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イヌイットの強制移住について謝罪 [先住民]

 ジョン・ダンカン・インディアン問題担当大臣は8月18日、1950年代に実施されたイヌイットの極北への強制移住について、謝罪の意を表明した。
「カナダ政府は、我が国の歴史における暗いページのうちの過ちと違約について、深く遺憾の念を述べるとともに、極北への強制移住について謝罪する。我々は、強制移住が惹き起こした言語に絶する困難と苦痛に対し、深く同情するものである。」

 ハドソン湾東岸のイヌクジュアックに暮らしていた19世帯87人が、1953年から1956年にかけて、2000キロ北の極北に移住させられた。これにより彼らは福祉依存から脱却し、伝統的生活を取り戻せるものと約束された。彼らは以前と同じように、一つの村でいっしょに生活できるものと思っていた。ところが彼らは、リゾリュート・ベイとグライス・フィヨルドの村に別れて暮らすことになった。新しい村は以前より20度も寒い不毛の地で、住宅も提供されず、イグルー(かまくら)を作るしかなかった。

 だが実際には、豊富な地下資源がありながら無人で不毛の地である極北地方の、領土権を確実なものにするために、連邦政府がイヌイットを「生きる国旗スタンド」として利用していたにすぎなかった。
 連邦政府は長年にわたり、移住はイヌイットの同意により、彼らの経済状態を向上させるために行ったと主張してきた。進歩保守党政権のトム・シドン・インディアン問題担当大臣は1992年、移住は「移住者の環境改善という明白な意図をもって実施された」と述べ、いかなる謝罪をも拒否すると語った。
 ところが90年代に先住民王立委員会が、地下資源に関する懸念が強制移住への引き金になったことを示す文書を発見した。そこにはこう記されていた。
「そのような将来の要求への対処として、カナダ自治領は北極から700マイル以内の島を占有する。」

 1953年にリゾリュート・ベイに移住したとき、まだ6歳だったジョン・アマゴアリックは、こう語った。
「それはまさに、世界一荒涼とした地であった。我々はまさに、村の囚人であった。」
 ダンカン大臣は、謝罪の言葉の中でこう述べた。
「我々は、守られなかった約束について謝罪する。彼らは、より豊かな地に行くと約束された。彼らは、1つのコミュニティの中に残ると約束された。彼らは、新しい地を去ることも、戻ることもできると約束された。そして我々は、移住そのものについて謝罪する。」
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