疑い深い私
ある占い(姓名判断?)によると、私は疑い深くてネクラな部分が
あるんだそうです。
ヒドイ言い様。
ほっとけ。(*`・з・)
でも「疑い深い」というと言葉がきついけど、
「人を見極める」
のは無意識のうちにしてしまっているかもしれない。
今朝、電車に乗っていて、ふと前に座っている人を見て、
すっかり記憶のすみっこに追いやられてしまった人のことを
思い出した。
会社に入社したばかりの頃(今から○年前)、
私は同期の一人の女の子と仲良くなった。
当時私は喫煙者だったが、彼女も喫煙者だったので、
必然的に喫煙所でよく話すようになった。
部署に配属されてからは、同じフロアだが異なる部署に
配属されてしまった。
それでも、よくメッセンジャーなどでやりとりをしたり
お昼を一緒に食べに行ったり、
相変わらず喫煙所でもつるんでいた。
仕事だけじゃなく、休日もお互いに暇なときには
泊まりに行ったり、買い物に付き合ったりした。
そんな彼女は、学生時代から行きつけのエステがあり、
仕事が終わってから時々身体をほぐすのにエステに行くんだ~
などと言っていた。
私は当時、エステに興味が無いわけではなかったけれども、
なんといっても入社したばかりの社会人はお金が無いため、
「いいねー」
と傍観するばかりだったのだが、ある日、彼女に
「cherieも行こうよー。初回体験だったらタダにしてくれるよ?
他にもオトクな特典も一杯あるし。私も一緒に行くから」
と言われ、のこのことついていった。
あまりよく覚えていないが渋谷からバスに乗って行った
住宅街のど真ん中にそのお店はあった。
同期の女子はエステサロンの従業員、麗華(仮名)という女性と
仲がよく、友達のように接していた。
確か麗華の年齢が私達と近かったような気がするので、
まぁ私も比較的フレンドリーに話すことができた。
さてエステでは私はできればマッサージをしてもらいたかったのだが
なぜか痩身ケアに廻された。
詳細は省くが当時の私には到底払えるはずも無い金額の物を
薦められ、
「うーん、考えとくね♪」
とやんわりとお断りした。
そして、自宅からも会社からも遠いこの店に、再び来ることは
無いだろう…という印象を持ちつつ、なぜか終電で家に帰った。
(どんだけ長居してるんだ)
さて、再び訪れることは無いだろう…と思っていたその
エステサロンだが、なぜか麗華からは頻繁に電話がかかってきた。
「何か用かな?」
と思いながら電話に出ると、麗華は大抵仕事帰りで、疲れた~
とか今何やってたの?などたわいも無い話をした。
さて私は冒頭で述べたとおり、人に対しては疑い深い部分を
持っているようなので、正直麗華の電話は勧誘以外の何物にも
感じられなかったので、早く切りたいとしか思わなかったし、
実際麗華が「またお店においでよ~キャンペーンやってるよ」
などと案の定営業トークに入ると
「うん、またねー」
と言い電話を素早く切った。
がしかし、麗華はそんなことではへこたれなかったようだ。
その後も、週に一度は必ず電話がかかってきたし、
電話に出られない時も5回くらい掛けなおしてきていた。
私は麗華の彼氏か?(´-ω-`)
そういえば、麗華は確か彼氏と別れたりくっついたり
していたようだし、何か寂しいのか
「今度のみにいこーよー」
などと誘われた気がする。
結局、面倒になって電話に出なくなったのは私。
その後、私の同期に麗華からの電話がかなりしつこいんだけど…
という話をしたときに、私の同期は
「えー、私にはあまりかかってこないよ」
と言った。
そもそも、麗華と彼女はどういう関係の友達なの?
と聞いたところ、
「いやー、私も大学で東京に上京してきて、女の友達が
いなくてさー。大学でできた数少ない女友達に連れて行かれた
お店があそこで、麗華ともそこで知り合ったんだよー。
まぁ友達、っていうほどでもないのかなー?
でも電話には出てやんなよー可愛そうじゃん」
と言う。
・・・あーそうですか。
今だから、の話だけど、麗華はもしかしたら「営業」も
あったのかもしれないが、私という「人間」になぜか興味を
持たれた可能性も、無くはないかなぁと思う。
ごめんね、麗華。営業としか考えられなくて、邪険にしちゃって。
でもあのシチュエーションじゃ、営業としか思えなくても
しょうがないと思うんだけど…。
ていうか20代前半の女にローン薦めるなよ。
・・さて、果たして私が疑い深くてネクラなだけなのでしょうか? r(-ω-)?
コモリさんのことを思い出した
今日あたりからお盆なので、街から人が少し減った。
通勤電車でそのことを感じる。
人が少ないと、それだけでいつもの公園の空気が違う気がする。
少しだけ清清しい。
なんとなく、子供の頃に胸いっぱいに吸い込んだ、
緑が生成する澄んだ空気を感じる。
その時、なぜかブルーハーツの「Train-Train」の曲が頭をよぎった。
栄光に向かって走るあの列車に乗ってゆこう
そのとたん、急激に記憶が奔流のように頭に流れ込んできた。
唐突に、思い出した。
コモリさん(仮名)のことを。
コモリさんは、小学校のときの同級生。
確か、低学年のときは違うクラスだったか。それとも、もしかしたら
コモリさんは転校生だったのかもしれない。
記憶が定かではないけど。
度の高い、分厚いメガネをかけて、おかっぱにしていた。
クラスで目立つコではなかったから、優等生ではなかったと思う。
もしかしたら、むしろその逆だったかも。
割と控えめで、騒ぐことも無く、同じような控えめなクラスのコと
ひっそりと話をしていたような気がする。
私は基本的にぼんやりとした子供だった。
大人の前でいい子のフリをする頭のキレ、あざとい要領のよさは無かった。
しかしかといって常に夢の国に思いをはせるような不思議ちゃん
というわけでもなかったが。
あえて言えば無邪気だったのかもしれない。
家の近い友達7~8人と基本的に仲がよく、登下校を共にしていたし、
それ以外の大抵のクラスメイトとも話ができた。
幸いなことに生まれてからこの歳まで無視やイジメをされた記憶が無い。
した記憶も無い。
コモリさんと話すようになったのは何がきっかけだったのだろう。
席替えで近くなったのか、それとももっと大きな要因があったのかもしれない。
気が付いたらコモリさんは私に親しみを感じてくれていたようだった。
私もコモリさんのことは別に嫌いじゃなかったから、いろんな話をしたような気がする。
確か、それは小学校四年生の頃のこと。
コモリさんは、男子に嫌われていた。
何が原因かわからない。
気が付いたら目の敵にされていたような気がする。
多分、くだらないこと。メガネだったり、髪型だったり。
私が話すようになった頃は、既に、男子からいじめられていた。
汚いアダナを付けられて、野蛮な男子の容赦ない陰惨なイジメを受けていた。
私は何もできなかった。
男子はその頃から怖い存在になり始めていた。
先生に言うこともできたけど。
先生は知っていたのだろうか。
コモリさん自身、誰かにそのことを言ったのだろうか。
一度、あまりにもひどいときがあって、
「もうやめなよ。なんでやるの?」
とだけ言った。ドキドキしながら。
男子は、その時はやめたけど。
「だってコモリくせーんだもん。コモリっていうだけでうぜーんだよ」
とかそんなことを捨て台詞にして。
コモリさんはよく泣いていた。
ある日、コモリさんが、
「cherieちゃんは、どういう曲を聴く?どんな歌が好き?」
と、聞いてきたことがあった。
私は何て答えたかな。
あまり歌謡曲に興味は無かったし、よく知らなかった。
コモリさんは
「私はね、ブルーハーツのトレイン・トレインっていう曲が好きなんだよ」
と言った。
どんな曲か知らない、と告げると、歌ってくれた。
恥ずかしそうに、私の耳元で。周りに聞こえないように。
いい曲だと思った。
それから、その曲はTV等で耳にするようになった。
それから、クラスが変わったからか、席替えをしたからか、中学生になったからか、
何か忘れてしまったけど、コモリさんの記憶が無い。
もしかしたら転校してしまったのかもしれない。
コモリさんはその後どうなったのだろう。
記憶に無いということは、もしかしたら私は無責任なのかもしれない。
コモリさん、ごめん。
彼女が恥ずかしそうに、でも、長いフレーズを歌ってくれたブルーハーツの歌のように、
今は、彼女が幸せで、素敵な人生の列車に乗っていることを、ただ願いたい。
就職活動記(終)
その日、私は就職活動を始めてからあまり出勤できなくなっていたバイトに久々に出勤した。
バイト先では暇な時間であればバイト仲間と話すことも比較的自由だったので、同じように大学4年生で就職活動をしている友人と近況報告をした。
友人も私と同時期に1社から採用通知を受けているので「もう就職活動をやめようと思う」とのことだった。そこで私は前々から疑問に思っていた「複数の会社から内定を取得した場合、どうするか?」ということを話してみた。友人曰く、
■内定というものは個人と企業の一種の契約であるから、それを断るということは恋人を振る気軽さとは大違いで「契約不履行」として訴えられてもおかしくない。(ウロ覚え)
■ある企業では、学生が採用担当者に内定辞退を申し出たところ、採用担当者が激怒し、そのときたまたま食べていた牛丼を投げつけられ、頭から牛丼をかぶった…というエピソードもあるらしい。
■採用通知段階では「内定」ではないので、まだ断る余地はあるが、「内定」の書類に印鑑を押したら契約成立となる。
というようなことであった。
実際には、私の周りでも「内定を蹴った」という話は時々耳にしていたし、企業側にしても学生が内定を断るというケースは多々あるだろうし、むしろ担当者が激怒することの方がレアケースであろう。が、友人の話を聞いて、内定を断るということはあまり気持ちが良いものではない、ということがわかった。
学生時代は「約束を守らなくても許される」という気軽さがどこかにあったが、社会人になれば「適当な態度」はもう許されないだろう、という「けじめ」のようなものが私の心のどこかで芽生えていたのかもしれない。
一般的に、採用通知から内定まで2~3週間ほど余裕のある企業が多く、おそらくその間に心を決めよという猶予期間なのだろう。M社も同様に数週間の余裕があったが、私は結局ゆるやかに他社の就職活動をやめ、内定日のその日、再びK町を訪れ内定通知書へ印鑑を押した。あっけないほど、私とM社の「契約」は結ばれた。
K町からの帰り道、バイト先の友達にメールをした。
件名:ごめん、もう一回聞いていい?
本文:内定にハンコ押したらもう断らない方がいいんだよね?
バイト先の友達から、すぐ返事が来た。
件名:Re:ごめん、もう一回聞いていい?
本文:多分、断らない方がいいと思うよ。内定決まったの?おめでとう!
なぜ再確認をしたのか自分でもよくわからない。「これで決まってしまう」ということをまだ自分でも認めたくなかったのかもしれない。が、友人とメールを交わした後は結局、「まぁ、いっか」という気持ちになっていった。就職活動という長い苦しみから解放され、晴れ晴れとした感情と、M社でやっていけるのかという少しだけの不安と、でも「なんとかなるだろう」という楽観と。そうして、グチャグチャに入り混じった感情を持ちながらも、最終的には何かスッキリして、私はその夜、バイト先へ向かった。
結局、最後にM社に決めた時に、自分の中で何かの妥協をしてしまったのだろうか?という気持ちはある。それは正直なところだ。だが、M社に入社してから、怪しくもネタの宝庫である人々に出会い、翻弄され、笑い、怒り、時に泣きたくなり、確実に成長し、学生時代とは違う自分に出会い、そしてまた素敵な「縁」の数々を持つことができたのだ。M社に入社したからこそ、今の自分がいる。それは紛れもない事実である。そして、M社に入社したことを全く後悔していないということも、現在の正直な気持ちだ。大企業でなくとも、無名な会社でも、私がそこで過ごした時間は、代え難いものになったから。
新入社員としてM社に入社した後の話は、また機会があれば別のシリーズとして書いてみたいと思う。
私が忘れてしまわないうちに。
就職活動記11
なんとかM社の役員面接にこぎつけた私だが、特に感動は無かった。それどころか、他社の就職活動が立て込んでいたので「あれ、そうなんだ」程度にしか思っていなかったような気がする。正直、M社と似たような会社は他にもたくさんあり、給与も特に他の会社とあまり差は無く、印象に残る会社ではなかった。
それにしても、面接は本当に難しいものである。何度受けても、「どうすれば絶対に大丈夫」という答えが見えない。シミュレーションしすぎても良くないし、全くシミュレーションしないのももちろんNGだ。企業に対して思い入れがありすぎると不採用の際に受けるダメージが大きくなるし、かといって興味もない会社ではその雰囲気が伝わるもので、会社側もハナから相手にしない。
そこそこの志望動機を用意し、企業について一通りの下調べをして面接に臨むしかないだろう。が、一言一句を記憶し、用意した答えをいかにも「思い出しながら言っています」という棒読みはNGだ。
ちなみに、友人Cは、POK○AだかU○Cだかの面接で「何か質問を」と聞かれ、テンパって
「クリスタル・キングさんが出演されているCMはどうして考えられたのでしょう」
というとんちんかんな質問をしたが、どうやら会社側にはウケたらしく、見事役員面接まで進んだ。
いったい、面接で何がどう判断されているのだろうか。結局のところ、会社と個人の相性なのか?面接官5人中、1人でも「ダメ」と決めたら、もうダメなのか、それとも多数決なのか。それすらもよくわからない。そんなあやふやで曖昧な「正確な答えが無い」試験を受け、「ご縁がありませんでした」という不明瞭な理由でバッサリ切られる。就職活動は本当に大変である。
さて、問題はM社の役員面接だ。
「こちらでお待ちください」
と、通された待合室には、既に男子学生が一人待っていた。ほどなくして会議室から一人の学生が退出し、私の前で待っていた学生が会議室へ入った。驚いたのは、その学生が面接を受けて数分後に、会議室から爆笑が聞こえてたことだ。私は面接で企業の人間を笑わせたことは無い。正直、この学生の後で面接を受けることに少々ハンデを感じた。15分の予定の面接が、20分ほどかかったと記憶している。出てきた男子学生はチラリとこちらを見た後、足早に去り、私の番が回ってきた。
「失礼します」
と、入った会議室には、想像以上に大人数の面接官がいた。その数に圧倒されつつも、面接は進んだ。まずは志望動機などのよくある質問をされ、緊張しつつ答えた。
面接官の中に、柔道をやっていそうないかつい社員がいた。仮に「柔道」と呼ぼう。その男性がメインの面接官となり、矢継ぎ早に質問を重ねた。
「柔道」は、私が学生時代にトルコで旅行した話に興味を持った。「なぜトルコだったのか?」「面白いエピソードは無いか?」などと聞かれた。今から思うと、私のトルコ旅行に興味を持ったのはM社だけだったかもしれない。
また、「柔道」が
「我が社は男子も女子も変わらぬ待遇であるから、給与は勿論同等であるが、女であろうとも残業で終電になるようなこともあるが、大丈夫か」
というような質問をした。ここで「無理です」という学生がいるのかどうか知りたいくらいだが、私は
「勿論大丈夫です。バイタリティーだけはありますから」
とハッタリをかましたことは自分でもよく覚えている。
M社の役員面接は終始和やかだった。私自身も、「気持ちの悪いもやもや」の残る面接でなかったことだけは確かだ。にもかかわらず、私は相変わらず他社の就職活動で忙しく、M社のことはほぼ記憶から去っていた。
そうして、他社の面接を受けようとしていたその朝、M社からの電話を受け、採用担当の男性から「採用が決まりました」という言葉を聞いた時も、「はぁ」などと間抜けな返事を繰り返した。無事内定が決まって嬉しい、というよりも、他社の面接に急がねば、という気持ちでいっぱいだった。
就職活動記10
ついにこの就活記も10話目に到達したが、ここまで話を伸ばしておきながらもなかなか肝心の結果に繋がらない。何度か記述しているが、予定では就職活動に関しては2~3話程度で終わる筈だったが、当時の就職活動そのものと同様、なかなかスムーズに行かず、ズルズルと長引いてしまっている。
さて、前々回の合同説明会で、いくつかの企業にエントリーし私は再び手持ちの会社を増やした。その中でもM社が最も採用試験の日程が近かったので、その日、私はM社のあるK町へと赴いた。
K町は、いわゆる「オフィス街」で、通行人もほぼ「サラリーマン」や「OL」である。いつも私が大学へ向かう電車の途中にある駅だが、降りたことはほとんど無かった。そんな初めての街で、何か新鮮なものを感じながらM社の会議室にて試験を受けた。
試験について詳しいことは全く覚えていないが、例によってSE特有の論理的思考を問う問題が出た。量が多いのが大変だったが、スムーズに解答することができたと思う。この頃になると、自分で言うのも何だがさすがにSPI試験でも合格率100発100中に近い程、慣れた。私に足りないものは場数だったのかもしれない。
M社では、試験の後にグループディスカッションが用意されていた。グループディスカッションも就職活動中によく出会う形式の試験で、学生同士が一つのお題に関して議論する。M社の会議室に集まった十数人の学生が5、6人ごとに2~3のグループに分かれた。
出されたお題は、時事問題や政治経済等の難解な問題ではなく、確か「猿が島」というような題だったような気がする。かなりうろ覚えだが、2つの対立する猿のグループ存在する島で争いを避けて和平解決するにはどうするか、というような内容だった。理解に苦しむ問題ではなかったので、リラックスして面白く取り組むことができた。周りでは試験官がぐるぐると様子をうかがっていた。
学生達が下した結論をその場で発表したかどうかということは覚えていないが、この試験はこれで終わり、というわけではなかった。終了後、一人一人が面接官に呼ばれ、そのグループにおいて誰がどのような役割を果たしていたか?ということを聞かれた。私のグループだけそうだったのか分からないが、私のグループは非常に役割分担が明確だったし、人間観察は私の十八番である。○○君がリーダー的役割、××君がアイデアマン、△△君は途中までリーダーになろうとしていたが、結局○○君にリーダーの役割を取られた、などと私が思った通りの答えを述べた。
後日、M社から役員面接の通達が届いた。
就職活動記9
この就職活動記に「友達」は多々出てくるものの、「彼氏」という言葉は一言も出てきていない。当時、私にも一応そのような人がいない訳ではなかった。だが、彼は学年が違う人だったので、就職活動に関して「わかってもらえない」部分があったし、正直、この時期、私は必死だったので彼には申し訳ないがそれどころではなかった。
・・・それだけでなく、まぁ他にも色々と問題があって彼はこの就職活動記には出てこないというわけだ。多分今後もほとんど話題には出ないだろうと思う。
さて、合同説明会に参加した頃、「内定を獲得した」という友人が徐々に増えており、私はますます焦っていた。私の大学で特に仲の良い友人、C、M、Tも続々と採用が決まっていた。
Cは、元来美味しいものを食べることが大好きという食通で、就職活動も食品関係をターゲットにしていたが、早々と誰もが知る大手菓子メーカーに決まった。かなりの倍率で勝ち取った内定だ。彼女は、普通に生活している普通の女子大生のように見えるのに、昔からなぜか「プラスになるパワー」を持っていた。
Mは、手堅く金融関係を狙っていた。彼女は学生時代はバンドのボーカルを務め、「華のある芸能人顔」の美人であるにも関わらず、なぜか資格取得マニアという勉強好きの努力家だ。結局、その「美人でありながらも勉強家」である部分を買われたのか、信託銀行に採用が決まった。
Tは、映画研究会に属しており、大のフランス映画好きだ。だが、映画関係は就職先とするには難しいらしく、広告関係を中心として商社等をあたっていた。彼女が電○に提出した論文を読ませてもらったが、非常に独特の切り口で面白かった。最終的には、コネ枠で某メーカー子会社の営業に決まった。
3人は、内定が決まってからもまだ就職活動を続けていた。これは友達だからいえることだが、早く内定を獲得して就職活動をやめたいと思っている私とは大違いで、3人は私よりも逞しく、貪欲だ。
そんな彼女たちと、気分転換に「葛西臨海公園でピクニックしよう」と言い出したのは誰だったか…。こういう提案をするのは大抵Cなので、おそらくこのときもCだろう。
葛西臨海公園は、その字の通り「海を臨む」広大な芝生の公園である。5月という季節柄か、非常に人出も多かった。丁度良いお天気、丁度良い風。絶好のピクニック日和だった。
シートを敷き、持ち寄ったお弁当を広げる。4人で食べる。しゃべる。笑う。寝転がる。光を浴びる。風を感じる。それは久々の休息、久々の気分転換だった。
就職戦線真っ只中の4人だから、話題は自然と就職の話になる。
私「あー、もう就職したらこんなことなかなかできないんだろうねー」
T「え、やろうよー。みんなで集まれるときに集まろ!」
M「Cが一番来ない確率高そう(笑)」
C「そんなことないよーみんなこそ強制参加だからね」
T「やだねー、就職」
M「最近はアレでしょ、就職率が悪いから、学生が自分で起業する人増えてるんでしょ」
私「ふーん」
C「あたしもねー、20代でバリバリ働いてお金ためて、30代くらいで自分のお洋服のお店やりたいんだよね。イタリアなんかに買い付けに行って」
M「うそ、早くやろうよ。いつやるの?就職辞めて卒業したらすぐにやろうよ。私経理やるからさ」
私「じゃー私は接客」
T「じゃ、私買いつけ」
C「・・・あたしのやることないじゃん(笑)」
T「お店の名前はどうするの?」
C「んー、別に決めてないけど、なんか可愛い名前がいいなー」
M「まさか”ファッションショップC”とかじゃないよね」
私「駅前商店街の一角にあるような名前(笑)」
T「4人の頭文字を取って”CMST”とか」
C「やだー、そんなダサい名前!」
M「お客が一ヶ月に一人しか入らないんでしょ(笑)」
皆「(爆笑)」
・
・
・
ずっと、こうしてバカ話をしていたいと思った。学生のままで、気持ちの良い場所で、好きな仲間と一緒に。けれども、やっぱり家に戻れば現実は現実のままで。つかの間の休息の後には、私はまた走りださなければならなかった。
就職活動記8
B社での浮き沈みを乗り越えたのは、1999年4月も後半に入り、もうすぐゴールデンウィークに突入、という頃だった。
それにしても思い返してみるに、私は壁が出現する度に友達に助けられている。ごくまれに「すごいね」「頑張ったね」と言われることがあるが、すごいのは私ではなく、常に私の周りの人間の方だ。何らかの困ったとき、立ち止まったときに、家族のみならず友達からもヒントやパワーを受けることができる私は、非常に恵まれていて幸せな人間だ。いつか友達が困るようなことがあれば、私も全力で何かを返したい。必ず。
この頃、私は手持ちの就職活動先が無くなってしまっていた。そもそも、5月も近くなると大手企業は内定者が決まる時期であり、募集を締め切ることが多い。元々大企業を狙っていたわけではないが、それでも一抹の焦りを感じずにはいられなかった。
早く内定が決まることが幸せな社会人生活を送れる保証になるわけではないし、そもそも「企業に就職すること」イコール「その人にとっての幸せ」かどうかはわからない。周りの人間と違う道を歩むことだって自分が納得できていれば満足できるはず。今ならそう言えるのに、当時の私はとても焦っていたし、疲れていた。それでも、走り続けなければならなかった。何かに追われるように。
それまで、私は主にオンラインのリクナビ等を頼って企業検索を行っていたが、その時期になるとリクナビ掲載企業は新卒募集を終了しているところがほとんどの上、あまりピンとくる会社が無くなってしまったので、私は今まで利用したことの無い「合同説明会」に行ってみることにした。場所は、新宿NSビル。
合同説明会とは、広い会場で複数の企業が各ブースを設け、そこで小規模の説明会を行う。学生はどのブースに入るのも自由で、気に入った企業の次回説明会やエントリー先などをチェックする。今まで私が接したことの無い異業種企業をそこで初めて目にすることもあり、新鮮だった。
中でも強烈に記憶に残っているのは、エステの会社である。誰もが知る有名エステサロンのブースに、女性達が群がっていた。エステは元来接客も得意分野であろうから、エステの社員によるプレゼン方法も派手で人を惹きつけるものがあった。そのきらびやかな世界に自分と異質なものを感じたことはよく覚えている。
ところで、私は依然としてシステム関連の会社を志望していたが、ここで少し私が就職活動を行って初めて知った「システム関連企業の仕事」について説明してみよう。ひとくくりにシステムといえども、特色に多少の差はある。大雑把に分けると、以下のように分類分けされた。(1999年当時)
1 自社開発品をパッケージソフトとして売り出す(例えば「筆○め」など)
2 顧客会社の要望に沿ってカスタマイズしたシステムを納品する
(時に顧客の会社に常駐派遣され、現場で開発することもある)
3 親会社からシステム開発部門が独立した会社となり、
親会社のためのシステムのみ構築する
1の会社はあまり無く、2や3の企業がほとんどだったように思われる。1~3のどれにしても、結局は 基礎設計→プログラミング→デバッグ→納品→保守 という工程はさして変わらない。私はどの会社に行こうともやることは同じだろう、という予想をつけ、1~3にこだわり無く就職活動を行った。(ただし、ゲーム会社だけは何か違うものを感じたので除外した)
さて、合同説明会でもシステム関連企業はいくつかブースを設けていたが、それにも「入りやすい」「入りにくい」という雰囲気はあるもので、その感覚はひょっとしたらその会社と私個人との相性と通じるものがあったのかもしれない。その中で入りやすいと感じた企業の一つが、M社だった。
就職活動記7
サトマル(仮名)とはバイト先で知り合った仲間だ。同い年で、家が近く、共通点が多かったのでよくつるんで色々なことをしていた。主に悪い事を。彼女は当時専門生で、同い年ではあるものの、特に就職活動はしていなかったようだ。彼女は「学校」や「会社」よりももっと広いものを見ていたと思う。それは、ひょっとしたら彼女の当時の肩書きが「社長令嬢」だったからかもしれない。
私が就職活動で凹んだときにサトマルに電話をしたのは単なる偶然だったのか、それとも必然だったのかよくわからない。とにかく彼女は私の不調をすばやくキャッチし、救いの手を伸べてくれた。深夜12時を過ぎている時間にもかかわらず。
彼女が住んでいる家は高層マンションの一室だった。そのマンションは、最上階にいわば夜景をみるための広い共有フロアが設置されていた。彼女が「屋上」と呼んでいたその部屋は、景色が見えるよう四方全ての壁がガラス張りになっているのである。
屋上部屋は、そのときも無人だった。どうしてこんな眺めの良いスペースがガラガラなのか、過去に訪れたときも疑問に思った。午前1時前という時間だったからかもしれないが。サトマルは自宅から小さなオーディオと毛布、そしてお酒を少々用意してくれた。
キラキラした夜景を自分達以外の人間がいない場所で見下ろすことはたとえようもない気持ちになる。自分は無力で何もできない小娘なのだけれども、そのときだけはきらめく夜景の所有者になった気分がする。そうして、ただじっと瞬く光を見ていると、やがては何かとても寂しい気分になってゆくのだった。いつも歩いている道もいつも買い物をする店も寝起きする家も、日常そのものも、とても遠くなってしまい、近くにあるものは友達とオーディオと毛布とお酒だけだった。それはとても贅沢だが、とても孤独だった。
サトマルには詳細を省いて就職活動がうまく行っていない、という現状を話した。サトマルは、特に励ましの言葉や、「こうしたら」という提案や、同情の言葉などは発しなかった。ただ、その場を共有し、お互いに淡々と話すだけだ。
それは、静かな夜だった。今から思えば、夢のようで現実味の無い夜だった。
けれども、静かな夜の所有者から日常に戻ったとき、私は、再び希望でパンパンに膨らんでいる自分を意識した。また、やれる。私は、自信を取り戻せた。
就職活動記6
Rとは、B社の一次面接の後、たまたまB社のビルのエレベータから下りる際に一緒に乗ることになったのが出会いのきっかけだった。
Rは、控えめだが芯の強そうな女性で、B社の面接の際に
「自分は文系だが、父親がSEなので仕事として興味を持った」
と言っていたのが印象的だった。
確か、私から話しかけたと思われる。なぜ話しかけたのかはもう覚えていないが、人との出会いというものは理屈ではなく直感だろう。常に孤独な就職活動において、私は何か寂しさを覚えていたのかもしれない。丁度、お昼時だったので、Rとファーストフード店でお昼ご飯を食べた。
Rは女子大生で、内定はまだ貰っていない、とのことだった。何より、RもB社のことは気に入った、と言っていた。お互いに話しながら、私はRに対して何かしらの連帯感を感じた。就職活動時は、学生はライバル同士でこそあれ、親しみを感じることは滅多に無い。連絡先(メールアドレス)を交換し、「頑張ろうね」などと言いながら別れた。
数日後、B社から一次面接通過の通知が来た。B社は二次面接は行われず、次は役員面接となる。早速Rにメールで連絡をしたところ、Rも通過の連絡が来たとのことだった。私は、比較的、人やモノとの「運命的出会い」を信じる人間なので、B社との出会いも運命に近いものを感じていたに違いない。思いがけず良い会社に出会え、就職活動終了の予感に私はすっかり浮き足立った。
ダラダラと書いても仕方が無いので、結論から言おう。役員面接の結果、私はB社は不採用になり、Rは見事、B社に採用された。まだ就職活動を終えるには少し早い時期だったが、RはB社に決めたので、就職活動を終了し、卒論作成を頑張る、とのことだった。「aroma(仮)ちゃんも就職活動頑張ってね」という、奇妙に明るい言葉をかけられた。急速に、「置いて行かれた」という気持ちが沸き上がるのを止められなかった。
役員面接で、私の何が良くなかったのか、全く心当たりはない。B社に縁がなかっただけであろう。今まで数社、数十社で不採用を経験していたものの、今回は思い入れが強かっただけに、余計ショックが大きかった。また、すっかり就職活動を終えることができると思い込み、喜んでいた私の迂闊さにもほとほと嫌気がさした。何か、心に大きな穴が開いてしまった感じ。スースーする感じ。これが虚無感というものなのか。あがいてももがいても、報われない日々。
その夜遅く、私は一人の友人に電話をした。特に愚痴を言うつもりはなく、ただ話がしたかっただけである。
「どしたー?aroma(仮)、なんか落ち込んでない?」
何も言っていないのに、彼女はなぜか分かってくれた。
「今からうちにおいでよ。屋上で夜景見ながら飲もうよ」
二つ返事で、私は彼女の元へ向かった。
就職活動記5
1999年4月、季節は春に突入し、就職活動に黒いコートが必要でなくなっていた。街には爽やかな風が吹き、道行く人々の顔も晴れやかで心も軽い様子だった。一方、私は堅苦しいグレイのスーツを着てオフィス街を歩き回っていた。未だに、内定を獲得できなかったのだ。
少し時期的な記憶が曖昧だが、友達C、M、Tも同様にまだ就職活動を続けていたと思うが、役員面接まで進んだ、という友達の話をチラホラ聞いては私は妙に焦っていた。まだ、私は役員面接まで経験していなかった。
それどころか、まったくもって就職活動はうまくいかなかった。IT関連の企業は、試験も少し特殊な(論理的思考を問う)問題が出ることが多く、ただでさえSPIの苦手な私はますますSPIで苦戦していた。
そんな中、とある会社・・・私の居住区からほど近いBという街の会社(仮にB社)には、奇跡的に試験を通過し、一次面接も通過した。B社は、自社製ソフトウェアパッケージの販売ではなく、企業ごとにカスタマイズしたシステムを納品する会社である。
一次面接は、4人程度の集団面接だった。詳しくどのような内容の質問を受けたかは覚えていないが、圧迫面接等ではなく、穏やかな雰囲気のうちに面接は進んだ。
そのうち、学生の一人が、
「社員の皆様が働いていらっしゃる場所を拝見したいのですが」
という要望を出した。こういうことは就職活動中に時々ある。社内風景を見ておくことは実際、とても参考になり、自分が具体的にこの会社で働いている姿を想像するのに多いに役に立った。
B社の面接官も気軽に応じ、面接の最後に全員で社内風景を見学することになった。
実際に社員が作業をしているスペースに移動し、作業中のPCを見た。学生達には何をしているのかさっぱりわからない画面上で、「デバッグをしているんだよ・・・」などと面接官が説明をしてくれた。
B社の面接官が穏やかかつ非常に優しい方で、とても親しみやすかったことはよく覚えている。面接官だけで企業そのもののイメージが変わってしまうというのもおかしな話で、むしろその企業について調査不足であるということかもしれないが、就職活動をしている学生にとっては、企業とは「顔の見えない巨大な壁」への挑戦である。フェイスレスの「会社」と初めて顔を合わせる人間が、面接官になるわけだ。苦虫潰したような顔の面接官と、親しみの持てる面接官では、企業に対するイメージが変わるのもいたしかたないことであろう。
話がそれたが、とにかく私はその面接官、ひいてはB社にもとても親近感を覚え、
「この会社で働くのは居心地が良さそうだ」と思った。
その一方的な親近感は、おそらくB社の一時面接を同時に受けていた女子大生と仲良くなったことも関係していたかもしれない。





