現代という時代区分について思う [雑記]
いま「中世」とか「近代」って呼ばれている時代に実際生きていた人たちは、「オレ、中世に生きてるぜ」だなんて思っていなくて、「オレ、現代に生きてるぜ」って思っていたんじゃないかと思う。
「中世」とか「近代」とかって、あとから時代の流れを分かりやすく理解するために便宜上後からつけた名称なんだと思う。
歴史を振り返ったときに、ある特定の仕方で特徴付けられる一区切りの時代のことなんだと思う。
ここでいう特定の仕方とは、たとえば、宗教的な違いや産業構造の違い、人のつながり方の違い、国家の在り方の違いなどなど、さまざまな局面における時代間の違いを指すと思う。
厳密にみれば、各局面において時代間の違いが現れる時期が異なるだろうから、各局面における時代のはじまりと終わりは異なると思う。
でも、たぶん人間の営みってそれぞれが独立しているわけじゃなくて、「人間」を共通項として結ばれているから、きっと宗教への関心が変化したら、それに伴って産業構造も変わって、さらに人のつながり方が変質し、国家の在り方も変容するんだと思う。
だから各局面の転換点としての時代区分はだいたいある一定の時期に特定することができるんだと思う。
そして、ある時代の終わりというのは、次の時代のはじまりをもって達成されると思う。
とすると、いま私たちが仮に「現代」と呼んでいる時代はいつから始まりいつ終わるかというのは、次の大転換に直面するときまでわからないと思う。
「近代」とは異なる時代として「ポストモダン」だとか「ハイモダニティ」だとか言われるけれど、結局のところ、現代はどう特徴付けることで落ち着くのかしら。
次の現代はどんな時代になるのかしら。







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