野立広告 [札幌日記]
北海道もまだところどころ雪は残るものの、桜がまだ美しいし、白樺などの新芽がみずみずしい。札幌が一番美しい季節であろう。札幌駅に降り立つと、空気がまったく違う。からっとしていて、ヨーロッパに近い空気を感じる。北海道を鉄道で旅行していて思うのは、本州のような野立広告がほとんど見られないことで、これが景観のよさに大きく寄与している。
本来、禁止されているはずの新幹線沿線にも最近、違法な野立広告が目立ち始めていて、苦々しく思っているが、北海道にそういう規制があるのかどうかは知らないが、本当に少ないことは確か。でもこれを逆に見ると、本州のように金をかけてまで野立広告を作るだけの効果がない、だから少ない、ともいえるのかもしれないと思うとすこし複雑な気持ちにはなる。
日本の町並みを汚くしている原因は3つ。(1)建築物の規制が緩やかなこと(いい面もなくはない)(2)道路に張り巡らされた電線類(これも地震国としては街の景観は見にくいものの、災害の多い国では復旧が楽である(3)広告の規制がほとんどなく、いかにも汚い広告が街を醜くしている。
泊原発は5月5日以来止まっているが、いまのところ、札幌とその近辺で見る限り、とくに原発停止による変化はみられない。当地はむしろ夏よりは冬の電力が問題であろうが、一般家庭はだいたい灯油が主のようだから、東京ほどの影響はないかもしれない。
本来、禁止されているはずの新幹線沿線にも最近、違法な野立広告が目立ち始めていて、苦々しく思っているが、北海道にそういう規制があるのかどうかは知らないが、本当に少ないことは確か。でもこれを逆に見ると、本州のように金をかけてまで野立広告を作るだけの効果がない、だから少ない、ともいえるのかもしれないと思うとすこし複雑な気持ちにはなる。
日本の町並みを汚くしている原因は3つ。(1)建築物の規制が緩やかなこと(いい面もなくはない)(2)道路に張り巡らされた電線類(これも地震国としては街の景観は見にくいものの、災害の多い国では復旧が楽である(3)広告の規制がほとんどなく、いかにも汚い広告が街を醜くしている。
泊原発は5月5日以来止まっているが、いまのところ、札幌とその近辺で見る限り、とくに原発停止による変化はみられない。当地はむしろ夏よりは冬の電力が問題であろうが、一般家庭はだいたい灯油が主のようだから、東京ほどの影響はないかもしれない。
原発停止 [一般向け]
べつに威張るわけではないが、私が一年前に記したブログで、脱原発などと言わなくても、当然再稼働には反対が予想される、ましてや新しく原発を作るのはどこも受け入れるはずはないから、イヤでも脱原発にはならざるを得ない、と言った筋書き通りになってきた。原発にも政治にも全くの素人の私が見てもそうなのだが、原発をやめるのが嫌な人たちは、自分たちの力でどうにかなる、と甘く見ていた節はある。
でも、自分たちの意思で原発をやめる、といち早く決定したイタリアやドイツのような国と、成り行きまかせでそうなってしまった日本とはエネルギー哲学に雲泥の差がある、とは日本の国を動かしている人たちは思わないのだろうか。しかしいい機会である。節電を徹底し、自然エネルギーが軌道に乗るまでは、臥薪嘗胆、大変な覚悟がいるだろうが、これは私も含め、原発問題を根底から考えざるを得ないチャンスでもある。
原発なしで本当に不可能かどうか、この一夏が正念場となろう。試して見るいいチャンスである。新しく原発を作るのがほぼ不可能なのが明らかになった今こそ、長期計画で自然エネルギーと向き合わざるを得ないのだが、やれ、効率が悪いとか、コストが合わないとかで、いまだにみんな真剣になっているという風には見えない。長期計画で、何年後にはこうなります。だからとりあえずは一番安全そうな原発から稼働するのは仕方がないけれど、これこれこういう計画でやります、と政府がはっきり表明しないから、橋下さんみたいな極端なことをいう人の議論に右往左往することになる。
私はここ何回か関西を往復したが、駅も、電車も、公共施設も、コンビニも、見たところ、節電をしている、というふうにはまったく見えない。いつも通りである。原発がエネルギーの半分を占めていたはずの関西だが、なぜこう危機感が見えないのだろうか。やはり原発などなくても日常生活はちゃんと回っているじゃないか、と東京からきた人間にはそう見える。いまだに関西でもオール電化住宅を売り込んでいる、というに至っては、いったい何を考えているのだ、といいたい。
でも、自分たちの意思で原発をやめる、といち早く決定したイタリアやドイツのような国と、成り行きまかせでそうなってしまった日本とはエネルギー哲学に雲泥の差がある、とは日本の国を動かしている人たちは思わないのだろうか。しかしいい機会である。節電を徹底し、自然エネルギーが軌道に乗るまでは、臥薪嘗胆、大変な覚悟がいるだろうが、これは私も含め、原発問題を根底から考えざるを得ないチャンスでもある。
原発なしで本当に不可能かどうか、この一夏が正念場となろう。試して見るいいチャンスである。新しく原発を作るのがほぼ不可能なのが明らかになった今こそ、長期計画で自然エネルギーと向き合わざるを得ないのだが、やれ、効率が悪いとか、コストが合わないとかで、いまだにみんな真剣になっているという風には見えない。長期計画で、何年後にはこうなります。だからとりあえずは一番安全そうな原発から稼働するのは仕方がないけれど、これこれこういう計画でやります、と政府がはっきり表明しないから、橋下さんみたいな極端なことをいう人の議論に右往左往することになる。
私はここ何回か関西を往復したが、駅も、電車も、公共施設も、コンビニも、見たところ、節電をしている、というふうにはまったく見えない。いつも通りである。原発がエネルギーの半分を占めていたはずの関西だが、なぜこう危機感が見えないのだろうか。やはり原発などなくても日常生活はちゃんと回っているじゃないか、と東京からきた人間にはそう見える。いまだに関西でもオール電化住宅を売り込んでいる、というに至っては、いったい何を考えているのだ、といいたい。
いやー、混んだ混んだ [旅行]

(鶴橋駅のアーバンライナー、雰囲気も色もDBのドナルドダックに似ている)

(川合高岡側から中川駅手前の新ショートカット線を見る)
連休2度目の大阪行きである。連休中はずっと仕事が込みすぎて少し疲れ気味だから、今回は帰りは寄り道をしないでまっすぐ帰京するつもりでいた。ところが、名古屋から一緒にコンクール審査の仕事に来ていたM子さんが「私、10時のアーバンライナーとったのだけれど、一緒に行ってちょうど12時には名古屋に着くからそこで食事でもしない?」と誘われたので、近鉄好きの虫が動き出し、連休だからもう席はないかも知れないけれど、と近鉄あべの橋駅で念のため聞いたら「デラックス席は2席だけあります」。わたしはやはりいつも運がいい。
乗ってみたかった理由は、M子さんとのこともだが、川合高岡ー中川ー桃園のショートカットの新線がもう出来ているはずだから、新線を通過してみたい、という考えが頭をよぎったからでもある。とにかく、私は鶴橋の駅に予定の1時間も前に来て、上本町行、難波行、尼崎行、三宮行、とすっかり多様化した3社の車両の乗り入れ状態を観察するためにホームに陣取っていた。同じホームにこれだけいろいろな車両が往き来するところはそうそうない。1時間はあっという間に過ぎた。
M子さんは、といえば、難波から乗るはずが、何を勘違いしたか、南大阪線のあべの橋駅に行って待っていたがどうもおかしい、と気づいたらしい。(彼女は大阪出身であるにもかかわらず)時計を見たらもうアーバン出発の15分前。大慌てでタクシーで上本町までとばして、かろうじて間に合った、という。やれやれ。ところで1年ぶりのアーバンライナーは、八木、津にも停車するようになっていて少しガッカリした。ノンストップが売りのこの特急がである。この業界も大変で背に腹は替えられないのかなあ、と想像した。
名古屋駅ビルも連休でどこも大混雑だがそれでもM子さんが「なだ万」を予約しておいてくれたので、昼食も楽しく終わった。問題は名古屋からの新幹線である。天王寺のホテルで早朝TVニュースで、今日の博多から東京行きの「のぞみ」は終日全部売り切れです、と聞いたので、あわてて天王寺駅へいって名古屋からの「のぞみ」の状況を聞いたら、「14時10分発の普通席が一席だけ空いています」。なぜ私はこうも運がいいのだろうか。かにかくに、そこまでは良かったのだが、実際に乗車してみると満席の普通車は子供連れで阿鼻叫喚、自由席車からあふれた客がデッキも埋め尽くしている。まさに連休ピークの混雑をイヤというほど味わった。
CDの録音に立ち会う [ショパン]
ピアニストの江崎昌子さんからショパンのオケ付き小品4曲をCDとして録音したい、という申し出をうけて、私もまた改めてこれに取り組むことになった。
Op,2 モーツアルトのドン・ジョヴァンニの主題による変奏曲
Op,13 ポーランド民謡による大幻想曲
Op.14 クラコヴィアク風ロンド
Op.22 アンダンテ・スピアナートとグランド・ポロネーズ
すべて私の弦楽合奏のための室内楽ヴァージョンとして編曲したものを使うので、2日間、全部の録音に立ち会った。編曲者としてのイマジネーションを直接演奏家に伝えたかったからである。室内楽のメンバーは2年前、表参道のフェスティヴァルで演奏をお願いした瀬崎明日香さんをはじめとする、超ベテランのメンバー揃いで、江崎さんの演奏も素晴らしいが、ピアノと弦が渾然一体となった見事な録音で、当面これ以上の質の演奏は望めないであろう。編曲者として冥利に尽きる。
これだけ分量の録音には通常3日は必要だが、メンバー全員と会場の都合、その他でどうしても2日しかとれない。なんとか2日で仕上げられたのもベテラン揃いだったからである。2年前、一度経験しているはずなのに、未だに楽譜のミスプリントや、私の書き間違いが10カ所以上もあり、メンバーから指摘を受けて冷や汗ものではあった。
それでもテークを重ねながら、編曲の不本意な場所、その他問題点を録音されたものを聞きながら議論の上、その都度訂正出来たので、ほぼ完全なものに仕上がったと思う。大いに疲れたけれど得難い経験をした2日間であった。これから、編集やプログラムノートを作成するなどで、製品としてリリースされるのは半年以上先になる。

(録音風景・神奈川アートホールにて)
Op,2 モーツアルトのドン・ジョヴァンニの主題による変奏曲
Op,13 ポーランド民謡による大幻想曲
Op.14 クラコヴィアク風ロンド
Op.22 アンダンテ・スピアナートとグランド・ポロネーズ
すべて私の弦楽合奏のための室内楽ヴァージョンとして編曲したものを使うので、2日間、全部の録音に立ち会った。編曲者としてのイマジネーションを直接演奏家に伝えたかったからである。室内楽のメンバーは2年前、表参道のフェスティヴァルで演奏をお願いした瀬崎明日香さんをはじめとする、超ベテランのメンバー揃いで、江崎さんの演奏も素晴らしいが、ピアノと弦が渾然一体となった見事な録音で、当面これ以上の質の演奏は望めないであろう。編曲者として冥利に尽きる。
これだけ分量の録音には通常3日は必要だが、メンバー全員と会場の都合、その他でどうしても2日しかとれない。なんとか2日で仕上げられたのもベテラン揃いだったからである。2年前、一度経験しているはずなのに、未だに楽譜のミスプリントや、私の書き間違いが10カ所以上もあり、メンバーから指摘を受けて冷や汗ものではあった。
それでもテークを重ねながら、編曲の不本意な場所、その他問題点を録音されたものを聞きながら議論の上、その都度訂正出来たので、ほぼ完全なものに仕上がったと思う。大いに疲れたけれど得難い経験をした2日間であった。これから、編集やプログラムノートを作成するなどで、製品としてリリースされるのは半年以上先になる。

(録音風景・神奈川アートホールにて)
ヨーダンパ [鉄道全般]
このところほとんどが飛行機の移動ばかりだったがしばらく振りに新幹線で大阪に出かけた。連休で混んでいることは知っているが、私は切符の予約は可能な限りしない。一人くらいどんなに混んでいても何とかなるものである。N700でないとダメ、座席はB席(3人の真ん中の席)はダメ、と窓口で条件を付けたにもかかわらず、一列車見送るくらいでA席がとれた。
飛行機でなくとも、大阪まではほんとに早くなった、と改めて実感したと同時に、一番ドアに近い席だったにもかかわらず、座っていても横揺れがないなあ、と思う。ふと思い立って、列車の連結面に陣取って、どのくらいの揺れがあるか、しばらくの間観察していた。あけっぱなしの車掌室のすぐそばだったけれど、怪しまれもせず、何の用ですか、ともいわれず、私はiPadで連結面の動画を撮っていた。
ところがこれ、280キロ走行中、ホロも歩み板も上下左右、ほとんど動かないので動画にならないのである。連結面の両方の車両の歩み板のこすれるところ、私は客車時代の昔からここが好きで、両方の車両の動き、とくにカーブにさしかかるところなど両方の車両の動きのちがいを体で感じるのが趣味の一つだった。(いまでは「危険ですからホロの間には立たないでください、と掲示のある私鉄もある)N700はヨーダンパの効果素晴らしく、ほとんど静止に近い状態で疾走する。しばらくやっていたがとうとう動画撮影はあきらめた。この技術、日本はすごいねえ!
飛行機でなくとも、大阪まではほんとに早くなった、と改めて実感したと同時に、一番ドアに近い席だったにもかかわらず、座っていても横揺れがないなあ、と思う。ふと思い立って、列車の連結面に陣取って、どのくらいの揺れがあるか、しばらくの間観察していた。あけっぱなしの車掌室のすぐそばだったけれど、怪しまれもせず、何の用ですか、ともいわれず、私はiPadで連結面の動画を撮っていた。
ところがこれ、280キロ走行中、ホロも歩み板も上下左右、ほとんど動かないので動画にならないのである。連結面の両方の車両の歩み板のこすれるところ、私は客車時代の昔からここが好きで、両方の車両の動き、とくにカーブにさしかかるところなど両方の車両の動きのちがいを体で感じるのが趣味の一つだった。(いまでは「危険ですからホロの間には立たないでください、と掲示のある私鉄もある)N700はヨーダンパの効果素晴らしく、ほとんど静止に近い状態で疾走する。しばらくやっていたがとうとう動画撮影はあきらめた。この技術、日本はすごいねえ!
西洋医学の限界 [プライベート]
年を取ると、体調が前よりよくなる、ということはあり得なくて、現状よりいかに悪くならないようにするか努力する以外に手はない。
ここ数年悩まされてきたのが便秘で、特に旅行中は便秘薬が手放せないばかりか、だんだん量が増えてきて、かかりつけ医に相談したけれど、これという対処法はない、と諦めかけていた。ところが、数ヶ月前からかかっていた中国人の整体療法を受けるとその後しばらくのあいだは調子がいいことは経験的にわかっていた。中国人のC先生に、旅行中も自分でなんとかできないでしょうか、と相談したら、「いや、ツボさえわかれば自分でできます」ということなので、やり方の秘訣を教わってきた。
当初、たいして効果もあがらないかにみえた。やはり素人療法じゃダメか、と思っていたのだが、効果は少しづつ出始め、旅行中も薬は徐々に減らせるようになり、今や、これで薬とは完全におさらばできるのではないか、という期待が持てるまでになってきた。
要するにこれは老化現象であって、腸の働きが悪くなったにすぎない。これは西洋薬では治らないのは考えてみれば自明の理で、便秘薬などというものは対処療法であって、根本的に治すものではない。ここで、これまで私がほとんど相手にしてこなかった中国医療が功を奏したわけで、便秘などという誰でも起こる初歩的なことさえ西洋医学は限界があることもわかった。これで末期ガンになってモルヒネを使うようになっても便秘で苦労しないよう、もう少し挑戦してみよう。年のせい、とあきらめずにすむこともあるのです。
ここ数年悩まされてきたのが便秘で、特に旅行中は便秘薬が手放せないばかりか、だんだん量が増えてきて、かかりつけ医に相談したけれど、これという対処法はない、と諦めかけていた。ところが、数ヶ月前からかかっていた中国人の整体療法を受けるとその後しばらくのあいだは調子がいいことは経験的にわかっていた。中国人のC先生に、旅行中も自分でなんとかできないでしょうか、と相談したら、「いや、ツボさえわかれば自分でできます」ということなので、やり方の秘訣を教わってきた。
当初、たいして効果もあがらないかにみえた。やはり素人療法じゃダメか、と思っていたのだが、効果は少しづつ出始め、旅行中も薬は徐々に減らせるようになり、今や、これで薬とは完全におさらばできるのではないか、という期待が持てるまでになってきた。
要するにこれは老化現象であって、腸の働きが悪くなったにすぎない。これは西洋薬では治らないのは考えてみれば自明の理で、便秘薬などというものは対処療法であって、根本的に治すものではない。ここで、これまで私がほとんど相手にしてこなかった中国医療が功を奏したわけで、便秘などという誰でも起こる初歩的なことさえ西洋医学は限界があることもわかった。これで末期ガンになってモルヒネを使うようになっても便秘で苦労しないよう、もう少し挑戦してみよう。年のせい、とあきらめずにすむこともあるのです。
Hbfの運転会 [メルクリン]

よしゆきさんが誘ってくださったのでこの日を心待ちにしていた。中央区豊海区民館というところで、勝ちどき橋の先を東に行った、埋め立て地のほぼ突端ににあり、私も始めてのところである。一人のコレクションには限度があるが、私の知らないめずらしいものが見られるのと、情報交換、無駄なおしゃべり(もちろんメルクリンとDBの話が中心になる)が魅力。
この日のハイライトはなんといっても超レトロなSchürzenwagenもどきの客車群であろう。これを見るだけでもここにきた甲斐があった。計測したわけではないが24センチ客車より短く、(20センチくらいか?)厚い金属板製なので24センチ客車よりはるかに重い。MÄRKLIN,GERMANYと刻印があるだけなので、これはもしかすると東西ドイツに別れる以前の製品ではないか。郵便車、手荷物車’、食堂車、一等車、2等車、と一通り揃っている。いかにわたしがレトロな存在とはいえ、感激して眺めるしかない。ドイツ製品の常としてものすごく頑丈に出来ていて、巨大なテールランプもある。しかも保存状態が信じられないほどいい。これをMレール、アナログE18型機関車で走行する姿を見るのは、タイムスリップしたようで、ただもう感嘆あるのみ。
いや、申し忘れました。abeさんやHUHさんなどともお話し出来て良かった。ついでに、Hbfの会員のお仲間に私も加えてもらった。皆さん、ありがとうございました。
幸田延の「滞欧日記」 [Literature]

さっそく、瀧井敬子さんから送って下さったのだが、これは実に面白い。学者らしく、幸田延がヨーロッパで聞いたコンサートの現地図書館の確認作業まで行われている念の入ったもので、当時の日本の音楽状況もだが、1900年前後(この日記は1910年頃)のヨーロッパの音楽事情、音楽教育事情を垣間見ることが出来るのは貴重な文献といえる。延さんはいろいろなレッスンの現場を見学して克明に記録にのこしている。
パリのコンセルヴァトワールで、ガブリエル・フォーレ学長同席の卒業試験について、各楽器の一人一人に曲目とコメントなどがついていて、幸田延、という個性の強い辛口批評で、生徒たちは、ほとんどがかわいそうにコテンパンに書かれているのだが、それを少し差し引いて読んでも当時のコンセルヴァトワールの卒業試験のレベルはそれほど高いものではなかったようである。また、モーツアルトのレクイエムの合唱がひどい、これなら東京音楽学校の合唱の方がマシだ、とさえ言ってのける。
R、シュトラウス自身の指揮のコンサートとか、ニキッシュ、モットルといった当時世界最高の指揮者のコンサートであってもかなり厳しい目で見ている。何でもかんでもヨーロッパは素晴らしい、などと思わないところが幸田延の面目躍如たるものである。しかしそういう勝ち気な性格がたたったのか、40才で東京音楽学校(現在の芸大)のピアノの教授の職を体よくクビにされてしまい、非常に悩んだところも赤裸々に描かれている。いまなら多分裁判沙汰になるところであろう。
日記はドイツ語でかかれたものや、日本語のものがごっちゃになっているが、原文をそのまま残した上、詳細な訳文と注釈がある。
東京文化会館にて [ピアノ音楽]
日本演奏連盟主催の恒例のクラシック・フェスティバル、私が企画にかかわったこともあって、札幌から直行して東京文化会館のリハーサルから立ち会った。演奏も素晴らしく、ほぼ満席の大ホール、大成功だったと思う。私の編曲の第8シンフォニーの8手連弾も伊藤恵さんのリードで全体が見事にまとまり、ブラボーもすごかった。いろいろの事情でこのクラ・フェスも来年度で終わりとなる。少し淋しい。
ところで休憩時間にめずらしい人にあった。瀧井敬子さんである。彼女は何年も前に「漱石の聞いたベートーヴェン」という著書を出されていて、昔一度読んだのだが、たまたまもう一度読んでみる気になって、往復の飛行機の中で読み直していた。なかでも永井荷風の台本に菅原明朗が作曲した浅草オペラ「葛飾情話」についてのくだりに興味を持ち、彼女にこの録音やスコアが残っていないか聞いてみたい、と思っていた矢先だったのだ。それがなんと、ふだん、まずめったに会うチャンスのない、ご本人から休憩時間中に声をかけられたのである。奇遇というしかない。「先生の編曲ものがプログラムにあるから、いらっしゃるかもしれないと思っていました」とのことだが、彼女の著書を読んだばかり、というまさにその時ご本人が現れたのだから、一瞬、瀧井さんが夢枕に立ったのか、と思ってしまった。
日本の音楽界の先駆者ともいうべき「幸田延」(幸田露伴の実の妹)の話で盛り上がった。どうやら「幸田延」の著書を最近完成されたとか。幸田延の妹「安藤幸」はヴァイオリニストで、戦後も東京芸大で教えていて、私がちょうど入学した年あたりに退官されているようである。これも何かの因縁であろう。それにしても幸田家兄弟姉妹は、たいへんな才能の持ち主揃いだったようで、夭折した人を除いて、みんなひとかどの人物になっている。
ところで休憩時間にめずらしい人にあった。瀧井敬子さんである。彼女は何年も前に「漱石の聞いたベートーヴェン」という著書を出されていて、昔一度読んだのだが、たまたまもう一度読んでみる気になって、往復の飛行機の中で読み直していた。なかでも永井荷風の台本に菅原明朗が作曲した浅草オペラ「葛飾情話」についてのくだりに興味を持ち、彼女にこの録音やスコアが残っていないか聞いてみたい、と思っていた矢先だったのだ。それがなんと、ふだん、まずめったに会うチャンスのない、ご本人から休憩時間中に声をかけられたのである。奇遇というしかない。「先生の編曲ものがプログラムにあるから、いらっしゃるかもしれないと思っていました」とのことだが、彼女の著書を読んだばかり、というまさにその時ご本人が現れたのだから、一瞬、瀧井さんが夢枕に立ったのか、と思ってしまった。
日本の音楽界の先駆者ともいうべき「幸田延」(幸田露伴の実の妹)の話で盛り上がった。どうやら「幸田延」の著書を最近完成されたとか。幸田延の妹「安藤幸」はヴァイオリニストで、戦後も東京芸大で教えていて、私がちょうど入学した年あたりに退官されているようである。これも何かの因縁であろう。それにしても幸田家兄弟姉妹は、たいへんな才能の持ち主揃いだったようで、夭折した人を除いて、みんなひとかどの人物になっている。
ショパンの書簡 [日本ショパン協会]
始めて本格的なショパンの書簡の日本訳が完成し、そのお披露目の会が関係者を集めて、日本プレスセンターで行われた。1955年に発行されたショパンの書簡集はポーランド語のオリジナル本体に不備が多く、邦訳もその時代はポーランド語を日本語に正確に翻訳出来る人が少なかったこと、などがあって、半世紀以上もたって新しい知見も取り入れながら刊行されたもの。壮大なプロジェクトである。これ以上のものは今後1世紀くらいは望めないのではないか、という力の入れようである。
第1巻 1816−1831(少年時代からパリ到着まで)
第2巻 1831−1841
第3巻 1841−1849
現在、第1巻が10年の時間をかけて完成、日本語訳が東京外国語大学教授、関口時正氏とそのグループで2年を費やして日本語刊行の運びとなったことは喜ばしい。それ以後の予定はどうなっているか、という私の質問に対して、第2巻はショパン研究者イーゲルディンゲル氏(スイス在住)を中心にフランス語で刊行される予定なので、ポーランド語訳を待たずに直接翻訳が可能。すでにかなりなところまで進行しているので、翻訳も同時進行で始まっているらしい。全巻が完成するのは2020年の予定、という。ショパンの手紙の日本語訳は困難を極めたようである。そもそも1800年代のポーランド語が現在の言葉とちがっている上、親しい人に宛てた手紙だから、当事者同士でしかわからない文言やスラングが多い。さらにポーランドは2度の大戦や外国の侵略をうけて、相当の部分の書簡が爆撃などで消失してしまっている、など。ただし、ショパンに関する資料は、それを所有していたアメリカ在住の人などから、かなりのものがこれまで見つかっていて、ワルシャワのショパン博物館に寄贈されたりしているから、今後も新しい資料が世界各地で見つかる可能性もないわけではない。(なにしろ、バッハのカンタータの知られていなかった資料が日本で見つかって話題になったこともあるくらいだから)
第2巻がフランス語で出される、というのはショパンがパリに移ってからなのでフランス語の手紙が多い、という事情にもよるのだが、ショパンの父のニコラ(ポーランド流にいえばミコワイ)はフランス人であるにもかかわらず、フレデリクもフランス語を母国語と同じように話せたわけではないらしく、日常会話でも手紙でも文法上、もしくは発音のミスが多かったらしい。これも困難な作業になろう。
著者のズビグニェフ・スコヴロン氏が来日して翻訳者の関口氏とともに、刊行までのいきさつを聴けたのは有意義な会であった。ちなみに外国語で翻訳出版されるのは、日本が最初の国となる。
岩波書店、800ページ、18.000円
訂正: 私の聞き取りの不確実なせいで、コメントの通り、第2巻以降もポーランド語で出版されるが、当然フランス時代はフランス語の手紙はふえるので、フランス語の部分は先に日本語訳ができるであろう、とのことのようです。訂正してお詫びします。
第1巻 1816−1831(少年時代からパリ到着まで)
第2巻 1831−1841
第3巻 1841−1849
現在、第1巻が10年の時間をかけて完成、日本語訳が東京外国語大学教授、関口時正氏とそのグループで2年を費やして日本語刊行の運びとなったことは喜ばしい。それ以後の予定はどうなっているか、という私の質問に対して、第2巻はショパン研究者イーゲルディンゲル氏(スイス在住)を中心にフランス語で刊行される予定なので、ポーランド語訳を待たずに直接翻訳が可能。すでにかなりなところまで進行しているので、翻訳も同時進行で始まっているらしい。全巻が完成するのは2020年の予定、という。ショパンの手紙の日本語訳は困難を極めたようである。そもそも1800年代のポーランド語が現在の言葉とちがっている上、親しい人に宛てた手紙だから、当事者同士でしかわからない文言やスラングが多い。さらにポーランドは2度の大戦や外国の侵略をうけて、相当の部分の書簡が爆撃などで消失してしまっている、など。ただし、ショパンに関する資料は、それを所有していたアメリカ在住の人などから、かなりのものがこれまで見つかっていて、ワルシャワのショパン博物館に寄贈されたりしているから、今後も新しい資料が世界各地で見つかる可能性もないわけではない。(なにしろ、バッハのカンタータの知られていなかった資料が日本で見つかって話題になったこともあるくらいだから)
第2巻がフランス語で出される、というのはショパンがパリに移ってからなのでフランス語の手紙が多い、という事情にもよるのだが、ショパンの父のニコラ(ポーランド流にいえばミコワイ)はフランス人であるにもかかわらず、フレデリクもフランス語を母国語と同じように話せたわけではないらしく、日常会話でも手紙でも文法上、もしくは発音のミスが多かったらしい。これも困難な作業になろう。
著者のズビグニェフ・スコヴロン氏が来日して翻訳者の関口氏とともに、刊行までのいきさつを聴けたのは有意義な会であった。ちなみに外国語で翻訳出版されるのは、日本が最初の国となる。
岩波書店、800ページ、18.000円
訂正: 私の聞き取りの不確実なせいで、コメントの通り、第2巻以降もポーランド語で出版されるが、当然フランス時代はフランス語の手紙はふえるので、フランス語の部分は先に日本語訳ができるであろう、とのことのようです。訂正してお詫びします。






