女子HPのサラ・バーク死去 [スポーツ]
フリースタイルスキー女子ハーフパイプの第一人者であるサラ・バーク選手(29)が1月19日、ユタ大学病院で死亡した。彼女は10日、パークシティ・マウンテン・リゾートでのトレーニング中に転倒し、脊椎の動脈を切断する重傷を負い、心肺停止となった。手術は成功したものの、心肺停止による脳内の酸素欠乏が原因で低酸素性虚血性脳症を引き起こし、死亡した。 バーク選手はオンタリオ州バリーに生まれ、ミッドランドで育った。ウィンターXゲームで4度優勝し、2014年ソチ・オリンピックでの金メダルが確実視されていた。
ブルージェイズ、ダルビッシュ獲得できず [スポーツ]
日本ハムファイターズのダルビッシュ有投手の交渉権は、テキサス・レンジャーズ(ア・リーグ西地区)が獲得したと、米大リーグ機構が12月20日に発表した。アメリカのメディアは、落札額を5170万ドル(約40億円)と報じた。これは2006年、西武からボストン・レッドソックスに移籍した松坂大輔投手の約5111万ドルを上回る史上最高入札額となる。
ニューヨーク・ポスト紙など複数のメディアは、ダルビッシュの落札はトロント・ブルージェイズが濃厚と報じていた。それは、ブルージェイズの親会社であるロジャース・コミュニケーションズ社が「いくら払ってでも獲得しろ」と指示したと報じられたからである。
同社はカナダの大手通信会社で、ケーブルテレビ・携帯電話ではカナダ最大である。ブルージェイズの人気が上がれば広告収入が増えるため、補強には多額の資金を投じることができる環境にある。ダルビッシュ獲得にはまた、日本市場を開拓する思惑もあったとみられている。
さらにブルージェイズは、ここ2年間でロイ・ハラデー(現フィリーズ)、バーノン・ウェルズ(現エンゼルス)、アレックス・リオス(現ホワイトソックス)の高給取りを相次いで放出し、3人合わせて180億円の年俸が浮いた。その後は大型補強をしていないため、補強資金は潤沢にあったのだ。
だが2009年に就任したアレックス・アンソポウロスGMは、金のかかるFA選手の獲得よりも、スカウトを増員しファームの強化に努めてきた。彼は未知数の選手の落札より、むしろトレードで補強したいと何度も語っていた。ダルビッシュは、5年連続防御率1点台という抜群の成績をあげているが、日本の週一回登板から中4日のメジャーのシステムに適応できるかどうかは、不確定である。
レンジャースはエースのC・J・ウィルソンをエンゼルスに奪われ、ダルビッシュ獲得に執念を燃やした。いっぽうブルージェイズは、他球団のFAにもいい投手がいるため、無理する必要はなかった。ブルージェイズがダルビッシュを獲得できなかった理由は、執念の差であろう。
ブルージェイズは今後は、オークランド・アスレチックスのジオ・ゴンザレス投手獲得に動くことになるだろう。
ニューヨーク・ポスト紙など複数のメディアは、ダルビッシュの落札はトロント・ブルージェイズが濃厚と報じていた。それは、ブルージェイズの親会社であるロジャース・コミュニケーションズ社が「いくら払ってでも獲得しろ」と指示したと報じられたからである。
同社はカナダの大手通信会社で、ケーブルテレビ・携帯電話ではカナダ最大である。ブルージェイズの人気が上がれば広告収入が増えるため、補強には多額の資金を投じることができる環境にある。ダルビッシュ獲得にはまた、日本市場を開拓する思惑もあったとみられている。
さらにブルージェイズは、ここ2年間でロイ・ハラデー(現フィリーズ)、バーノン・ウェルズ(現エンゼルス)、アレックス・リオス(現ホワイトソックス)の高給取りを相次いで放出し、3人合わせて180億円の年俸が浮いた。その後は大型補強をしていないため、補強資金は潤沢にあったのだ。
だが2009年に就任したアレックス・アンソポウロスGMは、金のかかるFA選手の獲得よりも、スカウトを増員しファームの強化に努めてきた。彼は未知数の選手の落札より、むしろトレードで補強したいと何度も語っていた。ダルビッシュは、5年連続防御率1点台という抜群の成績をあげているが、日本の週一回登板から中4日のメジャーのシステムに適応できるかどうかは、不確定である。
レンジャースはエースのC・J・ウィルソンをエンゼルスに奪われ、ダルビッシュ獲得に執念を燃やした。いっぽうブルージェイズは、他球団のFAにもいい投手がいるため、無理する必要はなかった。ブルージェイズがダルビッシュを獲得できなかった理由は、執念の差であろう。
ブルージェイズは今後は、オークランド・アスレチックスのジオ・ゴンザレス投手獲得に動くことになるだろう。
総合格闘技をトロント市内の学校に導入するよう要望 [スポーツ]
トロント市長ロブ・フォードの弟ダグ・フォード市会議員が、トロント市教育委員会に、UFCが主催する『暴力的な』総合格闘技プログラムを市内の学校に導入するよう要望したと、トロント・スター紙が報じた。
UFCのパンフレットによると、総合格闘技は「規律・敬意・チームワーク・誠意・自己管理・健康維持を促進する」と書かれている。だがトロント・スターはUFCについて、「流血の、反則なしの残酷な格闘技」と説明した。
カナダ人ジョルジュ・サン=ピエールがUFC ウェルター級チャンピオンになっており、カナダでもUFCの人気は高まっている。総合格闘技(Mixed Martial Arts:MMA)はこれまでオンタリオ州で禁止されていたが、今年になって解除された。
カナダでは今、いじめを苦にした生徒の自殺が相次いでおり、問題視されている。フォード議員からの電子メールは、オンタリオ州のマギンティ首相が反いじめ法案提出について説明した翌日の、12月1日に送信された。
トロント市教育委員会のパメラ・ゴー委員は、不快感をあらわにした。
「全く狂気じみた提案です。学校は平和であるべきです。私たちは暴力や喧嘩を推進するつもりはありません。」
クリス・グラバー委員は、フォード議員の事務所に断固反対すると回答したと強調した。
「いかなる状況においても、校内での暴力推進に自分が加担することはないと回答した。我々には暴力に反対するという共通認識がある。生徒たちにも、問題を解決する手段として暴力に訴えないよう教えてきた。」
UFCのパンフレットによると、総合格闘技は「規律・敬意・チームワーク・誠意・自己管理・健康維持を促進する」と書かれている。だがトロント・スターはUFCについて、「流血の、反則なしの残酷な格闘技」と説明した。
カナダ人ジョルジュ・サン=ピエールがUFC ウェルター級チャンピオンになっており、カナダでもUFCの人気は高まっている。総合格闘技(Mixed Martial Arts:MMA)はこれまでオンタリオ州で禁止されていたが、今年になって解除された。
カナダでは今、いじめを苦にした生徒の自殺が相次いでおり、問題視されている。フォード議員からの電子メールは、オンタリオ州のマギンティ首相が反いじめ法案提出について説明した翌日の、12月1日に送信された。
トロント市教育委員会のパメラ・ゴー委員は、不快感をあらわにした。
「全く狂気じみた提案です。学校は平和であるべきです。私たちは暴力や喧嘩を推進するつもりはありません。」
クリス・グラバー委員は、フォード議員の事務所に断固反対すると回答したと強調した。
「いかなる状況においても、校内での暴力推進に自分が加担することはないと回答した。我々には暴力に反対するという共通認識がある。生徒たちにも、問題を解決する手段として暴力に訴えないよう教えてきた。」
女子高生がオンタリオ湖縦断スイムに成功 [スポーツ]

オンタリオ州マーカムの女子高生レベッカ・ボスカリオルさん(17歳)が8月5日、オンタリオ湖縦断スイム(約52キロ)に挑み、翌6日に完泳した。
波は高く、コーチのコリーン・シールドさんは延期も考えたが、予定より6時間遅れて20時45分、レベッカはナイアガラ・オン・ザ・レイクからスタートした。
レベッカをナビゲートし、また栄養を補給するため、彼女の家族とアシスタントが4艘の舟で先導する。予定された時間は20時間で、その間睡眠・食事はとることができない。レベッカは、ゲータレードとチキンの煮汁を補給した。
6日の朝になると、彼女は疲労のせいかほとんど前進しなくなった。トロントに近づくと、ハンバー川から来る流れに押し流されそうになるのだ。だが、自身がオンタリオ湖縦断に2度成功しているコーチのシールドさんは、全く心配していなかった。
「私には、何の不安もありませんでした。彼女はスピットファイアーですから。」
彼女の姿がトロントの岸辺から見えるようになったのは、予定より5時間も早かった。祖母のアン・ボスカリオルさんは、慌てて湖岸に向かい、孫に向かって叫んだ。
「行けー、レベッカ、行けー!」
レベッカがマリリン・ベル公園の岸辺に到達したのは12時18分、タイムは15時間33分15秒。1974年にシンディ・ニコラスが記録した女子世界記録の15時間10分にわずかに及ばなかったものの、オンタリオ湖縦断を成し遂げた55人目となった。
テレビのレポーターが尋ねる。
「寒かった?」
「暖かかったです。」
「お腹すいた?」
「はい!」
「今何を食べたい?」
「何でも! とても腹ペコなの!」
この日の水温は約21度と暖かかったことが、彼女に幸いした。過去に何人もの挑戦者が、冷たい水に体力を奪われリタイアしている。
52キロのマラソン・スイム挑戦に向けて、彼女は毎週14時間の遠泳のほか、ジムに通い、乾燥地帯トレーニングも行ったが、難しいのは体重を増やすことだった。医師は彼女に、冷たい水の中で20時間近くも泳ぐのなら、体温とエネルギーを保つため体重を数キロ増やさなければならないとアドバイスした。そこでレベッカは、好きなアイスクリームの代わりにフローズン・ヨーグルトを、ミルクチョコレートではなく普通のチョコレートを食べなければならなかった。
レベッカの挑戦は、妹ソフィアさんが7月19日に心臓手術を受けた病院に寄付するためのチャリティとして行われた。彼女の目標は2万ドルで、6日までに1万2000ドル以上を集めている。
レベッカの父ジョン・ボスカリオルさんは、彼女が泳いでいる間ずっと舟の上にいて、娘を見守った。
「娘がこんなに若いうちに立派なことを成し遂げてくれて、父として誇りに思います。」
マリリン・ベル公園は、1954年に初めてオンタリオ湖縦断に成功したトロントの女子高生マリリン・ベルにちなんで名付けられた。彼女の挑戦はラジオで実況中継され、彼女がゴールに近づくころにはおよそ10万人の見物人がそこに集まった。
【参照】「カナダ人物列伝」マリリン・ベル
http://bluejays.web.fc2.com/m_bell.htm
ウィニペグのチーム名「ジェッツ」に [スポーツ]
トゥルー・ノース・スポーツ&エンターテイメント社は6月24日、ウィニペグの新しいチーム名を「ジェッツ」にすると発表した。
ウィニペグには1996までジェッツが存在したが、フェニックスに移転しチーム名を「フェニックス・カイオーツ」と改めた。「ジェッツ」の商標は今も、フェニックス・カイオーツが保有したままである。
商標権の問題から、新しいチーム名は「ムース」「ファルコンズ」「ポーラー・ベアーズ」などが有力視されていた。だがデリク・クープランド氏は、新チームが「ジェッツ」以外の名を名乗ることは非常なリスクを伴うと説明した。
「正式なチーム名が何であれ、開幕戦ではジェッツのジャージを着た大勢の群集が『ゴー、ジェッツ、ゴー』と叫ぶだろう。」
ミネソタ・ノーススターズは1993年ダラスに移転し、2000年にミネソタ・ワイルドが創設された。ワイルドでプレーしたトム・リード選手は、行く先々のアリーナで、ノーススターズのジャージや帽子をかぶった大勢のファンを見たという。
CFLのボルチモア・スタリオンズも、1996年にモントリオールへ移転したとき、1986年に消滅したモントリオール・アルエッツのチーム名を継承している。その土地に定着したブランドは根強く、新しいブランドを導入するより、旧ブランドを買収した方が販売戦略上うまくいくようだ。
NHLが1990年にエキスパンションを発表したとき、オタワ市はフランチャイズに名乗りを挙げ「セネターズを返せ」運動を開始した。かつて栄光のチームとして存在したオタワ・セネターズは、1934年にセントルイス・イーグルスに変わり、翌年消滅していたのだ。オタワ市は、オタワ在住で旧セネターズ最後の生き残りでもあるフランク・フィニガン元選手を前面に押し立てて、精力的な招致運動を展開した。
1992年、新しく創設されたオタワ・セネターズの最初の試合で、フィニガンはフェイス・オフのパックを落とすことになっていたが、残念なことに彼はその日を見ることなく亡くなった。セネターズは最初の試合開始前に、彼のかつての背番号8を永久欠番とするセレモニーを行った。フィニガンは、所属しなかったチームで永久欠番となる3人目の選手となった。
ウィニペグには1996までジェッツが存在したが、フェニックスに移転しチーム名を「フェニックス・カイオーツ」と改めた。「ジェッツ」の商標は今も、フェニックス・カイオーツが保有したままである。
商標権の問題から、新しいチーム名は「ムース」「ファルコンズ」「ポーラー・ベアーズ」などが有力視されていた。だがデリク・クープランド氏は、新チームが「ジェッツ」以外の名を名乗ることは非常なリスクを伴うと説明した。
「正式なチーム名が何であれ、開幕戦ではジェッツのジャージを着た大勢の群集が『ゴー、ジェッツ、ゴー』と叫ぶだろう。」
ミネソタ・ノーススターズは1993年ダラスに移転し、2000年にミネソタ・ワイルドが創設された。ワイルドでプレーしたトム・リード選手は、行く先々のアリーナで、ノーススターズのジャージや帽子をかぶった大勢のファンを見たという。
CFLのボルチモア・スタリオンズも、1996年にモントリオールへ移転したとき、1986年に消滅したモントリオール・アルエッツのチーム名を継承している。その土地に定着したブランドは根強く、新しいブランドを導入するより、旧ブランドを買収した方が販売戦略上うまくいくようだ。
NHLが1990年にエキスパンションを発表したとき、オタワ市はフランチャイズに名乗りを挙げ「セネターズを返せ」運動を開始した。かつて栄光のチームとして存在したオタワ・セネターズは、1934年にセントルイス・イーグルスに変わり、翌年消滅していたのだ。オタワ市は、オタワ在住で旧セネターズ最後の生き残りでもあるフランク・フィニガン元選手を前面に押し立てて、精力的な招致運動を展開した。
1992年、新しく創設されたオタワ・セネターズの最初の試合で、フィニガンはフェイス・オフのパックを落とすことになっていたが、残念なことに彼はその日を見ることなく亡くなった。セネターズは最初の試合開始前に、彼のかつての背番号8を永久欠番とするセレモニーを行った。フィニガンは、所属しなかったチームで永久欠番となる3人目の選手となった。
ウィニペグにNHL戻る [スポーツ]
カナダの企業トゥルー・ノース・スポーツ&エンターテイメントは5月31日、NHL(ナショナル・ホッケーリーグ)のアトランタ・スラッシャーズを1億7000万ドルで買収することに合意したと発表した。同社は、チームをマニトバ州ウィニペグに移転する意向を明らかにした。かつてこの地にあったウィニペグ・ジェッツが、1996年にフェニックスに移転してから15年、ウィニペグ市民はNHLチームを取り戻す努力を続けて来た。フェニックス・カイオーツと名を改めたチームが経営破綻したのを機に、カナダのいくつかの企業が買収交渉に乗り出したが、ウィニペグへのNHL誘致は、思わぬ形で実現した。チーム名は未定だが、「ジェッツ」の名称復活も噂されている。
両社はすでに買収に合意したが、6月21日に開催されるNHL理事会の承認を得て正式に決定する。フランチャイズ移転には過半数の合意があるだけでよいが、買収には75%の承認が必要となる。なお来年にもリーグ再編成が行われるが、新しいチームは1年間、アトランタ・スラッシャーズの所属するイースタン・カンファレンスの南東地区に所属することになりそうだ。
政治家になっていなければホッケー選手になっていたというハーパー首相は、カナダに7番目のフランチャイズ設置について、喜びの声明を発表した。
「全てのカナダ人を代表して、NHLがウィニペグに戻るという今日の知らせに、とても喜んでいる。ボビー・ハル、デイル・ハワチャック、ティーム・セラニのような伝説のウィニペグ・ジェッツ選手たちの思い出は、カナダ人の記憶にいまだ鮮烈に残っている。」
ウィニペグ市長サム・カッツは、こう語った。
「それはかけがえのない、お金では計れないものだった。15年前を思い出してほしい。まるで誰かに胸を拳で突かれ、肋骨を突き破られ心臓をえぐり出されたような心境を。ジェッツがこの町を去った理由は、新しいアリーナを建設できなかったからだ。」
ウィニペグの作家スティーブ・ランディンは小説“When She's Gone”のなかで、ジェッツを失ったマニトバのホッケーファンの精神的ダメージを描いている。
ウィニペグには現在、バンクーバー・カナックスのファームチームでAHL(アメリカン・ホッケーリーグ)に属するマニトバ・ムースがあるが、オーナーであるトゥルー・ノース社は、これをニューファンドランド&ラブラドル州セントジョンズに移転する意向である。
マニトバのホッケーファンはNHL誘致に歓喜しているが、懸案は多い。マニトバ・ムースのために2004年に建設されたMTSセンターは、座席数およそ1万5000で、NHLで最も小さい会場である。またウィニペグは人口76万2600人で、NHLのある30都市では最も小さい。現在は記録的なカナダドル高だからよいものの、カナダドルが安くなれば、チームは再び年俸の支払いに困ることになる。ジェッツが移転した理由は、ウィニペグにいては選手の給料を払えなかったからである。またウィニペグはカナダの都市の中で最も寒く、かつ退屈な町でもある。選手は契約上義務づけられていない限り、ウィニペグでプレーする義務はなく、高額の年俸を提示されればいつでもアメリカのチームに移籍するだろう。

レッズのボットにルー・マーシュ賞 [スポーツ]
2010年のルー・マーシュ賞は、シンシナティ・レッズのジョーイ・ボット選手に贈られた。彼はトロント出身で、今年打率3割2分4厘・本塁打37本・打点113の好成績を上げ、三冠王を期待される活躍をした。最終的には無冠に終わったものの、打率・本塁打・打点の全てでリーグ3位以内に入り、レッズの15年ぶり地区優勝に貢献した。シーズン終了後は、ラリー・ウォーカー、ジャスティン・モルノーに次ぐカナダ人3人目のMVPに選ばれた。
ほかに名前を挙げられた候補としては、シドニー・クロスビー(アイスホッケー)、ジョナサン・テーブス(アイスホッケー)、テッサ・バーチュ&スコット・モイアー(アイスダンス)、ジョアニー・ロシェット(フィギュアスケート)、クリスティン・ネスビット(スピードスケート)、アレクサンドル・ビロドー(モーグル)などがいた。
ほかに名前を挙げられた候補としては、シドニー・クロスビー(アイスホッケー)、ジョナサン・テーブス(アイスホッケー)、テッサ・バーチュ&スコット・モイアー(アイスダンス)、ジョアニー・ロシェット(フィギュアスケート)、クリスティン・ネスビット(スピードスケート)、アレクサンドル・ビロドー(モーグル)などがいた。
最初のバスケットボール規則原本を433万ドルで落札 [スポーツ]
ジェームズ・ネイスミス博士が119年前に作成した、最初のバスケットボール基本ルールの原本がオークションにかけられ、12月10日に433万米ドルで落札された。このルール原本は、世界初のバスケットボールの試合が行われた1891年12月21日の早朝に作成されたものである。タイプで打たれたもので、ところどころ肉筆の文字も見られる。オンタリオ州オルモントに生まれたネイスミスは、29歳のときマサチューセッツ州のYMCAに体育講師として務め、冬季にできる新しいスポーツとしてバスケットボールを考案した。
ネイスミスの孫イアン・ネイスミス氏が設立したネイスミス国際バスケットボール財団(NIBF)は、発展途上国の貧しい人々を支援するための資金を得るため、原本の売却を決めた。彼は「これこそネイスミスが望んだことなのです」と語った。
落札したのは、カンザス大学OBのデビッド・ブース氏。彼は、ネイスミスがカンザス大学でバスケットボールのコーチを務めたことを記念して、ルール原本を大学に展示するという。
【バスケットボール基本ルール13条】
1.ボールはサッカーのボールを使用し、片手あるいは両手で、どの方向にパスしてもよい。
2.ボールは片手、あるいは両手でどの方向に叩いてもよい。ただし、拳で叩くのは禁止する。
3.プレイヤーは、ボールを保持して走ることは出来ない。また、ボールをキャッチした地点からパスをしなければならない。かなりのスピードで走っているときにボールをキャッチした場合は、もし停止しようと努力しているなら、一・二歩は許されることもある。
4.ボールは両手で保持しなければならない。腕や体で抱えてはならない。
5.どのような方法であれ、相手を小突いたり、捕まえたり、押したり、つまづかせたり、叩いたりすることは許されない。この規則の第1回目の違反は、1個のファウルとする。2回違反を犯した場合は、つぎのゴールが成功するまで退場とする。もし、故意に相手を傷つけようとするようなプレイであるとみなされた場合は、ゲーム終了後まで退場とする。
6.第2・3・4・5条で述べたことに、1回違反を犯すごとに、1個のファウルとする。
7.両チームのどちらかが連続して3個のファウルを犯すと、その相手チームに1ゴールを与える。(連続とは、その間に相手チームがひとつもファウルをしないということである)
8.ボールが投げられるか、あるいは叩かれてシュートされ、バスケット内に入れば、ゴール成功である。もしボールがバスケットの縁に止まったり、また、シュートをしたときに相手がバスケットを動かした場合も、ゴール成功とみなす。
9.ボールがコート外にでた場合は、最初にコート外のボールを保持したプレイヤーが、コート内にスローインする。そのとき、ボール投入者は、5秒間だけ相手チームから妨害されずにボールを保持することが許される。もしもどちらのチームのボールとなるか判定がつかないときは、副審がそこから、まっすぐ投げ入れる。スローインの際に5秒を超えると、ボールは相手側に与えられる。もしスローインのとき、どちらかのチームがゲームを遅らせようとした場合は、副審はそのチームにファウルを宣告する。
10.副審はプレイヤーを審判し、ファウルを記録し、連続3回のファウルがあった場合は、主審にこれを知らせる。主審は第5条によって、プレイヤーを失格させる権限を有する。
11.主審はボール・プレイを判定し、いつボールがイン・プレイとなるか、イン・バウンズになるか、どちら側のチームに与えられるかなどを決定し、競技時間を計測する。また、ゴール成功を確認し、その数も数える。このほかに、他のゲームで主審が通常行っているような任務も務める。
12.競技時間は15分ハーフとし、あいだに5分間のハーフタイムをおく。
13.ゴール成功が多かった方のチームが勝者となる。もし、同点の場合は、キャプテンの同意のもとに、次のゴールが成功するまでゲームを続ける。
【動画】 A Part of Our Heritage - Basketball
http://www.youtube.com/watch?v=xzsbZ3oem3Y&feature=related
【参照】カナダ人物列伝/バスケットボールの父
http://bluejays.web.fc2.com/naismith.htm
元ブルージェイズのアロマー、今度は離婚訴訟 [スポーツ]
元トロント・ブルージェイズのロベルト・アロマー氏が、HIV陽性でありながら無防備に性行為をしたとして、妻のマリア・デル・ピラール・アロマーさんから離婚訴訟を起こされていることが10月7日に判明した。 訴状によると、アロマー氏は妻と最初に性交渉を持ったとき、すでに自分がHIV陽性であることを知っていたが隠していたという。昨年2月にも、元恋人のイリヤ・ドールさんから同じ理由で、1500万ドルの損害賠償を求める訴訟を起こされており、同年5月に和解している。このとき妻のマリアさんは、夫を擁護していた。
写真:ロベルト・アロマー氏(中央)、妻マリアさん(左)、息子ロベルティートくん(右)。
【参照】 元ジェイズのアロマー、HIV感染で告訴される
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2009-02-20
「セメンヤ選手はメダルに値する」ストライクの孫語る [スポーツ]
陸上世界選手権の女子800メートルで金メダルを獲得したキャスター・セメンヤ選手が、両性具有だったという報道が世界を駆け巡った。彼女のメダルが剥奪されるかも知れないというニュースに、オタワに住むチェリル・モリスさんは怒りを覚えた。それはまさに、彼女の祖母に起こった事件の再来であった。 彼女の祖母ヒルダ・ストライクは、1932年のロサンゼルス・オリンピックで、陸上女子100メートルに出場した。彼女はポーランドのステラ・ウォルシュと同タイムの11秒9を記録したが、審判はウォルシュを金メダル、ストライクを銀メダルと判定した。
ステラ・ウォルシュは「スタニスラワ・ワラシェビッチ」としてポーランドに生まれ、2歳でアメリカに移住したが、なかなかアメリカ市民権を得ることができず、生涯ポーランド代表として競技した。彼女は同日の円盤投で6位、1936年のベルリン・オリンピックにも女子100メートルで銀メダルを獲得するなど、40歳までに数々の競技で勝利を収めてきた。
ウォルシュは1980年、ポーランドの女子バスケットボール・チームのためにリボンを買いに入った店で、強盗に撃たれて死亡した。ところが検死の結果、彼女は小さなペニスを持つ両性具有であることが判明した。オリンピックでは1968年まで、セックス・チェックは行われていなかったのである。
この事実が公表されると、彼女の女子選手としての記録は抹消されるべきかという一大論争がまき起こった。ストライクの孫たちは、祖母に金メダルを与えるべきだというロビー活動を始めた。国際陸上競技連盟(IAAF)は、この訴えを認めた。
だがオタワの老人ホームで暮らすストライクは、金メダルを拒否した。彼女は沈黙を守ったまま、78歳でこの世を去った。
ヤード・レースは今日あまり見られなくなったが、ウォルシュが残した女子100ヤードの記録は今も、世界記録のまま残っている。
写真:ヒルダ・ストライク(右)とステラ・ウォルシュ(左)。ロサンゼルス・オリンピックで。
ホッケーファンは暴力を嗜好〔世論調査〕 [スポーツ]
アンガス・リード社が、フォーラムのレギュラー参加者から1004人の大人を無作為に選んで実施したオンライン世論調査は、63%のホッケーファンが試合中の暴力禁止に反対していることを示した。さらに熱狂的なホッケーファンの62%は、暴力はプロの試合の重要な一部を占めていると考えていることが判明した。
同時に、ホッケーファンであるとないとにかかわらず、カナダ人の61%はホッケーからの暴力追放を望んでいることがわかった。
また、55歳未満のカナダ人はホッケーでの暴力を楽しんでいるが、55歳以上のカナダ人は暴力を好まない傾向がみられた。
暴力へのペナルティとしては、38%はイジェクションを支持しているが、大多数はより厳しいペナルティを求めている。
同時に、ホッケーファンであるとないとにかかわらず、カナダ人の61%はホッケーからの暴力追放を望んでいることがわかった。
また、55歳未満のカナダ人はホッケーでの暴力を楽しんでいるが、55歳以上のカナダ人は暴力を好まない傾向がみられた。
暴力へのペナルティとしては、38%はイジェクションを支持しているが、大多数はより厳しいペナルティを求めている。
カナダの冬季オリンピック名シーントップ10 [スポーツ]
★1位 シンディ・クラッセン1大会で5個のメダル(2006年トリノ大会)
シンディ・クラッセンが2006年トリノ大会において、スピードスケートで5個のメダルを獲得した。それは3000mの銅メダル、女子チームパシュートの銀メダル、1000mの銀メダル、1500mの金メダル、5000mの銅メダルである。2002年ソルトレイクシティ大会における3000mの銅メダルと合わせて、通算6個のメダルとなり、冬季オリンピックで最も多くのメダルを獲得したカナダ人となった。
★2位 ゲータン・ブシェ1大会で3個のメダル(1984年サラエボ大会)
ゲータン・ブシェが1984年サラエボ大会において、スピードスケートで3個のメダルを獲得した。それは500mの銅メダル、1000mの金メダル、1500mの金メダルである。1980年レイクプラシッド大会における1000mの銀メダルと併せて、通算4個のメダルとなった。
★3位 ナンシー・グリーン、大回転で圧勝(1968年グルノーブル大会)
ナンシー・グリーンが1968年グルノーブル大会において、アルペンスキー回転で銀、大回転で金メダルを獲得した。大回転は通常100分の1秒を争う競技だが、彼女はこれを2秒64という記録的大差で圧勝した。グリーンは1999年、20世紀の女子トップアスリートに選ばれている。現在は上院議員。
★4位 カナダ男子がホッケーで金メダル、50年の低迷に幕(2002年ソルトレイクシティ大会)
チーム・カナダは1952年のオスロ大会優勝を最後に、50年間優勝から遠ざかっていた。92年アルベールビル大会と96年リレハンメル大会は2大会連続で惜しくも銀メダルとなり、NHL選手をズラリと並べた「ドリームチーム」を結成した98年長野大会では、何とメダルなしという屈辱の結果に終わった。
今度こそ悲願の金メダルを目標に、再びNHLのドリームチームを結成し、グレツキー監督で臨んだ2002年ソルトレイクシティ大会は、決勝でアメリカを破りついに50年ぶりの金メダルをカナダにもたらした。
★5位 疑惑の判定、カナダペアとロシアペア双方に金メダル(2002年ソルトレイクシティ大会)
フィギュアスケート・ペアで、カナダのジェイミー・サレー&デヴィッド・ペルティエ組はノーミスで演技を終えたにもかかわらず、ロシアのエレーナ・ベレズナヤ&アントン・シハルリドゼ組が金メダルと判定された。
採点では9人の審判のうちロシア・中国・ウクライナ・ポーランド・フランスの5人がロシア優位と判定し、アメリカ・カナダ・日本・ドイツの4人がカナダ優位と判定していた。ところがその後フランスの審判が、アイスダンスでフランス優位と判定する見返りにフィギュアスケートでロシア優位と判定する取引を持ちかけられたと証言した。これを受けて国際スケート連盟はフランス審判の判定を削除し、1位をつけたジャッジの数を4対4の同数に変更してロシアペア・カナダペアの双方を金メダルと裁定した。
なおロシアはこの競技において、ソ連・CIS時代からひき続き1964年インスブルック大会以降12連覇を続けている。
★6位 マルク・ガニョン通算5個目のメダル(2002年ソルトレイクシティ大会)
ショートトラックスピードスケート選手のマルク・ガニョンは、1994年リレハンメル大会において1000mで銅メダルを獲得し、1998年長野大会でも5000mリレーで金メダルを獲得した。
個人競技でも金メダルを獲得すべく臨んだ2002年のソルトレイクシティ大会では、1500mで銅メダル、500mで金メダル、5000mリレーで金メダルを獲得した。500mでの41秒802はオリンピック記録で、今日も破られていない。
なおこのときの1500mは、1着でゴールした金東聖(韓国)がアポロ・オーノ(アメリカ)の進路を妨害したとして失格し、4着のガニョンが銅メダルに昇格したものである。
冬季オリンピック通算5個のメダル獲得は、2006年シンディ・クラッセンに抜かれるまでカナダ最高の記録だったが、金メダル数ではガニョンが3個で上回っている。
★7位 2年半後の金メダル:一人ぼっちの表彰式(2002年ソルトレイクシティ大会)
クロスカントリースキー10km複合では、ロシアのオルガ・ダニロバとラリサ・ラズティナが激しいデッドヒートを繰り広げ、最後はダニロバが7秒差で際どく勝利した。カナダのベッキー・スコットは3位に終わった。
ところがその後、ラズティナがドーピング検査で陽性と判定され、スコットは銀メダルに昇格した。さらにその2年半後、ダニロバも禁止薬物を使用していたことが判明し、スコットは金メダルに昇格することになった。世界アンチドーピング機関の委員として活動していたスコットの、皮肉な勝利であった。
彼女は2004年6月、バンクーバー美術館前でカナダ国旗を背に、即席の表彰台に登りたった一人の表彰式を行った。
★8位 鉄人クララ・ヒューズ、夏・冬通算5個のメダル獲得(2006年トリノ大会)
1996年アトランタ夏季オリンピックに出場したクララ・ヒューズは、自転車個人ロードレースと自転車個人タイムトライアルで2つの銅メダルを獲得した。
本業のスピードスケートで出場した2002年ソルトレイクシティ大会でも、5000mで銅メダルを獲得し、世界で4人目、女子では2人目の夏・冬メダル獲得者となった。
2006年トリノ大会では、女子チームパシュートの銀メダルに続き、5000mでついに、3大会連続金メダルのクラウディア・ペヒシュタイン(ドイツ)を破り金メダルに輝いた。
同じレースで銅メダルを獲得した親友シンディ・クラッセンからカナダ国旗を手渡され、観客席からはバラとぬいぐるみが投げ込まれた。ヒューズは国旗とバラとぬいぐるみを掲げ、涙のウィニングランを行った。ヒューズは表彰式ではクラッセンを表彰台の最上段に招き、ともに「オー・カナダ」を歌った。
★9位 ジンクスを打ち破った笑顔(2002年ソルトレイクシティ大会)
カトリオナ・ル=メイ=ドーンは1998年長野大会において、スピードスケート500mで金メダル、1000mでも銅メダルを獲得し、世界記録を8度も打ち立てて「氷上で最も速い女性」と呼ばれた。2002年ソルトレイクシティ大会でも彼女はメダル獲得を当然視され、旗手に抜擢された。だが、旗手は金メダルを獲れないというジンクスがあった。
しかし彼女は500mを難なく勝利し、2大会連続の金メダルを獲得した。彼女はカウボーイハットをかぶり、カナダ国旗とサスカチュワン州旗を掲げて満面の笑顔でウィニングランを行った。
★10位 ホッケー女子アメリカに雪辱(2002年ソルトレイクシティ大会)
女子カナダチームは1998年長野大会でアメリカに敗れ、銀メダルに終わった。そしてソルトレイクシティ大会まで、アメリカチームに屈辱の8連敗を喫した。
アメリカチームは35連勝を続けていた。ソルトレイクシティの選手村でも、アメリカ選手はカナダをばかにする発言を続け、カナダ国旗を侮辱したという報道(後に誤報と判明)すら流れた。カナダチームは奮起した。
決勝は、前回長野大会に続きカナダ対アメリカの組み合わせとなった。異常に白熱したゲームにおいて、カナダチームは13ものペナルティを受けた。キーパーのキム・サンピエールは25のゴールをキープした。5対2でカナダの優勝が決まった瞬間、カナダチームはキーパーのサンピエールのもとに集い、抱き合って泣いた。
シンディ・クラッセンが2006年トリノ大会において、スピードスケートで5個のメダルを獲得した。それは3000mの銅メダル、女子チームパシュートの銀メダル、1000mの銀メダル、1500mの金メダル、5000mの銅メダルである。2002年ソルトレイクシティ大会における3000mの銅メダルと合わせて、通算6個のメダルとなり、冬季オリンピックで最も多くのメダルを獲得したカナダ人となった。★2位 ゲータン・ブシェ1大会で3個のメダル(1984年サラエボ大会)
ゲータン・ブシェが1984年サラエボ大会において、スピードスケートで3個のメダルを獲得した。それは500mの銅メダル、1000mの金メダル、1500mの金メダルである。1980年レイクプラシッド大会における1000mの銀メダルと併せて、通算4個のメダルとなった。★3位 ナンシー・グリーン、大回転で圧勝(1968年グルノーブル大会)
ナンシー・グリーンが1968年グルノーブル大会において、アルペンスキー回転で銀、大回転で金メダルを獲得した。大回転は通常100分の1秒を争う競技だが、彼女はこれを2秒64という記録的大差で圧勝した。グリーンは1999年、20世紀の女子トップアスリートに選ばれている。現在は上院議員。★4位 カナダ男子がホッケーで金メダル、50年の低迷に幕(2002年ソルトレイクシティ大会)
チーム・カナダは1952年のオスロ大会優勝を最後に、50年間優勝から遠ざかっていた。92年アルベールビル大会と96年リレハンメル大会は2大会連続で惜しくも銀メダルとなり、NHL選手をズラリと並べた「ドリームチーム」を結成した98年長野大会では、何とメダルなしという屈辱の結果に終わった。今度こそ悲願の金メダルを目標に、再びNHLのドリームチームを結成し、グレツキー監督で臨んだ2002年ソルトレイクシティ大会は、決勝でアメリカを破りついに50年ぶりの金メダルをカナダにもたらした。
★5位 疑惑の判定、カナダペアとロシアペア双方に金メダル(2002年ソルトレイクシティ大会)
フィギュアスケート・ペアで、カナダのジェイミー・サレー&デヴィッド・ペルティエ組はノーミスで演技を終えたにもかかわらず、ロシアのエレーナ・ベレズナヤ&アントン・シハルリドゼ組が金メダルと判定された。採点では9人の審判のうちロシア・中国・ウクライナ・ポーランド・フランスの5人がロシア優位と判定し、アメリカ・カナダ・日本・ドイツの4人がカナダ優位と判定していた。ところがその後フランスの審判が、アイスダンスでフランス優位と判定する見返りにフィギュアスケートでロシア優位と判定する取引を持ちかけられたと証言した。これを受けて国際スケート連盟はフランス審判の判定を削除し、1位をつけたジャッジの数を4対4の同数に変更してロシアペア・カナダペアの双方を金メダルと裁定した。
なおロシアはこの競技において、ソ連・CIS時代からひき続き1964年インスブルック大会以降12連覇を続けている。
★6位 マルク・ガニョン通算5個目のメダル(2002年ソルトレイクシティ大会)
ショートトラックスピードスケート選手のマルク・ガニョンは、1994年リレハンメル大会において1000mで銅メダルを獲得し、1998年長野大会でも5000mリレーで金メダルを獲得した。個人競技でも金メダルを獲得すべく臨んだ2002年のソルトレイクシティ大会では、1500mで銅メダル、500mで金メダル、5000mリレーで金メダルを獲得した。500mでの41秒802はオリンピック記録で、今日も破られていない。
なおこのときの1500mは、1着でゴールした金東聖(韓国)がアポロ・オーノ(アメリカ)の進路を妨害したとして失格し、4着のガニョンが銅メダルに昇格したものである。
冬季オリンピック通算5個のメダル獲得は、2006年シンディ・クラッセンに抜かれるまでカナダ最高の記録だったが、金メダル数ではガニョンが3個で上回っている。
★7位 2年半後の金メダル:一人ぼっちの表彰式(2002年ソルトレイクシティ大会)
クロスカントリースキー10km複合では、ロシアのオルガ・ダニロバとラリサ・ラズティナが激しいデッドヒートを繰り広げ、最後はダニロバが7秒差で際どく勝利した。カナダのベッキー・スコットは3位に終わった。ところがその後、ラズティナがドーピング検査で陽性と判定され、スコットは銀メダルに昇格した。さらにその2年半後、ダニロバも禁止薬物を使用していたことが判明し、スコットは金メダルに昇格することになった。世界アンチドーピング機関の委員として活動していたスコットの、皮肉な勝利であった。
彼女は2004年6月、バンクーバー美術館前でカナダ国旗を背に、即席の表彰台に登りたった一人の表彰式を行った。
★8位 鉄人クララ・ヒューズ、夏・冬通算5個のメダル獲得(2006年トリノ大会)
1996年アトランタ夏季オリンピックに出場したクララ・ヒューズは、自転車個人ロードレースと自転車個人タイムトライアルで2つの銅メダルを獲得した。本業のスピードスケートで出場した2002年ソルトレイクシティ大会でも、5000mで銅メダルを獲得し、世界で4人目、女子では2人目の夏・冬メダル獲得者となった。
2006年トリノ大会では、女子チームパシュートの銀メダルに続き、5000mでついに、3大会連続金メダルのクラウディア・ペヒシュタイン(ドイツ)を破り金メダルに輝いた。
同じレースで銅メダルを獲得した親友シンディ・クラッセンからカナダ国旗を手渡され、観客席からはバラとぬいぐるみが投げ込まれた。ヒューズは国旗とバラとぬいぐるみを掲げ、涙のウィニングランを行った。ヒューズは表彰式ではクラッセンを表彰台の最上段に招き、ともに「オー・カナダ」を歌った。
★9位 ジンクスを打ち破った笑顔(2002年ソルトレイクシティ大会)
カトリオナ・ル=メイ=ドーンは1998年長野大会において、スピードスケート500mで金メダル、1000mでも銅メダルを獲得し、世界記録を8度も打ち立てて「氷上で最も速い女性」と呼ばれた。2002年ソルトレイクシティ大会でも彼女はメダル獲得を当然視され、旗手に抜擢された。だが、旗手は金メダルを獲れないというジンクスがあった。しかし彼女は500mを難なく勝利し、2大会連続の金メダルを獲得した。彼女はカウボーイハットをかぶり、カナダ国旗とサスカチュワン州旗を掲げて満面の笑顔でウィニングランを行った。
★10位 ホッケー女子アメリカに雪辱(2002年ソルトレイクシティ大会)
女子カナダチームは1998年長野大会でアメリカに敗れ、銀メダルに終わった。そしてソルトレイクシティ大会まで、アメリカチームに屈辱の8連敗を喫した。アメリカチームは35連勝を続けていた。ソルトレイクシティの選手村でも、アメリカ選手はカナダをばかにする発言を続け、カナダ国旗を侮辱したという報道(後に誤報と判明)すら流れた。カナダチームは奮起した。
決勝は、前回長野大会に続きカナダ対アメリカの組み合わせとなった。異常に白熱したゲームにおいて、カナダチームは13ものペナルティを受けた。キーパーのキム・サンピエールは25のゴールをキープした。5対2でカナダの優勝が決まった瞬間、カナダチームはキーパーのサンピエールのもとに集い、抱き合って泣いた。
元ジェイズのアロマー、HIV感染で告訴される [スポーツ]
通算2724安打、474盗塁、オールスター選出12回、ゴールドグラブ賞10回を誇る名二塁手のロベルト・アロマー氏(元トロント・ブルージェイズ)が、HIV感染の疑いがあるにもかかわらず避妊具なしの性的関係を強要したとして、元恋人から1500万米ドル(約13億5000万円)の損害賠償を求める訴えを起こされたと、ニューヨークの地方紙「デイリー・ニューズ」が11日付で報じた。 同紙によると、アロマー氏は原告のイリヤ・ドールさん(47)と2002年から交際を始めたが、現役時代の2004年ごろから体調に異変がおき、2005年3月のキャンプ中に突如引退。4月ごろには咳が止まらなくなり疲労が激しく寝込むようになって、ドールさんはアロマー氏のHIV感染を疑い、検査を受けるよう何度も促したが同氏はこれを拒否した。2006年にようやく検査を受けてHIV陽性が判明し、エイズを発症していることがわかったという。ドールさんはアロマー氏に「17歳のとき、ニューメキシコで試合をした後、メキシコ人男性2人にレイプされたことがある」と打ち明けられたと主張している。彼女自身は現在のところHIV陰性だが、「陽性の結果がいつ出るかと精神的な苦痛を強いられている」として訴えを起こした。
アロマー氏の弁護士は、エイズ感染については明らかにしなかったが、アロマー氏は健康であり、元恋人の訴えを「根拠がない」と主張している。父のサンディ・アロマーSr.(現メッツ・コーチ)は「初耳だ。もし重い病気にかかっていたなら、私に言わないはずがない」と語った。
なおアロマーはオリオールズ時代の1996年9月、ブルージェイズ戦で球審のジョン・ハーシュベックの顔に唾を吐きかけているが、今回の報道を受けて審判のアル・クラークは「私がハーシュベックだったら、アロマーにHIV検査を受けろと言っただろう」と語った。
だが実際にはHIVが唾液を通して感染した例はなく、ハーシュベックは自分の身の上については心配していない、ただアロマーの健康を願っているとコメントした。
高橋建がブルージェイズとマイナー契約 [スポーツ]
広島からフリーエージェント宣言した高橋建投手(39)が、トロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだと2月2日に発表した。 高橋は昨シーズン、広島の先発の柱として活躍し、8勝5敗をマークした。メジャー昇格が実現すれば、今年4月に40歳を迎える彼は桑田真澄(前パイレーツ)を抜き、日本人最年長大リーガーとなる。
高橋は代理人を通じ、「期待と不安が入り交じった状況です。行くからにはまず、メジャーで1勝を挙げることです。球団が決まりましたので、今後とも温かい声援をよろしくお願いいたします」とコメントした。
ブルージェイズは昨シーズン20勝をマークしたエース・ハラデーら、先発陣の3本柱はいずれも右腕。リーグ最多奪三振のバーネットはヤンキースに移籍し、マーカムは手術で5月まで、マゴワンは今季絶望。左腕も2年目のパーセイだけと層は薄く、高橋の左腕への期待は大きい。高橋は16日からのキャンプに招待選手として参加し、メジャー昇格を目指す。
高橋 建(たかはし・けん)1969年、神奈川県生まれ。横浜高校から拓殖大学、トヨタ自動車を経て、1994年ドラフト4位で広島入り。速球を武器に先発で活躍し、2001年に10勝を挙げた。通算成績は433試合に登板し66勝87敗5セーブ、防御率4.23。184センチ、90キロ、左投げ左打ち。
ホッケーの暴力に過半数が反対 [スポーツ]
ハリス=デシマ社が1月22日から24日にかけて実施した世論調査は、カナダ人の過半数がNHL(北米ホッケーリーグ)の暴力に反対していることを明らかにした。回答者の54%は暴力に反対だと回答し、40%は構わないと回答した。暴力への反対は特にケベックで強く、62%が反対した。
ただしNHLを愛好する回答者の68%は、NHLの現行のペナルティシステムにおいて暴力は容認されるべきと回答した。
オンタリオ・シニアリーグのドン・サンダーソン選手が、ゲーム中の暴力により頭部を氷に強打して1月2日に死亡した事件を契機に、ホッケーにおける暴力がカナダではこのところ話題になっている。
写真:2004年3月8日、バンクーバー・カナックス対コロラド・アバランチ戦で、カナックスのトッド・バツージ選手がアバランチのスティーブ・ムーア選手を背後から殴り、さらに倒れた彼の首を掴んで氷に顔面を打ちつけた。ムーア選手は頚椎骨折の重傷を負い、バツージ選手は17か月の出場停止と50万米ドルの減給を言い渡された。さらに刑事事件で有罪判決を受け、80時間の奉仕活動を命じられた。動画:http://jp.youtube.com/watch?v=Fz9RE9RGrVY
WBCカナダ代表決まる [スポーツ]
1月20日、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のカナダ代表46人が発表された。代表16チームはそれぞれ4つのグループに分かれ予選を戦うが、カナダは最初の予選ではグループCに入り、アメリカ、ベネズエラ、イタリアと対戦する。試合はトロントのロジャースセンター・スタジアムで行われる。
北京オリンピックでは左打者をズラリと並べたカナダ打線は、今回も大多数が左打者。打線の中心は、2006年ア・リーグMVPに輝いたジャスティン・モルノー(ミネソタ・ツインズ/.300、23本塁打)が不動の4番となるほか、クリーンナップはジョーイ・ボット(シンシナティ・レッズ/.297、24本塁打)とジェイソン・ベイ(ボストン・レッドソックス/.286、31本塁打)が有力視されている(余談だがベイの妹ローレン・ベイは、ソフトボールカナダ代表の投手としてアテネと北京オリンピックに出場している)。このほか元中日のマット・ステアーズ(フィラデルフィア・フィリーズ/.252、13本塁打)は、2006年大会では3試合で9打数3安打4打点と活躍したが、今回も代表入りを果たした。
前回代表入りしたアーロン・ガイエル(東京ヤクルト・スワローズ)は、今回知らぬ間に代表メンバーにされていたという。ヤクルト1年目の2007年は35本塁打を放ち大活躍したが、昨シーズンは打率2割・11本塁打と精彩を欠いた。レギュラーになれるかどうかもあやふやなまま間もなくキャンプ入りせねばならず、WBCどころではないため辞退することになりそうだ。
いっぽう投手陣は、最も期待されていたリッチ・ハーデン(シカゴ・カブス/10勝2敗)が右肩の故障により辞退した。2007年ワールドシリーズで史上初のカナダ人先発投手となったジェフ・フランシス(コロラド・ロッキーズ/4勝10敗)、エリック・ベダード(シアトル・マリナーズ/6勝4敗)、ライアン・デンプスター(シカゴ・カブス/17勝6敗)が先発の軸になるだろう。リリーフでは、2003年に55セーブを挙げサイ・ヤング賞を受賞したエリック・ガニエ(ミルウォーキー・ブルワーズ/4勝3敗10セーブ)が目を引くが、故障がちで往年の威力は望むべくもない。
元近鉄のマイク・ジョンソン(SKワイバーンズ)は、昨シーズン台湾球界で21勝を挙げMVPに選ばれている。2004年のアテネオリンピックでもカナダ代表として出場しているが、日本との3位決定戦で先発し敗戦投手となった。
北京オリンピックでは左打者をズラリと並べたカナダ打線は、今回も大多数が左打者。打線の中心は、2006年ア・リーグMVPに輝いたジャスティン・モルノー(ミネソタ・ツインズ/.300、23本塁打)が不動の4番となるほか、クリーンナップはジョーイ・ボット(シンシナティ・レッズ/.297、24本塁打)とジェイソン・ベイ(ボストン・レッドソックス/.286、31本塁打)が有力視されている(余談だがベイの妹ローレン・ベイは、ソフトボールカナダ代表の投手としてアテネと北京オリンピックに出場している)。このほか元中日のマット・ステアーズ(フィラデルフィア・フィリーズ/.252、13本塁打)は、2006年大会では3試合で9打数3安打4打点と活躍したが、今回も代表入りを果たした。
前回代表入りしたアーロン・ガイエル(東京ヤクルト・スワローズ)は、今回知らぬ間に代表メンバーにされていたという。ヤクルト1年目の2007年は35本塁打を放ち大活躍したが、昨シーズンは打率2割・11本塁打と精彩を欠いた。レギュラーになれるかどうかもあやふやなまま間もなくキャンプ入りせねばならず、WBCどころではないため辞退することになりそうだ。
いっぽう投手陣は、最も期待されていたリッチ・ハーデン(シカゴ・カブス/10勝2敗)が右肩の故障により辞退した。2007年ワールドシリーズで史上初のカナダ人先発投手となったジェフ・フランシス(コロラド・ロッキーズ/4勝10敗)、エリック・ベダード(シアトル・マリナーズ/6勝4敗)、ライアン・デンプスター(シカゴ・カブス/17勝6敗)が先発の軸になるだろう。リリーフでは、2003年に55セーブを挙げサイ・ヤング賞を受賞したエリック・ガニエ(ミルウォーキー・ブルワーズ/4勝3敗10セーブ)が目を引くが、故障がちで往年の威力は望むべくもない。
元近鉄のマイク・ジョンソン(SKワイバーンズ)は、昨シーズン台湾球界で21勝を挙げMVPに選ばれている。2004年のアテネオリンピックでもカナダ代表として出場しているが、日本との3位決定戦で先発し敗戦投手となった。
黒人初のNHL選手オリーにオーダー・オブ・カナダ勲章 [スポーツ]
12月30日、オーダー・オブ・カナダ勲章が60人(コンパニオン4、オフィサー14、メンバー42)に授与された。その中には黒人初のNHL選手ウィリー・オリーと、カナダの歌姫セリーヌ・ディオンがいた。 オリーはニューブランズウィック州フレデリクトンに生まれ、1958年1月18日、ボストン・ブルーインズの選手として、ナショナル・ホッケー・リーグ史上初の黒人選手デビューを果たした。モントリオール・カナディアンズとの試合は3対0でブルーインズが勝利した。
だがオリーはこの年わずか2試合に出場したに過ぎず、初の黒人選手デビューも、野球のジャッキー・ロビンソンとは異なり、ほとんど注目されることはなかった。
彼が注目を浴びるのはその2年後、再びNHL昇格を果たし、黒人初のゴールを決めたときのことである。
彼はこのシーズン43試合に出場したが、世界で最も白人の多いスポーツの一つであるアイスホッケーにおいて、黒人選手への風当たりは強かった。客席からは「南部に帰れ」「農場で綿花の収穫でもしてろ」と野次を飛ばされた。1961年のシカゴ・ブラックホークス戦では、相手チームの選手にスティックで顔面を突かれ重傷を負い、別の試合ではパックを顔面に当てられ右目をほとんど失明したが、彼はそれを隠し通した。
その後は、マイク・マーソンが1974年にワシントン・キャピタルズからドラフト指名されるまで黒人選手は登場しなかったが、現在は17人の黒人選手がNHLでプレーしている。なおNHLで初めて契約した選手は1950年のアート・ドリントンだが、マイナーリーガーで終わりNHL昇格はならなかった。
セリーヌ・ディオンもこの日、オーダー・オブ・カナダ勲章の最高位コンパニオンに叙せられた。彼女は1998年にオフィサーに叙せられているが、総督は今回の昇格理由について「ポップ歌手としての並外れた才能と、全国的および国際的な数多い人道的支援のため、世界の聴衆を魅了した」と発表した。
●勲章の返上
2008年、妊娠中絶を推進した医師ヘンリー・モーゲンテイラーの受賞に抗議してルシエン・ラール司教、ジャン=クロード・テュルコット枢機卿、警察官フランク・ショバン、元ニューブランズウィック州副総督ギルバート・フィンは、勲章の返上を申し出た。またカトリック組織「マドンナ・ハウスの使徒」も、キャサリン・ドハーティの勲章の返上を申し出たが、返上には総督の同意が必要なため、歴史上いまだ誰も返上した人はいない。
●勲章の辞退
受賞を辞退した人の氏名は公表されないので、辞退者全員の身元は判明していないが、一部については本人の公表により判明しており、ロバート・ウィーバー(キャスター)、クロード・ライアン(州会議員)、モーリー・キャラハン(作家)、モーデカイ・リッチラー(作家)、マルセル・デュベ(劇作家)、ロジェ・ルムレン(作家)、グレン・グールド(ピアニスト)が辞退した。このうちウィーバーとグールド以外は、後年受賞に同意した。
ケベック独立派として辞退した人にはリュック=アンドレ・ゴッドブー、リナ・ラスニエ(詩人)、ジュヌビエーブ・ブジョルド(女優)がいる。独立派のジャック・パリゾー夫人であるアリス・パリゾー(作家)は、受賞したため非難された。
セシル・メリットは、カナダ最高のビクトリア十字勲章をすでに受章したという理由で受賞を拒否した。エジンバラ公フィリップ殿下は1982年、名誉コンパニオンの授与を提示されたが、女王の配偶者はカナダ王族であるから自分はカナダ人であるという理由で、名誉としての受賞を拒否した。オーダー・オブ・カナダ諮問会議は1993年、国王の配偶者は自動的にコンパニオンになる規則の改正を申し込んだが、フィリップ殿下は己の能力ゆえに受賞すべきであるとして、名誉としての受賞を再び拒否した。
ニューファンドランド州初代首相で、ニューファンドランドをカナダ連邦に編入させたジョーイ・スモールウッドは、自分を「連邦の父」と同等の地位があると考えていたので、ナイトの地位がふさわしいと思い受賞を拒否したが、自分がナイトに叙せられないと知って後年受賞した。
●勲章の剥奪
勲章を剥奪された例は、過去に2件ある。アラン・イーグルソンは1998年、詐欺罪で投獄されたため勲章を剥奪された。デビッド・アヘナキューは2002年、反ユダヤ言説で告訴され有罪判決を受けたため剥奪された。
F1のカナダGPが消滅 [スポーツ]
国際自動車連盟(FIA)が10月7日、F1レースの2009年スケジュールを発表したが、モントリオールのジル・ビルヌーブ・サーキットで行われる恒例のカナダ・グランプリが予告なく外されていた。北米でF1が開催されないのは、1950年以来初めて。代わりにアラブ首長国連邦のアブダビで初めてF1が開催される。FIA側は、この変更の理由について言及しておらず、モントリオールのジェラール・トランブレ市長は、「世界中で3億人が観戦し、市に7500万ドルもの経済効果を与える大イベントが、何の説明もなく取り消されるとは信じられない。市としてこれから対応策を練る」とコメントした。
新民主党のレイトン党首は、連邦議会にカナダ・グランプリ支援法案を提出するとコメントした。
新民主党のレイトン党首は、連邦議会にカナダ・グランプリ支援法案を提出するとコメントした。
キラー・コワルスキー死去 [スポーツ]
元プロレスラーのキラー・コワルスキー氏は、8月8日に心臓発作のためボストンの病院に入院していたが、17日に脳死と宣告されていた。その後は生命維持装置で延命していたが、家族が30日に装置を外したため死亡した。 コワルスキー氏はオンタリオ州ウィンザーに生まれ、本名はワルディック・コワルスキー。ルー・テーズにスカウトされ1947年にレスラーとしてデビュー。ヒールとして活躍し、AWA世界ヘビー級、WWWF世界タッグ王座などを獲得した。2メートルを超える巨体に加え、正統派のレスリングから反則技までこなし、ヒールとしての資質の全てを兼ね備えた名レスラーだった。1959年、ユーコン・エリックにトップロープからニードロップを与えた際、シューズのひもが引っ掛かって左耳をそぎ落とす事故が起こり、悪名を轟かせた。その後エリックが自殺したのはこの事故が原因と噂されたが、実際は妻の不貞が原因だった。また梶原一騎は「タイガーマスク」の中で、コワルスキーがこのときエリックのそぎ落とされた耳を見たせいで菜食主義者になったと綴っているが、実際はそれ以前からそうであった。
日本へは日本プロレス参戦のため3度来日し、1963年の第5回ワールドリーグ戦では決勝で力道山と対戦したほか、開幕戦でジャイアント馬場の凱旋帰国第一戦の相手を務め、時間切れ引き分けの熱闘を演じた。第10回大会では馬場と決勝で対戦したほか、アントニオ猪木とも対戦している。1971年にはNWAタッグリーグ戦に登場し、パイルドライバーで選手二人を死なせたキラー・バディ・オースチンとの「キラー・コンビ」で好成績を収めている。また全日本プロレスにも2回参戦している。
引退後はマサチューセッツ州セーラムにレスリングスクールを設立し、トレーナーとして活動した。
【北京五輪】 馬術障害飛越の混合個人でラメーズが金メダル [スポーツ]
8月21日、馬術障害飛越の混合個人で、エリック・ラメーズが金メダルを獲得した。彼は18日の混合団体でも銀メダルを獲得しており、今大会2個目のメダル獲得となる。 彼は薬物中毒の母から生まれ、アルコール中毒の祖母に育てられた。中学生でドロップアウトし、路上で生活した。1992年、カナダワールドカップリーグで2位となり注目されるようになり、1996年にはカナダのオリンピック代表に選ばれるが、コカイン使用が判明し4年間資格を停止され、オリンピックに出場できなかった。停止処分は後に7か月に短縮された。
2000年にも再び尿検査で陽性となり、今度は永久追放となりまたもオリンピックに出場できなかったが、後に短縮された。
ラメーズはインタビューに答えて言った。
「8年の月日は長かった。あなたが人に、過ちから学び立ち返るチャンスを与えたら、きっと素晴らしいことが起こるだろう。私は、人を見捨ててはいけないという好例になったと思う」。






