編集としての卒論 [日常]
引用ばかりの論文ってどうなの?
ネタをパクってるだけじゃない?
結局先行研究の焼き直しじゃんか。。
自分で調査もしておらず、単なる編集作業に終始している卒論。
レベルの低さに我ながらゲンナリ。
そんなゲンナリな私に一筋の光を射す言葉。
それは今朝の読売の朝刊だった。
吉見は、ネットの検索サイトが知識の獲得には便利かもしれないけれど、「一つの知識とほかの知識がどういう構造的なつながりがあるのかはわからない。知の全体構造が見えない」と言う(吉見2008)。
反面、過去の人文書や学術書の編集者たちは偉大だった。
彼らは「知識と知識をつないで新しい概念を設定する」。
「膨大な知識が遠近感をもって見えるよう」になるには、周辺知識も含めた奥行きと広がりが必要だ。
たとえば現在の若者を知るには、過去の若者と比べたり、現在のほかの世代と比べたりすることで、より立体感のある若者像が浮かび上がるだろう。
ある知識に対する真逆の見方や派生した知識、それらを得るために書籍や実際の議論のなかからいろんな考え、いろんな知識を得る必要がある。
さて、私の卒論はどうなるか。
先行研究のただの焼き直しを避けられるだろうか。
新たな概念、新たな分析を提出できるか。
たぶん…むり!
参考文献
吉見俊哉 2008「タイトル知らん」読売新聞朝刊(2008/1/9)
2008-01-09 17:43
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