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クリスマス会061223 [教会日誌]

 ペルー人教会クリスマス会をしました。最初に蒲田のグループ「風民」によるフォルクローレの演奏、つぎにセロ・ウアチパの創作劇「マキちゃんのクリスマス」、つづいて、お食事ですが、準備の間に手品、そして、お食事、歓談、もう一回手品、最後にマリネーラというペルーの音楽の演奏、じつに盛りだくさんでした。
 フォルクローレはアンデスっぽい曲、日本でも流行った「ランバダ」、最後はスペイン語、英語韓国語、日本語で「きよし この夜」といった具合でした。
 劇は、主演の新人マキちゃんががんばり、Kさん、Cさんの演技力で引っ張り、皆で脇を固めたといったところでしょうか。はじめてきたラテンアメリカの女性から「自分も演劇が好きだがとてもよかった」、何度も見ている日本人男性から「日本人が忘れた心がある」といった感想をいただきました。
 食事はいつものペルー料理。川崎のインティライミからテイクアウトしてきました。今日は集まった人の人数が多かったので、お皿はあっというまに空っぽ。それでも足りないお腹は、おしゃべりと手品とマリネーラで満足させました。


マキちゃんのクリスマス061218 [教会日誌]

 今年のクリスマスの劇は、11月のバザーの時の「アキちゃんの冒険」のクリスマスバージョンです。主人公の5才の女の子を前回演じたMAMIさんが日程が合わなかったので、今回はMAKIさんにお願いしました。MAKIさんは卒論の取材で一ヶ月くらい前からペルー人教会礼拝に来ていますが、そういう人をすぐに誘い込むセロ・ウアチパの手に落ち(?)、いきなり主役です。
 準備期間は三日だけ。二週間前の日曜日に、前回のお話しをこんな風にしてクリスマス仕立てにしよう、という話がなされ、先週の日曜日に、もう一度考え直そうということで大議論となり、議論の激しさと混乱具合に、さすがに二カ国語並行はきびしく、ペルー人=スペイン語組と、日本人=日本語組に一度別れて話し合うなど、3時間ほど皆で頭を悩ませ、口を激しく動かしました。昨日は、3時に集合して、実際に練習しながら話をまとめていきましたが、前回の焼き直しのせいか、脚本がどうもぴしっとせず、ああでもない、こうでもないと脳を働かせ、そして、チョコレート、ポテトチップス、かりんとう、柿の種、なし、と脳に糖分補給をしながら、なんとか話をまとめて、8時に練習終了。23日の本番に臨みます。
 お話しは・・・MAKIちゃんはクリスマスプレゼントにあたらしい人形をもらいますが、同時に、お母さんが古い人形、リカちゃんを捨ててしまったことに気が付きます。リカちゃんをさがしにMAKIちゃんはパジャマのまま表に飛び出します。ゴミ箱宴会をしている犬、猫、からすに訊くと、清掃車にもって行かれたようです。清掃車はどこに? 途中、車の行き来の激しい道路を人に助けてもらってわたったり、路上で働いている少年からあたらしい人形を盗まれたり、それを同じく路上で働く女の子にとりかえしてもらったり、雪だるまにマフラーをもらったり、道をおしえてもらったりしながら、ゴミの国にたどり着きます。そこで、つなひき勝負を挑まれ、みんなに助けられ勝ってリカちゃんをとりもどします。助けてくれた女の子と人形で遊びたいのですが、女の子は仕事に戻らなければなりません。さあ、どうする?
 前回はおもに日本人の子ども向け、今回はラティーノスの観客中心、前回は失われた一匹を捜し求めることがテーマ、今回はわかちあいがテーマ、そのシフトが難しいように思いました。
 


ネイティブスピーカー061118 [教会日誌]

 今日は、ペルーのフォルクローレが好きだという日本人女性MさんとKさんが初めて参加してくれました。Mさんは大学生、Kさんは社会人一年生です。二人は知り合いではなく、フォルクローレに関心を持つお二人が、たまたま、同じ日にペルー人教会を訪ねてくれたのです。
 フォルクローレと言えば、一ヶ月前から、蒲田の地元のフォルクローレグループとも知り合いになり、昨日は、そのメンバーのTさんも来てくださったので、ちょうどよかったです。演劇に加え、フォルクローレ、活動や交わりが広まればうれしいです。
 ところで、この日は、スペイン語ネイティブの三人がお休みで、最初は日本人ばかりでスペイン語礼拝をするという奇妙なことになりました。ペルー人の誰かが来るまでと、7時5分まで待ってみましたが、誰も来ず、しかたなく、日本語ネイティブが日本語ネイティブを前に下手なスペイン語で、司会をすることにしました。
 礼拝開始後15分くらいたって、ちょうど聖書を読むタイミングになって、日系ペルー人のTさんが到着、さっそくルカによる福音書を読んでもらいました。集まっている人の中にひとりでもネイティブがいるとスペイン語でやる意味もあるというものです。それに、ペルー人と知り合いになりたくて、来てくれたMさんとKさんに対して、今日は日本人ばかりで申し訳ない気持があったのですが、それもやわらぎました。やれやれ。
 礼拝後はいつものようにお茶の時間、フォルクローレの話に花が咲きました。KさんとTさんは楽器を吹いてみてくれました。
 ところで、今日は、もう一人日本人女性が登場。前にも来てくれたのですが、今回、ひさしぶりにお会いできました。このRさんがすごいです。若干24才ですが、日本語、英語、スペイン語、ドイツ語、中国語アフリカのある言語ができ、国際機関で農業管理のお仕事をしておられるとのこと。香港の高校、カナダの大学で学び、ペルー、ドイツ、ガーナなどで働いたことがあるそうです。ちなみに彼女のは神戸語ネイティブとのことでした。


歌と劇061104 [教会日誌]

 今日は教会のバザーで子ども向け劇の上演がありました。劇の前に、地元蒲田のフォルクローレの五人組「風民」が二曲ほど演奏してくださいました。非常にすばらしく、楽しい演奏でした。熟年のお姉様、お兄さまががんばっておられました。フォルクローレは心に響きます。次は、前座ではなく、メインでお願いしたいです。
 劇の観客は、こども十人、大人二十人ほどでした。はじめて見に来てくれた近くの子どもたちもいました。主人公がパジャマ姿の女の子だったり、動物や人形がでてきたりで、子どもたちは最後まで楽しそうに見ていました。フォルクローレのお姉様たちも子どものように喜んでくれました。いつか、フォルクローレを劇の中に取り入れるなどの共演ができたらと願います。
 今回は、主役を含め、日本人の新人役者が二人いましたが、よくこなしていました。反省点は、毎度のことですが、上演5分前まで、あれこれ準備に追われていたことです。けれども、還暦を越えた二人のペルー人が夕べ11時近くまでかかって舞台の道具を一生懸命に作ってくれました。彼らは、劇の指導やおだやかな性格で他のメンバーを導いてくれます。


子ども劇&バザー

11月4日(土)午後2時半より、ペルー人と日本人の劇団セロ・ウアチパの公演があります。今回は、子ども向けのものです。あきちゃんが失われたお人形りかちゃんを探す冒険です。

また、日本人のグループによるフォルクローレの短い生演奏もあります。

ぜひお越しください。

なお当日会場では10時~16時まで教会のバザーが行なわれ、手芸品、クリスマスリース、日用品、お菓子の販売や食堂があります。

会場は、日本キリスト教団蒲田教会 03-3732-1796
    東京都大田区蒲田1-22-14
    蒲田小学校正門前(四箇所ある門の一つ)
    JR京浜東北線 蒲田駅東口 徒歩7分
    京浜急行 京急蒲田 徒歩7分 


フォルクローレ三人衆061028 [教会日誌]

 五反田にコンベニオというお店があって、ペルーの食料品や雑誌などを売っています。そこが客向けに出している雑誌に、ペルー人教会と劇団セロ・ウアチパの紹介記事を書いたら、それを読んだ人たちが礼拝に来てくださいました。地元蒲田のフォルクローレのグループです。Tさん、Tさん、Sさん、皆日本人女性です。
 土曜日の礼拝だけでなく、日曜日夕方の劇の練習にも来てくださり、Tさんは観客の役で参加して下さいました。11月4日の午後2時半から行なわれる劇では、舞台の上の役者だけでなく、見ている人たちにも参加してもらう場面がいくつかあります。この「見ている人」の役をお願いしたのです。当日も、他に舞台に上がってくれる人がいなかったら、Tさんがサクラになってくださるそうです。
 また、この劇の始まる前にフォルクローレの曲をいくつか演奏して下さるそうです。サンポーニャ、ケーナ、チャランゴ、ボンゴなどのアンデスの民族楽器で何を聞かせてくださるのでしょうか。とても楽しみです。このように地域の人々とのつながりができていくのはとてもうれしいことです。


子どもたちの劇061008 [教会日誌]

 11月4日の教会のバザーで劇をすることになりました。前回、「ノアの方舟」を演じ、その中で会場の子どもたちも「方舟」に乗せ、船中でゲームなどをして洪水の退くのを待つ、というしかけが好評で、今回も子ども向けの観衆参加型の劇を、と考えました。
 昨日は、CさんとMさんがそれぞれ案を発表。Cさんの案は「99匹と一匹の羊」を題材にしたもの、Mさんは「放蕩息子」を題材にしたもの、奇しくも、どちらもルカによる福音書15章のイエスの譬え話です。しばらく話し合い、結局、Cさんの案にしたがって、なくなった人形と女の子、そしてその女の子をさがす親、という設定にすることにしました。
 今回は練習日が三回あります。いつも練習日に余裕がない劇団セロ・ウアチパにしては異例のことです。ただし、いつもメインキャストをつとめるKさんやCさんが今回は出られないので、日本人キャストはPさんだけです。ペルー人キャスト4人と日本人キャスト一人、どんな劇になるでしょうか。
 セロ・ウアチパの劇はスペイン語と日本語が飛び交います。スペイン語の台詞をいちいち日本語に通訳するのではなく、どちらか一方の言語がわかれば、台詞のやりとりや劇の流れがわかるような台詞構成を心掛けています。
 今回は、スペイン語役者の比重が高いのですが、子どもたちにわかってもらうために、日本語だけにし、ペルー人役者も日本語で話すか、それとも、それ以外の工夫で言葉の問題を補うか、どのような劇ができあがるか楽しみです。


ともに生きてしまう060930

・・・・ある雑誌に書いた雑文です

 差別反対者は差別事件が起こるといきいきしてくる、という逆説がある。差別反対者は差別事件を待ち望んでいる。支援者が活躍するには困窮者の存在が不可欠だ。連帯するために孤立者を必要とする人々がいる。

 差別が撤廃される前に差別なしに生きてみたらどうであろう。支配と背中合わせの支援を必要とする領域ばかりでなく、支援関係のない、あるいは、支援関係の逆転した領域に注目してみたらどうであろう。何かの時にわざわざ連帯するのではなく日常をともに生きてみたらどうであろう。

 ペルー人教会はペルー人、チリ人、メキシコ人、アルゼンチン人、日本人らによる小さな教会だ。韓国人や台湾人などアジアの人々も時々顔を見せてくれる。創立のきっかけは、日本人であるわたしが「ラテン・アメリカからの移住労働者に母語の礼拝を」と思い立ったことにある。かつて東北アジア諸国や沖縄などから母語を奪った日本の歴史の反省から、ラテン・アメリカ出身の人々には母語であるスペイン語の礼拝を、と考えたのである。

 しかし、教会もヒエラルキー社会である。牧師が「正しいこと」を教え、信徒がそれを学ぶ、という構図がある。聖書から受けるメッセージについて、牧師は一方的な伝達者である。また、牧師は信徒である外国人労働者の要請に応じて、病院や役所に同行することもある。ここでは、日本語のできる日本人牧師は外国人労働者に対して支援者として立ってしまう。日本人の中にも、「何か外国人の方のお手伝いができたら」と言って来る人々もいる。

 けれども、このような牧師と外国人信徒、日本人と外国人労働者の間の関係は徐々に変わってきた。多くの教会の礼拝では、聖書を読んだ後、牧師や神父がそれについて説教するが、ペルー人教会ではそのスタイルを大きく変えた。牧師の説教の代わりに、皆で話し合うのだ。講義方式から話し合い方式に変えたのである。牧師も信徒から学ぶ。信徒も聖書を読んで感じたことを語るのである。このことによって、少なくとも、一方的伝達ではなくなった。

 日本人メンバーと外国人メンバーの間でも、支援-被支援ではない関係、あるいは支援-被支援の逆転関係が築かれてきた。ペルー人教会の日本人メンバーのほとんどは学生か若者である。それに対して、外国人メンバーの多くは四十代以上だ。たとえば、あるペルー人夫婦は、教会に来た日本人青年とメールアドレスを交換し、スペイン語によるやりとりを始める。そして、教会以外の活動にも誘う。労働組合による外国人労働者相談の通訳、「ペルー働く青少年寄金」の活動などにである。こうして、日本人青年はペルー人メンバーから日本における外国人労働者の人権問題やペルー社会の問題などを教えられ、また、多くの外国人労働者と出会い、成長していく。ここでは、日本の若者が外国人労働者によって人間としての成長を支援されるのである。

 ペルー人教会のメンバーが中心になる劇団セロ・ウアチパの活動も支援-被支援関係のない場である。たとえば、わたしはペルー人メンバーに誘われて初めて演劇に参加することになった。聖書の理解においては、「話し合い」スタイル導入後も、わたしが優位に立つという力学的関係は完全には払拭されていない。しかし、演劇においてはまったく素人のわたしは、本格的な商業演劇経験者であるペルー人Cさんのリーダーシップや素人ではあってもわたしより先に演劇活動を始めた仲間を頼りにし、支えられざるを得ないのである。だが、この劇団の手法は全員平等参加による演劇創作であり、わたしが素人や新参者であっても疎外されることはない。言い換えると、演劇をする時、わたしと外国人労働者の関係は、牧師と信徒というタテの関係から、先行く仲間と新しく加わった仲間というヨコの関係になるのである。また、劇は日本語とスペイン語のどちらかがわかれば理解できるように構成されており、どの役者も観客も言葉の壁に阻まれないで済む。

 演劇では、外国人労働者の日常や歴史的経験、世界で起こっていること、そして、聖書のメッセージが三本柱となる。たとえば、工場で日本人上司に殴られる外国人労働者と、イラク戦争によって殺される人々と、ローマ帝国によって十字架刑に処せられるイエスがつながる。

 経験をわかちあい、ともに考察し、表現しようとする時、支援-被支援の関係は克服される。差別問題に取り組むだけでなく、法や制度が変わる前から、日常を差別も支援も連帯もなく、ともに生きてしまう、このような経験が大きく広がることを願う。

・・・・この雑誌の表紙にはビッグネームの執筆者名は記されているが、わたしたちの名前はありません。けれども、わたしたちも今日もたしかに生きてしまっています。


ぶどうと空気清浄機060923 [教会日誌]

 ドイツの親戚を訪ねていたCさんが三週間ぶりに登場。ワインチーズをおみやげにもってきてくれました。チーズ工場で働いているだけあってCさんの選ぶチーズはとてもおいしくて皆に喜ばれました。赤ワインも甘くなくてよい、という評判でした。Sさんがマスカットをもってきてくれたので、これを絞って白ワインも飲もうと誰かが言い、皆で笑いました。
 Pさんが○○バ○○○ラで買った空気清浄機の説明書をもってきて、わからないところを訊いていました。何でもパリに住む姉妹へのおみやげに持っていくとのこと。姉妹はネコアレルギーで悩んでいるそうです。ところが、説明書によると、この清浄機にはペットの臭いとりの機能はありますが、室内のアレルギー物質を除去してくれるものではなさそうでした。誰がこの機械を選んだのと訊くと、店員に勧められたと言っていました。おたがいに言葉が良く通じ合っていなかったのだと思います。マイナスイオン発生機能もついていましたが、重たい清浄機を抱えてパリの姉妹を訪ねるPさんに、「マイナスイオンにはほとんど効果がないらしいよ」と言うのは控えました。
 CさんもPさんも一生懸命に働いたお金を貯めて、一番安いチケットで、ペルー人から見れば、日本とはまた別の外国に住む家族を訪ねます。フランクフルトもパリも十万円を切る往復チケットが出ているようですが、それでも何度も繰り返せる旅ではないでしょう。


エナノバナナ060916 [教会日誌]

 礼拝の前にチリ人のHさんと少し話をしました。わたしがHさんに「どうですか」と尋ねると、「とくに代わりはありません、パスト~ルはどうですか」と訊いてくれたので、その週にお亡くなりになった方とその葬儀のことを話しました。すると、Hさんにもお亡くなりになった方と似たような状態の友だちがいて、もしかしたら、Hさんがその人の唯一の友だちかも知れない、また、その友だちはとても苦しい状況を抱えているけれども、ある日、その人が植木鉢を手入れしている後姿が幸せそうなのを見てなんだか救われた気がした、というようなことを話してくれました。礼拝の中で、Hさんは亡くなった私の友人のために祈ってくださいました。
 礼拝後、司会のMさんが、ぱすと~る、誕生日おめでとう、と言ってくれました。そして、皆が拍手をしてくれました。十月生まれのわたしは、礼を述べ、来月の同じ日には、もう一度、わたしの誕生日があるので、その時も、もう一度拍手をください、とお願いしました。
 お茶の時間はSさんがもってきてくれたバナナをいただきました。エナノバナナなのですが、エナノとはスペイン語で「小さい、小さい人」という意味だそうです。日本とペルーでは差別語の感覚も違うように思いました。スペイン語では差別のニュアンスがないようなものでも、日本語の辞書の訳語をそのまま当てはめると、差別の響きを持つ言葉もいくつかあります。

 


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