So-net無料ブログ作成
検索選択
追悼・本田美奈子さん ブログトップ

【#5】 告別式に行ってきました。~天使~ [追悼・本田美奈子さん]

 今日の告別式で、彼女は天に召されたことを実感しました。同時に、やはり彼女の歌は、いつまでも我々の魂の中に残り続けるのだということを改めて思いました。

 美奈子さんの笑顔がもたらしてくれたとしか思えないほどの珍しいくらいの透き通った今日の青空。その青さを忘れることはないでしょう。本当に雲ひとつない空なのです。
 まるで、天国まで続いていく一点の曇りもない「エンジェル・ロード」が続いているように思えました。美奈子さんはその道を通って、空のはるか上の天使の住む場所に旅立ちました。

 サン・テグジュペリの「星の王子さま」の中で、いよいよい最後のお別れの時、王子様は悲しんでいる「ぼく」にこう言いました。
 「ぼくは自分の星に帰るけれども、君は夜、空を見上げごらん。その星のどれかの上で、ぼくが笑っていると想像してごらん。そうすれば、君は星たちが全部が笑っているように見えるはずだよ。いつでも僕はそばにいるよ。」そう言い残して、王子様は、砂漠に倒れて見えなくなりました。
 翌日から、「ぼく」が空を見上げるとき、王子様が笑っていると思うと、夜空の星たちは笑顔で満ちているように思えました。もし王子様が悲しんでいると考えると、逆に夜空全体が涙でいっぱいになっているかように見えました。
 「大切なものは目に見えないのだよ。」と王子様は教えてくれました。目に見えなくても実際にはあるのだよ。きっと、美奈子さんも、どこからか、私たちを見守っていてくれるに違いありません。

 奇しくも彼女がデビューしたちょうど20年前、夏目雅子さんが、やはり白血病で、27歳という若さで亡くなりました。しかし、彼女の名や姿は、映像とともに今でも我々の中で語り継がれています。
 同じように本田美奈子さんの名前や姿は、彼女の歌とともに、永く語り継がれ、決して忘れ去られることはないでしょう。

 伝説の歌姫、天使となった本田美奈子さん、天使の住む町に届くように、もう一度、心からお悔やみを申し上げます。壮絶な病気との闘い、本当にお疲れさまでした。どうぞ安らかにお眠りください。
そして、心からありがとう。                2005/11/10 


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(5) 
共通テーマ:音楽

【#4】 告別式に行ってきました。~お見送り~ [追悼・本田美奈子さん]

 どのくらい待ったでしょうか。コロンビアのスタッフや、警備員の方たちの動きがあわただしくなってきました。道にまであふれている弔問客の整理です。
「車が通りますから、もう少し後ろに下がってください。危ないですから」しかし、下がろうにも、幾重にもできた人の波、なかなか下がることできないのです。

 11時34分、黒塗りの霊柩車が式場に入っていきました。いよいよ最後のお別れです。口にはしませんが、皆そう思いました。同じように、無言で待ち続けています。周りにはほんとうに老若男女。。。年齢層も幅広く、みんなから愛されていたのだと実感しました。

 11時47分、会場の外に、突然、彼女の「アメイジング・グレイス」が流れてきました。
いよいよ出棺なのだということがわかりました。ここからは、斎場の入り口は見えませんが、おそらくお母様のご挨拶、そして、先ほどの車に棺を入れて、いよいよ出棺の時が近づいているのでしょう。

 そして、正午近く、斎場入口の人々の動きもあわただしくなりました。一斉に報道陣のカメラのシャッター音も聞こえたように気がします。

 長い車のホーンが1回聞こえて、すぐに彼女の棺を乗せた車が見えてきました。
「美奈子さぁん・・」という弔問客からの声が聞こえました。
 車は、私たちの前をゆっくりと右に曲がりながら通り過ぎて、大きな通りの方へと向かっていきました。ゆっくりでしたが、それでもあっと言うまでした。
 彼女の遺影を胸に、お母様が乗っていらっしゃるのが一瞬見えました。どんなにおつらかったかと思うと心の中で再度お悔やみを申し上げました。

 車が大きな通りに出る時には、ファンの間から「美奈子さん、ありがとう!」といういく人かの男性たちの声が飛び交いました。30mほども離れているここにもはっきりと聞こえるくらいの大きな声でした。大通りの両側にもきっと多くの人たちが待っていらしたのでしょう。
 そういう声に見送られて、車は右へ曲がり、大通りに出ると、その後はもうすっかり見えなくなりました。

 今までじっと待ち続けていた人々は一斉に動き出しました。すぐに帰る道につく人、葬儀場の入り口近くによって、呆然として何かを待ち続ける人、記帳所に向かい記帳する人。スタッフの方々は、片付けの準備に入ってらしゃいました。報道カメラマンの中には、女性スタッフと撮りおえた映像テープを確認していた人もいました。

 私は、もう一度、記帳所の遺影を見に行きました。記帳所に向かう人の波で、すぐにはたどりつけないほどでしたが、押されながらたどりつくと、あの笑顔の彼女がそこにいました。

 つい先ほどまで、確かにこの場所に彼女がいらしたのです。聞く人の話では、ほんとうに天使のようにおだやかな顔をしてらしたと言います。決して他人の悪口をいわない天使のような人だったと言います。自分の病にもかかわらず、そんなにも人に優しくなれる心はどこからくるのでしょう。

 10分ほどでしょうか、立ち去りがたくその場に残りました。他にも多くの皆さんが、入り口のあたりに残っていました。片づけが始まった会場に向かって、もう一度手を合わせて、来た道を引き返していきました。

 帰り道、喪服姿の若いお嬢さんの二人連れを追い越しました。追い越す時に彼女達の声が少しだけ聞こえました。「初めての歌合せの時に、美奈子さんの声を聞いてほんとうにびっくりしたの。その時のテープは今もMDにはいってるの・・」そんなような話でした。きっと、スタッフの一員だったのでしょう。そのテープはきっと宝物になるに違いありません。

 駅に着くと、そこは、もう何事もなかったかのように、行きかう人々でごったがえしていました。
私が今日、お葬式に行ってきたことなど、誰も知りません。当たり前です。でも、来て良かったと心から思いました。来ていなかったら、きっと後悔したかもしれません。後悔しそうなくらいなら行動しよう。これも再度、私よりずっと若い彼女から教えてもらったような気がします。

 帰りの電車では、ノートパソコンにこのメッセージを打ちこみながら、戻りました。
PC直結のイヤホンからは、彼女のジュピター、新世界、アベマリアが繰り返し聞こえていました。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

【#3】 告別式行ってきました。~記帳~ [追悼・本田美奈子さん]

 既に多くのファンの方や近所の方たちで、葬儀場への細い道はあふれかえっていました。
喪服を着た方だけではなく、近所の普段着の皆さんも数多くいらっしゃいました。
4,5メートル足らずの小道は、人が一人通れるくらいの幅しか空いていませんでした。

幾重にも人の波ができて、美奈子さんの葬儀を見守っていました。
見守ると言っても、葬儀場内を見渡せるわけでもなく、場内でどういうことが行われているのか、どなたか弔辞を読み上げているのかなども全くわかりません。
ただじっと、その場に立ち付くして待っているだけなのです。もちろん、私のその中の一人です。

 斎場を取り囲むようして、細い道が四方に伸びていますが、場内の入り口を見渡せる真正面には、各局のTVカメラの列、新聞報道のカメラが一列に並んでいました。十数社は来ていましたでしょうか。

 そして、斎場に向かって、入り口左横に、ファンからの記帳を受け付ける「記帳所」がありました。私を含めて駅から来た多くの人は、斎場の右横の小道から入ってきましたから、ちょうど報道陣の前を横切り、左奥にある記帳所に向かうことになります。

 右手に見える斎場を見渡す余裕もなく、記帳所に向かいました。
既に相当の数の記帳がなされ、1冊の中ほどのページでした。4,5冊ほど置いてありましたでしょうか。しかし、次から次と記帳の列が絶えません。
 記帳所の前には、白いテントがあり、正面には、美奈子さんの「あの微笑んだ遺影」が飾られていました。遺影の前には、数え切れないほどの多くの花。テント中が花畑になっていたようでした。
花を持ってくる余裕もないままに来ましたので、少し申し訳なく思いました。
心なしか緊張する筆で記帳を済ましました。
 
 花のお詫びと、どうぞ安らかに、いつまでも忘れません。勇気をありがとう。という感謝の言葉を心の奥で語りかけたつもりでした。果たして美奈子さんにうまく伝わったかどうかは、わかりません。勿論、それで、いいのです。皆さん一人ひとりの気持ち、それぞれの思いが絶えない限り、彼女は皆に語りかけ歌と共に生き続けるのです。

 手をあわせながら、思わず落涙するところでしたが、彼女の笑顔の遺影をみながら、「いつでも笑顔」。。という想像を絶するつらい病床の中で書いたという彼女の詩を思い出し、じっとこらえました。

 記帳所の前の道にも、幾重にも多くの人たちがあふれかえっていました。
本当に人一人通るのがやっとです。たまたま自転車が通ることがありましたが、警備の係りの方が
「自転車が通るので、道を空けてください。」と指示をしない通れないくらいでした。

 再び、報道カメラの前を横切って、斎場右手にもどり、彼女の最後のお別れの時を待ちました。
 小春日和の日差しが暑いくらいで、額にうっすらと汗しながらも、皆さん一様にじっと、その時を待っているのです。不思議なことに、こんなに大勢の人々が集まっているというのに、ほとんど声がしないのです。静寂。
 ただみんなじっと立ち尽くしているだけなのです。一人ひとりがきっと心の中で、美奈子さんに対しての感謝や、あまりにも若すぎる死を悼んで、きっと何かを思っているのでしょう。
こんなに不思議な光景を見たことがありません。何百人もいて、本当に誰もいないようない静かさなのです。


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

【#2】 告別式に行ってきました。~小春日和~ [追悼・本田美奈子さん]

 1時間半近くも電車に乗り続けて、ようやく東武東上線朝霞台駅に着きました。
ラッシュが過ぎたとはいえ、二つの路線の乗り換え駅でもあり、行きかう人々が多く、駅前には10階建て以上のビルもあり、ベットタウンとしての中堅都市といった様子でした。初めて降りる駅です。きっと彼女の葬儀がなければ、永遠に降りることはなかった駅でしょう。

 駅前の交番で、朝霞市葬場の場所を確認しました。
「正面の信号を、右に曲がってあとはまっすぐですよ。多くの参列者ですぐにわかりますよ。」
中年の警察官の声も沈んで悲しそうに教えてくれました。ありがとうございますと軽く感謝を述べて歩き出しました。

 確かに、信号を曲がると、まっすぐな通りで、弔問帰りの人たちとも、すれちがいましたので、間違える心配はなさそうでした。

 次の信号を一つ通り越すと、本田美奈子さんの葬儀案内のたて看板が一つありました。もうすぐ近くなのだということがわかりました。
 ゆっくりと3分くらい歩きましたでしょうか。斎場の建物が見えてきました。既にまわりには、高い建物はなく、畑など緑も豊かで、いかにものんびりとしたふうの場所でした。 ああ、こういう町で過ごしてらしたのだな。都会の喧騒とした中での大きな葬儀場より、こちらを選んだ理由がわかったような気がしました。なんだか安らかな気持ちになるようでした。

そして、冒頭にも書いたように、珍しいくらいに雲一つなく、とても青く澄んだ空。抜けるような青空というのはこもことだと思います。吹く風はとても心地よく、空気もとても澄んでいるように思われたのです。

 駅から通ってきたこの道から進むと、斎場にはちょうど建物の裏手から入るように小道が通っていました。その前に小川が流れており、橋を渡って行きます。
 その橋には、四方から空に向かって伸びるような円筒形の支柱がのび、橋の真ん中上方あたりで交差し、輪を作るようなモニュメントが施されていました。ちょうど天使のリングというイメージかとも思いました。

 小川の川岸は、小さな公園になっていました。
 小さなベンチには老夫婦が腰をかけ、芝生のところではベビーカーのお母さんたちがのんびり日向ぼっこをしていました。小春日和には、こんな光景がとてもにつかわしく思いました。

 しかし、そんな光景も、その橋を渡り、斎場の横にたどり着くと同時に一変しました。


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(1) 
共通テーマ:音楽

【#1】告別式に行ってきました。~歌声~ [追悼・本田美奈子さん]

 11月9日 午前10時半・朝霞台駅
 駅を降りると、珍しいくらいに雲一つなく、とても青く澄んだ空が目に入りました。
 池袋駅から急行で約20分、大都会という雰囲気とはほど遠く、吹く風はとても心地よく、空気も、とても澄んでいるように思われました。
  今日、ここで38歳という若さで亡くなられた本田美奈子さんのお葬式があるとは思えないほどの すがしがしいまでの悲しい青空でした。

  亡くなられた6日は、雨でした。別れを惜しむ悲しみの悔しさの涙雨。
  そして、今日の青空、彼女が旅立つには明るい方が良いと思ったのかもしれません。

 正直に言って、デビュー当時からの熱烈な大ファンだったといわけではありません。
 しかし、「ミスサイゴン」のキム、「レ・ミゼ」のエポ、「フィデラー・オン・ザ・ルーフ」の次女ホ-デル、桑田佳祐。岸谷五朗作品の「クラウディア」など、ミュージカル女優としての彼女をこれからをとても楽しみにしていた一人です。
 
 今年は、レ・ミゼで、いよいよファンテーヌを演じるということで、親友の岩崎宏美さんのあとのファンテーヌをどう演じられるのかをとても楽しみしていました。 
 そんな矢先の病魔。神は、なんて残酷なことをするのだろうと思いました。
  しかし、その後、臍帯血移植も成功し、短い期間ですが退院も許可され、きっと来年には元気な姿で舞台に戻っていらっしゃるのだろうと信じて疑いませんでした。

 そんな中で、突然の訃報。正直言って、芸能人の方の訃報で涙したのは、彼女が初めてです。
 悲しいという言葉では言い表せないほどのショックでした。
  どう考えても若すぎる。こんなに才能のある人を、なんで神は、むげに召されるのか。連日のTV報道でも、キャスターもゲストコメンテータも涙する場面が多く、それほどまでに多くの皆さんに愛され、慕われ、そして、回復を期待されていたのだなと、つくづく思いました。こんなにも、悲しみが共有され、その番組が重く暗くなる光景を、今だかつて見たことがありません。
 
 亡くなった翌日から、彼女の「アメイジング・グレイス」がさかんに流されていました。
 とても透明な歌声。なぜアルバムを早く買っておかなかったのだろう。
 すぐに、近くのCDショップを2,3件回りましたが、既に売り切れ。入荷未定。そこで、急いで、ネットで注文したのですが、それでも、生産が追いついていないせいか、1週間後くらいの到着とのことでした。
 すぐにでも彼女の歌声を手に入れたいと思いました。あれこれネットで検索をしていると、「オリコン」のダウンロードで、入手が可能だということがわかりました。早速、数曲、買い求めました。
  「アベマリア」「新世界」「ジュピター」・・・・思った通り、背筋がぞくぞくしてくるような感動を覚えました。今も、これを書きながら、PCからは、彼女の歌声が流れてきています。

 その歌声を聴きながら、こんなことを思いました。
 短い生の時間を精一杯生き続け、とても苦しみながらも最後まで生きる希望を失うことなく戦った美奈子さん。彼女に比べて、なんて自分は無駄に時間を過ごしているのだろうか・・・・。既に一度、自らの責任から、大切なものを失い、それでもなおだらだらと生きている。はずかしいと思いました。
それぞれの人間に、残された時間がどれだけあるかは、わかりませんが、精一杯生きていかなければ、いけないと、はるかに年下の彼女に教えられた気がしました。
 
 そう思うと、いてもたってもいられなく、たまたま今日の午前中は、特に予定もなく時間が全て空いていたので、思い切って「お別れと感謝」を述べに行こうと思いたちました。
葬儀の朝霞台までは、決して近いところではないのですが、、思いきって行こうと思いました。


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(1) 
共通テーマ:音楽
追悼・本田美奈子さん ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。