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八月の路上に捨てる [読書]

伊藤たかみの芥川賞受賞作『八月の路上に捨てる』を読んで少し怖くなった。

自動販売機の飲み物を補充する仕事に就く主人公。
お話は主人公が離婚する前日であり、主人公の先輩である女性が再婚のために異動する前日のトラックが舞台。
じょじょに歯車が狂い出す結婚生活の話を挟みながら、トラックはルートを消化していく。
それぞれの最後の日が過ぎていく。

別に奇をてらった展開もなく、くさーいセリフや教訓めいたものもなかったと思う。
すべて日常の範囲内だった。
だからこそ、ほんのり怖くなってみたり。

読んでみて考えさせられたのが「思いやり」について。
主人公とその嫁はそれぞれ脚本家と編集者という夢があり、挫折している。
焦りやいらだちを抱えた二人は、お互いに当たっている。
自分に余裕がなくなると、相手への思いやりってのはなくなるらしい。

思い当たる節があり過ぎて、自分を見ているようだった。

気付いたら自分のことばっか考えちゃう。
「なんでわかってくれないの?」っていういらだちほど迷惑なものはない。

これまで思いやりってのは、相手のことを積極的に考え、汲み取ることだと思っていたんだけど、実際はその逆なのかもしれない。
相手への積極性というよりは、相手を何でも受け入れるという受容性の方が思いやりの本質ではなかろうか。
いや、結局言っていることは同じなんだけどね。
ただ前者と後者の違いを挙げるとするならば、わたしの姿勢が違うと思う。

わたしと相手の関係は非対称的。
コミュニケーションの成立で重要なのは、何を伝えるかじゃなくて何が伝わるか。
発信者よりも受信者の方が優位にある。

だからこそ逆に、よき受信者となることがよき思いやりなんだ。
やっぱり結局、相手のことを積極的に考え、汲み取ることが思いやり。

ぐるぐる話を巡らせてみたわたしは、思いやりを持つために余裕を持とうと思った。
多少の焦りやいらだちに対する耐性とそれを乗り越える力を持とう。

そうそう、私は面倒臭がり屋さん。
すぐ、「あ、これやりたくないなー」とか「やだなー」とか思っちゃう。
課題みたいに明らかにイヤなものだけでなく、楽しみだった遊びの約束もふとイヤになったりする。
その都度「やりたいと思って自分で選んだんでしょ?」ってよく言われた。
その通り。
でもそれがすごいむかついた。

まだまだ青かったあの頃を思い出した。


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