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インド航空182便爆破事件犯人が保釈 [犯罪・事件]

1919138 1985年6月23日に329名(うちカナダ人280名)の犠牲者を出したインド航空182便爆破事件で、唯一有罪となったインデリジット=シン・レヤット被告に対し、ブリティッシュコロンビア控訴裁が7月9日、保釈を認めた。
 レヤット被告は、同じ日に起きたこの事件と成田空港手荷物爆破事件で、爆弾製造に関与した罪により、刑務所で20年以上服役していた。彼は2つの罪の刑期を全て務めたが、共犯者と見られる2人の被告リプダマン=シン・マリクとアジャイブ=シン・バグリの裁判で27回偽証し、2人を無罪に導いた容疑により、刑務所に留め置かれていた。この2人の裁判にあたったイアン・ジョセフソン判事は、レヤット被告を「宣誓した大嘘つき」と評している。
 今年3月には、ブリティッシュコロンビア最高裁でパトリック・ドーム判事が、司法制度の信頼を維持するために必要だとして、偽証罪容疑の被告の保釈を棄却している。これに対し被告側弁護人が6月、控訴裁に再審理を求め、最高裁の決定が覆され保釈が認められたのである。
 被告の弁護人イアン・ドナルドソンは「被告はまだこの判決を知らないが、きっと喜ぶだろう」とバンクーバー裁判所前でコメントした。
 ところがこの日、裁判所に掲示されるはずの彼の保釈は、掲示されなかった。被告の妻サットナム・レヤットは、「夫がいつ家に戻るかわかりませんが、この進展はうれしく思います。今はただ弁護士の知らせを待っている状態です」と語った。
 しかしこの事件で妻を亡くした、「インド航空事件犠牲者遺族の会」のバル・グプタ代表は「驚き、落胆している。この知らせは、我々を再び苦痛の無間地獄へ送り込むものだ。我々はすでに、カナダ最大の大量殺人について何度も失望を味わっているのに」と深い動揺を隠さなかった。


写真:インデリジット=シン・レヤット被告。
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ハーバーセンターくん

 (1) 事件の概要
 1980年代、インドではシーク教徒とヒンズー教徒の対立が激化し、1984年にはインド政府軍がシーク教徒の聖地を襲撃する「黄金寺院事件」が起こった。シーク教徒はその報復としてインディラ・ガンジー首相を暗殺しただけにとどまらず、この航空テロを引き起こしたと考えられている。
 世界標準時1985年6月23日午前0時15分にトロント国際空港から出発したインド航空181便は、モントリオールのミラベル空港に着陸して便名を182便に変更し、修理のためインドに搬送するエンジンを積み込む作業のため、予定より1時間40分遅れて出発した。その後はロンドンのヒースロー空港を経由して、最終的にはインドのボンベイまで飛行する予定だったが、世界標準時6月23日午前7時15分、アイルランドのコーク沖でレーダーから消えた。機内で爆弾が爆発し、墜落したのである。乗員22名・乗客307名の329名全員が犠牲となったこの事件はカナダ史上最大の殺人事件であり、2001年にアメリカ同時多発テロによって更新されるまで、テロ犠牲者の世界最多記録であった
 この事件は当初から航空テロが疑われていた。インド航空182便が墜落するおよそ1時間前の世界標準時6月23日午前6時20分(日本時間午後3時20分)ごろ、成田空港でカナダ太平洋航空3便からインド航空301便に積み替えようとした手荷物が爆発し、従業員2名が死亡する事件が発生していた。この2つの爆弾は、4日前にバンクーバーでチケットを購入し、手荷物を預けておきながら実際には搭乗しなかった乗客の手荷物に含まれていたことが判明した。この乗客は、バンクーバーを出発し最終的にインドに向かうカナダ太平洋航空3便(バンクーバー-東京)からインド航空301便(東京-バンコク)に乗り継ぐ便と、カナダ太平洋航空60便(バンクーバー-トロント)からインド航空181便(トロント-モントリオール)及び182便(モントリオール-ロンドン)に乗り継ぐ便に予約を入れていた。そのため、犯人が2機のインド航空機を標的にしていたのは明白であった。
 空港側は、搭乗していない乗客の荷物を航空機に搭載するという違反を犯した。また、トロント国際空港のX線検査機が故障しており手動検査機を使っていたが、操作および機能に欠陥があったため爆弾を見過ごしてしまい、実際に旅客機に搭載するミスを犯していた。ケベック州警察のセルジュ・カリニャンは後年、もし自分に飛行機の手荷物を捜す機会を与えられたら、インド航空機爆破は防げただろうと証言した。
 容疑者はバンクーバー在住でカナダ国籍を持つシーク教徒だった。印加タイムズ発行人タラ=シン・ヘイヤーは、シーク教の新聞発行人ターセム=シン・ピュアウォールのロンドン事務所で、バグリがピュアウォールに「全てが計画通りだったら、飛行機は乗客もいない状態でロンドン・ヒースロー空港で爆発しただろう。だがフライトが遅れたため、海上で爆発したのだ」と話すのを耳にしたという宣誓供述書を、1995年カナダ連邦警察に提出した。
 ところがその年1月、ピュアウォールがイギリスのサウスオールで暗殺され、1998年11月には、ヘイヤーがサーレーの自宅で射殺された。ヘイヤーの暗殺のため、宣誓供述書は法廷で採用されなかった。
 刑事裁判はカナダで行われたが、最終的に起訴された被告人の無罪が確定したのが2005年であり、また捜査と裁判にかかった費用が1億3000万カナダドルにもおよんだため、論争を呼んだ。
by ハーバーセンターくん (2008-07-12 22:25) 

ハーバーセンターくん

 (2) 「カナダの惨事」
 2007年アイルランドのアハキスタで、犠牲者の遺族を集めた式典が開催された。その席でカナダ総督エイドリアン・クラークソンは、6月23日を「テロ犠牲者記念日」として毎年半旗を掲げると発表した。またポール・マーチン首相は「爆破事件は外国の問題ではなくカナダの問題だ。勘違いしてはならない。飛行機はインド航空で、事故はアイルランド沖で起こったかもしれないが、これはカナダの惨事である」と語った。
 アンガス・リード社は2007年、カナダ人を対象に事件はカナダとインドどちらの惨事と考えるかについて世論調査を行った。48パーセントがカナダの惨事と捉えるいっぽう、22パーセントはインドの惨事と捉えた。また34パーセントは、カナダセキュリティ情報サービス(CSIS)と空港保安当局双方に重大な責任があると回答した。さらに、27パーセントは連邦警察(RCMP)、18パーセントはカナダ運輸省の責任について言及した。
by ハーバーセンターくん (2008-07-12 22:29) 

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