕事にも活力を与え、若いレジオ会員たちの想像力をかきたてることでしょう(レジオの組織ではすべてが助け合っていますが、これもその一つの場合です)。このことは、宗教を押しつけられた習慣にすぎないと考える傾向から、彼らを守り、彼らを通して多くの人を守るでしょう。もし宗教を押しつけだとする考え方が、感受性の強い年代の心に根をはるなら、どんなにすばらしい学識を身につけても補うことができないほどの弊害を引き起こすことになります。
 16.試みの期間中の規則は、ジュニア会員には適用されません。レジオの誓いをしたり、シニア・クリアに出席することもありません。しか

第36章 特別に述べる必要のあるプレシディウム

し、その他のことがら、つまり秘密袋の献金を含めて、祈り、組織、集会についてのすべてのことがらは、シニア・プレシディウムの場合と同様に厳格に守られねばなりません。
 ジュニアからシニア会員に移るときは、通常の試みの期間を完了しなければなりません。
 17.ジュニア・プレシディウムで奉仕しているシニア・レジオ会員が、まだレジオの誓いを済ませていない場合は、ジュニア・プレシディウムでレジオの誓いをしなければなりません。その儀式をじっと見つめることによって、ジュニア会員は深い感銘を受け、彼ら自身がこの誓いによって、完全な会員となる日を待ち望むようになるはずです。
 18.子どもたちが容易にレジオ会員になれるように、祈りを変更すべきだとしばしば提案されてきました。しかしこのような提案が受け入れられないのは、この章を読めば明白です。この章では、ジュニア会員の資格はシニア会員の資格とほとんど同じであることが述べられています。「ジュニア」という言葉は、絶対に「取るに足りない」という意味ではありません。ジュニア会員には活動と信心の高い理想を掲げるべきで、一般にジュニア会員たちは、他の若い人たちの間で指導的役割を果たすように期待されています。レジオの祈りについて説明を受けた後も、その祈りを十分に理解して唱えることのできない子どもは、レジオが求める水準に到達できないのは明らかです。
 19.同様に、もっと簡単な提要をジュニア会員のために準備すべきではないかとの提案が出されますが、これについては第33章「レジオ会員の基本的義務」の10節で論じられています。
 20.レジオの企画には多くのことがらが含まれているため、ジュニア会員の両親や権限を持っている人たちはすべてこの計画に十分協力しなければなりません。これら若い人たちは、モンフォールの聖ルドヴィコ・マリアが、「やがて来るかつてないほどの危険な時代に備えて、この世、すなわちこの世の悪と堕落した人間性と戦うイエスとマリアの勇敢な兵士の軍団」に象られていくのです。滑車や梃やその他の器具で、物を動かす力を増加していく器具の原理や仕組みは簡単ですが、それと同じように、レジオもカトリックの教え全体に活力を与え、それをあら

第36章 特別に述べる必要のあるプレシディウム

ゆるキリスト教的目的に役立つ原動力として行くことができるのです。また、その力を今すぐに役立たせることもできるのです。それは、授業時間、遊んでいる時、家庭にいる時、また何をしている時でも、聖で実践できる理想で彼らを満たし、彼らに新しい物の見方を教え、世界を全く違った目で見ていくようになるのです。すなわち、
 (a)教会に関して。彼らは自分たちが教会の兵士であり、悪との戦いで明確な役割があり、教会の発展に責任があることを悟るのです。
 (b)日常の生活と務めに関して。小さな灯火が部屋を明るくするように、小さなレジオの仕事が一週間の生活全体に新しい意味を与え、会員たちはプレシディウムで学び実践することを日常生活に生かしていくようになります。
 (c)隣人に関して。隣人の中にキリストを見、キリストに仕えるように教えられます。
 (d)家庭に関して。ナザレの聖家族の雰囲気で彼らの家庭を包むようになるのです。
 (e)家庭での手伝いに関して。レジオの精神、すなわちナザレにおられるマリアの精神で家庭(またはプレシディウムが校内にある場合は、学校)の手助けをします。仕事を逃れようとするのではなく探すようになり、一番いやな仕事を選び、一番目立たない仕事に心を注ぎ、常に優しく思慮深く、常にイエスのために働き、イエスがいつもそばにおられるとの思いを抱き続けるようになるのです。
 (f)学校に関して。レジオの理想をある程度まで理解するようになり、その結果、学校や、教師、教科書や、規則や学習を違った目で見るようになります。したがって、学校から彼らは他の生徒たちが得られないものを得るようになります。そのため、レジオが彼らから学習の時間を取るようなことがあっても(一般にレジオに対して言われる反対ですが)、それを差し引いてなお、比べられないほどの利益を得ることになります。
 (g)「義務」と「規律」に関して。この二つの非常に重要なことは、若者には大変誤解されているためにとてもいやなものとなっていますが、他の二つの言葉、「マリア」と「レジオ」と結び付ければ理解しやすく美しいものとなります。

第36章 特別に述べる必要のあるプレシディウム

 (h)祈りに関して。祈りが習慣で押しつけられたものでなく、むしろ力の源、仕事の支えであり、レジオの宝庫、ひいては教会への貴重な捧げ物となることを悟るでしょう。
 21.これまでに述べてきた方向でプレシディウムが正しく運営されていれば、それは若者たちを育成する上に最高の教育的効果をもたらす一つの方法であると主張しても過言ではないでしょう。このようなプレシディウムは、キリスト教的人格にふさわしいあらゆる特質を彼らの中に育み、両親や目上の人たちの喜びとなり教会の柱となる数多くの信仰深く頼もしい若者をうみだす鋳型としての役割を果たのです。
 22.しかし、これらすべての計画も希望も、ジュニア・プレシディウムが会員にふさわしい仕事を与えなかったり規則を無視したりすれば、挫折してしまいます。このようなプレシディウムは会員の人格を歪めてしまう鋳型となり、会員やその他すべての人たちにレジオに対して偏見を抱かせ、皮肉にもレジオをつぶすためにレジオに奉仕しているようなものです。

 「若者を単に教会の司牧的関心の対象とみることは許されません。実際若者は、福音化の先導者、社会刷新にかかわる者として、教会を代表して活動するように励まされていますし、またそう励まさなければなりません。青年期は「自分」と自分の「生活設計」を特別に発見するときです。また「知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛され」(ルカ2:52)ていく成長のときでもあります」(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告「信徒の召命と使命」46)。

2.神学校プレシディウム
335 「将来の司祭に信徒と協力して働く準備をさせることはとくに大切です。第二バチカン公会議はこう述べています。『すすんで信徒の意見を聞き、彼らの要望を兄弟の心をもって考慮し、人間活動の種々の領域における彼らの経験と能力とを認めるようにすべきである』。・・先のシノドスもまた信徒に対する司牧的な配慮を強調しています。
『神学生は、信徒、とくに若い人たちにさまざまな召命・・・を示し、彼らを導くことができるようにならなければなりません。とくに、信徒の

第36章 特別に述べる必要のあるプレシディウム

役割を認め尊重することによって、信徒の召命がこの世に現存して福音の光をもってこの世を変容させることにあることを彼らに教えて、その召命を支えることができるようにならなければなりません』」(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告「現代の司祭養成」59)。
 レジオのように有益で一般に広く普及している組織についての十分な知識は、将来の司祭や修道者にとって貴重な財産であることは明らかです。しかし、レジオについての単なる学問上の知識は、実際に会員になることによって得られる知識に比べれば、貧弱なものでしかありません。したがって、神学生のためのプレシディウムを設立することは、非常に重要となります。神学校内でプレシディウムを設立することができない場合は、校外のプレシディウムの会員になることによって大きな利益を得るでしょう。校内、校外の両方のプレシディウムで徹底的にレジオについての理論と実践を教え込まれ、いわゆる使徒職についての完全な原理というものを植え付けられます。将来かれらが司牧の任務についたとき、レジオやその他の使徒職の団体をどのように使っていくかについて十分理解しているでしょう。
 特に神学校内でのプレシディウムについて、次のことについて注意すべきです。
 (a)毎週の集会を開くための十分な時間があることが必要です。一時間以内で集会を行うことは困難です。もう少し時間が取れるようあらゆる努力を払わねばなりません。この提要に述べられている集会の順序は、厳格に守られねばなりません。
 (b)最も考慮しなければならないことは、各会員に活動的な仕事を割り当てるということです。実質的な仕事がなければ、プレシディウムは存在しません。神学校内は時間が制限されていること、神学校という状況では実質的な仕事は容易に見いだせないこと、提要の研究が特に重視されねばならないことを考慮して、週最低一時間は活動的な仕事にあてねばなりません。仕事の種類が不足していることを精神の豊かさで補わねばなりません。割り当てられた仕事はマリアと一致していることを強く意識して完全に果たさねばなりません。
 どのような仕事を選ぶかは、神学校の事情と規則によりますが、次の

第36章 特別に述べる必要のあるプレシディウム

ようなものが参考になるでしょう。家庭訪問、病院や施設の訪問、カトリックに改宗した人たちの指導、カトリック要理の指導、成人や子どもたちに秘跡にあずかる準備をさせることなど。行う仕事がどのような仕事であっても、校長など目上の人によって決められた司牧を目的とした訓練のためのプログラムと結び付いていなければなりません。
 (c)プレシディウムへの仕事の報告は、いつも同じ決まりきった文言でしてはなりません。報告は生き生きとして興味深いものでなければなりません。この点で成功すれば、会員たちは報告の術を習得し、将来彼らが司祭として指導するレジオ会員たちにこの術を教えることができるようになるでしょう。
 (d)プレシディウムは規律を守ったり、単に監督する類の仕事を割り当ててはなりません。そのような仕事は、仲間の学生たちの間でレジオ会員(ひいてはレジオそのもの)への人気を失わせることになるでしょう。
 (e)レジオ会員になることは、 全く自発的な行為でなければなりません。少しでも強制的な気配や神学校の日課のような感じを与えることがあれば、有害な影響を及ぼすことになるでしょう。レジオ会員になることは自発的な性格のものであることを強調するために、プレシディウムの集会を休憩時間に開くのはよい考えでしょう。
 (f)プレシディウムの集会や活動は、神学校の時間割や規則をわずかでも妨げることのないように行わねばなりません。しかし反面、レジオの活動会員の条件を変更してはなりません。それはレジオの目的全体を打ち壊してしまうことになるからです。実際には、プレシディウムが忠実に運営されていれば、学生たちが自分の召命、学業、学校の規則に対して熱心な態度をとるようになることが分かるでしょう。

第37章 仕事についての提案

第37章 仕事についての提案

336 この章にはレジオの仕事の義務を果たすの特に実りが多いと経験によって判明している方法が述べられています。しかし、これらは単に提案に過ぎず、必要に応じて種々個別の仕事が必要となるでしょう。レジオが冒険的な困難な仕事を差し控えることのないようにすることが強く求められています。レジオはそうした仕事を行うのに見事に適合しているからです。つまらない仕事はレジオ会員の精神に好ましくない影響を及ぼすでしょう。
 原則として、すべてのプレシディウムは、英雄的と言える何らかの仕事をしていなければなりません。プレシディウムの初期においてさえ、このような冒険的な精神をもった会員を二人見いだすことは不可能なことではないはずで、彼らにその仕事を割り当てて見ましょう。そうすれば彼らの模範は一つの目標となり、それに向かって仲間の会員もほとんど自動的に進んでいくでしょう。こうしてプレシディウムの一般の水準が高められると、最初の勇敢な二人は再び英雄的な仕事を求めて派遣されるでしょう。このように開拓を進めていくことは、プレシディウムの水準を高め続ける手段となります。超自然的な秩序には自然的な制限は存在しないからです。神に身を沈めれば沈めるほど、視野は広がり、可能性は大きくなっていきます。
337 しかしすぐに反対が起こります。宗教のために危険をおかすという考えに、多くの人は不安をおぼえます。この人たちは「不適切だ」とか「無分別だ」とか叫んで騒ぎ立てます。しかし世間ではこんな弱腰は通用しません。レジオも無気力でいてはなりません。ある仕事が霊魂の救いに必要であり、高い目標がキリスト教的社会の特質を形成するのに重要であるならば、用心は二の次で勇気が先行しなければなりません。つぎのピエ枢機卿の言葉をよく考えてください。「いたるところ用心ばかりでは、勇気はどこにもなくなるでしょう。用心のために死んでしまうことになるでしょう」。
 用心のためにレジオを死なせてはなりません。

第37章 仕事についての提案

1.小教区での使徒職
338 レジオ会員が真の共同体精神を成長させる手助けができる方法として、次のようなものがあります。
 (a) 家庭を訪問すること(この章の2番参照)。
 (b) ミサ聖祭を捧げる司祭のいないところで、日曜日や守るべき祝日に準典礼奉仕を執り行うこと。
 (c) カトリック要理の指導をすること。
 (d) 障害者、病人、老人を訪問し世話をし、必要なら、司祭が訪問するための準備をすること。
 (e) 通夜や葬儀でロザリオを唱えること。
(f) 教会の兄弟会や信心会があるところでは、それらを含めて、カトリック団体や小教区内の信心会を育成し、新会員を募集したり、現在の会員が長続きするように励ますこと。 (g) 小教区が行っているすべての使徒的宣教活動に協力し、なんらかの方法ですべての人びとが教会の保護組織に参入するよう援助し、個人と共同体の安全をはかること。
 その他の小教区の仕事で、重要ではあっても、特別な場合を除いて、シニア・レジオ会員にとって仕事の義務を十分に満たしていないものもあります。例えば、祭壇奉仕会の仕事、教会の清掃と飾り付け、聖堂での祭式の世話、ミサ聖祭の侍者の奉仕の仕事などです。これらの仕事はその務めを果たす人たちにとっての祝福の源泉であり、必要ならば、レジオ会員は、この人たちを集めて組織化し務めを果たせるよう指導することができます。そうすることで、レジオ会員はより困難で、直接的な人への取り組みの仕事をすることができるでしょう。
 
 「わたしは恩恵のおん母のように神のために働くことを望んでいる。私は、聖書が、勇気ある聖なる熱意に燃えて『自分たちだけの救いを望まず、できる限り多くの同胞を救うために力を尽くした』マカベ一族について述べているように、労苦と犠牲を払って、自分自身の救いと全世界の救いのために協力することを望んでいる」(グラトリー「聖母月」)。



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宗教は一部だけ恐ろしいのです。本当に恐ろしいのはアナタです。

送信者 hokuto7hさん
受信日時 2007/05/02 13:29:40
タイトル お友達申請メッセージ
yahoo ID hokutositiseihahosi7tsu ひろしです。先ほどは、チャットでお相手してくださりありがとうござ
います。本人であること疑って申し訳ありませんでした。あまりにも話の内容が衝撃的だったうえに、私が職業
としている事柄について身内の話にも拘わらず間違いが多かったためです。今後、良く理解して頂けるようお話
していきたいと思います。

 チャットの最後に「宗教は恐ろしいもの」と発言しましたが、その事について簡単に僕の考えを述べたいと思
います。

 本来宗教というのは、人間がいかにすれば幸福に生きていくことができるのかを追求した教えであるはずなの
に、時として人間が最も不幸となる戦争の原因にもなってきました。ウィキペディアでは、カトリックとプロテ
スタントの戦いと書かれていますが、誰でも知っている十字軍の遠征も聖地をめぐる戦争であり、現在のイスラ
エルをめぐる争いの原因も宗教に行き着くと考えられます。

 宗教は、人間の幸福には必要なものではありますけど、それが排他的、攻撃的になると人類は不幸になる。他
宗教を尊重するという寛大さが宗教には大切だと思います。

『こういう大バカ者で小心者には此処でぶっ叩きます。』『嫌でも自己責任です。』

日時: 2007年07月04日 00:48:24

涙流しながら書いてます。

何で一言注意されただけでそこまで切れてしまうのか。

また、この一言に切れるのかな?

せっかくメールくれていたのに気がつかなかった。ゴメンね。

忙しくてメールまで見れなかった。

でも何故、あんなに素直だった娘がそんなになっちゃうの?
過去のやり取り見返して残念でならないよ。

俺は、もうMIKIは辞めます。

批判したければいつまでも続ければ良い。
今帰ってきて日記見て驚いた。
そこまで憎まれていたとはね。
当分、そのままにしておくからどうぞ。

気の済むまでやれば良い。それで気が済むのなら。

但し、俺にも守るべき家族がある。
それなりの処置はさせてもらうからね。
でも、君の将来が傷つくようなことまではするつもりはない。

いろいろ楽しい思いもして嬉しかった。
忙しい俺を気遣ってくれたりもしたよね。

また、優しい元の可愛い女の子に戻ること信じてます。

いろいろありがとう、さようなら。

『このオジサンの意見でも無く偏見です。』今まで散々な目に遭いました。』『この文章書いたのはオジサンです。惚けても無駄です。次に来たメールは。
日時: 2007年05月20日 17:50:10

ありがとう!嬉しいですよ。
また、Hなのがあったら送ってね。

勿論大切にしますよ!
『オジサン間抜けです。ルリピーの写真ではありません。』精々大切にして下さい『ルリピー』は知りません。

日時: 2007年05月20日 17:34:01 『どうぞ勝手に独り占めして下さい。』

いやいや、こんなHな姿皆に晒すものではありません。

トミィさんは、マイミクですが、話は別ですよ。

ルリピーのHは、独り占めさせておいてくれませんか?

送信者:
宛先:

日時: 2007年05月20日 16:20:17

凄くいいね!綺麗。いろっぽい。
きっとオナニーしてるんじゃないのかな?

宝物だね、これは笑
『それはオジサンでしょう』

日時: 2007年05月20日 14:25:39 [ヘッダ表示] [テキスト保存] [印刷用画面]

ハハハ こんな普通の会話は怖いな。

 知識は重要。でも知識だけでは、何の約にも立たない。知識を見識に高めて初めて人を説得できるし、社会生活にも応用できる。

 「知識」は「点」、「点」と「点」を結んで直線なり曲線になったものが「見識」かな?

 「知識」に溺れないでね。

 エッチの知識なら俺も相当なものだけどな笑

『このオジサンは大変な差別家で、怒る自分が何してるのかも分らない自称偽航空自衛隊パイロットです。
どうせインチキなんでしょうけど。』
日時: 2007年06月17日 12:34:11 『 オジサンは自己管理も出来ない只の間抜けです。』

ママにマイミク申請出しておきましたよ!綺麗なお母さんですね。

『此処で「ルリピー」と母は完全に違うのだと自分で認めるオジサン。』

日時: 2007年05月20日 11:24:34

おかえり!
写真ありがとう!でも限界ということは無いな笑

また、楽しみにしてるよ!

『永久に待ってももうオジサンのメールは着信拒否されています。』
『ひろし』では無いでしょう「たかし」を名乗る二重ハンドルの信用0のオジサン。

こんな偽の自称自衛官がいるワケもありません。『幾らでも叩きますよ。素直に間違いを訂正して下さい。』

懲戒免職になりますよ。続きはオジサンの人生を完全に終わらせてしまうモノです。自分でも覚えているでしょう?アホなワイセツ写真の公開は『わいせつ物陳列罪』になります。警察はオジサンを逮捕します。

Yahoo! JAPAN

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『ルリピーBlog 仏教編。

ブログパーツ

『天下のルリピーのBlogはmixiでも鑑定不可能な価値あるBlogです。
ルリピーは新興宗教に強く反対します。
南無観世音菩薩 南無釈迦牟弐仏 禅宗ではこうなります。
真言宗では 南無大師遍照金剛

大本山妙心寺の禅僧から「禅を決して武器に使ってはいけない。」と注意されていますが知識の乏しき

方々が「禅を攻撃します」から防御の為に使います。妙心寺派大徳寺に昔「一休和尚」が実在しました。

一休さんは「トンチ話し」で有名ですが、あれは殆ど後世に作られたモノで一休禅師の言葉では有り得

ません。『ルリピー』が曹洞禅大本山『永平寺』に出かけた時、感動するお話しをされた僧侶がいました。大体は

こんな内容でした。「私は最初からプロの僧ではありませんでした。サラリーマンで昼休み会社の近所

の禅寺の廊下で昼寝しながら週刊誌を読むのが日課でした。すると住職が『君、暇なら寺の庭の雑草を

抜いてくれないか?』と言われ嫌々ながら雑草を抜き始めると住職が『そんな抜き方をされたら私が後

で困る。私は君が雑草の一本でも抜くと君の心の雑草も抜ける事に通じると思ったが私の見込み違いだ
った。』と
言われたそうです。そして、その言葉に導かれて私は今此処にいるのです。」と言われ感銘した人は座
り直した
程でした。『ルリピー』も感動しました。書籍やネットには載って無い世界です。


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余計な機能は『ルリピー』には不要です。

so-netのBlogは腐って来ました。
最近は余計な邪魔な機能が増えています。
ド素人には最適でしょが『ルリピー』には不要です。

「01_1.wm a」 「01_1.wm a」 " type="application/x-mplayer2" ShowControls="1" ShowAudioControls="1" ShowPosit ionControls="0" ShowTracker="0" WIDTH="150" HEIGHT="25" PlayCount="0" ClickToPla y="1" autostart="false" mute="0">
アップロードできる音声は5MB以下のMP3音声ファイルです。(こういうウソは書いては駄目ですよso-netさん) 「01_.wma」"> 「01_.w ma」" type="application/x-mplayer2" ShowControls="1" ShowAudioControls="1" ShowP ositionControls="0" ShowTracker="0" WIDTH="150" HEIGHT="25" PlayCount="0" ClickT oPlay="1" autostart="false" mute="0">


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この天下のルリピーに「なりすまし」掲示板投稿した人物。

最後の言葉

  • ユッコ@酒がうまい(ルリピーさんが最後にのこした言葉)
  • 投稿日:2007/04/08 11:45

ルリピーさんが残した言葉
わたしは自殺します、ネットでしつこいストーカーに会いました、かなりいやでした、この理由で自殺をけつい
みなさんんは決して自殺はしないように。
BYルリピー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

情報公開します。この犯罪者の為に掲示板アクセス規制がなされ多額のお金も必要でした。

ユーザーID # 401700124  =プロバイダを変えても無駄です。絶対変化しません。
ホスト名 # 0x3d2cb278.rev.ncv.ne.jp 
IPアドレス # 61.44.178.120 
解析ページ # 
ページID #  
参照元ページ # 
ブラウザー Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; YPC 3.2.0) 
今回の閲覧時間 18秒 
今回の閲覧回数 7 回 
初回の訪問(ページ) 2007-01-15 13:09:18 
前回の訪問(ページ) 2007-03-04 20:17:19 
初回の訪問(ドメイン) 2007-01-15 13:09:18 
(ドメイン) 2007-03-04 20:17:19 
画面情報 1152 x 864 x 24bit  =『中途半端なOSです』
JAVA 有効 
COOKIE 有効 
OSの種類 Win32 
CPUの種類 x86 
言語の種類 日本語 
国の種類 日本

『このなりすまし小僧のISPは、ニューメディアと言う北海道ローカルプロバイダーです。』

被害報告を出してドッサリお金を貰いましょう。

ちなみに絵はこのように美しく描くものです。放浪先のTSK様の絵です。お借りしています。

http://www.ncv.ne.jp/=被害報告先ケーブルテレビのISPです。


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新チーム結成。

『ルリピー』がチームリーダーとなり新しい『リヴ』のチームが結成されました。現在9名いますけど、

G.L.Lメンバーが4人います。レベルも高い人ばかりです。私がLv215ならトップはLv246以上ですから別にメンバーの募集もしませんけど条件が高い上、女性しか入れません。過去に在籍したチームはリーダーからして愚かな人間でした。絵も汚いし、サラリーマンがサイドビジネスをして会社からも動いています。このオジサンです。今度はMacの情報です。転勤したのにまだ三重県に在住している不思議な変人です。私もOCNは使っていますが[WinVista]に入れています。それではリヴの動きがにぶくなる為リヴはVistaでは飼育してませんし、ソフト面で充実してるのはまだまだXPの方が上です。

ユーザーID # 580056030  =メインCPUの番号です。これは串使ってもクッキー認証を抜こうが変化しませんから人間に例えれば指紋です。
ホスト名 # p3033-ipbfp202motosinmat.mie.ocn.ne.jp  =三重県を示す『リモート・ホスト』です。
IPアドレス # 124.98.61.33  =勿論IPです。
解析ページ # 
ページID #  
参照元ページ #  
ブラウザー Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X; ja-jp) AppleWebKit/419 (KHTML, like Gec
ko) Safari/419.3 
今回の閲覧時間 13分25秒 
今回の閲覧回数 10 回 
初回の訪問(ページ) 2007-04-14 12:10:16 
前回の訪問(ページ) 2007-04-14 12:23:39 
初回の訪問(ドメイン) 2007-04-14 12:10:16 
(ドメイン) 2007-04-14 12:23:39 
画面情報 1024 x 768 x 16bit  =爆笑ですけど今時16bitなんかいませんから、貧乏Macの証拠です。これではMacが泣きます。恥さらしのオジサンです。
JAVA 有効 
COOKIE 有効 
OSの種類 MacPPC 
CPUの種類 Others 
言語の種類 日本語 
国の種類 日本

『こんな芝居演じるサル芝居オジサンが近くに来たらOCNのabuseに連絡してしまいましょう。』

勿論、so-netは各リヴリーの動きを監視してますからso-netも知ってます。

或る人の島の掲示板に脅迫じみた書き込みされてますから証拠の為掲示板は取り外しています。

後日、公開しますからお楽しみに。


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mimiまき同盟崩壊。

mimiまき同盟元管理人』の汚らしい絵。
p1203-ipbf202motosinmat.mie.ocn.ne.jp [ID: # 289892885]
言語:日本語 国:日本
参照元: # http://blog.so-net.ne.jp/mizugame/
ブラウザー: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
閲覧時間:0秒 回数:31回 画面:1280x1024x32bit OS:Win32 CPU:x86

この男自分では『ネットのド素人』と称しながらproxyつまり串サーバを使いまくっていました。

もうメインCPUのIDは取得されています。幾ら串刺しても無駄となり逃亡しました。

こんな基地の害は徹底攻撃しましょう。世界の恥です。貧乏たれ。


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リヴリーに何か用事ですか?

NOTICE AND TERMS OF USE: You are not authorized to access or query our WHOIS
database through the use of high-volume, automated, electronic processes. The
Data in Network Solutions' WHOIS database is provided by Network Solutions for information
purposes only, and to assist persons in obtaining information about or related
to a domain name registration record. Network Solutions does not guarantee its accuracy.
By submitting a WHOIS query, you agree to abide by the following terms of use:
You agree that you may use this Data only for lawful purposes and that under no
circumstances will you use this Data to: (1) allow, enable, or otherwise support
the transmission of mass unsolicited, commercial advertising or solicitations
via e-mail, telephone, or facsimile; or (2) enable high volume, automated,
electronic processes that apply to Network Solutions (or its computer systems). The
compilation, repackaging, dissemination or other use of this Data is expressly
prohibited without the prior written consent of Network Solutions. You agree not to use
high-volume, automated, electronic processes to access or query the WHOIS
database. Network Solutions reserves the right to terminate your access to the WHOIS
database in its sole discretion, including without limitation, for excessive
querying of the WHOIS database or for failure to otherwise abide by this policy.
Network Solutions reserves the right to modify these terms at any time.

Get a FREE domain name registration, transfer, or renewal with any annual hosting package
- or just $8.95 with monthly packages.

http://www.networksolutions.com

Visit AboutUs.org for more information about APNIC.NET
『IPから追跡します。掲示板荒らし行為は犯罪です。61.44.181.0=これから追跡すると』

  http://www.apnic.net/db/dbcopyright.html

inetnum:      61.44.128.0 - 61.44.191.255
netname:      NCV
descr:        New Media Co.,Ltd
descr:        379-31 Kikyou-cho, Hakodate-shi, Hokkaido 041-0801
country:      JP
admin-c:      JNIC1-AP
tech-c:       JNIC1-AP
status:       ALLOCATED PORTABLE
remarks:      Email address for spam or abuse complaints : abuse@ncv.ne.jp
mnt-by:       MAINT-JPNIC
mnt-lower:    MAINT-JPNIC
changed:      hm-changed@apnic.net 20040427
source:       APNIC

role:         Japan Network Information Center
address:      Kokusai-Kougyou-Kanda Bldg 6F, 2-3-4 Uchi-Kanda
address:      Chiyoda-ku, Tokyo 101-0047, Japan
country:      JP
phone:        +81-3-5297-2311
fax-no:       +81-3-5297-2312
e-mail:       hostmaster@nic.ad.jp
admin-c:      JI13-AP
tech-c:       JE53-AP
nic-hdl:      JNIC1-AP
mnt-by:       MAINT-JPNIC
changed:      hm-changed@apnic.net 20041222
changed:      hm-changed@apnic.net 20050324
changed:      ip-apnic@nic.ad.jp 20051027
source:       APNIC

inetnum:      61.44.160.0 - 61.44.191.255
netname:      NCV-NET
descr:        New Media Co.,Ltd
country:      JP
admin-c:      KT10126JP
tech-c:       KO6845JP
tech-c:       KT10126JP
remarks:      This information has been partially mirrored by APNIC from
remarks:      JPNIC. To obtain more specific information, please use the
remarks:      JPNIC WHOIS Gateway at
remarks:      http://www.nic.ad.jp/en/db/whois/en-gateway.html or
remarks:      whois.nic.ad.jp for WHOIS client. (The WHOIS client
remarks:      defaults to Japanese output, use the /e switch for English
remarks:      output)
changed:      apnic-ftp@nic.ad.jp 20041224
source:       JPNIC


[ JPNIC database provides information regarding IP address and ASN. Its use   ]
[ is restricted to network administration purposes. For further information,  ]
[ use 'whois -h whois.nic.ad.jp help'. To only display English output,        ]
[ add '/e' at the end of command, e.g. 'whois -h whois.nic.ad.jp xxx/e'.      ]

Network Information: [ネットワーク情報]
a. [IPネットワークアドレス]     61.44.160.0/19
b. [ネットワーク名]             NCV-NET
f. [組織名]                     株式会社ニューメディア
g. [Organization]               New Media Co.,Ltd
m. [管理者連絡窓口]             KT10126JP
n. [技術連絡担当者]             KT10126JP
n. [技術連絡担当者]             KO6845JP
p. [ネームサーバ]               a.ns.ncv.jp
p. [ネームサーバ]               b.ns.ncv.jp
[割当年月日]                    2004/12/24
[返却年月日]                    
[最終更新]                      2004/12/24 19:41:03(JST)
                                
上位情報
----------
株式会社ニューメディア (New Media Co.,Ltd)
                     [割り振り]                                 61.44.128.0/18

『つまらない地方の田舎プロバイダーでした』

更に突っ込みますけど犯人情報です。自浄能力を問います。

0x3dc4c016.rev.ncv.ne.jp [ID: # 551168822] 言語:日本語 国:日本


ブラウザー: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)

ID: # 551168822=は人間で例えれば指紋です。


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ルリピーBlog再開します。

お子様Blog 再開します。 ルリピーは頑張ります。


Образование
среднее - Московская Государственная Пятьдесят седьмая школа www.sch57.msk.ru
высшее - факультет вычислительной математики и кибернетики(ВМиК) МГУ им. Ломоносова
Род деятельности - управление разработкой и проектами
Текущие проекты
Каталог товаров market.liveinternet.ru ("Гипермаркет LiveInternet")
Портал www.liveinternet.ru (Live Internet)
Онлайн-RPG www.postnuclear.ru ("Корпорации")
誰でも出来る『お子様技術』
簡単です。
「01_.wma」"> 「01_.w ma」" type="application/x-mplayer2" ShowControls="1" ShowAudioControls="1" ShowP ositionControls="0" ShowTracker="0" WIDTH="150" HEIGHT="25" PlayCount="0" ClickT oPlay="1" autostart="false" mute="0">
「01_yesterday_once_more.wma」 "> 「01_yesterday_once_more.wma」 " type="application/x-mplayer2" ShowControls="1" ShowAudioControls="1" ShowPosit ionControls="0" ShowTracker="0" WIDTH="150" HEIGHT="25" PlayCount="0" ClickToPla y="1" autostart="false" mute="0">
Blogの容量なんか関係ありません。 「01_1.wma」 "> 「01_1.wma」 " type="application/x-mplayer2" Show Controls="1" ShowAudioControls="1" ShowPositionControls="0" ShowTracker="0" WIDT H="150" HEIGHT="25" PlayCount="0" ClickToPlay="1" autostart="false" mute="0">
『ルリピーと一緒に英語勉強しましょう。』


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