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信じた道をゆく [Meditation]

坐禅の会にて、今月のご住職のお話。

先月は梅の花でしたが、今月は桜が咲き始めましたね、という話から。



「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり」武者小路実篤



人が見ていても、見ていなくても、ただそこに咲いている桜の花。

隣の木より、枝ぶりがいいとか、花のつき方がきれいとか、

そう評価するのは、常に人間であり、人間の視点でしかない。

桜は、「よし、隣の木よりきれいに咲いてやるぞ」なんて思うこともなく

ただ、与えられた命を生きている。

周囲がどう思うか、どう評価されるかなんてことは関係なく

ただ我が道を行く。それでいいのではないか、というお話。


参加者の若いご夫婦奥さんのほうが、座談会で

「ずっと悩んでいたけれど、わたしも我が道を行くことに決めました」と宣言し

ダンナさんがヒヤヒヤする場面があって、みんなの笑いを誘っていました。

わたしにとっても、どこかホッとした今回のお言葉でした。

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毎日コツコツと、一瞬で変わるもの [Meditation]

世界選手権、真央ちゃん、やりましたね!

フリーをパーフェクトに滑り終えた後のあの笑顔。

じーんときちゃいました。

アナウンサーの人が言ってた、

「(いつからかは聞きそびれたけど)休みはたった1日だけ、それ以外は毎日練習してきました」

の言葉。

毎日、コツコツ、の難しさと大切さ。

それを積み上げたからこその喜び、そして

その集大成を見せてもらった感動があるんですね。

ちょっと悩んでいたわたしに、勇気を与えてくれた言葉でした。



少しずつ成長していく、という大切さと同じように、こないだ聞いたご住職の言葉に

「100年暗かった部屋を明るくするのに、100年はいらない。

そこに光を差し込めば、一瞬にして明るくすることができる」

というものがある。

発想の転換、という話の流れで出てきた言葉だった。

坐禅の参加者の遠い知り合いで、

一般的に考えて、恵まれない境遇で育った若者が

不幸にも亡くなってしまった。

その若者の人生を「恵まれなくてかわいそうな人生だった」と決めつけてしまうのも一瞬。

自分の知りえないところで、その若者は生まれたことに喜びを感じ

与えられた境遇を生き抜くことで、強くなった自分を誇りに思っていたかもしれない。

それを考えずにして、一般的な常識で片付けてしまうことは一瞬でできるけれど

果たしてそれが真実なのか、よく考えてみないといけない、という話だった。

物事をどう捉えるかは自分の心にかかっていて

それは暗闇にあった自分の心を、一瞬で明るくするという可能性を与えてくれる。


コツコツ続けることと、発想の転換で一瞬にして変えていくこと。

自分の心を強くしてくれたり、開放してくれたりするのに、大切な両方のこと。

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2月の坐禅 [Meditation]

先月の坐禅の会でのご住職のお話。



★一枝梅花和雪香


(一枝(いっし)の梅花 雪に和して 香(かんばし))

厳冬を乗り越え、ようやく咲いた梅の花。

春の雪に覆われ、梅の花か雪かと見まごうほどだが

ひらいた香りの、なんと高貴なことよ。



よく修行中の僧侶をこの梅の花に喩えるそうです。

今の時期なら、やっぱりオリンピックの選手かな。

真央ちゃんのフリーの演技の気迫、すごかったですね。

感動しました。




★泥多ければ仏(ほとけ)大なり


泥というのは、仏を作る材料の泥のこと。

泥は水に流れてしまうけれど

滅びない仏とは、実は自分の身体の中にある

という説き方もあるみたいだけど

ご住職は

泥というのは、たとえば雑念や煩悩のようなもの。

多くの雑念や煩悩を通してこそ、大きく悟ることができるのではないか

と説いた。


「迷いながら、悟ってゆく」

これなら、無力なわたしにも、できそうな気がする。
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見えない何か [Meditation]

最近CMでよく見る『恋するベーカリー』。

メリル・ストリープとアレック・ボールドウィンが共演?

どんな撮影風景だったんだろう。興味あります…。




先月末の坐禅。ご住職のお言葉を咀嚼する。

我(が)が求めているものと、魂が求めているものは違うのだそうで

例えば無我夢中で働いて、富を手に入れたいと思っても

大切なときに病気になったりするのは

魂が“休ませてちょうだい”とサインを送っているからで。

休めてよかった、って思わないといけないですね、なんて話をしたりして。


参加している女性の中で、エネルギーの強い人がいて

天井からの吊り下げランプが、その人の頭上のだけ、

グルングルン弧を描き続けたりして、興味深かった。

その人が話をすると、ランプが回り

黙るとピタっとランプが止まるの。

その人は、「たまたまお寺にお散歩に来たとき

火の玉がワーっと自分の中に入ってきたのが

この坐禅を始めたきっかけです」

と言っていたので、やっぱり何かあるんだと思う。

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ビクラムヨガ、始めました [Meditation]

最近、ビクラムヨガを始めた。

ビクラムヨガとは、実際インドで行っているような環境(室温40度湿度55%)で

ビクラム氏が選定した2種類の呼吸法と26種類のハタ・ヨガを行うもの。



今日でレッスン3回目。

3回行くと、効果が見えてくると言われているけれど

さて、どんなもんでしょう。

1回目、ビギナーズラックだったのか、26の全てのポーズを休まずにできた。

でも2回目、過酷な環境のせいか、途中でかなり休みを入れた。

そして3回目の今日は、なんとか、ポーズはできたけれど

途中で貧血気味になる瞬間があった。

やっぱり、あの暑くて、呼吸も苦しい環境でのヨガは

慣れて、バッチリポーズをキメるまでには時間がかかるのだろうと思う。

周りの人に比べたら、まだ汗の量も少ないし

お水もあまり飲めていないとイントラさんから指摘されたけど

徐々に体質が変わるといいな、と思う。


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月に一度の坐禅の会 [Meditation]

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10月、友人に誘われて、初めて坐禅に行った。

坐禅の会は月に一度、都内のとあるお寺で行われる。

20時、仏像がまつられているお堂に入る。

まず、ご住職と一緒にお経を唱える(お経はコピーで配られる)。

それが終わると、ご住職がいくつか、お話をしてくださる。

日々の生活の中で、時々思い出して、自分をラクにしてあげたい

ものの考え方のヒントだ。

その後、みんなで坐る。だいたい25分ぐらい。

ロウソクの光だけの、薄暗く、静かなお堂で坐ると

時が止まったような感覚を味わえる。

最近の自分を反省したり、忙しかった今日を振り返るなんてことはしない。

何も考えない。ただ呼吸を1つずつ数えていくだけ。

呼吸に集中していると、自分は生きてるのだと、強く感じることができる。




終わると、任意で、別室でお茶お菓子をいただく。

このとき、参加者全員で自己紹介して、今日の坐禅についてや

日々感じることなどを話し合う。

メキシコ人やアメリカ人もいて、国際的だったりする。

だいたい2時間ぐらいの会だけれど、とても楽しみな会だ。




先ほど、ご住職のお話があると書いたけれど

これまで、こんなお話をしてもらった。



10月は、たしか、こんなことを。

月と、月を指し示す手。

それは真実(月)と言葉(手)と同じ。

いくら手をきれいに飾り立てたとしても

真実は常に変わらないもの。

手の美しさにまどわされず、ちゃんと月を見なくてはいけない。



そして、恋人同士についての話も。

恋人たちはたまに、「いつも一緒にいるはずなのに

なぜ分かってくれないのだ」と不満をもらす。

でも、あなたが見ているのは、恋人の顔、恋人の姿。

そして恋人が見ているのは、あなたの顔、あなたの姿。

同じものを見て生きているわけではないのだ。

だから理解しようとする気持ちを忘れないこと。



それから、お寺と併設している幼稚園の3歳の子供が描いた

ご住職の似顔絵を見せてくれた。

似顔絵というか、丸の中に、黒いものが2つ(目)、そしてニッコリと笑ったくちびるの線だけ。

上手に描こうとか、似せて描こうとか、思ったものではない、ただ見たままに描いた絵。

オトナになると、ヘタに知恵がついてしまうがゆえに

逆に真実が見えなくなっていることがあるのかもしれませんね、とご住職は言う。



そして11月は、竹に石が当たった音を聞いて

悟りを開いた僧侶のお話を聞かせてくれた。

よく書を読み、博識だった僧侶は、自分に知らないことは何もないと思っていた。

しかしある日、別の僧侶に「お前の父親と母親が生まれる前の

お前の姿はいかなるものだったのか」と尋ねられる。

自分の両親が生まれる前の自分の姿?

自分の知識を引っ張り出して考えても分かるはずもなく、僧侶は答えられない。

そこで持っていた書をすべて捨て、修行に出る。

ある日、掃き掃除をしていたときに

偶然、ほうきで石を飛ばし、それが竹に当たる。

その音を聞いて、僧侶はすべてを悟ったのだという。

僧侶が何を悟ったのか、それは言葉にできない。

しかしあえて言うなら、音と自己が一体となった瞬間だったのではないか、とご住職は言う。

地球上のすべてのものは、1つの分子であり

あなたもわたしも、大きく見れば、1つ。

人間も音も、大きく見れば、1つなのだと。




そしてまた、「サウンドスケープ」という言葉も教わった。

「サウンドスケープ」とは、「landscape」の音版のようなもので

音を聞いて周囲の風景を思い描くというか

音と風景の関わりを考えるというか、そんな感じのこと。

「わたしたちは何でも周りを見渡せていると思う。

しかし視野で言えば、人間は前方の180度しか見えていない。

でも耳は360度聞くことができる」


「子供はテレビを見るときは身体をこわばらせ、じっとしてしまうけど

音楽を聴くとリズムにのって踊りだす」


そんな、「音」が人に与える力というのを教わった。



目で見えているものだけが全てじゃない。

知恵がつきすぎて、物事の本質を見失っていないか。

1か月経つと忘れてしまいそうな、そんなことを

振り返る機会を与えてもらっている気がする。




禅は過去でも未来でもなく、現在を味わいつくす行為だと言うけれど

それと同時に、わたしたちは五感すべてで

この世界を味わいつくすべきなのだと思う。
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