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過ぎ去りしトレモロ

先日、ギタリストのIさんが工房でバリオスの「El Ultimo Toremolo」を弾きながら
お決まりの話をしてくれた。


この曲は、バリオスが亡くなる数ヶ月前に物乞いのおばあさんが、バリオスが自宅で
練習中にそのドアをノックし「神の御慈悲でおめぐみください」と言った事をインスピレーションに
この曲が出来て、どうやら最初の数小節はおばあさんがドアをノックする様子を表していると・・・。
久しぶりに思い出させてくれた。
非常に有名な逸話なので僕も勿論知っていたけれど、そう言えばこの曲は
「過ぎ去りしトレモロ」という邦題がつけられていた事に少し違和感をそのとき感じた。
「過ぎ去りしトレモロ」というのはなんだかカッコ良すぎないだろうか?
「過ぎ去りしトレモロ」というのはなんだか青春の一ページを思い出すような加山雄三映画
もう少しひねってイタリア映画でマストロヤンニあたりが出てきそうな気配がしないか?

だれなんだろう?この邦題を決めたのは?

「最後のトレモロ」か「最期のトレモロ」ならばまだましかもしれないけれど、この「最期のトレモロ」
という表題はへスス・ベニーテスが勝手につけたと自分で書いているので、バリオスのそれこそ
遺言として受けとめるならば、

「神の御慈悲でおめぐみを」

でしかありえないのではないだろうか

最後の滞在地エル・サルバドルも含め、中南米ではその当時も今も、たとえばインディオ
(不適切とされる表現なので現在はインディヘナと呼ぶ)であり、マジョリティーでありながら権力
のマイノリティー、最下層の立場におかれている人たちに国民年金制度などあるわけもなく、
働けない老人は簡単なきっかけで乞食になってしまう。
これは現在もそうで貧困は中南米の抱える大きな問題。バリオス・マンゴレはグアラニー族としての
誇りを持ち続けた人だから、なおさらこのことは深刻に考えて心を痛めていたに違いない。

物乞いになってしまった婆様が彼のドアを叩くのだ。

「セニョール、どうか神の御慈悲でおめぐみを」

それにしてもこの曲の展開部分はまるで「澄んだ湖に広がる波紋」のように美しい。
人生は美しいものだろうか・・・?
それとも婆様への慰めか。
梅毒という病で心も病んでしまいそうだけれど、彼の音楽はバッハのしばしば無機質な感じで天上界
を描く印象とは違い、なにか人間的な有機質な表現でその極みまで達しているのだ。

ところでこの魑魅魍魎とした現代日本。
完全に崩壊している年金制度と未来に希望が持てず、30歳台の若者たちが多数自殺してゆく社会。

将来、僕の年金もらえるのかどうか?数十年後に僕があなたの家のドアをノックしているかもしれな
いし、あなたがノックするかもしれない。

「神の御慈悲でおめぐみを」

ということでこうした悲しむべき社会構造はちっとも終わっていない。むしろ進行中だろう。

だからちっとも「過ぎ去りし」ではないのだ

そこで、どうしても邦題をつけたいなら「貧困格差社会のトレモロ」とでも、「わが邦題」は
変えたほうがいいと思う・・・。

少し書きすぎました。



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