欠落という名の存在 [日常]
昨日で22歳になった。
朝から雨の降る日だった。
カーテンの隙間から淡い光が漏れていた。
ベッドのなかの身体はさっきからうんともすんとも言わない。
もう少し目を閉じていよう。
激動の人生とは何だろう。
私とは無縁すぎる世界だ。
とりわけ辛い経験をしたこともなければ、とりわけ幸福な経験をしたこともない。
つつましい幸せと言えば聞こえはいいが、つまり平凡なのだ。
だからなのか。
不必要に日常の中で小さなスリリングを生んでしまうのは。
物事を理解するには逆説を利用するしかないのかもしれない。
おとといは人生を分ける一日だった。
ここ3ヶ月のうちに、私はおいしいハンバーガーを作るために、良質のビーフと新鮮な野菜を手に入れた。
ハンバーグは丹精こめて練り上げて、俵状に整える。
野菜は見た目のキレイさにもこだわって、ひと口大に切りそろえる。
そろそろハンバーグが焼けるかな?
部屋中ジューシーな香りが充満してきた。
最後はバンズにはさむだけだ。
いきつけのパン屋さんに頼んで焼いてもらった特製のバンズ。
それはパンの戸棚に収まっているはずだった。
しかし、バンズはなかった。
いや、そもそもいきつけのパン屋すらもなかったのだ。
ハンバーグの焦げる匂いが鼻から頭に抜ける。
ありあわせの材料でバンズのようなものをこしらえて、どうにかカタチにだけはしよう。
たとえていうならば、私のスリルはジグソーパズルの最後の1ピースが見つからない感じ。
どうしても見つからない。
バカじゃないの?と叫びたくなるほどに見つからない。
探しても探しても見つからないpeaceに、焦りばかり募る。
こうして欠落は生まれ、スリルの痕跡がそこに生まれる。
ささやかな日常。
ジグソーパズルは暇人が好む地味な娯楽のひとつに過ぎない。
同じような形のピースをなめるように見つめた挙句に、ひとつひとつ当てはめてみてははまらず、当てはめてみてははまらず、繰り返しの作業を繰り返す。
私の日常を惰性だと言いたいみたい。
完成すれば嬉しいし、完成しなければ悔しいけれど、つまりは結局その程度の日常。
卒論を提出したおとといの夜、久しぶりに酒をあおった。
達成感よりも強い開放感の空気が満ちる。
最高のつまみだった。
あまりにいとおしすぎると逆に、とても悲しくなる。
幸福が存在してしまうから逆に、その欠落を恐れされる。
私はジグソーパズルの空白をにらみつける。
その欠落からささやかな幸福が聞こえてくる。
ささやかであるから逆に、最高の幸福が。
雨には太陽の予感が満ちている。
私にはあなたの予感が満ちている。
この日も夜には雨が上がっていた。







久しぶりに良い文章を読んだよ。
ありがとう。
そして、誕生日おめでとう!
フランスより心を込めて
by yugo (2008-01-15 14:57)